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2019年1月21日 (月)

環七の下に葛西城址

今朝はチョイト風が強く寒い。 都営浅草線の浅草橋駅に入ってきたのは、青砥行の普通電車、これで決まり、今日は青砥で降りて歩くことにした。
青砥駅から環七通り沿いに歩き、中川大橋を渡り、金町駅までの散歩です。
 
 
 
●散歩のスタート・・・・・・・・・浅草橋でも、青砥でも、帽子にマフラーにジャケットを身につけ、最後はマスクで顔を隠し、北風の中、皆さん出勤。、、、、呑気な雅万歩は青砥駅 に着いた、電車は終点。 『ヨシ、歩くぞ!』
 
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●少なくなったトタン張りの住宅・・・・・・・・・・青戸7丁目、数軒の波型トタン張りの木造住宅が視界に入る。 昭和の匂いが漂い、チョイト覗いてみたくなる、空き家かと思うと、誰かいるようだ!、、、、、アパートだった建物は、ポストを縛り『入れないでね!』
 
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●武士はスッポンで戦う・・・・・・・・・・・青戸7丁目の中央を南北に走る環七通り。 その環七通りを挟むように、二つの公園が向かい合わせにある、「御殿山公園」と「葛西城址公園」である。 この両公園は葛西城の主郭があった場所で、周囲には堀も廻っていた。 昭和47年(1972)に環七通り建設に伴う発掘調査が行われ、戦国期の陶磁器、漆器、人骨など様々な遺物が発掘された。 また、中世末期から近世初頭の多数のスッポン遺体が出土しており、近世に西日本から新たにもたらされた食文化と考えられている。 なお、道路建設のため城跡は道路下に埋め戻された。、、、、葛西城は、築城者、築城年代は不明だが、桓武平氏の流れをくむ葛西氏が鎌倉時代に城館として築いたとされる。 東側を流れる中川の蛇行部を天然の堀として背後に持つ平城である。 天正18年(1590)の秀吉による小田原征伐の際には攻められ落城する。 廃城となるが、家康が江戸に入府後は城跡に「青戸御殿」と呼ばれる陣屋が建てられ、三代家光の頃まで鷹狩の宿舎として利用された。、、、、今は、当時を偲ぶものは何もなく、城址の碑と案内板があるのみ。 せめて、公園で『葛西城址まんじゅう』でも売れば、SNS映えし人気が出るかも。
 
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・・・・・・・・・・・・・・環七通りから見た、「御殿山公園」と「葛西城址公園」
 
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・・・・・・・・・・・・・・案内板にあった上空写真。 写真上側が南(青砥駅方面)、下側は北(亀有駅方面)  点線内が葛西城の範囲
 
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●城内の寺社?・・・・・・・・・・葛西城址公園の東側に青砥神社がある。 天正4年(1576)に、三社明神として創建し、青戸村の鎮守さま。 昭和に入り、近くの6社を合祀している。
 
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・・・・・・・・・・・・・・青砥神社の鳥居前には、神社の別当寺であった真言宗豊山派の観音寺がある。 寺は両鎮山慈眼院と号す。 天正4年(1578)の創建。 現在の本堂は昭和41年(1966)に建て替えられた。
 
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●シンプルな橋・・・・・・・・・・・・青戸の町と同じ葛飾区の新宿の町を結ぶ中川大橋 を渡る。 水戸街道(=国道6号)が通るこの橋は、昭和10年(1935)に開通し、現在の橋は平成元年(1988)に竣工した二代目の橋。 橋長は134.4m。、、、、、橋の上は、北風で寒い!
 
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●ウメが咲いていた!・・・・・・中川大橋を渡り、新宿2丁目の中川沿いに、浄土宗寺院の西念寺がある。 覚林山宝樹院と号す。 文安5年(1448)僧浄円が結んだ草庵を起源とし、天文元年(1532)に寺院として創建した。 江戸時代には門末7ヵ寺を擁する小本寺格の寺院であった。、、、、、ウメがほころび、寒さの中に春を感じる一刻。
 
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●整列!・・・・・・・・・新宿4丁目、道がY字に分岐する三角地に、十三体の石仏と帝釋道標と八大龍神碑がある。 新宿4丁目の川っ縁にあったものを、川の埋め立てと道路拡張工事のため移転してきたそうだ。 十三仏は全て地蔵12基と庚申塔1基、それに帝釋道標と八大龍神碑。そしてこれらを集めたことの記念碑。、、、、、園児が整列し迎えてくれてるてようだ。
 
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●たまには見たい通過列車・・・・・・・・・新金貨物線浜街道踏切を渡り金町駅へ向かう。、、、、一日2~3本の貨物列車が往復するだけの踏切り。、、、、列車が通過する写真を撮るのは難しい!
 
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●早いのどっち?・・・・・・・金町駅到着。 浅草橋(我が家)までは、JRより京成の方が早い、帰りは京成金町線にしよう!
 
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