城があった足立区
地図を広げて足立区の西新井駅周辺を眺めていると、駅から南に向かって西新井栄町1丁目、関原3丁目に主要道路の未完区間がある。 『何かあるかも?』と、興味が湧いて歩いてきた。、、、、東武伊勢崎線西新井駅から、関原3丁目、2丁目の町を抜け、尾竹橋通りを横切り、本木2丁目から日暮里舎人ライナー扇大橋駅まで、1万1千歩の散歩です。
●錆びた駅 ・・・・・・・・今日は西新井駅で下車する。 通勤客の多い駅である。 都心に向かうには、東京メトロ日比谷線と半蔵門線に、それぞれ乗り入れている電車がある。 当駅に到着する通勤電車はどれも満員、着席しての通勤は無理だね!
・・・・・・・・・・・・・錆が出た! 西新井駅西口の駅ビルは、昭和48(1973)の開店以来、約45年経過し、老朽化と耐震性の点に問題あり、いずれ解体され建替えられるようだ。 入居している「トスカ(西館)」および「東武ストア(西新井店)」は昨年7月で両店とも閉館した。
●更地になった道路予定地 ・・・・・・・・・・・西新井栄町1丁目、関原3丁目の裏道を歩いてみた。 下町の雰囲気が残る町で、特にかわった様子もみられない。 主要道路ができる処では立ち退きも終わり、更地となっている処も多い。、、、、何かを期待してきた私は、チョッピリ、ガッカリ。
●23区最後の分教場 ・・・・・・・・・・・・・関原2丁目の住宅が立ち並ぶ裏道の奥に「関原分校公園」がある。 かわった名の公園だな? アレ、便所のタイル絵にも!、、、、調べてみたら、昭和4年(1929)に現在の関原三丁目に開設された本木尋常高等小学校関原分教場が始まりで、この分教場は後に足立区立関原小学校分校となり、昭和50年(1975)の廃校時は東京23区最後の分校となっていたそうだ。、、、、ここにも二十四の瞳と大石先生がいたかも? 校舎を見たかった!
●足立区に城があった! ・・・・・・・・・・尾竹橋通りを横断し足立区本木2丁目に入ると、かつての総理大臣を思い起させる中曽根神社がある。 中曽根神社は、千葉次郎勝胤公によって室町時代に築城された中曽根城内に、千葉氏の崇敬する妙見社を勧請したものといい、昭和7年興野の雷神社を合祀して中曽根神社と改称した。 境内には、千葉氏が鎌倉時代に築いた中曽根城の城跡を示す石碑もある。、、、、、、なお、「中曽根」の地名は、江戸時代以降に使われた本木村の小字名。
●豪商別邸の名残り ・・・・・・・・・・・・現在の本木小学校の場所(足立区本木北町7)に江戸深川の材木商:冬木屋の別邸(敷地約7200坪)内があった。 その屋敷内には稲荷神社、弁天堂があり、現在も小学校の近くに祀られている。
・・・・・・・・・・・・小学校の北側に祀られている冬木弁天堂。
・・・・・・・・・・・・・学校の西側には田中稲荷神社が祀られている。 こちらも、冬木屋の別邸内に稲荷神社を勧請して創建した。
●オ~~満開だ! ・・・・・・・・春です、恋の季節です。 「酔った振りして 抱かれた肩に 桜散る散る 恋は咲く」
●ここもだ! ・・・・・・・・・江北橋から伸びてきた「江北橋通り」が扇1丁目でチョン切れている。 その先に道路用地が待機中。
●スタコラ歩いた1万1千歩 ・・・・・・・・・・・・日暮里舎人ライナーの扇大橋駅 に到着。
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