南千住は火の用心!
今日の散歩は、我が家(浅草橋)から20分程の南千住までバスで行き、そこから何処に向かうかは着いてから決めることにした。 南千住駅前に降り立つと、空はどんより、空気は冷たい、コリャあまり遠くへ行かない方がよさそうだ!
「とりあえず、駅前の回向院(両国回向院の別院)によって、鼠小僧・高橋お伝の墓に手を合わせるか」と思いきや、、、、、回向院前に消防車が到着。 一台、また一台、、、アレレ?コリャ一大事か、二台寺か? 火は見えぬが、回向院が火事か? 私の野次馬根性にも火が点いた、“それ! 見に行け!”
三台・四台・五台と到着、回向院横の商店街「南千住仲通り」に入って行くぞ! 火事場は回向院裏か? ご近所の住人も出てきた!
回向院裏に回ってみると、ご近所のおばさんが「線路際の鰻屋さんよ」と教えてくれる。 路地を通り抜け、火事場へ急ぐ。 オヤ、まだ規制のロープが張られていない。 見やすく、消火の邪魔にならない位置で状況を確認すると、、、、現場は、常磐線脇の鰻屋さん。 うなぎ焼かずに家焼いた! でも、ボヤ程度で済んだようだ、大事にならず良かった!
寒い中で消火作業を見ていたら、自分も放水したくなった。 どうやらボヤは鎮火しそうだ、後は消防署に任せて、散歩を始めるか!
●106年前に開業 ・・・・・・南千住5丁目から日光街道(国道4号)を越えて南千住1丁目に入る。 大正2年(1913)4月1日に王子電気軌道の停留場として開業した、都電荒川線の三ノ輪橋停留場。
●300年以上前に移転 ・・・・・・南千住1丁目、日光街道に面し参道のある曹洞宗寺院の真正寺。 四ツ谷天龍寺を開山した特賜心翁永伝禅師大和尚(寛文14年(1674)寂)の隠居寺として湯島に開山、寛文元年(1661)当地へ移転した。、、、、、赤い花に誘われて参る。
●1200年以上前の開創 ・・・・・・・真正寺の北隣りには補陀山円通寺がある。 円通寺は延暦10年(791)坂上田村麻呂によって開かれたと伝えられる。 江戸時代には、下谷広徳寺、入谷鬼子母神真源寺とともに「下谷の三寺」とよばれていた。 秩父・坂東・西国霊場の100体程の観音像を安置した堂があったので、寺は百観音と呼ばれていた。、、、、、派手やかな鉄筋コンクリリート造の本堂は、屋根の上に七重の塔が聳え、その正面に巨大な黄金の観音像が立っている。 昭和59年(1984)の建立。
・・・・・・・・・・・・・・・明治維新の折、慶応4年(1868)に行われた上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員を、現在の上野公園の西郷隆盛像があるあたりでこの寺の住職が火葬を行った。 そのため、この寺には火葬を行った場所の近くにあった上野寛永寺の総門(黒門)が移築され、亡くなった彰義隊の隊員の墓もある。、、、、、遺骸266体が埋葬されているそうだ、意外に多いね!
・・・・・・・・・・・・・・・・円通寺の境内に几号水準点がある。 門を入り左隅に、正面に「百くわんおん 」裏に「明和元年(1771)」と彫った石塔がある。 その台座部分に几号(“不”の字に似た形)が彫られている。 几号の下半分以上が埋まり、“ここに在ることを知る人にのみ”見つけることができる。(他言無用!)、、、、、几号水準点とは
●19年前に開業 ・・・・・・荒川一中前停留場は、平成12年(2000)11月11日に、沿線住民の請願により開業した。、、、、、私は、停留場の踏切りを渡り、明治通りを越えて三河島駅に向かう。
« 用水沿いに鳩ヶ谷を歩く | トップページ | 隅田川は花曇り »