連日ついてない菖蒲!
堀切菖蒲園の感動(?)から三日目、異常に暑い日は過ぎ、今朝は一雨降り、午後は晴れた。 15時過ぎに、夕食前の散歩で小岩菖蒲園に行ってきた。 京成本線江戸川駅で下車し、JR総武線市川駅までの散歩です。
●土手の終着駅! ・・・・・・・・・・・・京成電鉄の歴史は古く、大正元年(1912)11月3日、押上~曲金(現:京成高砂)~伊予田間の開業に始まる。 この時の伊予田駅が現在の江戸川駅である。 駅は江戸川の土手にぶつかるように造られ、開業当時は貨物は伝馬船で、乗客は下流側に架かる市川橋で、対岸の市川(千葉県)に渡ったそうだ。 現在は相対式ホーム2面2線の高架駅で、ホームの端は江戸川土手に隣接している。、、、、特急も、快速も通過し、停車するのは普通のみ、一日の乗降客は6000人程で寂しい駅だ。



・・・・・・・・・・・・・・江戸川駅の東で江戸川に架かる「京成電鉄江戸川橋梁」は、大正3年(1914)に当時千葉にあった陸軍鉄道聯隊の支援を得て、5連のトラス橋(初代)が架けられた。 現在の橋は、昭和54年(1979)に完成した2代目である。 橋長 433.2mの下路ワーレントラス橋。
・・・・・・・・・・・・・・『5月から6月に約50,000本の花菖蒲が咲き誇る』の言葉に誘われて来たが、今日もガッカリ! 50,000本どころか、100本もない! 『カワイイ娘がいます、5000円ポッキリ』に誘われ入店したら、おばあちゃんばっかりで20,000円取られる店と同じ、来なきゃよかった!、、、、青々とした菖蒲田は、初夏の水田のように見える。
・・・・・・・・・・・・・・100本の中から厳選した “カワイイ娘・美しい娘”のプロフィール。




●関所があった旧伊予田村 ・・・・・・・・・・・・・江戸川駅前の南北にとおる道は「岩槻道」。 また駅の南側で岩槻道は東からの「佐倉道」と、西からの「元佐倉道」にぶつかる。 ここ旧伊予田村(現:江戸川区北小岩3・4)は旧道の要所で、関所が置かれていた処である。
・・・・・・・・・・・・・・江戸川駅前の北野神社は旧伊予田村の鎮守。 江戸時代にはこの地にあった稲荷神社と北方の北野神社が明治42年(1909)に合祀され、今の北野神社となった。 祭神には稲荷神社の倉稲魂命と北野神社の菅原道真、それに素戔鳴尊を加えた三柱を祀っている。
・・・・・・・・・・・・・・北野神社の南隣には真言宗豊山派の寶林寺がある。 大秀法印(慶長12年(1607)没)が創建したと云われている。 本尊は不動明王。、、、、門前には寛文10年(1670)の地蔵庚申塔がある。
・・・・・・・・・・・・・・寶林寺の南隣は、日蓮宗の本蔵寺。 寺は、元和8年(1622)浅草新寺町に大雄山本蔵寺と号して創建した。 明治43年(1910)に、当地にあった晴立寺と合併して当地に移転、晴立山本蔵寺と改称した。 また、当地にあった晴立寺は、正保4年(1647)に創建されたと云われている。
●江戸川橋が市川橋に! ・・・・・・・・・・・・・・・・・国道14号(千葉街道)を通し江戸川に架かる「市川橋」。 旧名は「江戸川橋」であった。 現在の橋は、全長399m、2径間鋼平行弦連続ワーレントラス橋。 下り線は昭和38年(1963)、上り線は昭和42年(1967)に、事業費:約14.4億円にて開通した。、、、、江戸時代には佐倉街道上にあり、関所と渡し船が設けられていた。 明治維新後も渡し船による輸送が続けられていたが、国府台に陸軍が設置されると、東京防衛のための役割があるにも関わらず、江戸川に阻まれて東京との陸路が閉ざされているという問題点が生じた。 そのため、明治38年(1905)江戸川最初の木造橋である江戸川橋(現:市川橋)が設置された。 その後、江戸川橋と並行する形で京成電鉄の鉄橋が架けられた。
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