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2019年2月

2019年2月27日 (水)

錆びた案内板、綺麗な案内板

京浜東北線東十条駅から歩いてみようと電車に乗ったが、王子駅手前でトラブル発生。 結局、東十条とは離れた、「新田一丁目」バス停から「西新井大師西」駅までの散歩となった。 1万歩。
 
 
 
●アリャリャ、コリャリャ ・・・・・・・・私が乗った京浜東北線電車が、王子駅にさしかかった時、急ブレーキがかかり、数両がホームにかかり停車した。 「アリャ、事故ったかな?」 しばらくすると、『湘南新宿ラインで人身事故が発生しました。 安全確認のため近くを走る京浜東北線にも緊急停止の指示があり停車しました。 只今、事故発生場所の確認をしております』のアナウンス。 電車にとじ込まれ10分、『王子駅の停車位置まで電車を動かします』 電車がチョイト前進し、ドアが開く。 『運転再開は9時以降となる見込みです。 地下鉄南北線で振替輸送を行っております』の案内が車内に流れる。、、、、、アリャリャ、コリャリャ、どうしよう? とりあえず、暇な親爺の行く先定まらぬ散歩なので、駅を出ることにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅前には多くのバスが停まっている。 行先を変更し、どこ行きでもいいから、スグ出発しそうなバスに乗った。 (敬老パスを持っているので、バスは乗り放題!) 乗ったバスは「新田一丁目」行のバスだった。 バスが走りだして、「何処で降りようか?」 考えても決まらず、結局、終点の「新田一丁目」で他の乗客がいないガラガラのバスから一人静かに降りた。、、、、今日の散歩のスタートは“東十条”の予定が、“新田一丁目”となった。、、、、「新田(しんでん)」は足立区の西部最西端に位置し、周囲を荒川と隅田川に囲まれた中洲状の処である。 荒川を挟んだ対岸は足立区鹿浜・堀之内・江北、隅田川を挟んだ対岸は北区豊島・神谷・王子・志茂である。 一丁目は西を隅田川、北と東を荒川、南を環七通り(東京都道318号環状七号線)に囲まれた、工場や倉庫の多い町だが、アパート、マンションもある。
 
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●伏見稲荷のコンコン ・・・・・・・・・・・・・・・・・新田一丁目バス停前に、元禄10年(1697)に京都の伏見稲荷を勧請し、創建された新田稲荷神社がある。 社殿は戦災により焼失し、現社殿は昭和22年(1947)の再建。、、、、境内にある、「宝暦六年丙子四月」(1756)の彫の庚申塔は、250年前のもの。
 
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●一部は更地になった! ・・・・・・・・・鹿浜橋西詰、荒川沿いに建つ都営住宅、都営新田一丁目アパート。 昭和42年(1967)から昭和43年(1968)にかけて建てられた、568戸(12棟)の団地。 築50年経過し、老朽化のため、まず8棟が取り壊され、14階建ての建物に替わる予定である。
 
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●降りだしそうだ! ・・・・・・・・・・・鹿浜橋は荒川に架かる環状七号線の橋で、南詰は新田一・二丁目、北詰は鹿浜一・二丁目。、、、、昭和40年(1965)2月12日に開通した。 長さ451.3m。 橋名は旧足立郡の鹿浜村・鹿浜新田にちなむ。、、、、雨の降りそうな空模様、寂しそうに流れる荒川。
 
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●つまらん環七! ・・・・・・・・鹿浜橋から環七通りを東へ向かう。、、、、幹線道路は歩いても面白くないね! 目に入るのは、ファミレス、パチンコ屋、ディーラーなど、どこの道を歩いても同じ景色だ!、、、、鹿浜三丁目交差点を過ぎたあたりで、裏道を歩くことにした。
 
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●ツバキのない椿 ・・・・・・足立区椿2丁目の裏道に入る、椿日枝神社があった。、、、創建は不詳だが、江戸時代に後北条氏の家臣:阿出川氏が堀之内村を開村、その後堀之内村の小名「椿木」の鎮守として創建したものと推定されるそうだ。、、、ステキな地名「椿」は、かつてこの辺りに椿が自生していたことによるらしい。、、、境内には、高僧(覚心坊和尚)の事績石碑があり、神仏習合時代の面影が残されている。、、、境内に、せめて一本でいいから、ツバキを植えて欲しいね!
 
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●錆びた案内板 ・・・・・・・・・・椿2丁目の東隣、江北7丁目に入ると、「都営 上沼田第3アパート」がある。、、、、昭和43年(1968)に建てられた都営住宅で、全15棟(約560戸)の団地である。 建築当時は、風呂がある、水洗トイレがある、モダンな住宅として足立区のモデル住宅になったそうだ。、、、、いつの間にか築50年が経過し、高齢化、少子化となり、建物も劣化し、今や団地の案内板も錆びてしまった。 商店街は廃業した店が並ぶ閉店街となった。、、、、都は、上沼田第3アパートを段階的に建て替える計画で、検討しているそうだ。
 
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●カラフルな案内板 ・・・・・・・・「アレ、上沼田第3アパートが続いているのか?」と、間違える程の近く(江北6丁目)に「UR 江北六丁目団地」がある。、、、、こちらは、昭和46年(1971)に完成した旧公団住宅で、全29棟(860戸)の団地である。 都営住宅が一戸当たり40㎡弱で、ここは50㎡程あり、チョイと広い! また、近年改修工事も行い、小奇麗である。 そして、一番のポイントは、日暮里舎人ライナー西新井大師西駅の真ん前で超便利!
 
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●ちょうど来た! ・・・・・・・・お帰りは、もちろん西新井大師西駅 から日暮里舎人ライナーで!
 
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2019年2月25日 (月)

寂しくなった山谷?

隅田川に架かる白鬚橋から地下鉄日比谷線の三ノ輪駅に至る間の明治通りは、ほぼ台東区と荒川区の区境となっている。 その中間点に泪橋交差点がある。 今日の散歩は、泪橋からかつての山谷地区を抜け浅草寺までです。 1万2千歩。
 
 
 

 

●今生の別れの涙 ・・・・・・・・浅草橋から南千住駅前行の都バスで、泪橋(なみだばし)バス停で降りる。、、、、泪橋は、現在の泪橋交差点の付近を流れていた思川(おもいがわ、=音無川分流)に架けられた橋の名である。 思川は明治通り敷設のため暗渠化され、架かっていた泪橋も失われた。 橋名の由来は、泪橋の北側にあった小塚原刑場に赴く囚人たちが現世を去るに際して、涙を流しながら渡ったとも、囚人の知人が今生の別れを惜しんで袖を濡らしたからとも伝えられている。、、、、橋も、川も、今は跡を残さず、消えた! 泪の跡はバス停と交差点名に残るだけ。 
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●明るい町に変身 ・・・・・・・・・・・・山谷 (さんや)は、台東区北東部にあった地名で、現在の台東区清川・日本堤・東浅草付近を指した。 大阪のあいりん地区、横浜寿町とともにドヤ街の代表地区。 日雇い労働者の住む簡易宿泊所の多い町で、東京オリンピックのあった昭和60年代には、200軒以上の宿泊所に約1万5千人の労務者が寝泊まりしていた。 当時は『山谷騒動』と呼ばれる、労務者の暴動なども起きた。、、、、当時は、仕事にあぶれた労務者が、日中から路上で酒を飲み、博打をする光景も見られ、怖い処であった。、、、、現在の山谷地区は、労務者が高齢化したうえに、5千人ぐらいに減ったそうだ。 町も、労務者の町から、外人観光客が泊まる安宿の町に変わってきた。 

・・・・・・・・・・・・“旅館”も“ホテル”に変わり、モダンな建物も、女性専用のフロアーもあり、Wi-Fiも完備している。 「全室カラーTV完備」、「全室冷暖房完備」は、もう古い!

 

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・・・・・・・・・・・・・宗教団体の支援がつづく山谷。、、、、炊き出しが行われ、日曜日には賛美歌が聞こえる、「日本キリスト教団 日本堤伝道所センター」、「神の愛宣教者会 山谷の家
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・・・・・・・・・・・・・アッ、アーケードがなくなった!、、、、山谷の中心的な「いろは会商店街」では、昭和30年代に設置し劣化したアーケードを昨年撤去した。、、、、、なんだか道幅が広くなり、明るくなった気がするが、商店街でカップ酒飲む労務者もいない、人通りは少なく、寂しいかな? 
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・・・・・・・・・・・・・4年前(2015)、ほぼ同じ位置で撮影、アーケードのある「いろは会商店街」。

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・・・・・・・・・・・・・商店街で作業服を売る店。 お客も減ったようだ。
 
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●日本堤の“昭和” ・・・・・・・・・・・・・台東区日本堤には昭和が残っている。、、、、、終戦後の東京の町には、いたる所に防火用水が置かれていた。 路地を入ると、手押しポンプがあり、脇には洗濯板と「カネヨ」のクレンザーと亀の子たわしもあったっけ!

 

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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、路地裏の住宅。 路地の中央に敷かれた御影石が印象的。
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●本堂を守る六地蔵 ・・・・・・・・・・・日本堤の南隣、東浅草にある曹洞宗洞雲山東禅寺 には、江戸六地蔵の一つ銅造地蔵菩薩坐像が本堂正面で出迎えてくれる。 像の高さは約3m。
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●わちきも、遊んでみたかった! ・・・・・・・・東禅寺から50m程南東に浄土宗の寺院:春慶院がある。 こちらの寺の境内の隅に吉原の花魁:高尾太夫の墓があった。、、、、高尾太夫は初代から11代まで居たと言われている。 ここの墓は初代のこ墓である。 11人の高尾太夫はいずれも吉原の代表的名妓で、三浦屋四郎左衛門方の抱え遊女であった。 この墓は、細部にまで意匠を凝らした笠石塔婆で、戦災で亀裂が入り、一隅が欠けている。 高さ1.5m、正面に紅葉文様を表し、中央から下に楷書で「為転誉妙身信女」、その下に「万治二年巳亥」、左側に「十二月五日」と戒名・忌日が刻まれている。、、、、、美人で、才女で、スタイル良し、の花魁と聞けば、私も一度は吉原でお会いしたかった。

 

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●観音さまに手を合わせ ・・・・・・・・・・浅草寺に立ち寄り、帰宅。
 
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2019年2月20日 (水)

目薬より効く、目の薬師

中野の病院に行った帰り、新井薬師に参り、西武新宿線の新井薬師前駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
●眼科の帰りは薬師へ ・・・・・・・・・・・目に炎症があり点眼治療していたが、本日の検診で治ったようだ、『薬はもう点さなくていいです。 3ヶ月後に、また、いらしてください』との言葉を頂戴して、病院をあとにする。、、、、さて、これから何処へ行こうか? 眼科に来た帰りなので、『目の薬師』と言われてる「新井薬師」に行くことにした。 その前に、「旧豊多摩監獄表門」にも寄って行こう!
 
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●一人でニヤニヤ ・・・・・・・中野区新井の町に、住宅の敷地の角に立てられた、鉄道の三灯式信号機があった。 電球は点いていない。 だいぶ古そうだ、鉄道オタクの住人が立てたのか?、、、、、鉄道オタクはこういう鉄道関連の機器・備品を集める人が多いね。 鉄道に関心がない家族にとっては、無用の長物、ガラクタ、邪魔物、と言われ嫌われる。、、、、私も、旅先で拾ってきた、線路の敷き石、犬釘などを眺めて、『これは〇〇駅』の物と悦に入り、ニヤニヤ。
 
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●檻の中の監獄 ・・・・・・・・・・・中野区新井3の「平和の森公園」の一画に、法務省矯正研修所があり、その敷地内に「旧豊多摩監獄表門」が残されている。 4年ぶりに見に来たら、フェンスで立ちふさがれ近寄れない。 アリャ!コリャ!どうした!監獄ロック!オット・マチガエ、監獄フェンス!、、、、この場所には明治43年(1910)から昭和58年(1983)の廃庁まで、「豊多摩監獄」、「豊多摩刑務所」、「中野刑務所」と改称しながら、73年の歴史を刻んだ施設があった。 その表門が残されている。 煉瓦造りの表門は高さ約9m、幅18m、奥行き13m。 当時の司法省の技師:後藤慶二の設計で大正4年(1915)に完成し、震災・戦災を免れてきた建築である。、、、、法務省の研修所は移転し、跡地を中野区が購入した。 区は跡地に小学校を建てる計画があるそうだ。 昨年、区は文化財的観点の高い表門を、現地保存して都の文化財指定を目指す方針を明らかにしたそうだ。、、、、檻の中の監獄が整備され再び見られるのを楽しみにしよう!
 
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・・・・・・・・・・・・・平成27年(2015)撮影の旧豊多摩監獄表門
 
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●刑務所でお勤めしたお稲荷さん ・・・・・・・・・・・プレスリーの気分で監獄ロックのリズムにのって、新井薬師に向かう手前に新井天神北野神社がある。、、、、新井天神北野神社の祭神は菅原道真。 創建は不明だが、天正年間(1573~1592)に新井薬師梅照院の開祖行春が、村人とともに小祠を改めて天満宮としたのが始まり。、、、、天神様なのにウメの木は少なく、チョイト寂しいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・参道の横に、寶樹稲荷神社がある。 このお稲荷さんは、江戸時代後期の文化14年(1817)に市ヶ谷の板倉勝政の屋敷内に祀られた。 その後、明治8年(1875)に板倉屋敷跡は市ヶ谷囚獄となり、当神社はそのまま残されていた。 大正4年(1915)には、監獄が豊多摩監獄に移転した際に当稲荷も共に遷ってきた。 その後、法務省矯正研修所と変わっても、敷地内に残り鎮座していたが、研修所の移転により、当神社は平成27年(2015)に現在の北野神社に遷座された。、、、、長きにわたり監獄・刑務所で過ごしたお稲荷さん、お勤めご苦労さんです!
 
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●目薬より効くか? ・・・・・・・・・・一般に「新井薬師」として知られている新井山梅照院薬王寺は、中野区最大の寺院である。 足立区の西新井大師と同じ真言宗豊山派の寺院。、、、、、梅照院の本尊は、薬師如来と如意輪観音のニ仏一体の黄金仏で、高さ一寸八分(約5.5cm)の像と言われている。 この本尊は弘法大師作と言われ、鎌倉時代の武将:新田家代々の守護仏であった。 ところが、鎌倉時代から南北朝にかけての戦乱のさなかに、ある日の夕方、像を納めたお城の仏間から忽然と光が放たれ、それとともに像は消え失せた。 その後、相模国から行春という僧が、清水の湧きいずるこの地こそ、真言密教の行にふさわしい土地と感じ、新井の里を訪れて草庵を結んだ。 不思議なことに、草庵の庭の梅の古木から光が発せられる現象が夜毎に起こり、天正14年(1586)、その梅の木の穴から新田家ゆかりの像が発見された。 行春はこの像を安置するために、新たに堂を建立した。 これが、梅照院の始まりである。、、、、、魔訶不思議な出来事とともに出現した薬師如来は、その後、広く、深く信仰されるようになる。 特に、二代将軍秀忠公の第五子和子の方(東福門院)が患った 悪質な眼病が、祈願して快癒したことなどから「目の薬師」と呼ばれ、 あるいは第五世玄鏡が元和3年(1617)に如来の啓示によって、秀れた小児薬を調整したことなどから「子育て薬師」とも呼ばれて、多くの人々に篤く信仰されている。、、、、、、私も、目の炎症が治ったので、賽銭を奮発し、手を合わせてきた。
 
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●地下駅になる! ・・・・・・・・・梅照院から東へ500m程、西武新宿線の新井薬師前駅がある。 昭和2年(1927)4月16日に高田馬場~東村山間の路線開業と同時に駅も開業した。、、、、現在工事が進められている、中井~野方間の連続立体交差事業では島式ホーム1面2線の地下駅となる予定。 工事は2020年度完成予定。 遅れなければいいのだが、安全第一で!
 
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2019年2月19日 (火)

処理場だけど臭わない!

南千住駅前から散歩を始める。 都電荒川線の北側、南千住6丁目、三河島再処理センター界隈を歩き、京成本線町屋駅まで、1万歩です。
 
 
 
●裏道のお稲荷さん ・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・我が家(浅草橋)から都バスで南千住駅前まで、乗り放題・無料の敬老パスを利用。 正しくは、都営交通の敬老パス一年間約2万円也を購入すると、都営交通と都内の民営路線バスが乗り放題。 パスを見せれば乗れるので、“無料”という感覚で好きなだけ乗れるのが嬉しいね。
 
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・・・・・・・・・・・・早速、駅前の裏道を探索。 この辺りは、昔ながらのアパートが多い。
 
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・・・・・・・・・・・・・通りすがり、御利益ありそうなお稲荷さんがある。 ブロック塀に囲まれ、朱い鳥居が見えた。、、、金福稲荷神社(荒川区南千住5)である。 貞和3年(1347)足利時代に「金子福寿稲荷」として創建されたそうだ。 
 
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●小塚原の神社 ・・・・・・・・日光街道(国道4号)を越えて、南千住6丁目の素盞雄神社(すさのおじんじゃ)に参る。、、、、素盞雄神社は、当地に神石がに出現したことから、素戔雄命(牛頭天王)、事代主命の2神を祀り、延暦14年(795)創建したと伝えられている。 近郷の旧小塚原町、旧箕輪町、旧通新町、旧三河島村、旧町屋村などの鎮守社。 神社のある地の旧名は「小塚原」(刑場があった処)で、この地名も当社の小高い塚より起ったと言われている。
 
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・・・・・・・・・・・・・地名「小塚原」の起りとなった小塚。 境内の小塚は、御祭神の素戔雄命、事代主命が光を放ち降臨した処である。 小塚の中の奇岩を「瑞光石」と称している。 元治元年(1864)には富士塚を築き浅間神社を祀っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・賽銭箱のそばにあった「お賽銭は神様へのお供えもの」。 はっきり書いたね! 神様は金喰い虫か?
 
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●二股大根が見たい! ・・・・・・・・・素盞雄神社から西へ500m程のところに、若宮八幡宮がる。 ここは若宮八幡宮の名のとおり、御祭神は仁徳天皇。 又婦人の病に効験があり、祈願して直った時は二股大根を描いた絵馬を奉納するそうだ。(今の世でも続いているのか? 二股大根を見てみたい!)、、、、社殿は平成14年(2002)に新造営された。
 
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●羊毛工場が球場に! ・・・・・・・・・・・若宮八幡宮の前、荒川工業高校の西側の塀として、千住製絨所の塀の一部が保存されている。、、、、製絨所(せいじゅうしょ)は明治12年(1879)に、隅田川沿いの当地(8,300余坪)で創業した官営の羊毛工場である。 明治21年(1888)には陸軍省管轄となる。 戦後、昭和37年(1962)、敷地の一部に下町の球場と親しまれた「東京スタジアム」が建設され、大毎オリオンズ(現:千葉ロッテ)の本拠地となる。 10年後、球場は赤字経営のため休場となり、昭和52年(1977)に取り壊された。 跡地には都の施設が建てられた。
 
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●This is 下町 ・・・・・・・・・・・・南千住6丁目と、隣りの荒川1丁目界隈。、、、、、トタン張りの家、、、、昭和初期創業の蕎麦屋、、、、スクラッチタイルの家、、、、地元産の煉瓦の壁(?)、、、、路地の奥、、、、新築の住宅と高層マンション、、、、、どれもこれも下町の風景
 
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●都電 ・・・・・・・・・・・・・・・荒川二丁目停留所付近にて
 
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●我が糞尿を処理してる、感謝! ・・・・・・・・・荒川二丁目停留所前に、三河島水再生センター(旧称:三河島汚水処分場)がある。 大正11年(1922)に稼動を開始した日本で最初の近代的な下水処理場である。 旧喞筒(ポンプ)場施設が国の重要文化財に指定されている。、、、、、、敷地面積は197,878平方メートルであり、1日あたり700,000立方メートルの下水処理能力を持つ。 現在の処理区域は、荒川区・台東区の全域、文京区・豊島区の大部分、千代田区・新宿区・北区の一部で、計3,936haの下水処理を担っている。 と云うことは、台東区の住人である我が雅万歩のウンチも70余年間の長きにわたり、ここで処理してくれたのだ、感謝・感激!、、、、、処理方式としては標準活性汚泥法を採用。 処理水は隅田川に放流するほか、一部を東尾久浄化センターへ送っている。 汚泥は砂町水再生センターへ圧送している。 (「圧送している」というと、ここ荒川から、江東区砂町まで圧送用のパイプが地下に埋設してあるということか? 見てみたい!)
 
・・・・・・・・・・・・広大な敷地に各処理施設があるが、大部分は建物の中で、屋上は公園として一般に開放している。 施設内は事前予約で見学できるそうだ。 私のように、ブラリ立ち寄った人はダメ!、、、、、写真:処理場全体の案内図。 旧三河島汚水処理場喞筒場施設。 北反応槽。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・沈殿池、南反応槽などの屋上は、「荒川自然公園」となっている。 テニスコートも複数面あり、かなり広い。、、、、処理場の上だけど、臭くないね!
 
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●降ってきた! ・・・・・・・・・・・荒川自然公園(三河島水再生センター)を出ると、町屋駅までは至近。、、、、、1931年(昭和6年(1931)12月19日、京成電気軌道(現:京成電鉄)の町屋駅が開業。 島式ホーム1面2線の高架駅。、、、ちょうど、ポッリ・ポッリと降ってきた。 濡れないうちに、帰ろう! 
 
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2019年2月16日 (土)

亀戸の梅屋敷

総武線亀戸駅から、亀戸水神、亀戸天神、亀戸香取神社、吾嬬神社、小村井香取神社と巡り、東武亀戸線小村井駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●天神様の駅 ・・・・・・・今日は土曜日、通勤客も少なく、早朝に下車する人もまばらだ。、、、、明治37年(1904)3月29日1904、総武鉄道の駅として開業。 駅の歴史を語るようなものは、なにも見つけられないが古株の駅である。、、、いつも改札前で売っている「くず餅」の売店も、まで出てない。 帰りに、寄ってみよう!
 
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●“お水”の神 ・・・・・・・まずは、東武亀戸線 の駅名となった亀戸水神へ参る。 JR亀戸駅から北東に700m程の処に鎮座する水神さまで、社号は「亀戸水神宮」。、、、、亀戸水神宮の創建は古く、室町幕府十二代将軍足利義晴の治世の頃(1521~1546)と推定されている。 土民が水害から免れん為の祈願として、大和国吉野の丹生川上神社から勧請したもので、祭神は弥都波能売神(ミズハノメノカミ)という水を司る女神。、、、、艶めかしい“お水”の神様ではない。 間違えないで! でも、キャバ嬢姿の女神がいたら神社に詣でる人も増えるかもね!
 
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・・・・・・・・・・・・・神社に隣接して、城東署の「水神森地域安全センター」(旧交番)がある。 この建物は木造で、昭和初期に建てられたものかも?
 
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●蘇った亀戸梅屋敷 ・・・・・・・・亀戸駅前の明治通りと、亀戸天神前の蔵前橋通りが交差する亀戸四丁目交差点角に、「亀戸梅屋敷」がある。、、、、浮世絵師・歌川広重が描いたこともある江戸時代の亀戸に実在した梅屋敷は現存しない。 平成の世に、当時の亀戸梅屋敷をモチーフにして、観光案内所や物産店、江戸切子ギャラリー、寄席等をミックスした観光施設「亀戸梅屋敷」が作られた。
 
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・・・・・・・・・・・・・【補足】 江戸時代初期、亀戸天神の北東に大きな梅園があった。 ここには、「清香庵」と評する屋敷があり、一般に「梅屋敷」と呼ばれていたそうだ。 明治43年(1910)の洪水と工場の排煙などから梅の大部分が枯れてしまい、廃園となった。 その跡地に小さな梅屋敷伏見稲荷神社(亀戸3)が残っている。、、、、(今日の散歩では寄らなかったので、2016/1/4撮影の写真で代用)
 
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●思ったほど、ウメの木はなかった! ・・・・・・・・・・・“ウメ”と云えば“天神さま”。 そこで、亀戸天神周辺の商店街は「梅まつり」のポスター、旗で集客中。 
 
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・・・・・・・・・・・・・雅万歩も梅の香に誘われ、亀戸天神 へ、スタコラ・サッサ・ホイ・サッサとやってきた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・太鼓橋の上から境内を眺め、『アレ、なんか変だ? “天神様”なので“ウメ”の花が境内を埋めているはずだが?』 期待した程にウメの木はなく、境内は藤棚ばかりだ!、、、、何度も来ていた境内、ウメの木がこんなに少ないとは、今日初めて気がついた。、、、、ウメの木は境内に300本程あるそうだが、木には大小あり、まだ花をつけていない木もあり、境内の広さに比べ寂しいものだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・天神さまに手を合わせ、拝殿に置かれた大宰府の梅を観賞する。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内のウメを観て行こう!
 
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●梅は咲いたが 桜はまだかいな ・・・・・・・・・・・次は、亀戸天神の東側に鎮座する亀戸香取神社 。 蔵前橋通りから入る参道は昭和レトロな看板建築でおもてなし。、、、、こちらは、“ウメ”の木はなく、“サクラ”がお勧め。 特に、参道には数種の八重桜が咲き乱れ、なかには黄緑色の花を咲かせる「鬱金」もある。、、、、4月になったら出直そう!
 
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●可愛い狛犬 ・・・・・・・・・・・・香取神社から北へ、北十間川を越え墨田区に入ると、川に面し「吾嬬神社」(墨田区立花1)がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・吾嬬神社は、日本武尊東征の際に相模から上総へ渡ろうとして暴風に遭い、弟橘媛が身を海に投じて暴風を鎮めたことから、日本武尊は当時浮き洲であった当地に上陸できたものの、弟橘媛は行方知れずとなり、弟橘媛の御召物がこの地の磯辺に漂い着いたので、これを築山に納めて吾嬬大権現として崇めたのが始まりだそうだ。 後、弟橘媛を慕って正治2年(1200)宇穂積臣の末葉、鈴木・遠山・井出の三家が吾妻権現として社殿を造営した。 当地名立花は、この弟橘(立花)媛の言い伝えにより命名されたと言われている。、、、、拝殿は鉄筋コンクリート造、、、、、本殿前の小さな狛犬は安永2年(1773)の作。 この狛犬、小さくて持ち運びしやすく、かつ古く、古物商が狙いそうだ。 仏像の盗難が多い御時世、要注意! 
 
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●ウメも好き 若い娘はもっと好き ・・・・・・・・「花王東京工場」の北側(墨田区文化2)に「小村井香取神社」がある。 小村井香取神社は、永萬元年(1165)の葛西御厨の文書などに鎮守村名が記載されていることから、平安時代末期に千葉県香取郡から移住・開拓した人々の氏神として創建したといわれている。 江戸時代には、東隣に作られた小村井梅園が盛況で、将軍家の御成りもあったといいますが、明治43年の大水で廃園となりました。、、、、ここも梅園の跡地であり、梅屋敷があった処だ。、、、、平成6年(1994)、往時を偲び、境内に120本のウメの木を植え「香梅園」と名付け開園した。、、、、今日は、その香梅園の梅まつりの開催日。 地元名士(?)が集まり、若い娘の親善大使も参加して、セレモニーの真最中。
 
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・・・・・・・・・・・・・香梅園は小さな庭園。 ウメの木120本は本当か?
 
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・・・・・・・・・・・・・神社の前で、な・なんと、「ミゼット」だ! 昭和32年(1957)~昭和47年(1972)まで、販売されていた小型三輪自動車。、、、、大村崑が演じる、懐かしいミゼットのコマーシャルを思い出した。 崑ちゃんが何度も繰り返す、「ミゼット」、「ミゼット」、、、、、
 
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●下町の駅 ・・・・・・・小村井駅(おむらいえき)は、東武鉄道亀戸線の駅。 相対式ホーム2面2線の地上駅だが、駅舎は曳舟方面ホームの東あずま寄りにあるだけ、上下線ホーム間を連絡する地下通路が設置されている。 昭和3年(1928)4月15日開業。、、、亀戸駅に着いたら、“くず餅”買うの忘れないように!
 
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2019年2月14日 (木)

梅屋敷がなくなった梅屋敷

立春も過ぎ、梅だよりも聞こえる時期になった。 今日の散歩は、“梅”に魅かれて、「梅屋敷」がなくなった「梅屋敷」に行ってきた。 京浜急行本線の梅屋敷駅で下車し、「梅屋敷跡」を歩き、大田区蒲田2丁目界隈をブラブラし、京浜東北線蒲田駅まで、1万1千歩の散歩です。

 

 
●広々とした明るい駅 ・・・・・・・・京浜急行電鉄本線で、京浜蒲田駅の一駅手前(品川寄り)にある梅屋敷駅。 駅の歴史は古く明治34年(1901)2月1日の開業である。 平成24年(2012)10月には、上下線の高架化工事が完了し、ホーム長113m(6両編成対応)の相対式ホーム2面の高架駅となった。、、、一日の乗降客も少なく(約1万5千人)、普通列車のみ停車する、のんびりした駅である。、、、、駅名は、近くにあった「梅屋敷」に因み命名。 
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・・・・・・・・・・・・・高架化工事中(2013年)の写真:地上ホームから高架ホームに変わり、高架下(地上)の線路は撤去された。 (現在の改札口前付近)
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●天皇も行幸した公園 ・・・・・・・・・・・梅屋敷駅から、駅の脇を通る第一京浜に出て、南に300m程歩くと「聖蹟蒲田梅屋敷公園」がある。 特別大きい公園ではないが、ここが駅名となった「梅屋敷」の跡地で、現在は区立公園として整備されている。 名にちなみ梅の木が、100株ほど植えられ、只今開花中!、、、、、文政年間(1818~1830)、大森付近で食あたりの常備薬「和中散」を商っていた忠左衛門の倅久三郎は、自宅の庭続きに、近在の梅樹を移植して梅林を作り、これが東海道の両側に面していたことから有名になり、休み茶屋も設けて旅人の便を図った。 そして、梅の名所として、「梅屋敷」と呼ばれるようになった。、、、、明治以降も、明治天皇や大正天皇の行幸・皇后の行啓などがあって梅の名所としては変わらず、京浜電鉄に「梅屋敷」という駅までできた。 しかし、その京浜電鉄の敷設や京浜国道の拡幅や、による地所の縮小などで、次第に往時の姿を失って行った。 昭和13年(1938)には、東京市に寄付され公園となり、戦後は区の小公園に転用された。、、、、明治天皇はことのほか当地の梅が好きだったようで、30年間に9回も行幸されたそうだ。
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●・・・・・・・・・・・・東に京浜急行と第一京浜、西は東邦医大通り、北は梅屋敷の商店街、南は呑川に囲まれた、大田区蒲田2丁目をブラブラ。
・・・・・・・・・・・・梅屋敷公園の西側、京浜急行の高架橋の西側に小さな神社「椿神社」がある。、、、、、創祀は不祥。 百日咳の治癒に神験新たかな神社として、古くから地元で祀られてきた。 祭神の猿田彦神は「道案内の神」であり、道祖神と習合して村の境を守る“関の神”となったことから、転じて“咳の神”として信仰されるようになったそうだ。(ひどい駄ジャレだ!) この地域には、風邪を引き咳が出るとか、喉の病気に罹ると、この神社の境内の小堂に掛かっている麻糸を首に巻き、治ると麻紐を倍にして額堂に奉納して感謝する。 また足の病気には草鞋を奉納したりして平癒を祈願することが行われてきた。、、、、、足の水虫にも治るのか? 試してみるか?

 

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・・・・・・・・・・・・・椿神社から西へ150m程、日蓮宗の寺院、性光山円頓寺がある。、、、後北条氏の有力家臣で、六郷領の代官的存在の行方家累代の館跡だった。天正18年(1590)秀吉の小田原攻めで時の当主弾正直清が討死、その弟で出家して池上大坊本行寺の住持だった日芸上人が、文禄元年(1592)直清とその一族の菩提を弔うため、ここに一寺を開創した。、、、、住職は、今朝(袈裟)は寒いので、褞袍を掛けてお休みか? 山門は閉じられ境内には入れず。 

 

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・・・・・・・・・・・・・円頓寺の100m程西側には薭田神社(ひえだじんじゃ)がある。、、、、薭田神社は、延喜式内の古社である。 和銅2年(709)僧行基が天照、八幡、春日の三神体を造り、薭田神社を創建、後日蓮上人が開眼したと伝えられている。 昔から栄林寺が別当寺であった。 明治維新後分離、郷社に列格した。、、、神社正面の石鳥居は、寛政12年(1800)に北蒲田村の氏子により寄進されたもの。 
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・・・・・・・・・・・・・薭田神社の北側には、別当であった栄林寺があるが、こちらも寒さのせいか? 山門は閉じられていた。、、、日蓮宗寺院の栄林寺は、千如院日好(寛永3年(1626)寂)が開山した。
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・・・・・・・・・・・・・裏道を歩き、区営住宅らしき集合住宅で見つけた座りにくい「どうぞのいす」。、、、、コンクリート製で背もたれと座面が直角。 痔持ちの人には向かない椅子、冷え性の人にも無理かな、身体の大きな人は座面が浅く座りにくいね。 利用者は誰? せっかく作ったのだから、利用しやすい椅子にして。 
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・・・・・・・・・・・・・オヤ、また、寺がある。 寺社の多い町だ!、、、、日蓮宗寺院の宝光山妙典寺。 永徳元年(1381)、天台宗妙田寺として創建した。 池上本門寺の上人が、日蓮宗に改宗の上、妙典寺として改号しました。、、、、ここは山門が開いていた。
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●元気な商店街 ・・・・・・・・・・・・・蒲田2丁目の寺社巡りしてしまい、再び梅屋敷駅前に出てきた。 駅前を東西に伸びる「梅屋敷 梅交会商店街」(ぷらもーる梅屋敷)を歩き、蒲田駅に向かう。、、、、、全長555m、約140余店を有する元気な商店街。
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●チョイト疲れた! ・・・・・・・・この先、蒲田1丁目(ブログは省略)を歩き、蒲田駅に出て帰る。

 

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2019年2月13日 (水)

都県境の町、谷塚

最強寒波が寒さを置き忘れて行ったのか、今日も寒い! 薄曇りの谷塚駅(東武伊勢崎線)で下車し、埼玉県と東京都の境付近を歩き、舎人駅(日暮里舎人ライナー)までの散歩です。 1万1千歩。
 
 
 
●都心に近い寂しい駅 ・・・・・・・・谷塚駅は東京都の北端にある竹ノ塚駅の北隣りにある。 埼玉県草加足市の南端にある。 大正14年(1925)10月1日に開業。、、、、現在は島式ホーム1面2線の高架駅で、緩行線のみ停車。、、、、東口は駅前ロータリーがあり、タクシーも停まる構え、西口は裏口という雰囲気で寂しい。、、、、一日の乗降客は約3万8千人で、両隣の竹ノ塚駅、草加駅の半数程である。 東京に隣接する、ベッドタウンの駅としては、チョイト悲しいね!
 
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●地元未着型寺院 ・・・・・・・・谷塚駅から南西に500m程歩くと、真言宗豊山派寺院の寶持院がある。 寶持院は、寺の本尊背面の銘から推定すると、江戸時代中期には創建していたそうだ。 創建以来、谷塚地区の人々の菩提寺として、宝灯を守っている。、、、、現在の本堂は、平成4年(1992)に建設された。 また、山門の右手には不動堂、左手には御堂がある。、、、、明治6年(1873)には、谷塚小学校が旧本堂を仮校舎として開校したそうだ。
 
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●渋々、歩道橋を渡る ・・・・・・・・・・・・草加バイパス(国道4号、日光街道)を越える。、、、、交差点まで行って横断するのが面倒なので、車が少なくなったら、スチャラカチャンと適当に横断しようと思ったら、道路中央に壁が立ち、無鉄砲な横断ができない。 さすがに国道だ! 渋々、歩道橋を見つけ横断する。 『コンチクショウ! 人に優しくない国道だ!』
 
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●こんな処に、江戸時代の墓石 ・・・・・・・・・・アレ、町会の掲示板の下に墓石が!、、、、墓石が勝手に徘徊したのか? 男女の墓石は、駆け落ちか? いずれにしても、仏さんは成仏したかな? 『南無阿弥陀仏』
 
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●あちらこちらに畑が残る ・・・・・・・・・谷塚の町を歩き、都県境の毛長川に向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・あちらにも、こちらにも、畑が残っている。 いずれ、住宅地に変わるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・バス通りも、交通量は少ないようだ。、、、、バスと言っても、コミュニティバスだけど。
 
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・・・・・・・・・・・・・谷塚上町には神明神社があった。 谷塚村に古くから鎮座していた鎮守社らしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、畑の中にあった。 個人のお宅の屋敷社。
 
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●近い! 草加市と足立区 ・・・・・・・・・・・・・・・毛長川(けながかわ)は、川口市の方から流れ下り、埼玉県草加市と東京都足立区の境は、ほぼこの川が境となっている。 かつては生活排水などで汚れた川であったが、流域の下水道の普及などにより改善した。 現在では、魚類の生息が確認されているそうだ。、、、、、こちらは草加市、対岸は東京都。 東京都と埼玉県の近さを感じる川だ!、、、、、、毛長橋を渡り足立区古千谷本町(こぢやほんちょう)に入る。
 
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●来年はオリンピック音頭で! ・・・・・・・・・・古千谷本町2丁目に、氷川神社がある。 神社の創建年代は不詳だが、古千谷村が出来た頃の創建で、古千谷村の鎮守社であったらしい。、、、、盆踊りに最適な広い境内に、ポッリと社殿が建っている。
 
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●着いた! ・・・・・・・・・・日暮里舎人ライナーの舎人駅。 今日はここから帰宅。
 
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2019年2月 8日 (金)

まだ昭和の残る西品川

山手線大崎駅の南側200m程の処に百反坂(百反通り)がある。 この坂の南側に「西品川2丁・3丁目」の町が広がっている。 今日は、大崎駅で下車し、西品川2丁目・3丁目をぶらついて、都営浅草線戸越駅まで、1万歩の散歩です。
 



●大きくなった駅
・・・・・・・・・・・大崎駅は、明治34年(1901)2月25日、駅周辺の工業地帯化により、日本鉄道品川線(現:山手線)に追加開業した。 現在は、JR東日本の山手線・湘南新宿ラインと東京臨海高速鉄道のりんかい線が乗り入れている。 島式ホーム4面8線の地上駅で、駅舎は橋上である。、、、、朝の大崎駅は、乗る人まばら、降りる人多すぎ。 駅周辺は再開発により、ドでかいビルが林立し、何が何だかサッパリ判らん! 江戸っ子の私は完全に田舎者となった。
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●車はOK、人はNO ・・・・・・・・大崎駅の南東側で、山手線と湘南新宿ライン・りんかい線が分かれる。 その分岐点の線路下に「百反隧道」(昭和40年代の完成と思われる)がある。、、、、この隧道は地上の線路下を掘り下げ、山手線の内側と外側を結んでいる。 車は内外を行き来できるが、歩行者は通行できない。 歩行者は少し品川寄りにとある「百反歩道橋」(跨線橋)を利用し、山手線の内外を行き来する。 チョイト不便で、おかしな形状のトンネルだ。
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・・・・・・・・・・・・・・こちらが、「百反歩道橋」、、、、歩道橋の下は、湘南新宿ライン、りんかい線と山手線車両基地への分岐線が走る。 また、歩道橋の横には、新幹線、横須賀線の高架橋が並行している。 さらに、歩道橋の脇を山手線が走る。 鉄道ファンには泣きたくなるほど嬉しい位置にある。、、、、、しかし、嬉しかったのは10年程前までだ! 数年前に、歩道橋が架け替えられ、目線の位置にアクリル板が取り付けられてしまった。 くもりガラスを通して見ているようで写真は綺麗に撮れず、年寄りの老後の楽しみを奪われ、ガッカリ!
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・・・・・・・・・・・・・ものはついでに、歩道橋の西側に伸びる「百反通り」とは、、、、、品川区大崎4丁目から西品川3丁目までの道路の愛称名。 古くは「百段坂」と呼ばれる階段状の坂だったが、後に道路改修工事が行われ、荷車も通れるような坂道に改良された。 “段”が“反”に変わり、坂を貫く通りとして百反通りと呼ばれるようになった。 延長1100m。
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●昭和の匂いが残る町 ・・・・・・・・古き、良き時代の建物が残る、「西品川2丁目・3丁目」の町をブラブラ。

・・・・・・・・・・・・・東海道新幹線沿い(西品川3)を歩く。、、、、半世紀前の鋼鉄製の高架橋が続く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・コリャ、懐かしい、砂利の裏道。 こういう裏道で、放課後になると5・6人で、ベー独楽、メンコ、缶蹴り、ビー玉などをして遊んだことを思い出すね! (西品川3)
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・・・・・・・・・・・・こちらは、ステキな蔵。 以前は質屋さんだったのか? (西品川3)
 
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・・・・・・・・・・・・・大正六年銘道標。 正面「オホヰ道」、右「オホサキテイシャバ道」、左「ヘビクボ道」と彫られている。 この道標は住宅地の裏通りにある、大正6年(1917)当時は、この裏道が道標に頼る野中の道であったそうだ。  (西品川3)、、、、、“テイシャバ”、いい響きだ、まさに“大正”!
 
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・・・・・・・・・・・・・私が小さかった頃は、あちらこちにあったような木造住宅。 今や、懐かしく思える建物だ!  (西品川2)
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョイと広い道に出た。 この道は、アノ有名な「戸越銀座商店街」に通じる道だ! (西品川2)、、、、、商店街はまだ開いてないので、再び裏道を歩くことにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・西品川の街は階段・坂の多い町。 上って、下りて、また上り。
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・・・・・・・・・・・・・坂の上には、元明天皇の時代和銅2年(709)藤原伊勢人の勧請に依り創建された貴船神社がある。、、、、歴史は古そうだが、社殿は戦後建て替えられた。 (西品川3)
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・・・・・・・・・・・・・・貴船神社境内には、文政11年(1828)銘の道標がある。 道標は品川宿の近くにあったものを移設した。 正面に「西めくろ」、左右に「左北品川 右南品川」と彫られている。 (西品川3)
 
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・・・・・・・・・・・・・神社の北側の裏道を歩くと、チョイト洋風の応接間らしき部屋のある住宅を発見! (西品川3)
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・・・・・・・・・・・・・・おなじ裏道に残る医院の建物。 医院は閉院し、建物は使用されてないようだ。 四角い連窓の窓、雰囲気あるね。、、、、、戦後、このような建物の医院が、あちらにも、こちらにも、先生は白衣の髭親爺。 細面、色白、美人の看護助手の奥さんは白の割烹着で、診察終わると、細い手で粉薬を調合し、小分けし、白い紙に折り包み、封筒に入れてくれた。、、、、最後は、『おだいじに』の一言。 これで、治った気分! (西品川3)
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・・・・・・・・・・・・・・西品川の町を行ったり来たり、こんどは庚申塔を発見。 「西品川三丁目石造庚申供養塔」で、延享4年(1747)の造立。、、、、お堂は新しいようだ、どなたか建てたか知らんが、まだ、庚申信仰は続いているのかな? (西品川3)
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・・・・・・・・・・・・・細い細い裏通り、チャンと住宅の玄関もある。 玄関先の掃除も行き届いて綺麗だ! (西品川3)
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●店はまだ開店前! ・・・・・・・・・・・・・「戸越銀座商店街」に出てきた。 まだ、半分ほどの店はシャッターが下りている。 この商店街を歩き、国道1号(第二京浜)に出る。
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 ・・・・・・・・・・・・・国道1号の地下に都営浅草線の戸越駅がある。、、、戸越駅は、昭和43年(1968)11月15日都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、今日はここまで! 
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2019年2月 5日 (火)

豊島橋を渡れば近い扇大橋

京浜東北線東十条駅から東に向かい、豊島橋、江北橋を渡り、日暮里舎人ライナー扇大橋駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
●客の少ない駅 ・・・・・・・東十条駅は、昭和6年(1931)8月1日、赤羽駅まで京浜線(京浜東北線の前身)が延長された際に下十条駅として開業した。 昭和32年(1957)に東十条に改称。、、、、2つの島式ホームで中線1本を挟む形態で、2面3線の地上駅。 改札はホームの両端から階段を上がったところに南・北改札口がある。、、、京浜東北線の全35駅の中では、上中里、新子安に次いで、3番目に乗車人員の少ない駅である。 一日約24,000人程。、、、今日は南口から散歩を始める。
 
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●北王子線は消え、桜は残る ・・・・・・・・・・東十条駅から東へ400m程歩くと、去年完成した18階建て(864戸)の、まだ新しい大きなマンション:「ザ・ガーデンズ東京王子」がある。 このマンションはJR貨物の貨物駅であった北王子駅跡に建てられたものだ。、、、、北王子駅は日本製紙の紙の輸送を行う専用駅であったが、平成26年(2014)7月1日に廃止となった。 かつては、日通の機関車が入れ替え作業をしていた。 それをフェンス越しにジーッと見ていたのを思い出す。
 
・・・・・・・・・・・・・「ザ・ガーデンズ東京王子」は、億ションもあるそうだ!、、、、マンション前の通りは桜の名所。 部屋から花見ができるね。 
 
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・・・・・・・・・・・・・マンション前に残る踏切跡と、北王子線のレール跡。
 
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・・・・・・・・・・・・・廃止の1年前(2013/1/17)に撮影した北王子線、、、、、順に、駅手前の踏切り。 北王子駅構内。 桜並木の連なるコンテナ。
 
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●王子の紀州さま ・・・・・・・・・王子消防署前で「北本通り」を横断し豊島橋方向に向かうと、途中の豊島7丁目に紀州神社がある。 神社は、鎌倉時代後期、紀州和歌山にある伊太木曽神社を、同村に勧請したのがはじまりであり、水の神様として知られている。、、、、、地元の人々からは「紀州さま」と呼ばれ、親しまれているそうだ。(ホントかいな?)
 
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●お堂が二つ ・・・・・・・・豊島五丁目交差点にお堂が2つ。 どちらも、地蔵尊が祀られている。 由緒書きなどがなく、詳細は不明?
 
・・・・・・・・・・・・まずは、豊島6-2のお堂から。 
 
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・・・・・・・・・・・・・都道307号を挟み斜め向かい(豊島6-1)に、もう一つお堂がある。 こちらは、延命地蔵大菩薩とのこと。
 
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●5000戸の団地 ・・・・・・・・・昭和47年~48年にかけ、建てられたUR都市機構の豊島五丁目団地 。 総戸数5000戸程の巨大団地だ。 単純に1戸当たりの家賃8万/月とすると、家賃の総収入は4億円/月。 48億円/年也。 デカいね!、、、、、こんな団地1棟でも持っていたら、老後は遊んでくらせるのだが! 何もない、私は孫と遊んで暮らしているけどね?(意味が違うか!)
 
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●一気に駅に向かう ・・・・・・・・・豊島五丁目団地の先には、隅田川に架かる豊島橋(としまはし)がある。 北区豊島と足立区宮城を結ぶ橋。、、、、、さらに、荒川に架かる江北橋と続く。、、、、、江北橋を渡ると、日暮里舎人ライナーの扇大橋駅は近い。 (このルートは平成28年(2016/8/19)に歩いているので、こちらをみてね! )
 
・・・・・・・・・・・・・・豊島橋、、、、、アーチの上には鳩らしき鳥がイッパイ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・江北橋、、、、、北風が吹きつけ、今日は寒い!
 
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・・・・・・・・・・・・・・扇大橋駅、、、、寒さで疲れた!
 
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2019年2月 4日 (月)

産土神を祀る根頭神社

我が家のある浅草橋駅からは、印旛日本医大行の電車に乗ると、都営浅草線・京成押上線・京成本線・北総線と、乗り換えなしで新鎌ヶ谷・印旛日本医大方面に行ける。、、、、今日は、北陸では“春一番”が吹き、東京でも19℃のポカポカ陽気、押上乗り換えで草加方面(東武伊勢崎線)に行く予定で家を出た。 浅草橋で乗った電車は、たまたま印旛日本医大行。 乗ったら乗り換えるのが面倒になり、そのまま新鎌ヶ谷駅まで乗ってしまった。 予定外の行先変更である。 毎度のことだが、またまた私の“いい加減さ”が表れた。
 
北総線新鎌ヶ谷駅から、東武野田線の西側に広がる新興住宅街南下し、馬込沢駅手前の道野辺のまで歩き、バスで馬込沢駅に出て帰宅。 1万2千歩。
 
 
 
●スカイライナーは通過 ・・・・・・・・北総線の新鎌ヶ谷駅は、平成3年(1991)3月31日に開業した。 島式ホーム2面4線の高架駅。 隣には、ホームが並ぶように新京成の高架ホーム(下り)があり、高架下には新京成の地上ホーム(上り、現在高架化工事中のため仮ホーム)がある。 北総線・新京成線と交差する形で、東武野田線の新鎌ヶ谷駅(隣り駅は鎌ヶ谷駅)が掘割にある。、、、、相互の乗り換え口は、1階の同一平面上にあり便利がよさそうだ。
 
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●開拓地の守護神・・・・・・・・・・・・・東武野田線沿いに鎌ヶ谷駅方向に歩くと、初富稲荷神社(はつとみいなりじんじゃ、初富本町)がある。 初富の鎮守様で、祭神は宇迦之御魂神。 明治初期の旧幕府の武士による初富地区の開拓が始まり、ご守護と繁栄を願うため、伏見稲荷大社より御分神を遷奉したのが始まりである。、、、、現社殿は昭和41年(1966)に再建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・社殿の裏側に公園があり、そこには「内閣総理大臣 岸信介」と表書きされた「忠霊塔」が建てられている。、、、、岸信介がどうして、ここに建てたのか? 何も説明されていない。
 
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●老後の散策路・・・・・・・初富神社の西に、水鳥の泳ぐ池を中心とした貝柄山公園(かいがらやまこうえん)がある。 周辺の土地からは下がったところにある湿地帯を生かした公園とのこと!、、、ご近所のお年寄りと思われる方が、あちらに一人、こちらに一人。
 
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●平成の団地・・・・・・・・・・新京成の初富駅、東武野田線の鎌ヶ谷駅を最寄り駅とする、UR都市機構のパークサイド鎌ヶ谷団地。 平成13年(2001)頃に完成した、全24棟(752戸)の新しい大きな団地。、、、、新しい団地で、お年寄りの姿は見えなかった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・団地の周辺に古い家は見あたらず、平成の世に建てたと思われる、洒落た家が並んでいる。 (鎌ヶ谷市富岡)
 
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●鎌ケ谷市の総鎮守・・・・・・・・・・鎌ヶ谷駅の南西、鎌ケ谷市道野辺に、誉田別尊を祭神とする、長い参道の八幡神社(通称:道野辺八幡神社)がある。 創建は資料もなく不詳であるが、鎌倉時代と伝えられているそうだ。 現在は鎌ケ谷市及び近隣の総鎮守とされている。、、、御神徳として、厄除開運、殖産興業、学芸成就、子守育成、安全息災、勝運守護に著しく霊験あらたかなものがあるらしい。 裏を返せば、家内安全、交通安全、子宝成就、ボケ防止などは、あまり御利益ないかも?
 
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●日蓮ママの寺・・・・・・・・道野辺八幡神社の南に、日蓮宗の寺院:妙蓮寺がある。 妙蓮寺は、日蓮の母親、妙蓮尼がここで生まれたという話が残っている由緒ある寺。 日蓮聖人から道野辺は妙蓮誕生の地と聞かされた弟子の日進上人(総本山身延山久遠時 第三世)は、鎌倉期(1329年)に妙蓮尼追善供養の意を表して妙蓮寺と称し建立したそうだ。、、、、日蓮上人のパパは「妙日」(法名)といい、ママは「妙蓮」(法名)、二人の子が「日蓮」である。
 
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●住宅地の道祖神・・・・・・アップ・ダウンのある道野辺の裏道を歩くと、崖の中に道祖神が祀られている。、、、、住宅地の先に、道祖神が残されていた、嬉しいね!
 
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●長~い、長~い、参道・・・・・・・道祖神に合掌し、フト横を見ると鳥居がある。 『コリャ、参拝せずばなるまい』、階段を上がると、長い長い参道。(この参道は、「ちば遺産100選」に選定されている) “凄いね!”と思いつつ、参道を鍵の手に折れるとさらに参道は続く。 正面に社殿が見えた、「根頭神社」(ねずじんじゃ)である。、、、、根頭神社が鎮座している地域は道野辺村(現:鎌ケ谷市道野辺)。 この辺りは、鎌倉時代以前からの古い集落で、江戸時代は大名:本多氏の領地であった。 神社は、道野辺村の土着の神:根頭之大神を祀っている。、、、、神社の本殿は旧千葉県立師範学校の御真影奉安殿にして、一時、千葉県護国神社の仮本殿として使用された建物である。
 
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●可愛いバス ・・・・・・・・・・時刻は16時、風が出てきた、空は曇ってきた、田舎道とも別れて、そろそろ帰るか。、、、、ちょうど、バス停が見つかり駅まで乗って行こう! 小型のバスで馬込沢駅まで出る。 
 
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2019年2月 2日 (土)

6車線の京葉道路

我が家(浅草橋)から、両国橋を渡り、錦糸町でJRA場外馬券売り場を覗き、亀戸駅まで、1万3千歩の散歩です。
 
 
 
●まずは隅田川を越える ・・・・・・・・中央区と墨田区を結ぶ両国橋を渡る。
 
・・・・・・・・・・・・・・京葉道路は浅草橋交差点から始まる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・両国橋は、明暦の大火(1657)の大惨事を教訓に万治2年(1659)に、隅田川に架けられた橋。、、、、現在の橋は、昭和7年(1932)に架けられた。 大きな球形がついた親柱は両国橋のシンボル。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋の東詰(墨田区両国)には、向島の俳諧師:宝井其角の弟子であった赤穂浪士の一人:大高源吾の句 「日の恩やたちまちくだく厚氷」の碑がある。 この句は討ち入りの夜、師匠宝井其角に両国橋で出会い詠んだものといわれている。、、、、道端で出会い、サッと句を詠むなんて、私にはできない。 カッコいいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・大高源吾の句碑の後ろには、大きな忠魂碑。 こちらは、明治37年・38年の戦役での戦病死者、すなわち日露戦争でご出征し、護国の為に身命を捧げられた英霊に、陸軍元帥大山巌筆による表忠碑。、、、、大きく、立派な碑だ。
 
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●早く広げて!・・・・・・・・・両国橋を渡ると、ここから錦糸町の江東橋までは、京葉道路は4車線道路である。 現在、東京国道事務所では6車線に拡幅することが計画されている。 地元への説明会なども実施されているようだ。 高架として、混雑の緩和、安全の確保、緊急輸送道路の確保などが見込まれている。、、、、この都市計画が決定したのは、雅万歩の生まれる前の昭和21年(1946)3月だった。 70余年、経過した!
 
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・・・・・・・・・・・・・京葉道路の歩道上(両国3)に、「本所松坂町址」の碑が建っている。 元来この辺りは、あの吉良邸があったところである。 関東大震災後の区画整理により町名が変更された。この碑は近世史上著名の地「松坂町」を偲んで、昭和7年に建立された。
 
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・・・・・・・・・・・・・京葉道路の両側は建物も新しくなり、歴史を語るものは見あたらない。
 
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●ここからは6車線!・・・・・・・・・・・・・ 江東橋は京葉道路(国道)に架かる橋で、この橋からは6車線となり幅(35m)も広く、橋の長さ(20.8m)に対し倍近くある。 明治31年(1898)創架で、現在の橋は平成8年(1996)に架け替えられた新しい橋だ。、、、、橋の下を流れる大横川は暗渠化され、現在はスカイツリーが眺められる大横川親水公園となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・6車線となった京葉道路。
 
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・・・・・・・・・・・・・・江東橋の東詰に、明治34年(1901)創立の名門:都立両国高校がある。 作家:芥川龍之介の母校。、、、、両国高校の一画に、「国産マッチ発祥の地」と刻まれた 御影石の記念碑がある。 石川県金沢出身の 清水誠はフランス留学から帰国後、明治9年(1876)に, この地に「新燧社」を設立し、本格的にマッチの製造を始めた。 2年後には我が国始めての輸出が行われ、太平洋戦争前まで続いた。、、、、今は、マッチが使い捨てライターに変わり、チャッカマンに変わり、お目にかかることがまれとなった。
 
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●IT化された! ・・・・・・・・錦糸町駅前のJRA。 チョックラ、朝の場外馬券売り場を覗いてみた。 競馬を止めて50年、馬券の買い方も変わり、面白そうだ! やってみたくなるね。
 
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●工場が消えた! ・・・・・・・・・・・・錦糸町駅前から、亀戸へ向かう。、、、、この辺り、かつては鉄工場などが並ぶ工場地帯だった。 今や近代邸なビルとマンションが並び、世も変わった!
 
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●時代ごとに変わる! ・・・・・・・・・・亀戸駅前を通り過ぎ、京葉道路の南側、昭和の時代には第二精工舎の工場があったところ。 平成になり、ショッピングセンター「サンストリート亀戸」に変わり。 次の時代は、25階建ての住居棟と6階建ての商業棟ができるそうだ。 (写真:左側の工事現場)
 
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●今日のお帰りは? ・・・・・・・・・・・・亀戸駅の“勝手口”(正式には東口)から。
 
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2019年2月 1日 (金)

九段の雅万歩

我が家(浅草橋)から、浅草橋交差点、須田町、神保町、九段坂と、靖国通りを歩き、市ヶ谷駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
浅草橋から 九段まで かって知ったる この道を 杖にたよらず 一刻あまり 友よきたぞや 逢いにきた ・・・・・・・・この世に生を受け七十余年、生まれは浅草橋、育ちは神田、通学は靖国通り、大学はチョイト駿河台、勤めは九段上と、何かとお世話になり、ナンダカンダ・鼻かんだと思い出多い靖国通り 。、、、今日も、通り沿いの一軒一軒に思いを馳せ、歩いた。  
 
・・・・・・・・・・・・・我が家に近い浅草橋駅“裏口”(正式には西口と云う)
 
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・・・・・・・・・・・・・靖国通りの起点:浅草橋交差点。 ホテルの隣りにホテルが建って、裏にもホテル。
 
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・・・・・・・・・・・・12系統(新宿駅~両国駅前)、25系統(日比谷~西荒川)、29系統(須田町~葛西橋)の都電が走っていた靖国通り(浅草橋交差点付近)
 
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・・・・・・・・・・・・・清洲橋通りと交差する東神田交差点。 40年程前まで、都電の「豊島町」停留所があり、私も通学時ここで乗り降りしたこともある。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここ岩本町交差点の角にあるビルに、一時、私の机があったこともある。
 
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・・・・・・・・・・・・・新幹線・東京上野ライン・山手線・京浜東北線のガードをくぐり、中央線のガードもくぐる。、、、、、40年の間に2つのガードが増えた、変化する東京!
 
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・・・・・・・・・・・・・須田町交差点。 写真中央のビルは、弘化3年(1846、江戸時代)創業、宮内庁御用達の果物屋(フルーツパーラー)「万惣」の跡地。、、、、、私も祖母と、よく果物を買いに行った店。 ついでに、フルーツポンチも!、、、、、甘い思い出。 
 
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・・・・・・・・・・・・・淡路町交差点。 右横をはいると、「神田 志乃だ寿司」がある。 いまだに、おつかいで、稲荷ずしを買いに行かされる雅万歩。、、、移転前の「交通博物館」も、この横にあった。
 
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・・・・・・・・・・・・・小川町交差点。 交差点から大手町方向に100m程の処に、YMCA本部のビルがあった。 地下のプールでは、フルチンで泳がされた。、、、、恥ずかしい思いで。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駿河台下交差点。 我が母校の校舎が見えるが、ここは文系のキャンパス。 私は理工系で、川崎のキャンパス学んだ。 でも、チョイト可愛い娘(松原智恵子?)に逢いたく、文系の数科目を受講していた。、、、、青いレモンの思い出。
 
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・・・・・・・・・・・・神保町交差点。 水道橋方向に曲がると、エロ本(知る人ぞ知るH書店)がある。 雨上りに入店し、買ったばかりの高い傘を忘れてきた、後で気がついたが、恥ずかしくて問いかけることもできず。、、、、にがい思い出。
 
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・・・・・・・・・・・・・九段下交差点。 サラリーマン時代、九段上から坂を下り、交差点裏の雀荘へ、度々負けた!、、、、、頭にきた思い出。 雀荘はなくなっている。
 
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●空をつくよな 大鳥居 こんな立派な おやしろに 神とまつられ もったいなさよ 雅万歩は泣けます うれしさに ・・・・・・・・・靖国神社に着きました。 神妙に手を合わせる。
 
・・・・・・・・・・・・・高さ25m、日本一の大鳥居。 昭和49年(1974)、1億6000万円で建てられた。、、、、、鳥居は鋼管で造られているが、内部にコンクリートが充填されている。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内の中程には、大村益次郎の像が建っている。 明治26年(1883)に作られた、日本初の銅像。 上野戦争で司令官として彰義隊の立て籠もる上野寛永寺を見つめている姿で、大村と靖国神社の関係は、大村が東京招魂社の設立に熱心だったことによる。、、、、、私とこの像の関係は、社会人になって新人研修があり、近くの市ヶ谷ユースホステルに宿泊していた。 その夜、同期の仲間と飲酒し、翌朝叱責をくらい、この像の台座の上で正座をさせられた。、、、、脚の痛い思い出。
 
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・・・・・・・・・・・・・第二鳥居と神門。 神門の内側に、東京の桜の開花を予測する標本木がある。 今年の開花も早そうだが、まだ蕾を見て予測するには早そうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・明治34年(1901)に建てられた拝殿、その後ろに明治5年(1872)に建てられた本殿がある。、、、、246万6千余柱の神霊が鎮まる。
 
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●鳶が鷹の子 生んだよで 今じゃ果報が 身にあまる 泰緬鉄道が みたいばかりに 逢いにきたぞや 九段坂 ・・・・・・・・・靖国神社の境内にある、明治15年(1882)に開館した遊就館は、遺品などを収蔵、展示する施設である。 館内には、靖國神社に鎮まる英霊の遺書や遺品をはじめ、英霊のまごころやその事蹟を今に伝える貴重な史・資料が展示されている。 今日は拝観せずに、ショップで軍歌を収めたCDをチョイト見てきた。
 
・・・・・・・・・・・・・遊就館は、陸軍省経理局建築課 (陸軍技師内藤太郎・柳井平八、顧問伊東忠太) の設計、銭高組の施工で、昭和6年(1931)に竣工した。 戦後は一時、本社の建物をGHQにより接収された富国徴兵保険相互会社(現:富国生命)に、貸し出していた。 その後、昭和61年(1986)に遊就館再開となる。
 
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・・・・・・・・・・・・・ついでに、遊就館入口ロビーに展示している、C56-31機関車(泰緬鉄道として活躍)は、戦時中、泰緬鉄道の開通式に参加した機関車である。、、、、、昭和11年(1936)に日本車輛製造(株)で製作され、戦時中タイで活躍し、昭和52年(1977)に引退した。 引退後、泰緬鉄道を建設に関係した南方軍野戦鉄道隊関係者が拠金してタイから譲り受け、神社に奉納された。
 
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●・・・・・・・・・・・・・お帰りは市ヶ谷駅から。
 
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