« 処理場だけど臭わない! | トップページ | 寂しくなった山谷? »

2019年2月20日 (水)

目薬より効く、目の薬師

中野の病院に行った帰り、新井薬師に参り、西武新宿線の新井薬師前駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
●眼科の帰りは薬師へ ・・・・・・・・・・・目に炎症があり点眼治療していたが、本日の検診で治ったようだ、『薬はもう点さなくていいです。 3ヶ月後に、また、いらしてください』との言葉を頂戴して、病院をあとにする。、、、、さて、これから何処へ行こうか? 眼科に来た帰りなので、『目の薬師』と言われてる「新井薬師」に行くことにした。 その前に、「旧豊多摩監獄表門」にも寄って行こう!
 
1902200840130
 
 
 
●一人でニヤニヤ ・・・・・・・中野区新井の町に、住宅の敷地の角に立てられた、鉄道の三灯式信号機があった。 電球は点いていない。 だいぶ古そうだ、鉄道オタクの住人が立てたのか?、、、、、鉄道オタクはこういう鉄道関連の機器・備品を集める人が多いね。 鉄道に関心がない家族にとっては、無用の長物、ガラクタ、邪魔物、と言われ嫌われる。、、、、私も、旅先で拾ってきた、線路の敷き石、犬釘などを眺めて、『これは〇〇駅』の物と悦に入り、ニヤニヤ。
 
1902200851490
 
 
 
●檻の中の監獄 ・・・・・・・・・・・中野区新井3の「平和の森公園」の一画に、法務省矯正研修所があり、その敷地内に「旧豊多摩監獄表門」が残されている。 4年ぶりに見に来たら、フェンスで立ちふさがれ近寄れない。 アリャ!コリャ!どうした!監獄ロック!オット・マチガエ、監獄フェンス!、、、、この場所には明治43年(1910)から昭和58年(1983)の廃庁まで、「豊多摩監獄」、「豊多摩刑務所」、「中野刑務所」と改称しながら、73年の歴史を刻んだ施設があった。 その表門が残されている。 煉瓦造りの表門は高さ約9m、幅18m、奥行き13m。 当時の司法省の技師:後藤慶二の設計で大正4年(1915)に完成し、震災・戦災を免れてきた建築である。、、、、法務省の研修所は移転し、跡地を中野区が購入した。 区は跡地に小学校を建てる計画があるそうだ。 昨年、区は文化財的観点の高い表門を、現地保存して都の文化財指定を目指す方針を明らかにしたそうだ。、、、、檻の中の監獄が整備され再び見られるのを楽しみにしよう!
 
1902200859550
 
・・・・・・・・・・・・・平成27年(2015)撮影の旧豊多摩監獄表門
 
20151028_046
 
20151028_052
 
20151028_042
 
20151028_040
 
 
 
●刑務所でお勤めしたお稲荷さん ・・・・・・・・・・・プレスリーの気分で監獄ロックのリズムにのって、新井薬師に向かう手前に新井天神北野神社がある。、、、、新井天神北野神社の祭神は菅原道真。 創建は不明だが、天正年間(1573~1592)に新井薬師梅照院の開祖行春が、村人とともに小祠を改めて天満宮としたのが始まり。、、、、天神様なのにウメの木は少なく、チョイト寂しいね。
 
1902200908580_2
 
1902200911320_2
 
・・・・・・・・・・・・・参道の横に、寶樹稲荷神社がある。 このお稲荷さんは、江戸時代後期の文化14年(1817)に市ヶ谷の板倉勝政の屋敷内に祀られた。 その後、明治8年(1875)に板倉屋敷跡は市ヶ谷囚獄となり、当神社はそのまま残されていた。 大正4年(1915)には、監獄が豊多摩監獄に移転した際に当稲荷も共に遷ってきた。 その後、法務省矯正研修所と変わっても、敷地内に残り鎮座していたが、研修所の移転により、当神社は平成27年(2015)に現在の北野神社に遷座された。、、、、長きにわたり監獄・刑務所で過ごしたお稲荷さん、お勤めご苦労さんです!
 
1902200914100
 
 
 
●目薬より効くか? ・・・・・・・・・・一般に「新井薬師」として知られている新井山梅照院薬王寺は、中野区最大の寺院である。 足立区の西新井大師と同じ真言宗豊山派の寺院。、、、、、梅照院の本尊は、薬師如来と如意輪観音のニ仏一体の黄金仏で、高さ一寸八分(約5.5cm)の像と言われている。 この本尊は弘法大師作と言われ、鎌倉時代の武将:新田家代々の守護仏であった。 ところが、鎌倉時代から南北朝にかけての戦乱のさなかに、ある日の夕方、像を納めたお城の仏間から忽然と光が放たれ、それとともに像は消え失せた。 その後、相模国から行春という僧が、清水の湧きいずるこの地こそ、真言密教の行にふさわしい土地と感じ、新井の里を訪れて草庵を結んだ。 不思議なことに、草庵の庭の梅の古木から光が発せられる現象が夜毎に起こり、天正14年(1586)、その梅の木の穴から新田家ゆかりの像が発見された。 行春はこの像を安置するために、新たに堂を建立した。 これが、梅照院の始まりである。、、、、、魔訶不思議な出来事とともに出現した薬師如来は、その後、広く、深く信仰されるようになる。 特に、二代将軍秀忠公の第五子和子の方(東福門院)が患った 悪質な眼病が、祈願して快癒したことなどから「目の薬師」と呼ばれ、 あるいは第五世玄鏡が元和3年(1617)に如来の啓示によって、秀れた小児薬を調整したことなどから「子育て薬師」とも呼ばれて、多くの人々に篤く信仰されている。、、、、、、私も、目の炎症が治ったので、賽銭を奮発し、手を合わせてきた。
 
1902200937540
 
1902200935510
 
1902200933590
 
1902200932140
 
 
 
●地下駅になる! ・・・・・・・・・梅照院から東へ500m程、西武新宿線の新井薬師前駅がある。 昭和2年(1927)4月16日に高田馬場~東村山間の路線開業と同時に駅も開業した。、、、、現在工事が進められている、中井~野方間の連続立体交差事業では島式ホーム1面2線の地下駅となる予定。 工事は2020年度完成予定。 遅れなければいいのだが、安全第一で!
 
1902200947360
 
1902200951370
 
1902200949300

« 処理場だけど臭わない! | トップページ | 寂しくなった山谷? »

散歩」カテゴリの記事

中野区」カテゴリの記事

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 目薬より効く、目の薬師:

« 処理場だけど臭わない! | トップページ | 寂しくなった山谷? »