裏道歩いて東中野へ
今日は眼科の受診日、中野の病院で朝一番の診察を受け、帰りは中央線の南側を東中野駅まで歩いてきた。
●名残惜しい診察・・・・・・・・・・・どこの病院でも、眼科の診察では、細隙灯(さいげきとう)顕微鏡という拡大鏡を使い、帯状の光を目に当てて、結膜、角膜、前房水、虹彩、瞳孔、水晶体などを目視し、検査してくれる。 この検査、先生と患者が顕微鏡を挟んで、30cm程の距離で対面するので、若い女医さんの時はドキドキ。 目は先生の顔・胸元にチラチラ。 先生から、『チャント真直ぐ正面を見て!』と叱責を受ける。 『ハイ』と正面を向き、心は目と違うソッポに向いている。 診察が終わると、もっと診てもらいたかったと、名残惜しく退室することになる。 毎度のこと!
●現代的なキャンパス・・・・・・・・・・病院の前には、帝京平成大学中野キャンパスと明治大学中野キャンパスが並んでいる。、、、、雅万歩が学んだ50年前の明治大学とは、大学の雰囲気も変わり、親しみやすい建物である。(ココ中野キャンパスは平成25年(2013)に開校した)
●稲荷が守る会館・・・・・・・・中野駅南側、マルイの裏にある、大正時代に建築されたという町会の「桃園会館」。 町内の集会場で、町で使用しないときにいは、貸しだしているそうだ。、、、、桃園地域は中野駅南口を中心に、8町会、1自治会で構成されている地域。 地域の歴史は古く、五代将軍綱吉は約30万坪(100ha)に及ぶ野犬を保護するための施設「お囲い御用屋敷」をこの地に作った。 後に。将軍吉宗が犬囲いの跡地を「お立て場(休息所)」とし、紅白の桃を植え「桃園(とうえん)」と称えたことに由来する。、、、、、会館の脇にはお稲荷さんが祀られている。
●裏道が好きなの!・・・・・・・・・・・今日も、裏道を歩く、“お天道様をまともにみられない男”。 ただただ、裏道が好きなだけ、雅万歩はけして刑務所帰りではありません。
●明るくなった駅・・・・・・・・・裏道から東中野駅西口前に出た。、、、、東中野駅 は、明治39年(1906)6月14日、甲武鉄道の柏木駅として開業デビューした。 大正6年(1917)、東中野駅に改称する。 現在は、都営大江戸線の駅も開業し、乗り換え駅となった。、、、西口には駅ビルもでき、明るい駅に変わった。
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