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2019年5月

2019年5月31日 (金)

足立の孤島

東武伊勢崎線の谷塚駅から、花畑団地を抜けて、つくばエクスプレス六町駅まで、1万3千歩の散歩です。




●東京の隣り駅 ・・・・・谷塚駅(やつかえき)は、大正14年(1925)10月1日に開業した東武鉄道伊勢崎線の駅。 昭和63年(1988)8月から、上下線外側にそれぞれ通過線を持つ、現在の1面4線高架駅となる。 電車は普通しか停車しないローカル駅。、、、、谷塚駅(埼玉県草加市)は竹ノ塚駅(東京都足立区)の隣りにあって、海抜3.45mで埼玉県では最も低いところの駅です。 「谷」は“やつ”とか“やち”と呼ばれ低い土地をさし、「塚」は近在に塚が多かったために村名となった。 村名を駅名にして開設した当時は、桑畑であった駅周辺も、道路・住宅が整備された東京の隣り町に変わってきた。 朝のホームには、学生・サラリーマンなど若い人が目立つ。 (ナイショだけど、美人が多い駅だ!)

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・・・・・・・・・・・・・・駅前の案内にあった、昭和33年(1958)の谷塚駅の写真。 

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●ハイヒールで登れる富士山! ・・・・・・駅前を東に真っ直ぐ進むと、旧日光街道との交差点に富士浅間神社がある。 木花開耶姫命を祀っている当神社の創建年代は不詳だが、他所に祀られていた当神社を明暦年間(1655~1657)に、現在地へ遷座したといわれている。、、、、本殿の建物は天保13年(1842)に再建されたもので、随所に彫刻を配した建物は市の文化財に指定されている。

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・・・・・・・・・・・・・・「社殿の後ろ」と云っても広い境内で社殿の東側には、盆踊りの会場となる程のスペースがある。 そのスペースの先に霊峰富士山がそびえ立つ。、、、、ここの立派な富士塚は「瀬崎の富士塚」と呼ばれ、大正5年(1916)に竣工した、高さ4.0m、幅10.4m、奥行8.6mほどである。 富士講は現在も受け継がれているそうだ。 毎年元日と7月1日は、浅間神社の拝殿で講の行事が行われるそうだ。

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●陸の孤島にある団地 ・・・・・・・・・・・・・・・・足立区の北のはずれ、最寄り駅竹ノ塚からバスに揺られて20分(11停留場)、広い団地内を歩いて自分の住む棟に、腰の曲がった年寄りには5階までの階段が辛い! 途中の3階で天国に直行するかも? ここが終の棲家か?
・・・・・・・・・・・・・・草加市から花畑大橋を渡ると足立区花畑5丁目で、そこは左右に集合住宅が立ち並ぶ花畑団地の中央である。 花畑大橋は、橋長31.4m、幅15.8mのPCポストテンション箱桁橋。 昭和58年(1983)に竣工。 橋の下には、綺麗になってきた毛長川が流れる。
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・・・・・・・・・・・・・・花畑団地は独立行政法人都市再生機構(UR)により、東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)に入居が開始された。 東京ドーム約4.7個分(約22ha)の広大な敷地に2,725戸(約80棟)の住棟が並ぶ、都内でも最大級の大規模団地。 現在、団地では築後50年経過し老朽化に伴い、URによる建て替え事業が始まっている。 

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・・・・・・・・・・・・・・団地の中央にはスーパーがある。 「リハビリテーション病院」と称する大きな病院もあった。 年寄りが多いのだろうか、リハビリの需要が高そうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・団地の横に、「花畑団地」のバス停を見つけた。 ここは、足立区の北のはずれ、最寄りの駅は東武伊勢崎線の谷塚駅、竹ノ塚駅、つくばエクスプレスの六町駅だが、いずれも歩いて行ける距離ではない。 バスが無ければ電車に乗れない陸の孤島である。、、、、お年寄りにとっては、日々、団地で軟禁状態の生活をおくっているのかも?

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・・・・・・・・・・・・・・団地に隣接する花畑浅間神社は、古墳と思われる上に造られた富士塚。 創建年代は不詳ですが、富士塚の築造は、石鳥居の年代や伝承から明治初年と思われる。

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●お経を唱えて駅へ! ・・・・・・花畑団地を後にして六町駅に向かう。 

・・・・・・・・・・・・・・チョイト寺に寄って! 真言宗豊山派寺院の正覚院は、鷲王山宝蔵寺と号す。正覚院の創建年代は不詳だが、平安時代中頃の創建と伝えられ、江戸時代には大鷲神社(足立区花畑)の別当寺であった。、、、、真言宗豊山派のお経「光明真言」(梵字)を唱える。『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん 』

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・・・・・・・・・・・・・・高圧送電線の下に、長く伸びる遊歩道をひたすら歩く。、、、、雅万歩のお経を唱える。『おん あるきゃ あしいたいのう くつずれだ たまにゃあ じどうしゃ のりたいのう うん 』

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・・・・・・・・・・・・・・公園で拾った、“えなちゃん”の靴。 まだ新しそうだ、片方だけ? 今頃、泣いているかも?、、、、かわいい女の子を想像し、雅万歩はお経を唱える。 『おん えなちゃん かわいそうだのう おとしたくつ ひろってあげたぞよ べんちにおいとく みつけてくれや うん 』

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●深~~い駅 ・・・・・・・・・・・・・平成17年(2005)8月24日に開業した、つくばエクスプレスの六町駅(ろくちょうえき)。 六町駅は都内で最も北に位置する地下駅で、ホームはかなり深い処にありエスカレータを4回のって下りる。 戸田建設の施工。

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2019年5月29日 (水)

連日ついてない菖蒲!

堀切菖蒲園の感動(?)から三日目、異常に暑い日は過ぎ、今朝は一雨降り、午後は晴れた。 15時過ぎに、夕食前の散歩で小岩菖蒲園に行ってきた。 京成本線江戸川駅で下車し、JR総武線市川駅までの散歩です。




●土手の終着駅! ・・・・・・・・・・・・京成電鉄の歴史は古く、大正元年(1912)11月3日、押上~曲金(現:京成高砂)~伊予田間の開業に始まる。 この時の伊予田駅が現在の江戸川駅である。 駅は江戸川の土手にぶつかるように造られ、開業当時は貨物は伝馬船で、乗客は下流側に架かる市川橋で、対岸の市川(千葉県)に渡ったそうだ。 現在は相対式ホーム2面2線の高架駅で、ホームの端は江戸川土手に隣接している。、、、、特急も、快速も通過し、停車するのは普通のみ、一日の乗降客は6000人程で寂しい駅だ。

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・・・・・・・・・・・・・・江戸川駅の東で江戸川に架かる「京成電鉄江戸川橋梁」は、大正3年(1914)に当時千葉にあった陸軍鉄道聯隊の支援を得て、5連のトラス橋(初代)が架けられた。 現在の橋は、昭和54年(1979)に完成した2代目である。 橋長 433.2mの下路ワーレントラス橋。

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●ぼったくられた菖蒲園 ・・・・・三日前に堀切菖蒲園で体験した“あの感動”、今日も再び体験してしまった! 

・・・・・・・・・・・・・・土手の上から河川敷に造られた小岩菖蒲園を見下ろすと、人影はまばら、紫の花は見えない! アリャ、今日も失敗だ! 
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・・・・・・・・・・・・・・『5月から6月に約50,000本の花菖蒲が咲き誇る』の言葉に誘われて来たが、今日もガッカリ! 50,000本どころか、100本もない! 『カワイイ娘がいます、5000円ポッキリ』に誘われ入店したら、おばあちゃんばっかりで20,000円取られる店と同じ、来なきゃよかった!、、、、青々とした菖蒲田は、初夏の水田のように見える。

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・・・・・・・・・・・・・・100本の中から厳選した “カワイイ娘・美しい娘”のプロフィール。

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●関所があった旧伊予田村 ・・・・・・・・・・・・・江戸川駅前の南北にとおる道は「岩槻道」。 また駅の南側で岩槻道は東からの「佐倉道」と、西からの「元佐倉道」にぶつかる。 ここ旧伊予田村(現:江戸川区北小岩3・4)は旧道の要所で、関所が置かれていた処である。

・・・・・・・・・・・・・・江戸川駅前の北野神社は旧伊予田村の鎮守。 江戸時代にはこの地にあった稲荷神社と北方の北野神社が明治42年(1909)に合祀され、今の北野神社となった。 祭神には稲荷神社の倉稲魂命と北野神社の菅原道真、それに素戔鳴尊を加えた三柱を祀っている。

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・・・・・・・・・・・・・・北野神社の南隣には真言宗豊山派の寶林寺がある。 大秀法印(慶長12年(1607)没)が創建したと云われている。 本尊は不動明王。、、、、門前には寛文10年(1670)の地蔵庚申塔がある。

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・・・・・・・・・・・・・・寶林寺の南隣は、日蓮宗の本蔵寺。 寺は、元和8年(1622)浅草新寺町に大雄山本蔵寺と号して創建した。 明治43年(1910)に、当地にあった晴立寺と合併して当地に移転、晴立山本蔵寺と改称した。 また、当地にあった晴立寺は、正保4年(1647)に創建されたと云われている。


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●江戸川橋が市川橋に! ・・・・・・・・・・・・・・・・・国道14号(千葉街道)を通し江戸川に架かる「市川橋」。 旧名は「江戸川橋」であった。 現在の橋は、全長399m、2径間鋼平行弦連続ワーレントラス橋。 下り線は昭和38年(1963)、上り線は昭和42年(1967)に、事業費:約14.4億円にて開通した。、、、、江戸時代には佐倉街道上にあり、関所と渡し船が設けられていた。 明治維新後も渡し船による輸送が続けられていたが、国府台に陸軍が設置されると、東京防衛のための役割があるにも関わらず、江戸川に阻まれて東京との陸路が閉ざされているという問題点が生じた。 そのため、明治38年(1905)江戸川最初の木造橋である江戸川橋(現:市川橋)が設置された。 その後、江戸川橋と並行する形で京成電鉄の鉄橋が架けられた。

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・・・・・・・・・・・・・・市川橋を渡り千葉県側の土手上には「市川関所跡」の碑がある。 江戸時代に入り参勤交代の制度が確立すると、市川と小岩の間には渡しが設けられ、定船場として番所が置かれた。後に関所に昇格したが、明治2年に廃止になった。、、、、碑の後ろには、近代的な山崎製パンの研究所の建物がある。 “あんぱん”でも売ってくれると嬉しいのだが?

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●山崎製パンの城下町 ・・・・・市川駅に到着。 明治27年(1894)7月20日、総武鉄道の市川~佐倉間の起点駅として開業し、同年12月9日には本所(現:錦糸町)~市川間が延伸開業し、中間駅となる。 明治40年(1907)鉄道国有法により買収され、国鉄の駅となる。、、、、市川市の中心的な町として栄えているが、行政・商業の中心は隣の本八幡駅である。 市川駅は山崎製パンの城下町。

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2019年5月26日 (日)

トランプで菖蒲!

今日は全国的に朝から暑く、熱中症は厳重警戒の日。 朝の散歩はひかえて、夕方にトランプ大統領を見に、我が家(浅草橋)からは隅田川を挟んで川向こうの両国国技館に行ってみようと思った。 昼のテレビニュースでは、国技館も厳重警戒中と放送された。 『国技館へ変な親爺がカメラぶら下げ、フラフラ歩いて行ったら捕まるかも!』と、妻に止められた。 変わり身の早い私は、急遽昼から、トランプさんとは無関係で、花が咲き競っているであろう堀切菖蒲園に行ってきた。、、、、、堀切菖蒲園駅で下車し、菖蒲園へ、帰りは四ツ木駅から乗車。




●賑わいのない、静かな駅? ・・・・・・・・・・昭和6年(1631)12月19日の日暮里~青砥間開業と同時に開業した京成本線の堀切菖蒲園駅。 ホームは高架相対式2面2線の構造。 駅名になっている堀切菖蒲園は、駅の南400mほどのところにある区立公園。、、、、「菖蒲まつり」の時期には、例年、ホームに提灯がぶら下がり、改札前には菖蒲の花が飾られて、賑わいがあるのだが、今日はチョイト様子が変だ? 静かだ! おかしい? 観光客が少ない! 飾り付けは中途半端?

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・・・・・・・・・・・・・・菖蒲園に向かう商店街には、「堀切菖蒲まつり」の旗がひるがえり、街路灯にはボンボリも下がり、私の前を歩くおばさん達も菖蒲園に向かう。、、、、それにしても、日曜日だというのに活気がない。 今日は暑いので、外出をひかえているのか? 商店も開店休業かな?

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●神に見放され、菖蒲に負けた! ・・・・・・・・・・・・堀切菖蒲園のゲートに大きく掲げられた「堀切菖蒲まつり」の看板が見える。 やってるじゃないか! ドキ、左の柱に「期間 五月二十七日(月)~六月十六日(日)」の表示が見えた! 着いてビックリ、来てビックリ、見てビックリ、ガァ~~~ン! 一日早かった! 駅も、商店も、何もかも皆、菖蒲まつりは明日からだ!  

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・・・・・・・・・・・・・・会場のチラシにも明日からと明記。 事前に確かめず、思い付きの行動には、最悪の結果が待っていた!

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・・・・・・・・・・・・・・せっかく来たのだ、園内に点在するチョッピリの菖蒲を見て帰ることにした。 それにしても、「菖蒲の咲いてない菖蒲園は 女性が入浴していない露天風呂だ」、、、、菖蒲が咲いた最盛期の菖蒲園

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・・・・・・・・・・・・・・咲いていた菖蒲!

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●駅がサッカーの聖地に! ・・・・・・・・・・・・・・熱中症に注意しながら、堀切の極楽寺、四つ木の西光寺に寄り、四ツ木駅から帰る。、、、、四ツ木駅はサッカー漫画の「キャプテン翼」にラッピングされている。 ファンにとっては嬉しい駅になったようだ。

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2019年5月24日 (金)

江戸川の富士山

都営新宿線瑞江駅から江戸川区東篠崎の新町商店街入口バス停まで、1万1千歩の散歩です。




●いずこに向かうか? ・・・・・行く先のあてもなく新宿線の瑞江駅(みずええき)で下車した。 東西南北いずれの方向に歩くか、駅前のベンチに座り、ipadに地図を表示しチョイト作戦タイム。 決まった!駅の南に「下鎌田の富士塚」、駅の東に「上鎌田の富士塚」を発見! 『今日の散歩は二つの富士塚を訪ね、その先は足の向くままにしよう』

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●富士山から洗濯物が見える! ・・・・・まずは、「下鎌田の富士塚」のある、江戸川区東瑞江1丁目の豊田神社に来た。

・・・・・・・・・・・・・・・豊田神社は旧下鎌田村の鎮守である。 創建は不詳であるが、天照大御神と経津主命を祀り、もとは神明社といった。 明治の初期に同地にあった別当の長寿院が廃寺となったので、その跡に社殿を建立して「豊田神社」と改称した。

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・・・・・・・・・・・・・・社殿の前には、文久3年(1863)建立、押しつぶされたような顔の狛犬がいる。、、、、この顔で150年程前から神社を守っている、たまには笑ったら!

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・・・・・・・・・・・・・・社殿奥に、「下鎌田の富士塚」を見つけた。、、、、高さは3m弱、全面が殆ど溶岩で覆われ、正面には「く」の字形の登山道が作られ、中腹に石祠が祀られている。 塚の背面は大沢崩れを模したような所もあり、手が込んでいる。 この塚は下鎌田村の下鎌田割菱八行講が大正5年(1916)に築いたもので、講は現在も続いており、7月1日の山開き、8月28日火祭りなども、行われているそうだ。、、、、遠く下界の洗濯物が見える富士山は、多くの登山客を呼び寄せることができるか?

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●富士山に銀婚記念碑! ・・・・・豊田神社から北東へスタコラサッサ! 南篠崎町2丁目へ。、、、、南篠崎天祖神社は祭神に天照皇太御神を祀り、伊勢神宮の東葛西領上鎌田村の御厨として鎮座した。 神殿秘蔵の記録によると、文化14年(1817)に奉納再建し、社名を鎮守神明大神宮と称し、西光寺住職により遷宮された。 明治6年(1873)、社号を天祖神社(村社)に改正した。、、、、現社殿は昭和40年10月、東京オリンピックを記念に氏子の総意により、鉄筋コンクリート神明造りの社殿に改築した。

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・・・・・・・・・・・・・・・社殿前には、ビックリ・シャックリ・ドッキリする、タイガース(?)塗装のトラではなく狛犬がいた。 バンクシーでも描けないようなこの狛犬、いたずらではないようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・社殿奥に「上鎌田の富士塚」がある。、、、、明治19年(1886)上鎌田村丸星講の人々によって築造された、小規模で、高さ約1.5m 位の富士塚。 頂上には祠があり、また途中にもいくつかの祠が見られる。 麓にあった力石は、近年まとめて移設された、この時、富士塚の築造石が発見され、明治19年の築山だということが判明したそうだ。 また、塚には大正14年(1925)の大正天皇銀婚記念碑も建てられている。

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●400年、立ちっぱなしの地蔵さん ・・・・・天祖神社から300m程南、江戸川区の東の縁を半周する篠崎街道に出る。、、、、南篠崎町1丁目に真言宗豊山派の西光寺がある。 西光寺は薬王山蓮華院と号す。 創建は永正2年(1505)、、、、山門前には、万治3年(1660)の銘がある地蔵菩薩立像が祀られている。

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●東京都最東端の商店街! ・・・・・・篠崎街道を北東に歩き下篠崎町に入ると、おそらく東京都最東端の商店街と思える「篠崎新町商店街」がある。 店舗がズラリと並び、同業が競う程の大きな商店街ではないが、一通りの店舗が揃っており、日常の生活に不便を感じるほどのことはなさそうだ。、、、、只今、午前10時、店は半分ほど開いた!
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・・・・・・・・・・・・・・新町商店街を突き抜け江戸川岸に平成の時代に造られた、東京都の最東端に位置すると思われる都営アパートがある。 「東篠崎一丁目第2アパート」は、全10棟(625戸)の団地である。、、、、団地の最寄り駅は新宿線の瑞江か篠崎。 その駅まではバスで出る以外ない、チョイト、アクセスに不便を感じるね!

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・・・・・・・・・・・・・・篠崎新町商店街入口に祀られている「六斎地蔵尊」、、、、六斎地蔵尊は、天和2年(1882)、江戸幕府第五代徳川綱吉の時代に造立された。 江戸川区内では、最も古い地蔵像の一つである。 無量寺別院旧六斎の本尊仏であって、当所には昭和40年(1965)に下篠崎町会会館隣りの六斎堂から遷座、開眼供養が行われた。

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・・・・・・・・・・・・・・篠崎街道にある「新町商店街入口」バス停、、、、ここからは、JR総武線の小岩駅、新小岩駅行きのバスがある。 また都営新宿線の瑞江駅、篠崎駅に行くバスもある。 いずれにせよ、バスが唯一の交通機関。 自家用車と自転車、自前の足を利用する人は勝手にしたら!、、、、私も、今日の散歩はココまで! バスで帰ることにした。

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2019年5月22日 (水)

緋牡丹に会いに東照宮へ

私のスケジュールは、今だに10連休の余波が続いている。 何かと言えば、医療機関の診察が全て10連休明けの先週・今週に集中したのだ。 先週は、中野の病院で眼科検診、秋葉原の病院では心臓血管外科の検診、ご近所のクリニックで整形外科の検診とリハビリ。 今日は、上野の病院で泌尿器科の検診と、飯田橋のクリニックで循環器内科の検診、明日は再びご近所の整形外科。 さらに“おまけ”で、10連休中は予定外の風邪でダウンし、ご近所のクリニックで診てもらった。 散歩に出るより、病院通いのほうが多いようだ! 幸い、どこの医療機関でも“異常なし”と言ってくれるが、必ず次回の予約をさせられ、“またのおこしをお待ちしてます”とカモにされているのかも?

朝8時に家を出て、上野の病院で朝一の診察を受けた後、上野東照宮へ行ってきた。 9千歩の散歩。




●上野に来た、日米の軍人 ・・・・・・・・・・病院を後に上野駅を抜けて上野公園に出ると。 平日の朝にもかかわらず、ゾロゾロ駅から美術館・動物園に向かって歩く人・人・人。 子供の姿は見えず、暇な中高年ばかり、しかも女性が多いね!、、、、私も暇な人間の一人で、東照宮の看板が目に入る。 そうだ「牡丹の東照宮」に行ってみよう! チョイト小股が切れ上がった『緋牡丹のお竜』姐さんに遇えるかも!、、、、ここで問題。「小股」とはどこのこと?(答えは、ブログを最後まで読んで!)

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・・・・・・・・・・・・・・東照宮参道の鳥居前に「小松宮彰仁親王銅像」がある。 なぜここにあるの?、、、、小松宮彰仁親王(こまつのみやあきひとしんのう、弘化3年(1846)1月16日~明治36年(1903)2月26日)は、日本の皇族、陸軍軍人で、彰義隊の上野戦争時の官軍征討総督だった。、、、、戊辰戦争に従軍した後、明治10年(1877)、西南戦争の負傷者救護団体として、博愛社が創立され、その総長に就任した。明治20年(1887)、博愛社が日本赤十字社と改名すると、総裁として赤十字活動の発展に貢献した。、、、、今日(22日)、皇后雅子さまは、日本赤十字社の名誉総裁として赤十字全国大会に出席されたが、総裁の座はこの当時から皇族が務めていたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・小松宮彰仁親王銅像の後ろに、昭和4年(1929)に建てられたグラント将軍植樹碑がある。 グラント将軍は南北戦争時代の北軍の将軍で、南軍のリー将軍と並ぶ有名な将軍。、、、、明治10年(1877)から約2年間、グラント将軍は家族同伴で世界を周遊した。 その際、来日し、明治12年8月25日、上野公園で開催の大歓迎会に臨み、将軍はロウソン檜、夫人は泰山木を記念に植えた。 碑は、正面に将軍の胸像を刻み、左右に和文、英文で、将軍の略歴・日本滞在中の歓迎の模様、植樹の由来を記している。、、、、南北戦争と言えば、私には、ジョン・ウェインが主演した西部劇「黄色いリボン」、「アパッチ砦」の時代である。 その頃、家族同伴の世界旅行とは贅沢であり、危険であり、勇気のいる行動だったであろう。 スゴイ!

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●緋牡丹のお竜に会えず、昇り龍と降り龍を拝見! ・・・・「ぼたん苑」を期待して来てみたら春の開園は先週までで閉苑していた。 “小股の切れ上がったお竜さん”にも会えず、残念無念また来年!、、、、じっくりと東照宮を拝観することにした。

・・・・・・・・・・・・・・まずは、東照宮の正面に延びる表参道の大石鳥居。 盤石の基礎工事により、安政の大地震にも、関東大震災にもビクともしなかった御影石の鳥居である。 この鳥居は、寛永11年3代将軍家光が上洛の折、西の丸で火災があり、留守居の老中酒井忠世は責任を感じ寛永寺に蟄居謹慎したが、家光の逆鱗に触れ失脚した。 そのためか天和年間(1681~1684)に解体され土中に埋められてしまった。 7代の末裔忠知が、100年後の享保19年、先祖の建てたこの大鳥居を、幕府の許可を得て土中より掘出し清掃研磨、改修整備し再建したした。、、、、国指定重要文化財。

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・・・・・・・・・・・・・・大石鳥居をくぐると、水舎門(みずのやもん)が見える。 水舎門は慶安4年(1651)阿部重次が建築奉納したもので、本来は門ではなく、社殿右前にあった御水舎の屋根だけを、昭和39年(1964)に移して門の屋根とした。、、、、国宝かと思ったが、価値は低そうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・水舎門をくぐると、参道の左右に石灯籠が並んでいる。 200基以上あり、ほとんどが現在の社殿の建築の年、慶安4年(1651)に諸大名より奉納されたもの。 大きいものは、寛永8年(1631)に佐久間勝之より奉納されたもので、高さ6.8m程である。、、、、200基あれば、家庭のインテリアに1基ぐらい無くなっても判らないかも? 

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・・・・・・・・・・・・・・石灯籠が並ぶ参道の南側に「ぼたん苑」がある。 参道に面したぼたん苑の出入口は閉ざされていた。

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・・・・・・・・・・・・・・石灯籠の後ろ、柵の中に五重塔が見える。 旧寛永寺五重塔(重要文化財、=旧東照宮五重塔)である。 寛永8年(1631)建立の初代の塔が寛永16年(1639)に焼失した後、同年ただちに下総・古河城主 土井利勝によって再建された。 現在、塔は上野動物園の敷地内にあり、所有者は東京都である。、、、、初代の五重塔はもともと上野東照宮の一部として建てられたが、明治になってから神仏分離令により、塔は東照宮から寛永寺の所属となり、さらに昭和33年(1958)に同寺より東京都に寄付され(塔が動物園の敷地内にあるため)、現在では上野公園の管理下にある。、、、、塔を拝観したい人は、拝観料ならぬ入場料を払い動物園に入園する。 帰りにはパンダを只で見ることができる、おまけ付き!

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・・・・・・・・・・・・・・・石灯籠の奥には、諸大名から奉納された48基の銅灯籠がある。 灯籠は劣化がひどく痛々しいものもあるが、国指定重要文化財だ。、、、唐門両側に3基ずつある6基の銅灯籠は、紀伊・水戸・尾張の徳川御三家より寄進されたもの。

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・・・・・・・・・・・・・・参道正面に慶安4年(1651)の造営の唐門(国指定重要文化財)がある。 正式名称は唐破風造り四脚門である。 柱内外の四額面には左甚五郎作の昇り龍・降り龍の彫刻がある。 室町桃山時代の技術を集大成したものと云われている。、、、、日光東照宮の陽明門と比較しては失礼に当たるかも?

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・・・・・・・・・・・・・・ 菱格子の向こう側が透けて見えるので、透塀とよばれている拝殿をぐるりと囲う塀。 慶安4年(1651)造営。 こちらも国指定重要文化財。 上段には野山の動物と植物、下段には海川の動物の彫刻が内外両面に200枚以上、色鮮やかに生き生きとした表現で彫られている。

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・・・・・・・・・・・・・・慶安4年(1651)に造営された、拝殿、幣殿、本殿で構成される権現造りの社殿。 国指定重要文化財。 文化財保護の為と社殿内は非公開となっている。、、、、金色の社殿は、ぜひ中を見てみたいね!

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・・・・・・・・・・・・・・東照宮から階段を下り不忍池の方に向かう参道がある。 この参道の階段下に、明治6年(1873)、江戸城内紅葉山東照宮より移築した不忍口鳥居がある。 御影石で造られた大きな鳥居だ。、、、、この鳥居の足元(〇印)には、明治時代の水準測量に使用した“不”の字に似た几号水準点が残されている。 この水準点、現在は使用されていない珍しいもの。

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●「小股」を“おまた”と読むな!・・・・・“おまたの切れ上がった”と読むと、チョイト卑猥だね。、、、、「小股の切れ上がった」とは、「スタイルがバツグン」、「凛とした態度」、「色っぽい仕草」などを感じさせる言葉。 ところで、女性の「小股」とは、イロイロな説があるらしい。 主な説を紹介すると、、、、①「うなじ」を指す。(女性の綺麗なうなじは色気ムンムン。 私はこの説をいままで信じてきた!)  ②そのものズバリ「股」を指す。(女性の股は見るのが難しいね?)  ③「脚」を指す。(着物の裾から、チラチラ見える部分、色気を感じるところだ!)  ④「足首」を指す。(世の中には、足首フェッチもいるからね!)  ⑤特定の場所ではなく、女性の動作・仕草を指す。(“小股”の二字と結びつけるが難しそうだ!)、、、、どうやら、これが正解と云えるものはないそうだ!

2019年5月17日 (金)

お鼻ピクピク花電車

上野から並行して北上する京浜東北線(近距離電車)と東北本線(中・長距離列車)は、西日暮里駅を過ぎると両線の間の距離を広げ、京浜東北線は田端駅・上中里駅を通り王子駅に向かう、東北本線は尾久駅を通り王子駅付近で京浜東北線と交差し再び並走する。 この両線が広がった間には、北区上中里2丁目と同区栄町の町がある。 またJRの尾久車両センターもある。 今日は上中里駅周辺の東北本線を横断する、地下通路、踏切、跨線橋を見てきた。 上中里駅で下車し、上中里2丁目・栄町を歩き尾久駅へ。 尾久駅からは都電荒川線の小台停留場まで歩いてきた。 9千歩。




●電車ギュウギュウ、駅ガラガラ! ・・・・・上中里駅は京浜東北線の駅で、昭和8年(1933)7月1日に開業した、島式ホーム1面2線の地上駅。 出入口(改札)はホーム南端の橋上駅舎に一か所あるのみ。 当駅は23区内のJR駅の中で利用客数が、越中島駅(京葉線)に次いで少なくワースト2。 乗降客数は一日平均1万5千人程。 駅は武蔵野台地の斜面部分にあり、駅の南西側は台地上に出る、北東側は駅外の跨線橋を渡り台地の下にでる。、、、、今日は台地下の上中里2丁目の町を歩く。

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●幹線道路から外れた静かな町 ・・・・・・上中里2丁目を歩く

・・・・・・・・・・・・・・跨線橋を渡り終えると線路脇の道路沿いに上中里庚申堂がある。 祠に入った庚申塔以外にも、寛文5年(1655)の年代が読めるものなど、数基の庚申塔がある。

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・・・・・・・・・・・・・・駅から細い裏道を歩く学生らしき人の列が、目に入る。 外人も多い。 これは何だ? しばらくすると、最近ニュースで名が知れた大学の建物へ入っていく。 納得、留学生だった!

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・・・・・・・・・・・・・・どこも、一車線一方通行の道。 車も少なく静かな町。

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●見晴らしバツグン跨線橋! ・・・・・・東北本線(中・長距離列車)の線路を横断する地下道・踏切・跨線橋。 王子寄りから順に・・・・

・・・・・・・・・・・・・・まずは、栄町にある広町地下通路。 後述する梶原踏切から王子駅側に250m程寄った処に地下通路はある。 鉄筋コンクリート造の出入口で、通路幅も狭い。 通路の両出入口は線路脇にあり、どちらも人通りの少ないと思われる場所にある。 夜は痴漢・強盗にご用心。、、、、名称「広町」の由来は不明。 地下通路の完成年度も?

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・・・・・・・・・・・・・・・次は、一般車両の横断も可能な梶原踏切。 通勤時間帯は、都内にある踏み切り同様、開かずの踏み切りとなるので、すぐ横に、両端のエレベータで上下し、人が渡ることのできる跨線橋「上中里さわやか橋」がある。 お年寄りは跨線橋を利用して横断しよう!、、、、跨線橋からは尾久車両センターも見渡すことができる。 京浜東北線の頭上を走る東北新幹線も遠望できる。 鉄道オタクには、嬉しい跨線橋。

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・・・・・・・・・・・・・・・3番目は、尾久車両センターを横切る長~~い地下道、その名は「尾久構内架道橋」。 “地下道”なのに“架道橋”とは是如何に? 鉄道用語で、線路の下を抜ける通路をガードと呼び、「架道橋=ガード」である。、、、、尾久構内架道橋は上中里2-5付近から車両センターの下にもぐり、尾久駅の脇に出る、全長約150mのお地下通路。 通路の途中には、施錠されているが車両センターの構内に出られる鉄扉がある。

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・・・・・・・・・・・・・・尾久駅は昭和4年(1929)6月20日開業した。 駅の所在地は北区昭和町、地名の尾久(西尾久、東尾久)は荒川区にある。 読みも、駅名は“おく”、地名は“おぐ”。 ややっこしい~

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●お鼻ピクピク花電車 ・・・・・・荒川区西尾久5丁目の町を抜け、都電荒川線小台停留場付近に出た。 軌道の両側にはバラが見事に咲いている。、、、、香りも期待し、鼻をピクピクしてみたが、鼻づまりなのか匂わない。 バラの匂いが漂うと、より嬉しかったが、チョイト残念だ!、、、、今日は都電に乗って帰る!

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2019年5月15日 (水)

あなたのやさしさが 恐かった

朝一の8時半に、中野の病院で眼科検診。 本日最初の患者です。 右目の炎症は完治し、『次回は一年後の来年5月に検査しましょう』と、嬉しいお言葉を頂戴して病院を出る。 心晴ればれ、天気も上々、帰りは中央線大久保駅まで歩いてきた。 1万1千歩。




●6年後に完成? ・・・・・朝8時、青空の中野駅前。 これから電車に乗る人、電車から降りてきた人、互いに入り交じり駅前は人の渦。、、、、駅前の混雑解消、利便性向上を狙い、駅西側(区役所、サンプラザ前)で南北連絡通路新設、中野駅西口改札新設、5階建ての駅ビル建設などの工事が始まっている。 完成は令和7年.(2026)らしい。 この間の、令和4年頃、中野区役所(写真:中央)が現在地の北側に新築移転し、令和5年頃に中野サンプラザ(写真:右端)は解体されるそうだ。

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●東中野方面に向かいスタコラサ! ・・・・・・・診察を終え、早稲田通りを東へ歩く。 中野駅前付近では、飲み屋街の細い裏通り、新井薬師への参道など、歩いてみたい道もあるが、今日は無視。 しばらく早稲田通りを歩き、途中から住宅街の裏道を歩くと、打越天神北野神社にでた。

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・・・・・・・・・・・・・・打越天神北野神社は、中野区中野5丁目にある北野神社。 神社の創建年代は不詳。 「打越」とは、昭和初期までのこの辺りの一帯で呼ばれていた地名。 また、現在の中野5丁目の東側は昭和41年(1966)まで、この神社を由来として天神町と呼ばれていたそうだ。、、、、境内は盆踊りできる広さがあるが、樹木は少なく、社殿・神輿庫の他はなにもない境内で、チョイト味気ない!

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・・・・・・・・・・・・・・東中野3丁目で明大付属中野中・高等学校前に出た。 学校前の中央線に架かる跨線橋から、嬉しそうに電車を眺める。、、、、私も70歳を過ぎ、電車・線路を見ると撮りたくなる、鉄オタの変な親爺になってしまった!

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●都会の美しい煙突! ・・・・・・・・・・東中野駅前を通る山手通り、その地下には首都高中央環状線の山手トンネルが走っている。 山手トンネルは渋谷・新宿・池袋を結ぶ11kmの路線であり、周辺環境への配慮からトンネル構造が採用された。 そのため、沿線に7箇所の地下換気所と高さ45mの換気塔を14本が、山手通りの中央分離帯に建設された。 東中野2丁目では、その内の2本の換気塔を見ることができる。 塔は、「圧迫感の低減」「周辺景観との調和」「時の移り変わりに配慮」されたデザインが採用された。 一辺が3mの六角形平面で出隅部に面違いを設け、さらに外壁面には斜めリブを設け、光と影の変化を与えた、高さ45mの塔である。 この塔は、2008年度グッドデザイン賞を受賞。、、、、都会にあって、その景観と調和したデザインで、私も大いに気に入っている塔である。

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●中野の鎮守さま
・・・・・東中野1丁目に中野氷川神社がある。 当社は、長元3年(1030)源頼信が平忠常討伐の際に武蔵国一宮・大宮氷川神社より勧請し祠を建立したことに始まる。 文明9年(1477)には、太田道灌が豊島泰経・泰明兄弟討伐の際に当社で戦勝祈願し、凱旋後社殿を造営した。 旧中野村の総鎮守社である。、、、、現社殿は、鉄筋コンクリート造/権現造りで、50年前の昭和44年(1969)に総工費5000万円で竣工した。、、、、境内には歴史を語る、安政6年(1859)の敷石供養塔をはじめ、力石、鍋屋勘右衛門寄進の石鳥居などが、木立のなかに点在している。

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●やさしさが恐かった ・・・・・・・・・・・・・中野氷川神社の前から、大久保通りを東に進むと神田川にかかる「末広橋」がある。 橋の際にある遊歩道横の公園の植え込みの中に、1970年代の名曲:かぐや姫の「神田川」(作詞:喜多條忠、作曲:南こうせつ)の歌詞碑がある。、、、、「昭和」の匂い漂う唄。 唄われた「二人で行った横丁の風呂屋」は、この末広橋からもう少し下流の西早稲田3丁目にあったそうだ。 「三畳一間の小さな下宿」は何処だ!、、、、「若かったあの頃 何も恐くなかった ただあなたのやさしさが 恐かった」、いい文句だ! 私も、女房に一度言ってみたいね!

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●韓国の大久保駅 ・・・・・・・・・・・・明治28年(1895)5月5日、甲武鉄道の駅として開業。 島式ホーム1面2線の高架駅で、出入口は南口と北口の2カ所ある。、、、、大久保は日本の中の韓国で、駅周辺には韓国料理店が多い。 タイ料理屋、アジア系料理店も多いね! あっ、ラーメン屋も多いね!

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2019年5月13日 (月)

今はなき今川家の菩提寺

西武新宿線上井草駅から南下し、今川氏の菩提寺観泉寺を訪ね、中央線荻窪駅まで、1万歩の散歩です。




●寝むりたくなる腰掛のある駅 ・・・・・・・・・・・・・上井草駅は、昭和2年(1927)4月16日西武村山線(西武新宿線の前身)の高田馬場~東村山間の開通と同時に開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 それぞれのホームは完全に独立していて、跨線橋がないため双方の行き来はできない。 それゆえ、駅舎は上下線それぞれ別で、下り側が南口、上り側が北口で、駅事務室も双方にある。 乗降客は少なく、朝の下りホームは人影もまばら。 さすがに、上りは多いね!、、、、木造のホーム上屋に長~~いベンチ式の腰掛、のんびりした気分になれ嬉しいね。

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・・・・・・・・・・・・・・【うわさ話】 西武新宿線では、上井草駅をはさむ井荻駅~西武柳沢駅間の5.1kmを高架線にして、19カ所の踏切りを解消する高架化工事が計画されているそうだ。、、、、私が生きている間に完成するか?



●バス通りを歩く ・・・・・・・・・・・・上井草駅から駅前のバス通りを荻窪駅に向かい南下する。 私にはゴチャゴチャした裏道が無いのが残念であるが、この辺りは直線道路ばかりで方向感覚はしっかり掴め歩きやすい。

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・・・・・・・・・・・・・・旧井草川の跡が遊歩道となっている。、、、、今やセイタカアワダチソウに負けず、爆発的に勢力範囲を拡大している雑草「ナガミヒナゲシ」がここでも侵食していた。 ポピーに似た可愛いオレンジの花で、“雑草”と云っては失礼にあたるかも。 でも、地中海原産のこの花、精力絶倫で一つの果実に約1600粒の種子が内包され、風に乗ってばら蒔いているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・上井草2丁目のマンション入口脇に、聖観音塔と庚申塔が祀られている。 いずれも、この付近にあった塔で、区画整理のため大正14年(1925)にこの地に移したものだ。 向って右側の聖観音は「富士向観音」の名で親しまれたもので、寛延2年(1749)の造立。 左側の庚申塔は、享保7年(1722)の造立。、、、、何処の誰かさんが、掃除・献花・供養しているようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・早稲田通りを横断し、杉並区今川の町に入る。 「今川」の地名は、“今川”なる川、“今川村”なる村があったわけではない。 この地は江戸時代から上井草村の一部であった。 そこには、今川氏の菩提寺である観泉寺があった。 昭和7年(1932)の住居表示にて観泉寺を中心とする一画が「今川町」となった。 昭和39年(1964)の住居表示では今川町を含む広い範囲で、“町”のとれた「今川」となった。、、、、この時、祝儀に配った餡入りの饅頭が“今川焼き”である。 コレ、本当の嘘! 

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●一度は参拝したい凄い寺 ・・・・・・・今川2丁目の宝珠山観泉寺は曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来である。 戦国時代、桶狭間で織田信長に敗れた名門今川氏ゆかりの寺。 慶長2年(1597)今の下井草二丁目付近に開山創建され、観音寺といわれていた。 正保2年(1645)今川13代直房は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤め、その功により井草村など三か村五百石の加増をうけた。 これを機に、当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とした。 その後万昌院(現中野区)から祖父氏真の墓所を当寺に改葬した。、、、、私がこの寺を訪れるのは4回目であるが、来るたびに感心させられるのは、緑の多い広い境内だが隅々まで手入れが行届き美しい、さらに小鳥のさえずりが聞こえる静けさがあり、都内の住宅地にある寺院とは思えない。 一度は参拝したい寺だ!

・・・・・・・・・・・・・・門前町を感じさせる、広い周囲の寺域を抜けると山門が迎える。 山門をくぐると、緑がより広がり正面に本堂がある。
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・・・・・・・・・・・・・・本堂の左に観音堂、右に鐘楼

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・境内には誰も居らず小鳥だけ。 芝の緑と、苔の緑が競う庭。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・駿河・遠江・三河を統一し、天下に号令しようとした今川義元が、永禄3年(1560)桶狭間の戦いで織田信長に敗れ、討死した。 その後、今川氏は3ヶ国を維持できず領国を武田・徳川・北条らに奪われて滅亡した。 子孫は代々高家として江戸幕府に仕え、上・下井草・鷺宮などを所領に持ったが、維新後最後の当主は子孫を残さぬまま行方不明となり絶家した。 観泉寺には今川家の菩提寺として、義元の子氏眞以降の当主、一族の墓が祀られている。 現在墓域は都の旧跡として、維持管理は都が受け持っている。 墓は20基程あるが、形も様々な、小ぶりの墓である。

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・・・・・・・・・・・・・・観泉寺には、山門前、墓地などに、苔をかぶった多くの石仏、石塔などが残されている。

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●チョックラ手を合わせて帰る ・・・・・・・観泉寺からさらに南下し、青梅街道沿いの荻窪八幡神社に寄って、荻窪駅に向かう。

・・・・・・・・・・・・・・荻窪八幡神社は、第59代:宇多天皇の寛平年間(889~898)の創建。 永承6年(1051)に、鎮守府将軍:源頼義が奥州東征の折この地に陣し戦捷を祈願した。 康平5年(1062)の凱旋では、八幡神を勧請し武将を拠らしめた。 神社の境内は約2,600坪の広さを有し、チョットした森となっている。 姿を拝めない本殿は明治28年(1895)、回廊に囲まれた拝殿は昭和11年(1936)に建てられた。 回廊と神門は昭和43年(1968)の造営である。

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・・・・・・・・・・・・・・荻窪駅に到着!

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2019年5月11日 (土)

惚けて渡った新田橋

なぜか私を狙い撃ちしている“風邪”。 いまだに治らず、歩いていても時折ティッシュの世話になる。 今日の散歩は東十条駅で下車し、豊島橋、江北橋を渡り、日暮里舎人ライナー江北駅まで歩くつもりで家を出た。 東十条で下車し、予定通り歩きはじめたが、途中、どこで間違えたか新田橋、鹿浜橋を渡り、西新井薬師西駅までの散歩になった。 そろそろボケが始まったのか? 1万3千歩




●演歌の商店街 ・・・・・東十条駅北口(橋上駅舎)から京浜東北線の東側に出ると、駅前と北本通りを結ぶ「東十条銀座商店街」が伸びている。 早朝の商店街はどの店も営業準備中。 足早に駅へ向かう人とすれ違う。

・・・・・・・・・・・・・・平日でも乗降客の少ない東十条駅、土曜の朝は閑散としている。 駅隣の留置線(下十条運転区)では、出番のない電車が待機中。

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・・・・・・・・・・・・・・北口正面には、万国旗で迎える「東十条商店街」が伸びる。 近頃少なくなった万国旗の飾り付けは、やはり下町の昭和レトロ商店街を感じさせる。 ところが商店街を歩いて判った、この付近、東南アジア系、南アメリカ大陸系の人々が多く定住し、まさに万国旗がふさわしい飾り付けの商店街だった。

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・・・・・・・・・・・・・・商店街の中程に、演歌専門のレコードショップがある。 こちらの店頭では、年に200回程、演歌歌手による「唄とサイン会開催」が開かれている。、、、、何年か前、ビール箱の上で歌う水森かおりを拝見したこともあった。 いまでは、ご当地ソングの女王となり、チョイト近寄れないかな? でも、応援してます!

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・・・・・・・・・・・・・・レコードショップとは商店街を挟み反対側のビルの中に「見守地蔵尊」が祀られてい。 戦争で焼け野原になった後、平和を願い上野の寛永寺より譲り受けたお地蔵様。 レコードショップに来た演歌歌手により奉納された堤灯が並び、そこには、有名になった歌手の名前をみつけることができる。、、、、丘みどりは私も好きだ、杜このみは可愛い娘、大沢桃子は浅香光代のお弟子さん。

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●・・・・・・・・・・・・・王子・王子神谷・志茂・赤羽岩淵の順に地下に東京メトロ南北線を通す「北本通り」にでた。

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・・・・・・・・・・・・・・南北線王子神谷駅出入口(庚申通り商店街入口)の脇、屋根の下の祠に「庚申塔」が祀られている。 祠の中は暗くて見えずらいが、かろうじて板碑型の塔の一部が見えた。 説明文によると、中央に「奉供養庚申二世成就所」、右に「武州豊嶋之郡馬場村」、左に「寛文九己酉天十月吉日」の彫があるそうだ。、、、、庚申塔を大切にするのは良いことだが、見えないと面白くないね!

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●中世の豪族:豊島氏が建てた寺 ・・・・・・庚申通り商店街を抜けると北区豊島7丁目、真言宗豊山派の医王山清光寺にぶつかる。 清光寺は、豊島清光が開基となり創建、鎌倉期は大寺でしたが、太田道灌との戦いに敗れた豊島泰経とともに衰退、戦国時代末期の豊島明重が再興した。、、、、寺の裏には、かつて「馬場の渡し」と呼ばれた、隅田川の渡し船があったそうだ。 「新田橋」ができ廃船となった。

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●木製にあらずコンクリート製 ・・・・・・・・・・・・清光寺の裏(北側)に、北区豊島と足立区新田を結び、隅田川に架かる「新田橋(しんでんはし)」がある。 橋長:114.0m、幅員:9.0m、昭和36年(1961)3月に竣工した5径間単純鋼桁橋。 木橋時代の橋脚をデザインした珍しい橋である。、、、、今日の散歩は、この橋を渡ることは考えておらず、清光寺から東へ向かい豊島橋・江北橋を渡るつもりであった。 ところが、惚けたか? そんなことは頭の中からすっ飛び、新田橋を渡ったため、この後鹿浜橋を渡ることとなった。 どうせ散歩、右だ左だ、東だ西だ、どうでもいいや!
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●なぜか、暑い! ・・・・・・新田橋を渡りチョイト歩くと、荒川に架かる環状七号線の鹿浜橋である。南岸の足立区新田と北岸の足立区鹿浜をつなぐ橋として、昭和40年(1965)に開通した。 橋長は451.3m。、、、、橋を渡っている頃の気温:22℃であったらしい、暑くて、風邪が悪化し熱が出たのかと心配になる。 橋を渡り、鹿浜の交番で寒暖計を見て、チョイト安心したね!

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●環七通りを行く! ・・・・・・鹿浜橋を渡ると、環七通りをひたすら歩き日暮里舎人ライナー西新井大師西駅を目指す。

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2019年5月 9日 (木)

外の空気を吸いに・・・

風邪薬が効いてきた、まだ時折ゴホンゴホンとするが、頭も冴え目もパッチリ声枯れも治り、美人が美人に見える、手足はムズムズ動き外に出たい。 15時過ぎに浅草まで、一週間ぶりに歩いてきた。



●歩行練習? ・・・・・・・・・ゴールデンウィークが終わり、人出は少なく、観光客の多くは外人。 外人さんも、東南アジア系は少なく、欧米系の人が目立ったね。 令和初の浅草寺参りは、賽銭を奮発し手を合わせてきた。 新仲見世の商店は、稼ぎ疲れたのか(?)今日は、休みの店もある。(私が買いに来た帽子屋も休業していた。)

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●Good Night! ・・・・・・明日には風邪が治ることを期待して、早寝するか!

2019年5月 8日 (水)

まだ、ゴロゴロ寝てます

令和初の風邪、GW中には治らず、人間の身体は咳・痰・汗・鼻水で満たされていると思うほど、四六時中止まらず。 とうとう昨日、連休明け最初の患者として近所の医者に診てもらった、「もうすぐ治りますよ!」と5日分の薬を貰い、寝床でゴロゴロ病気療養中。 一刻も早く社会復帰して散歩に出たいのだが、『まだ、ダメだ!』

Tanuki

2019年5月 4日 (土)

令和初の病は・・・

令和2日目、川口に行ってそのブログを書いていた夜、なんとなく寒気がした。 翌3日、空気は乾燥し喉が痛い、イテテノテ! コリャ風邪だ! 鼻水はタラタラ、ティシュの山ができる。 アリャ大変、医者はお休みだ。 とりあえず、咳と喉に漢方薬「麦門冬湯」を服用。 鼻水には「小青竜湯」、風邪に「葛根湯」。 漢方薬をいろいろ試しているが、治らない。 本日(4日)も治らず、汗ダラダラで寝て曜日。 佳子さまに逢いに皇居へ行く予定もパー。 

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2019年5月 2日 (木)

令和初の散歩は・・・

なにをやっても「令和初の・・」が頭につく、めでたい2日目。 いまにも降ってきそうな空模様の朝、「令和初の雅万歩・・・・ 今日はどこに行くの?」妻の問いに、「電車に乗ってから降りる駅を決めるよ!」と応えて家を出る。、、、、令和初の雅万歩は、川口駅から錫杖寺に寄って、赤羽駅までの1万2千歩となった。(川口は、特に“令和”とは関係なし)



●令和初の宿場は ・・・・・京浜東北線川口駅東口に出る。 駅前のペデストリアンデッキで、どちらに向かうかキョロキョロ、上から眺め「川口本町大通り」を歩くことにした。、、、、「本町」は、かつて川口宿が所在した地で川口の中心街であった。 今は、駅周辺に大きなマンションが並ぶ町だが、過去には発砲事件があったそうだ。 歩いてみると、東南アジア系の飲食・エステ・マッサージの看板が目に入ってくる。

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●令和初の町歩きは ・・・・・・本町とその周辺に残るレトロな建物。

・・・・・・・・・・・・・・W邸、、、、昭和初期頃の建物か? 

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・・・・・・・・・・・・・・某宗教団体の教会だったが今は使われていないようだ。 昭和の建物。

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・・・・・・・・・・・・・・芝貞鋳工所、、、、こちらも古そうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・バーバーオバタ、、、、元は4軒程の長屋だった。 以前は隣りにも似たような長屋の建物があった。

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・・・・・・・・・・・・・・銅板建築の福田屋洋品店旧江嶋屋履物店(右)、、、、昭和11年(1936)頃の建物、、、、店の前の本町大通りの植え込みの中に「川口町道路元標」が残っている。

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・・・・・・・・・・・・・・錫杖寺山門前の本町二丁目会館、、、、町内会の会館にしては立派な木造建物、昭和15年(1940)築。、、、、会館の横に、明治39年(1906)に日露戦争出征兵士の凱旋を祝し、旧川口町の町長以下町民たちによって架設された凱旋橋の跡がある。 現在は、欄干しか残されていないが、石造アーチ型橋の遺跡。

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●令和初の神社は ・・・・・・川口市金山町に鎮座する川口神社。 川口神社は、平安時代の天慶年間(940年頃)、武蔵一の宮大宮の氷川神社より分祀勧請し、「氷川社」と称していた。 川口町の鎮守社で、明治6年(1873)に村社に列格、明治27年天神社を合祀、明治42年に、旧川口町内に鎮座していた天神社、稲荷社(三宇)、金山社を合祀、川口神社と改称した。、、、、都会の神社としては広く緑の多い境内に、多くの祭神が祀られている。、、、、何でも叶えてくれそうな、オールマイティの神社だ!

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●令和初の寺院は ・・・・・本町2丁目にある、真言宗智山派寺院の錫杖寺(しゃくじょうじ)は、宝珠山光照院と号す。 錫杖寺は、養老元年(717)に行基が本堂を建立、自ら地蔵菩薩を刻み本尊とし開基したと云われている。 後、鎌倉長楽寺を開創した願行上人が再興、寛正元年(1460)には、室町幕府八代将軍足利義政により七堂伽藍が整備された。 江戸時代には、徳川家光より寺領20石の御朱印状を拝領、醍醐三宝院直末関東七ヶ寺の一つ、十一談林所の一つとして末寺53ヶ寺を擁していた。、、、、現本堂は、堂々とした鉄筋コンクリート造でチョイト味気ない。

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●令和初の橋は ・・・・・北区岩淵町と川口市舟戸町との間に架かる新荒川大橋。 国道122号(北本通り)を通す。 初代の橋は昭和3年(1928)に開通した。 現在の橋は昭和41年(1966)に開通した2代目で、構造は桁橋で橋長は673.957m、幅員は7.25m。 昭和45年(1970)に平行して新橋を架設し(橋長792m、幅員7.25m)、旧橋を下り線に使用している。 橋は荒川と新河岸川(隅田川の上流)に架かる。、、、、大きな橋は、トラック、バスが横を通ると、かなり揺れるが、この揺れを感じると私の足はすくむのだ。 学生・社会人として、建築・土木に携わってきた私は、理屈では壊れないことを知っているが、高層と揺れには弱く、怖い! 今日は祝日だからか、交通量は少なく橋の揺れも感じることなく渡ることができた。 令和初の恐怖を体験せず、ホットしたね!

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●令和初の壁画は ・・・・・・国道122号(北本通り)が国道311号(環八通り)にぶつかる赤羽交差点の角に、週刊新潮でお馴染みであった谷内六郎の壁画がある。 この壁画のある建物は元「金竜堂書店」という書店であった。 50年ほど前のある日、青山付近を歩いていた書店の御主人が青山の「山陽堂」ビルの壁画(この壁画も谷内六郎の絵)を見て「素晴らしい!ウチの店にも欲しい」と早速新潮社に依頼したものらしい。、、、、この壁画は「砂山」というタイトルで、「週刊新潮」昭和31年5月29日号の表紙絵を元に作成されたもの。 海の絵であるが、ゴク自然に赤羽の町に溶け込み、違和感なく見てしまう絵だ。

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●「令和初」に慣れた! ・・・・・赤羽駅で我が家に“令和初の手みやげ(饅頭)”を買って帰る。(自分が食べたかっただけだけ!)

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