同じルートで小岩まで
都営新宿線瑞江駅から北へ歩き、総武線小岩駅までの散歩。 1万4千歩。、、、、過去に、ほぼ同じルートを歩いてた!
●ガラガラ電車から降りる! ・・・・・新宿線の瑞江駅(みずええき)は島式ホーム1面2線の地下駅。 昭和61年(1986)9月14日の船堀~篠崎間開業に伴い、その途中駅として開業した。 両外側に通過線がそれぞれ1本ずつあり、昼間は各駅停車が急行に追い越されていくこともある。 朝の下り(本八幡方面行)は“お好きな席にお座りください”、上り(岩本町、新宿方面行)は“座れません、立ち席にどうぞ”。
●チョイト花見 ・・・・・・マンション、アパートの並ぶ、瑞江2丁目、1丁目の住宅地を抜けて京葉道路を横切る。、、、、、この辺りのマンション、アパートはどこも新しく綺麗だ! “昭和”の木造アパートは探しても見つからない。 近年、農地を宅地化し建てたものと思われる。、、、、、途中の公園ではソメイヨシノが満開だ! ママ友の花見があるそうで、花冷えの中、場所取りのママがいた。
●11階は展望台! ・・・・・・京葉道路の北側に、東京都住宅供給公社の「春江町住宅」が見える。 昭和47年(1972)から翌年にかけ完成した、地上11階建ての建物3棟からなる住宅は、総戸数398戸の団地。、、、、、11階は見晴らしが良く、市川・本八幡・下総中山方面が一望できる無料の展望台(?)


●谷河内の一寺一社 ・・・・・・・・・・春江町住宅の足下に、「谷河内1丁目」の町がある。 江戸時代初期から、この付近は谷河内村と称していたそうだが、地名の由来は??? 現在の谷河内の町には、一寺一社がある。
・・・・・・・・・・・・・・・日蓮宗寺院の妙泉寺は、常谷山と号します。妙泉寺は寛永11年(1634)当地に創建した。 江戸時代には千葉県松戸市平賀にある本土寺の末寺であった。 弘化3年(1846)の火災で寺が所蔵していた多くの記録が焼失し、安政の大地震及び大正6年(1917)の水害でも、被害にあった。 本堂は明治15年(1882)に再建した。
・・・・・・・・・・・・・・・谷河内日枝神社は、慶安2年(1649)の創建といい、江戸時代には谷河内村の鎮守社であった。

●鹿骨の二寺・・・・・・・・・・・・・・鹿骨4丁目の二寺に寄ってみた。
・・・・・・・・・・・・・・・・日蓮宗寺院の妙高山本城寺は、ここも元は千葉県松戸市の本土寺の末寺であった。 本土寺12世日暁上人が開山となり、日暁上人の隠居寺として弘治元年(1555)に創建したと言われてる。 現本堂は昭和4年(1929)の建立。、、、、、山門脇に、文化11年(1814)に建立された庚申塔がある。 正面の青面金剛像と三猿の下に「西、江戸道、講中」、左側面に「南、かわら道」、右側面には「北、浅間道」と、風化し読みづらくなっているが刻まれている。 高さ約2m。 もとは鹿骨3丁目の旧河原道に面して建てられていたそうだ。


・・・・・・・・・・・・・・・本城寺の西に、真言宗豊山派寺院の密蔵院がある。 密蔵院の創建年代は不詳だが、江戸時代中期の創建されたそうだ。 明治期に小岩善養寺の境外仏堂となった。、、、、、山門横に「えんま大王」が風雨に曝され安置されている。 えんま像の前はバス停で、バスを待つ人の信仰を期待したのかな?
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