高砂や~ 高砂や~
三日ぶりの晴天、チョイト寒いが、京成本線の高砂駅から、総武線小岩駅まで、9千歩の散歩です。、、、、、高砂~小岩間は度々歩いてるので、今日も、かつて歩いたルートを、再び歩いてきた。
●高砂や この浦舟に帆を上げて ・・・・・・・・高砂駅は、大正元年(1912)11月3日に、「曲金駅」(まがりかねえき)として開業した。 「曲金」は駅開業当時の村名である。 「高砂」は明治9年(1876)地租改正のとき地元有志の発意で、めでたい言葉の一つとして謡曲「高砂」から借用して、つけられた字名である。 翌、大正2年(1913)、「曲金駅」は縁起も、語感も良くないと云うことから、字名であった「高砂駅 」に改称した。、、、、昭和30年代までは、結婚式で仲人・長老がご祝儀に謡曲「高砂」を謡ってくれたものだが、今や「高砂」を謡ってくれる結婚式は無くなったみたい。 仲人のいない結婚式も当たり前となったそうだ。、、、高砂を謡った時代は、「高砂祝って誓った初夜が 婆と爺とになる門出」
●高砂や この団地の土地空けて ・・・・・・・・・・高砂駅から南東に約600m、京成本線線路沿いに都営高砂四丁目アパートがある。、、、、現在、線路側は公園と空き地が広がっているが、以前は空き地にも都営住宅が建ち並び、都営高砂アパートと称していた。
・・・・・・・・・・・・現在の「高砂四丁目アパート」案内図と、5年前の「高砂アパート」案内図(2014年撮影)、、、、、現在は北側の26号棟、18号棟の2棟が高砂アパート時代の棟として残っているが、住宅部分は閉鎖され1階の店舗部分に郵便局・ケアセンター・整骨院・八百屋・クリーニング店が営業しているだけ。
・・・・・・・・・・・・・現在の高砂四丁目アパートは、平成20年(2008)~平成23年(2011)に立てられた1011戸の団地である。、、、、、5階建ての棟が住宅部分に入居者が居なくなった、18号棟、26号棟。
・・・・・・・・・・・・・北側には高砂アパート跡の広い空き地が残る。、、、、、丸い土俵状のものは、かって給水塔がたっていた跡。、、、、、芭蕉の心情で、「夏草や 兵どもが 夢の跡」
●高砂や この裏道に尻向けて ・・・・・・・・・・・・葛飾区細田と鎌倉の裏道を歩いて小岩へ向かう。 途中、シャレた校舎の愛国学園前を通る。
●高砂や 小岩の駅にお着きです ・・・・・・・・・総武線小岩駅到着。 今日は、我が愛する人の誕生日、GODIVAのチョコレートを買って、おまけに船橋屋のくず餅買って帰る!
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