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2019年1月 7日 (月)

恋は暗い夜道で

七草がゆを食べ、お飾りをはずして、正月気分も今日まで。 夕暮れに近づく頃、総武線小岩駅から総武線の南側を歩き新小岩駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
●恋は~恋は~・・・・・・・・・・明治32年(1899)5月24日、総武鉄道の駅として小岩駅は開業し、その後国有化された。、、、、一昔前、電車が到着すると“小岩ー、小岩ー”とホームにアナウンスされていた。 それを聞いて、“恋は~、恋は~ 私の恋は~”と続けて口ずさんだ駅である。、、、、昭和43年(1968)、雅万歩が大学3年生の夏、ピンキーとキラーズが毎日、お昼になるとテレビ:コント55号の番組に出て『恋の季節』を歌っていた。 私は、大学の近くの中華ソバ屋で、棚の上のテレビを見ながら、野菜炒め定食を食べていた、思いである歌だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・駅前の「フラワーロード」。 この両側で、再開発工事が始まり、超高層が建つそうだ。、、、、、小岩より都心に近い、私の住む浅草橋には超高層ビルは一棟もない。 残念、負けた!
 
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●江戸時代の寺と神社・・・・・・・・・・フラワーロードの西側奥に、真言宗豊山派の神明山円蔵院がある。 天文年間(1532~1555)に創建された。 門前には庚申塔・地蔵尊が4基あり、歴史を感じさせる。
 
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・・・・・・・・・・・・・円蔵院の東隣りに南小岩天祖神社(沖天祖神社)がある。 かつての別当寺は円蔵院であった。 創建年代は不詳。
 
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●夕日に染まる川・・・・・・・・小岩駅から総武線沿いに新小岩方面に歩くと新中川にぶつかる。、、、、新中川は中川放水路として、昭和38年(1963)に完成した。
 
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・・・・・・・・・・・・小岩駅から新中川まで伸びる高架橋。 小岩駅とこの高架橋は飛島建設の施工で造られた。 雅万歩が、社会人となった時、新人研修で訪れた現場がココである。 まだ総武快速線が走っていない高架橋の上を歩かされ、工事の説明を受けたことを覚えている。、、、、総武快速線の高架橋完成は昭和45年(1970)である。 並行して走る総武緩行線の高架橋は昭和31年(1956)に完成した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・新中川に架かる「JR総武本線中川放水路橋梁」で、総武緩行線が走る。 新中川掘削工事に伴い、架橋。 昭和31年(1956)に完成。 なお、快速線は緩行線と並行している。、、、、1径間複線下路ワーレントラス橋+4径間単線上路プレートガーター桁橋
 
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・・・・・・・・・・・・・・鉄道協の下流に架かるのは「辰巳新橋」で、初代は昭和31年(1956)に架けられ、その後、歩道橋が増設された。 現在の橋は、平成5年(1993)に架け替えられたものである。、、、、、水辺に人々が集うよう、やさしいイメージのデザインで架けられた。 バスケットハンドル型ニールセンローゼ橋と称する形式の橋で、長さ120.3m。
 
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●身を切り、杜を守った神社・・・・・・・・・・・・辰巳新橋を渡り、江戸川区興宮町の興之宮神社に寄る。、、、、、興之宮神社の創建年代等は不詳ながら、寛永7年(1630)10月の改築(現本殿)と伝えられ、興宮村の鎮守だったとそうだ。 祭神は天照皇大神。 、、、、、戦後、荒廃した社殿・境内を整備すべく、境内の一部を宅地化し整備資金に充てたそうだ。
 
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●アパートの町・・・・・・・・・・・環七通りを越え、上一色1丁目の町に入ると、比較的新しそうなアパートの多いことに驚いた。 総武線沿線の学生用か? お高そうな高層マンションは見あたらない。
 
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●南無阿弥陀仏で供養・・・・・・・・・・・・・・総武線沿いに南側で、江戸川区上一色の町から葛飾区新小岩の町に入る。 小岩は江戸川区、新小岩は葛飾区、チョイト、スッキリしない町名だ!、、、、新小岩4丁目の歩道上に「六字名号塔(ろくじみょうごうとう)」があった。 「南無阿弥陀仏」の六文字を六字名号と呼び、阿弥陀仏への帰依を表す唱号である。、、、、正面に「南無阿弥陀仏」と彫ったこの供養塔は、享保16年(1731)に二人の子を亡くした村人が供養のために建てたものだ。
 
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●親爺でも乳がでる?・・・・・・・・・新小岩4丁目の於玉稲荷神社(おたまいなりじんじゃ)。 於玉稲荷神社は、千代田区岩本町繁栄お玉稲荷大明神を勧請して創建された。本社の繁栄お玉稲荷大明神が安政2年の大震火災で焼失し、明治4年(1871)に本社を当地へ遷座した。、、、、大きなイチョウの木の案内に次のように書かれていた。 「育児祈願の願掛け銀杏 江戸は奥戸の小松村 お玉稲荷の銀杏の幹は 神のお授け お乳が出るよ」 お乳の出ない爺の雅万歩も試しに願掛けしてきた。 今夜あたり乳がはり痛くなるかも、出たらどうしよう?!
 
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●日も落ち帰宅する・・・・・・・・・・・明かりの灯る商店街を歩き新小岩駅 から帰宅する。
 
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