嶺の御嶽山はナンジャラホイ
久しぶりに東急池上線の御嶽山駅に行ってみたくなった。 今日の散歩は蒲田から池上線に乗り御嶽山駅で下車し、都営浅草線の西馬込駅までの1万歩。
●富士山が見える御嶽山 ・・・・・・・・23区中最も面積の広い大田区にあって、その西側で東海道新幹線と池上線が交差する位置に御嶽山駅(おんたけさんえき)がある。 駅は大正12年(1923)5月に、池上電気鉄道御嶽山前駅として開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅。、、、、、駅名の「御嶽山」とは山の名前ではなく、駅の近くにある「御嶽神社」のこと。 ならば、駅名を“御嶽さん”にしたほうがいいね。
・・・・・・・・・・・・・・御嶽山駅の改札は上りホームと下りホーム、それぞれ別に設置されている。 改札内に入ると、ホーム間の移動はできない。 トイレは五反田方面行ホームにしかないため、蒲田方面行ホームで“行きたくなったら”大変なことになる、『男は我慢、女は愛嬌』でごまかすか!
・・・・・・・・・・・・・・五反田方面行ホームは中央が狭く1m程の幅。 電車が来ると、『黄色い線の内側までお下がりください』、『壁にぶつかりました!』
・・・・・・・・・・・・・・ホームの蒲田寄りの端には金網がはられている。 金網の隙間からホームの真下に、掘割内を走る東海道新幹線、横須賀線、湘南新宿ラインを見ることができる。 ナント、御嶽山から富士山が見える!


●嶺の御嶽神社 ・・・・・御嶽山駅まで来たら駅の北に鎮座する「御嶽神社」に御挨拶。 御嶽神社の創祀は、嶺村(現在地の旧村名)ができた天文4年(1535)頃と云われている。 当時は小社で、祠に近いものであったそうだ。 天保年間(1830~1844、江戸時代後期)に木曾御嶽山で修業した一山行者(いっさんぎょうじゃ、相模国津久井村出身の僧)が来社して、神のお告げを聞き、ここに木曾御嶽神社の分社を祀った。 以来信者が激増し、天保2年(1831)に現在の大きな社殿を建立し御霊を遷座した。 信者の中には江戸の豪商なども多くあり、かなりの寄進がされたようだ。 関東一円から木曾御嶽山を信仰する信者たちが多数訪れ、その勢いは江戸、明治、大正、昭和へと続く。 「嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曾御嶽山へ一回行ったのと同じ」と言われているそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・社殿は天保二年(1831)の建築で、周囲の木彫も同時代に、藤原篤意(とくおき)によって制作された。本殿の背面、側面には浦島太郎・養老の滝・司馬温公甕割り・など和漢の物語、故事に因んだ彫刻が施され、柱間/縦約160cm、横約130cmの刻面を有する。、、、、、彫が深く細かな表現の見事な社殿彫刻である。 できれば、艶っぽい女性が彫られていると、もっと注目されると思うね。