町の中心は十条銀座
京浜東北線東十条駅で下車し、環七通りの南側、中十条3丁目、十条中原2丁目、上十条3丁目の裏道を、右に左に行きつ戻りつ、埼京線十条駅までの散歩です。 1万歩。
●降りるの恥ずかしい ・・・・・・・・昭和6年(1931)8月1日に京浜線(現:京浜東北線)が赤羽駅まで延伸した際に、「下十条駅」として同時開業した。 昭和32年(1957)、町名変更により「東十条駅 」と改称する。、、、、中線のある島式ホーム2面3線の駅で、改札口はホーム両端に北口、南口の橋上駅舎がある。 また、ホームの東隣には東北新幹線の高架橋と下十条運転区があり、京浜東北線・根岸線の電車が留置されている。、、、、乗降客の少ない駅で、電車から降りる時、チョイト周囲の目線が気になる駅。 70超えても、恥ずかしがり屋な雅万歩。
・・・・・・・・・・・・・今日は北口から西に向かって歩くことにした。
●高齢者登山のメッカ? ・・・・・・・東十条駅北口から、駅前の細い短い商店街を抜け、都道460号(中十条赤羽線、旧岩槻街道)に出る。 荒川小学校前、都道に面して、十条富士塚がある。、、、、もともとは古墳であったと言われているが、江戸時代以降に富士信仰に基づく祭儀を行ってきた場所である。 天保11年(1840)以降の石碑が30数基ある。 高さ6m程、30歩で山頂に立てる富士山は、高齢者登山の穴場?
・・・・・・・・・・・・富士塚前の都道は、現在、歩道のない片側1車線の対面通行である。(幅員10m前後) 都は拡幅工事を進め、幅員が20m以上になる予定である。、、、、富士塚の周辺でも民家の取り壊しが始まっている。 ところで、この富士塚、このまま道路が拡幅がされると、富士塚は道路に引っかかってしまう。 サアーどうする? 富士山を削るのか? それとも、移設するのか? どうなることやら!
●右折、左折、行き止まりの裏道 ・・・・・中十条3丁目の裏道を歩く。、、、、道は右に左に折れ、素直でないね!
●踏切がネック! ・・・・・・・・埼京線の踏切りに遭遇。 埼京線の東側は中十条3丁目、西側は十条仲原2丁目。 ここに2つの踏切りがある。
・・・・・・・・・・・・・新宿寄りの仲原踏切は、ごく普通の人も車も安産に通れる踏切である。
・・・・・・・・・・・・・赤羽寄りには北仲原踏切がある。 踏切に至る、中十条3丁目側は1車線のチョイト狭い道路、十条仲原2丁目側は片側1車線の対面通行ができる道路。 そして踏切部分は、自転車1台分だけ!、、、、つまり、踏切部分を広げれば、車1台の通行は可能なのだが?
●キョロキョロするな、怪しまれるぞ! ・・・・・・・十条仲原2丁目に入ると、「十条銀座」商店街に続く、「富士見銀座」商店街がある。
・・・・・・・・・・・・・商店街を横切り、十条仲原2丁目、上十条4丁目の裏道を歩く。、、、、チョイト内部を覗いてみたくなる家もある。
●立派な堂の地蔵 ・・・・・・・・・・・・環七通り姥ヶ橋陸橋交差点に出た。 この先は、板橋区になるので、今日の散歩はここでUターンして十条駅に向かうことにした。
・・・・・・・・・・・・・交差点角に「姥ヶ橋延命地蔵尊」が祀られている。、、、、姥ヶ橋とは、石神井川の支流:稲付川に架けられていた橋である。 その名の由来は幼児を誤ってこの川に溺死させてしまった乳母が、責めを感じてこの橋から身を投げて死んだ事による伝説であるという。、、、、この延命地蔵尊は、袈裟をまとい、右手に錫杖を執り、左の掌に宝珠を載せ、正面を向いて蓮華座に立つ、安山岩系の石材を丸彫りした地蔵菩薩像。 台座には「享保九年(1724)甲辰天十一月吉日 石橋供養」の銘がある。 左隣には、石造の子育地蔵尊が祀られている。
●お腹が空く商店街! ・・・・・・姥ヶ橋陸橋から十条駅までは、「十条仲通り」商店街、「十条銀座」商店街を歩き、駅に向かう。、、、、食料品、美味しそうな惣菜など、“食”の店が多い。
●開業は何時だ! ・・・・・・・・十条銀座を抜けると、埼京線十条駅である。、、、、明治38年(1905)6月10日、日本鉄道に、東京砲兵工廠の貨物を扱う十条駅が開業。 翌明治39年(1906)に廃止。 明治43年(1910)11月1日、国鉄の駅として再び十条駅が開業。、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅で、それぞれのホームに改札口がある。 また、ホームは跨線橋で連絡している。
・・・・・・・・・・・・・駅舎横に、駅開業70周年記念碑(昭和55年(1980)建立)の動輪が置かれている。、、、、70周年の時から遡ると明治43年が開業の年となる。 つまり、日本鉄道時代の明治38年の開業は対象から外したようだ。
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