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2019年4月16日 (火)

嶺の御嶽山はナンジャラホイ

久しぶりに東急池上線の御嶽山駅に行ってみたくなった。 今日の散歩は蒲田から池上線に乗り御嶽山駅で下車し、都営浅草線の西馬込駅までの1万歩。


●富士山が見える御嶽山 ・・・・・・・・23区中最も面積の広い大田区にあって、その西側で東海道新幹線と池上線が交差する位置に御嶽山駅(おんたけさんえき)がある。 駅は大正12年(1923)5月に、池上電気鉄道御嶽山前駅として開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅。、、、、、駅名の「御嶽山」とは山の名前ではなく、駅の近くにある「御嶽神社」のこと。 ならば、駅名を“御嶽さん”にしたほうがいいね。

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・・・・・・・・・・・・・・御嶽山駅の改札は上りホームと下りホーム、それぞれ別に設置されている。 改札内に入ると、ホーム間の移動はできない。 トイレは五反田方面行ホームにしかないため、蒲田方面行ホームで“行きたくなったら”大変なことになる、『男は我慢、女は愛嬌』でごまかすか!

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・・・・・・・・・・・・・・五反田方面行ホームは中央が狭く1m程の幅。 電車が来ると、『黄色い線の内側までお下がりください』、『壁にぶつかりました!』

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・・・・・・・・・・・・・・ホームの蒲田寄りの端には金網がはられている。 金網の隙間からホームの真下に、掘割内を走る東海道新幹線、横須賀線、湘南新宿ラインを見ることができる。 ナント、御嶽山から富士山が見える!

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●嶺の御嶽神社 ・・・・・御嶽山駅まで来たら駅の北に鎮座する「御嶽神社」に御挨拶。 御嶽神社の創祀は、嶺村(現在地の旧村名)ができた天文4年(1535)頃と云われている。 当時は小社で、祠に近いものであったそうだ。 天保年間(1830~1844、江戸時代後期)に木曾御嶽山で修業した一山行者(いっさんぎょうじゃ、相模国津久井村出身の僧)が来社して、神のお告げを聞き、ここに木曾御嶽神社の分社を祀った。 以来信者が激増し、天保2年(1831)に現在の大きな社殿を建立し御霊を遷座した。 信者の中には江戸の豪商なども多くあり、かなりの寄進がされたようだ。 関東一円から木曾御嶽山を信仰する信者たちが多数訪れ、その勢いは江戸、明治、大正、昭和へと続く。 「嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曾御嶽山へ一回行ったのと同じ」と言われているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・社殿は天保二年(1831)の建築で、周囲の木彫も同時代に、藤原篤意(とくおき)によって制作された。本殿の背面、側面には浦島太郎・養老の滝・司馬温公甕割り・など和漢の物語、故事に因んだ彫刻が施され、柱間/縦約160cm、横約130cmの刻面を有する。、、、、、彫が深く細かな表現の見事な社殿彫刻である。 できれば、艶っぽい女性が彫られていると、もっと注目されると思うね。

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・・・・・・・・・・・・・・・境内には明治時代に建てられた、木造鉄板葺、切妻造りの水行堂がある。 御嶽神社の信徒が水行をするための建物である。 花頭窓など仏教的様式が取り入れられ神社としては興味ある建築様式だ。 

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●注連飾りをかけた狛犬 ・・・・・・御嶽山駅から東へ、久が原の住宅地を歩き、久が原1丁目の「道々橋八幡神社」(どどばしはちまんじんじゃ)に出た。 神社の創建年代等は不詳ながら正保年間(1644~1647)に創建、道々橋村の鎮守社だった。 現在の社殿は昭和35年(1960)の建造。

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●坂を上って下りて息切らし ・・・・・・道々橋八幡神社から、久根橋を渡り呑川を越える。 仲池上の住宅地では坂を上り、西馬込では坂を下り、息は切れハアハア、ゼイゼイ。 可愛い娘を見ると、ピタリと息は止まる、アラ不思議? そんなこんなで西馬込駅到着!
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