東京だョおっ母さん
我が家(浅草橋)から江戸通りを南に歩き、日本銀行前に出ると、新旧の常盤橋が三橋ある。 この常盤橋を見て、大手町から皇居前に出て、東京駅まで、1万3千歩の散歩です。
● お勤め御苦労さま!・・・・・・・・・浅草橋、馬喰町、小伝馬町、室町と、江戸通りを歩き、外堀通りと交わる新常盤橋交差点に出る。、、、、時刻は9時前、マフラーとマスクで顔を隠した人が、私を追い越していく。 あせるな いそぐな たまには遅刻で リフレッシュ、、、、、我が家から新常盤橋まで、ブラブラ歩いて50分也。
● 石と皿の“ときわばし”・・・・・・・・・・・日本銀行の西側を流れる日本橋川。 そこに、上流側から、新常盤橋、常磐橋、常盤橋と、「ときわばし」が3橋並んで架かっている。 3橋は千代田区大手町と中央区日本橋本石町を結んでいる。、、、、写真は、免震化工事中の日本銀行本店本館。
・・・・・・・・・・・・まずは、新常盤橋、、、、、この橋は、大正9年(1920)の市電(戦後は三輪橋~都庁前の31系統路線)開通に合わせ、現在の江戸通りの延長線上にに架けられた橋である。 コンクリート造の三連アーチ橋であった。、、、、昭和63年、東北新幹線高架工事に伴い、現橋に架け替えられた。、、、、隣りに新幹線の高架橋、頭上に首都高都心環状線が架かり、橋の全容が見えにくい。
・・・・・・・・・・・・・・次は、“元祖ときわばし”であるが、残念ながら落橋の危機にさらされ、只今文化財として修復工事中。 その為、近くに立ち入ることもできない。、、、、ところで、この「ときわばし」は、“盤”と“磐”の違いで、「常磐橋」と書く。、、、、初代は、常磐橋御門の見附橋として、天正18年(1590)の架橋と言われている。、、、、現在の橋は明治10年(1877)に架けられた、石造のアーチ橋である。 多数の肥後(熊本)の石工が集められ、橋の架設に当たったと言われている。、、、、、国指定の文化財で、修復工事は基礎部分から全面的にやり直されていたが、途中で東日本大震災があり、工事中の橋も被災し、工期は大幅に延長されている。
・・・・・・・・・・・・・・以下の写真は、7年前、工事着手直前の常磐橋。 全景と親柱
・・・・・・・・・・・・・・最後は「常盤橋」である。 上流の「常磐橋」は古くて小さな石橋で、かつ歴史的に貴重な橋であったため、昭和元年(1926)に、主要幹線の橋として隣りに新しい橋を架けた。 これが“磐”を“盤”に変えた「常盤橋」である。、、、、橋のデザインは常磐橋を模した、2連のアーチ橋(不等間隔)として造られた。、、、親柱の隣りにラーメン屋の屋台があった、お品書きは新しそうだ、するとこれは?
● おっ母さん ここが ここが 二重橋 記念の写真を とりましょね・・・・・・・・・・・必ず記念撮影する皇居正門石橋(二重橋はこの奥にある)、その脇に、懐かしい交番「祝田町見張所」がある。石橋のできた、明治21年(1888)前後にこの交番も造られたようだ。、、、、皇居前広場から農協の団体が消え、修学旅行の学生も消え、はとバスの団体が細々、残るは東南アジアを中心とした外人さん。 時代も変わったね!
・・・・・・・・・・・・・皇居前から見た丸ノ内
● おっ母さん ここが ここが 東京駅 記念に写真を とりましょね・・・・・・・・・・・東京駅に赤帽がいた頃が懐かしく思われるのは、年とった証拠かな?
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