馬に縁ある県道180号
北総線秋山駅から県道180号松戸原木線をひたすら歩き中山競馬場に至る。 競馬場から長~い地下道を抜け武蔵野線船橋法典駅まで、1万4千歩の散歩です。
●千客万来を祈願しよう! ・・・・・・平成3年(1991)3月31日 北総線の京成高砂~新鎌ヶ谷間(12.7km)開業のとき、同時に秋山駅は開業した。 相対式ホーム2面2線、掘割に造られた半地下駅である。、、、、ホームの上にある駅前ロータリーに出ても、コンビニの一軒すらもない寂しい駅。 日本橋まで乗り換えなしで、所要32分の都心近郊の駅としては、一日当たりの乗降客は約6900人は少ないね。


●パッカパッカ歩いた馬街道 ・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・秋山駅の南250m程に、県道180号松戸原木線が通っている。 今日の散歩は、この道を南(船橋方面)へ歩くことにした。、、、、散歩にこの道を選んだ特段の理由はなく、単に秋山駅で下車し、『どっち行こうか?』、『考えるの面倒だから、この県道を歩いてみよう!』、ただそれだけ。

・・・・・・・・・・・・・・県道180号沿い、松戸市高塚新田の一画に小さな「日露軍馬観世(音?)」(明治38年銘)の碑があった。、、、、 まだ戦場には自動車のない時代、軍馬が徴発され活躍した。 東葛飾郡(現:市川、松戸、野田、浦安、流山、船橋、柏、鎌ケ谷の各市)で徴発された馬は、飼育されていた馬の2割程度(約1000頭)になるらしい。 軍馬は終戦となっても、帰ってくることはなく死んでいったそうだ。 この碑は、愛おしいめんこい仔馬(?)を供養したものか?

・・・・・・・・・・・・・・県道に面し緑に覆われた高塚八幡神社の参道がある。 県道は交通量も多いが、奥まった境内は別空間だ。、、、、平安時代からこの地は小金牧という馬の放牧地で、 高塚八幡神社は源義経が木曽義仲を追討した宇治川の合戦で活躍した、小金牧地産の名馬「生月(いけずき)」が眠る塚の上に祀られ、「高塚」の謂れともなっている。、、、、またまた、“馬”がらみの話題となった。


・・・・・・・・・・・・・・県道の右手(西側)にURの「梨香台団地」が見える。 昭和50年(1975)に完成した11階建て、10棟、960戸の団地である。、、、、団地名、地元産のナシが香る台地で“梨香台”(りこうだい)とはいいね! 馬鹿じゃないよ、利口だい!
・・・・・・・・・・・・・・高塚新田の付近は梨の産地。 県道沿いに“もぎとり”の看板が並ぶ。 残念だが、“タダで、もぎとり”の看板は見あたらない!

・・・・・・・・・・・・・・農家の庭に見事なフジの木を見つけた。 樹齢は何百年ではなく、何十年だそうだ。 大きく枝を広げ彩鮮やかに咲き、御立派!、、、、電柱に枝を絡め、巻き付く姿、想像を掻き立て、たまらなく色っぽい!



・・・・・・・・・・・・・・県道180号松戸原木線の一部は、昭和43年(1968)から平成12年(2000)まで有料道路「市川松戸有料道路」だった。 その名残か、松戸市高田新田と市川市大野町のさかい付近では、陸橋に歩道がないので、下の道を歩くことにした。 陸橋が平坦な道となり一般道化したあたりで、旧有料道路に入ってしまった、こんどは切通しとなりここも歩道がない。 歩いてる人はいない自転車も通らない、あっヤバイ! こんなところで轢かれて御陀仏になるには、まだ早い! 念仏を唱えひたすら歩くと、オ~、ラブホテルが見えた、どうやら俗界に戻ったようだ。、、、、旧有料道路はこの先、中山競馬場正門付近まで続いていたそうだ。 現在は市川市南大野から一般道路と変わらずの形態となり、歩道もある。


・・・・・・・・・・・・・・市川市北方町に入ると、かわいらしいオシャレな外観の建物が目に入る。 喫茶店か、レストランか、ケーキ屋さんか、チョイト覗いてみようか? アレ、どなたもいない、ユリの花がイッパイ。 皇室御用達のユリの花の専門店だった。
・・・・・・・・・・・・・・中山競馬場正門脇の北方十字路交差点に到着。 ここまで来たら馬の御縁で、競馬場をチョイト拝見しよう!
●胴元は金持ちだ! ・・・・・・中山競馬のは、大正9年(1920)に松戸競馬倶楽部が松戸競馬場から移転し、中山競馬倶楽部と称したのが始まり。 その後、中山競馬倶楽部は昭和12年(1937)に日本競馬会(現:日本中央競馬会)へ統合し、中山競馬場となる。、、、、黙っていても儲かる、ギャンブルの胴元だ! 建物は大きく、トイレも綺麗、まして案内嬢は若くてピチピチ、可愛くてキラキラ、これじゃあ胴元はヤメラレナイ。
« 草加八潮 | トップページ | 母乳を出した観音様 »