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2019年4月15日 (月)

十三仏の寺

西武新宿線鷺ノ宮駅で下車し、中野区白鷺1丁目の町を重点に歩いてきた。 帰りは高円寺駅から帰宅。 1万歩。




●見つめ合えないホーム ・・・・・・鷺ノ宮駅(さぎのみやえき)は、昭和2年(1927)4月16日に西武村山線(現:西武新宿線)高田馬場~東村山間の開業と同時にできた駅。 ホームは地上で、上りが片面ホーム、下りが島式ホームの変則2面3線構造である。 改札口は1ヶ所で橋上駅舎内にある。、、、、、この駅では、上り線が外側にあるため、乗客の多くは下り線ホームに背を向けている。 互いのホームで見つめ合い、恋が芽生えることもなさそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・・駅の脇の踏切りは、いつまでも開かず、ストレス溜まる、イライラ!、、、、、誰が、遮断機を切断するのか、チョイト興味津々!

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●交通安全を願う地蔵尊 ・・・・・・・鷺ノ宮駅の踏切脇(中杉通りに面し)、小さな堂があり中には交通安全厄除地蔵尊が祀られている。 この地蔵尊は、日本で最初の交通の地蔵尊で昭和12年(1937)に建立されたそうだ。、、、、、地蔵尊の脇には、数体の石仏と庚申塔などが建っている。これらは近くに流れる妙正寺川を改修した時に近隣から集められたそうだ。、、、、、一般歩行者向け標語 「危ないよ スマホじゃなくて 周り見て」、助平親爺向け標語 「危ないよ 若い娘じゃなくて 周り見て」

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の奥に妙正寺川改修記念塔がある。 かつては、のどかな小川だった妙正寺川は鉄道の開通により、市街地化による氾濫・沿岸住民の浸水被害などが甚大となった。 改修工事を待ち望んでいた沿岸住民の願いが達成された、昭和43年(1968)の工事完工を記念してここに塔が建てられた。、、、、、前時代的なデザインの記念塔だ!

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●いろいろな石仏が居ます! ・・・・・・鷺ノ宮駅の南側小高い処に、真言宗豊山派寺院の福蔵院がある。 白鷺山正幡寺と号す。 本尊は不動明王の坐像。福蔵院は、僧頼珍が大永元年(1521)に創建したと言われてる。 江戸時代には、隣接する鷺宮八幡神社の別当寺を務めていた。、、、、、大寺院ではないが境内は広く緑も多く、気持ちの和らぐ寺である。、、、、、地名の「白鷺(しらさぎ)」は鷺宮八幡神社とは関係なく、当福蔵院の山号「白鷺山(はくろさん)」から来ている。 昭和7年(1932)住居表示変更の時、住民等は〝南鷺宮〟など〝鷺〟か〝宮〟かの字を残したいと考えていたところ、偶然福蔵院の山号に気づいた者がいて「しらさぎ」と読み替えて採用したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・山門の脇に十三仏が並んでいる。、、、、、案内板の説明によると、、、これは、不動明王(初七日)、釈迦如来(二七日)、文殊菩薩(三七日)、普賢菩薩(四七日)、地蔵菩薩(五七日)、弥勒菩薩(六七日)、薬師如来(七七日)、観世音菩薩(百箇日)、勢至菩薩(一周忌)、阿弥陀如来(三回忌)、阿閦如来(七回忌)、大日如来(十三回忌)、虚空蔵菩薩(三十三回忌)のことである。 この13の仏菩薩は、死後の忌日を司るもので、冥界で生前の審判を受ける死者の救済を願って祀られた。 このように自他の供養が纏めて修められることから、室町時代以降、民間で広く信仰された。 銘によれば8体は、寛文6年(1666)の大日如来像を最古として、貞享2年(1685)の普賢菩薩像に至る19年間に造立された。残る5体は破損したものと見られ、現存するものは100余年後の寛政8年(1796)に真言講中の27人によって再建されたものだ、このように13体揃った石像は都内でも珍しく、他の石仏と同様、江戸時代後期の日常生活に深く根付いていた庶民信仰の現れといえる。、、、、、私も手を合わせてきた。 

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・・・・・・・・・・・・・・・福蔵院本堂の裏側にも参道らしき道がある。 その途中、崖地に穴を掘られた石室があり、2体の不動尊が安置されている。 「垢離不動尊」と書かれている。 垢離は“こり”と読み、“水ごり”の“こり”で、神仏に祈願する前に海水や冷水を浴びて心身の穢れを落とし清めること。、、、、、チョイト赤く塗られたお不動さん。 剣を持つ右手が重く、肩こりか?

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・・・・・・・・・・・・・・・福蔵院山門の向かいの側に小堂がある、ここには「こぶとり地蔵」が祀られている。 最近は瘤(こぶ)のある人を見る機会は減ったようだが、私の幼い頃(終後)には顔に瘤のある人が結構いたように記憶している。 昔は衛生観念も悪く、いい薬もない、医療も進んでいないなどで、いろんな病気に罹っても、治す機会も少なく、そのままにして瘤となってしまったようだ。 そんな時代に、最高の治療は神頼みだった。 各地に残る「瘤取り地蔵」の一つ。、、、、、現在の「こぶとり地蔵」は「小太り地蔵」と書いて、「ライザップ」と読むのかも? 菊池亜美の進化を見たら、効果あり! 森永卓郎の失敗見たら、ヤッパリね!

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●本当に、鷺はいたのか? ・・・・・・福蔵院(旧別当寺)西隣に鷺宮八幡神社がある。 康平7年(1064=鎌倉時代)、源頼が東国征伐の後、鎌倉街道に面した当地に源氏の隆昌を祈願して創建したと伝えられている。 この地には鷺が多く生息していたことから、鷺宮八幡、鷺宮大明神と称された。 現在の本殿・幣殿・拝殿は昭和35年(1960)に改築。、、、、、この付近は老樹林の鬱蒼とした森で、神社はその中に鎮座していたそうだ。 昔は電車も走っておらず、この辺りはド田舎だったと思われる。

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●重文に指定したいね! ・・・・・鷺宮八幡神社から南へ500m程歩くと、屋根が“へ”の字型になっている2階建て集合住宅が並ぶ、「鷺の宮住宅」がある。 ここの建物は、「テラスハウス」(境界壁を共有する複数の戸建て住宅が連続している形式の低層集合住宅)と呼ばれ、7棟(20戸)が並んでいる。 このテラスハウスは、東京文化会館などを手掛けた建築家:前川國男(1905~1986)の設計で、昭和33年(1958)に建てられた貴重な建築だ。 建設時は公団の住宅であったが、現在は企業・民間に譲渡され、寮・住宅となっている。 そのため、北側(玄関側)は建築時の姿を残してはいるが、南側(庭側)には部屋を増築した棟が多く、南面は雑然とした景観となっている。 チョイト残念だ!、、、、、テラスハウスとして有名だった杉並区成田東の公団阿佐ヶ谷住宅の350戸は数年前に取り壊されので、現存するここ「鷺の宮住宅」はより貴重なものとなった。 私が文科大臣なら、取り壊されないうちに、重要文化財に指定するのだが、ますます残念!

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●シンデレラ親爺 ・・・・・白鷺の町を歩きすぎた! 帰宅時間が近づき、シンデレラ親爺は、急ぎ足でハアハア息切らし、食欲旺盛でペコペコ腹空かし、高円寺駅に向かう!

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