野方で石仏巡り
本人は自覚していないのだが目に炎症があり、10月から中野の東京警察病院で診てもらってる。 今日は、今年最後の通院日。 朝、いの一番の診察で、『順調に良くなっています。点眼薬を続けてください』と言われ、9時には解放された。 警察病院から野方駅まで、裏道を気ままに歩いてきた。
●市川雷蔵が学んだ学校・・・・・・・・・・・・警察病院は以前飯田橋に所在していたが、平成20年(2008)に中野の警視庁警察学校跡地に移転したきた。 私の眼科の受診は飯田橋時代からで、通院歴も20数年になる。、、、、ところで、この警察病院の敷地内に「警視庁警察学校跡」の碑があるのは知っているが、「陸軍中野学校跡」の碑があるのは、うかつにも知らなかった。 今日、探して見つけてきた。
・・・・・・・・・・・・・・現在は、中野四季の森公園を中心に、警察病院、中野セントラルパーク東棟・南棟、早大・明大・帝京平成大のキャンパス、野方署がある「中野四季の都市(まち)」。、、、、ここには、明治30年(1987)頃から陸軍の諸施設が置かれた。 昭和14年(1939)には陸軍中野学校が開設された。 戦後になると警察大学校と警視庁警察学校が置かれ、平成13年まで使用された。、、、、、約17haの広さがある。
・・・・・・・・・・・・・・中野四季の都市の一画に東京警察病院があり、その敷地内を正面玄関前から入り、チョイト怖そうな警備員の立つ駐車場を抜け、只今増築工事中の建設現場の横を抜け、早稲田大学側の塀際を歩き、植栽の中に目を凝らすと、アッター。 ありました「陸軍中野学校跡」の碑が!
・・・・・・・・・・・・・・この地に日本のスパイ養成所があったことは公には内緒の話、でも巷ではうわさ話が広がっていたそうだ。 碑を見ていると、映画「陸軍中野学校」が思い起された。 主演の市川雷蔵は、私に似た色男で、陸軍中野学校で諜報活動を学ぶ青年将校を演じてた。、、、、、正月は、DVDを買って、もう一度映画「陸軍中野学校」を見ることにするか。
●都会の石仏巡りだ!・・・・・・・・・・・・警察病院から、中野区野方の町を北に歩き、野方駅に向かう。 駅までは、石仏を巡りながら、いつもと同じように裏道・路地をあるくことにした。
・・・・・・・・・・・・・野方1丁目の住宅街の中に、田中千禾夫(チカオ) ・田中澄江両劇作家夫妻の旧居跡がある。 その向かいには、赤い前掛けがかわいい小さな地蔵尊が二体、祀られている。 幼い子がここで交通事故(大型車が通れる道幅でもないが)? それとも水子供養? ???
・・・・・・・・・・・・『大型・普通自動車の通行できません』、『ちかんに注意』と立て看板の並ぶ道を行く。、、、、夜は怖い道!
・・・・・・・・・・・・・野方2丁目、住宅街の中に、「南向地蔵」の祠がある。 右に元禄2年(1689)の子育て地蔵、左に貞享4年(1687)庚申塔が置かれている。 この二体の石仏は以前は付近の別な処にあったが、周囲の交通が激しくなり、現在地に移転したそうだ。
・・・・・・・・・・・・・・野方2丁目の小さな祠は「三谷稲荷」。 三谷はこの辺りの旧称。 江戸時代に創祀したと言われている稲荷社らしい。、、、、嘘か、真実か、稲荷のみぞ知る。
・・・・・・・・・・・・・南向地蔵から北へ200m程の処に「北向地蔵」があった。 南北の地蔵さまが背を向き合わせて祀られているのだ!、、、、左の馬頭観世音には、享和二年戌(1802)の銘がある。 いずれも、古そうだ!
・・・・・・・・・・・・・昭和41年(1966)に架けられた三谷橋(さんやばし)で妙正寺川を渡り、野方3丁目に入る。
・・・・・・・・・・・・・野方3丁目のバス通りに出ると、街角に「がんかけ地蔵」が祀られている。 地蔵だけではない、道標、庚申塔、二十三夜碑もある、豪華3点セットだ。 地蔵尊は延享元年(1744)に建立された。 庚申塔は享保21年(1736)、二十三夜碑は昭和2年(1927)に建てられた。、、、、二十三夜とは、十五夜と同じように月齢を意味し、二十三夜の夜、村人、業者、女性のみ、など、特定の人々が集まり飲食を共にすること。 講の組織と同じである。
●狭いホームの野方駅・・・・・・・・石仏巡りから、西武新宿線の脇に出た。 線路沿いを歩き野方駅に向かう。
・・・・・・・・・・・・・西武新宿線中井~野方間は只今連続立体交差事業により、新宿線を地下化し、7か所の踏切りをなくす計画である。 この事業で、沼袋、新井薬師前の2駅は地下駅になるが、野方駅は現在のまま。、、、、地下化は、もぐらないと工事の進捗が判らず、現場を見てもあまり面白くないね!
・・・・・・・・・・・・・・野方駅に到着。 昭和2年(1927)4月16日に開業した野方駅は、島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。、、、、幅の狭いホームで特急が通過する時、軽い私は風で飛ばされそうだ。 『気をつけよう 狭いホームに 軽い俺』
« 東上線の歴史をチョッピリ | トップページ | 年末寒波の東向島 »