赤羽の城跡
都営三田線本蓮沼駅から、JR京浜東北線赤羽駅まで、1万1千歩の散歩です。
●期待したが、普通の駅だった! ・・・・・・・・・自分の記憶では、昭和43年(1968)12月27日の都営地下鉄6号線(現:三田線)開業以来初めて下車する本蓮沼駅である。 期待に胸を弾ませ電車から降りたが、『な~んだ 期待したほどの駅でもない』 都営らしい、あまりセンスの良くない、普通の駅だった。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、、駅名は、計画段階では“蓮沼駅”だったが、乗り入れ予定であった東急池上線に蓮沼駅(大田区)があったため、当時の地名であった志村本蓮沼町より“本蓮沼”と命名した。、、、、、駅の東約300mところに、Jリーグの試合には使用されない、チョイト、マイナーな国立西が丘サッカー場がある。
●期待したが、普通の駅だった! ・・・・・・・・・自分の記憶では、昭和43年(1968)12月27日の都営地下鉄6号線(現:三田線)開業以来初めて下車する本蓮沼駅である。 期待に胸を弾ませ電車から降りたが、『な~んだ 期待したほどの駅でもない』 都営らしい、あまりセンスの良くない、普通の駅だった。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、、駅名は、計画段階では“蓮沼駅”だったが、乗り入れ予定であった東急池上線に蓮沼駅(大田区)があったため、当時の地名であった志村本蓮沼町より“本蓮沼”と命名した。、、、、、駅の東約300mところに、Jリーグの試合には使用されない、チョイト、マイナーな国立西が丘サッカー場がある。


●神社と別当寺、セットで! ・・・・・・・・・本蓮沼駅から北へ200m程歩くと蓮沼氷川神社がある。 神社は、須佐之男命と奇稲田姫命を祭神とする、古来蓮沼村の鎮守さま。 慶長年間(1596-1615)にさいたま市の氷川神社から、蓮沼村字前沼(現:浮間舟渡駅の西側)に勧請されたのが創建。 その後享保年間(1716-1736)に、別当寺であった南蔵院とともに、前沼から現在地に移転した。、、、、、神楽殿のような社殿の造りである。
・・・・・・・・・・・・・・氷川神社に隣接して、真言宗智山派の宝勝山蓮光寺南蔵院がある。 以前は、氷川神社の別当寺であった。 大きなお寺だが、古い堂宇は残っていない。、、、、、境内には数本の枝垂れ桜が蕾を膨らませている、もう間もなく咲きそうだ!


●アップ、ダウンの多い町! ・・・・・・・・・板橋区蓮沼の町から北区赤羽西の町へ入る。
・・・・・・・・・・・・・・赤羽西6丁目の「都営 赤羽西六丁目第三アパート」前を通過。、、、、、昭和40年代の建物らしい?

・・・・・・・・・・・・・・赤羽西5丁目では、「赤羽スポーツの森公園」を抜ける。、、、、、陸上自衛隊十条駐屯地赤羽分屯地があった処で、平成7年(1995)に土浦市に移転後、跡地を公園として整備したものである。 跡地の北側は赤羽自然観察公園として平成11年(1999)に開園した。 ついで南側も公園として整備され、平成22年(2010)にサッカー場も整備された。

・・・・・・・・・・・・・・赤羽西5丁目では、「赤羽スポーツの森公園」を抜ける。、、、、、陸上自衛隊十条駐屯地赤羽分屯地があった処で、平成7年(1995)に土浦市に移転後、跡地を公園として整備したものである。 跡地の北側は赤羽自然観察公園として平成11年(1999)に開園した。 ついで南側も公園として整備され、平成22年(2010)にサッカー場も整備された。
・・・・・・・・・・・・・・赤羽西4丁目は“坂”の町。、、、、、いろいろと面白い坂があった! 気に入った!
・・・・・・・・・・・・・・まずは、赤羽西4-21から下る名無しの坂。、、、、、長くはないが、勾配はキツイ!

・・・・・・・・・・・・・・次は、法安寺(赤羽西4-42、日蓮宗系)の前を下る法安寺坂。、、、、、坂の名の由来は、説明不要!

・・・・・・・・・・・・・・次は、法安寺(赤羽西4-42、日蓮宗系)の前を下る法安寺坂。、、、、、坂の名の由来は、説明不要!
・・・・・・・・・・・・・・さて最後は、蛇坂を下った赤羽西4-30で、横を振り向くと通りの奥に急な階段坂が見えた、『上ってみよう!』、、、、、階段の上からは、正面(北側)に広がる赤羽台のURの団地を一望する、素晴らしい眺望!
●中華風の寺! ・・・・・・・赤羽西2丁目に岩槻街道から入る、真言宗智山派の寺院:妙覚山蓮華寺普門院がある。 徳治2年(1307=鎌倉時代)の創建と伝えられている。 参道正面には中国・台湾風の鐘楼門(昭和18年(1943)頃完成)があり、境内にはインドの仏塔をモデルにした共同墓地(昭和41年(1966)完成)がある、さらに本尊の聖観音菩薩像を安置する本堂も中国風のデザインである。 異国情緒豊かな寺である。
●赤羽にも城があった! ・・・・・・・赤羽駅の西側(赤羽西1丁目)には、江戸城を造った太田道灌が砦として使用した稲付城跡がある。 道灌の死後、稲付城を寺にしたのが現在の静勝寺のはじまりである。 城跡としての遺構らしきものは見られないが、静勝寺の山門からは目の前を走る新幹線の姿を見ることができる。、、、、、静勝寺は、永正元年(1504)道灌の禅の師匠雲綱が、彼の菩提を弔うため、稲付城跡に道灌寺として創建した。 明暦元年(1655)に道灌の子孫太田資宗が堂舎を建立し、道灌とその父資清の法号に因んで寺号を自得山静勝寺と改めた。、、、、、山門の階段がキツイ! エスカレーターでもあるといいのだが。
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