江戸川の富士山
都営新宿線瑞江駅から江戸川区東篠崎の新町商店街入口バス停まで、1万1千歩の散歩です。
●いずこに向かうか? ・・・・・行く先のあてもなく新宿線の瑞江駅(みずええき)で下車した。 東西南北いずれの方向に歩くか、駅前のベンチに座り、ipadに地図を表示しチョイト作戦タイム。 決まった!駅の南に「下鎌田の富士塚」、駅の東に「上鎌田の富士塚」を発見! 『今日の散歩は二つの富士塚を訪ね、その先は足の向くままにしよう』
・・・・・・・・・・・・・・・豊田神社は旧下鎌田村の鎮守である。 創建は不詳であるが、天照大御神と経津主命を祀り、もとは神明社といった。 明治の初期に同地にあった別当の長寿院が廃寺となったので、その跡に社殿を建立して「豊田神社」と改称した。

・・・・・・・・・・・・・・社殿の前には、文久3年(1863)建立、押しつぶされたような顔の狛犬がいる。、、、、この顔で150年程前から神社を守っている、たまには笑ったら!

・・・・・・・・・・・・・・社殿奥に、「下鎌田の富士塚」を見つけた。、、、、高さは3m弱、全面が殆ど溶岩で覆われ、正面には「く」の字形の登山道が作られ、中腹に石祠が祀られている。 塚の背面は大沢崩れを模したような所もあり、手が込んでいる。 この塚は下鎌田村の下鎌田割菱八行講が大正5年(1916)に築いたもので、講は現在も続いており、7月1日の山開き、8月28日火祭りなども、行われているそうだ。、、、、遠く下界の洗濯物が見える富士山は、多くの登山客を呼び寄せることができるか?
●富士山に銀婚記念碑! ・・・・・豊田神社から北東へスタコラサッサ! 南篠崎町2丁目へ。、、、、南篠崎天祖神社は祭神に天照皇太御神を祀り、伊勢神宮の東葛西領上鎌田村の御厨として鎮座した。 神殿秘蔵の記録によると、文化14年(1817)に奉納再建し、社名を鎮守神明大神宮と称し、西光寺住職により遷宮された。 明治6年(1873)、社号を天祖神社(村社)に改正した。、、、、現社殿は昭和40年10月、東京オリンピックを記念に氏子の総意により、鉄筋コンクリート神明造りの社殿に改築した。
・・・・・・・・・・・・・・・社殿前には、ビックリ・シャックリ・ドッキリする、タイガース(?)塗装のトラではなく狛犬がいた。 バンクシーでも描けないようなこの狛犬、いたずらではないようだ。

・・・・・・・・・・・・・・・社殿奥に「上鎌田の富士塚」がある。、、、、明治19年(1886)上鎌田村丸星講の人々によって築造された、小規模で、高さ約1.5m 位の富士塚。 頂上には祠があり、また途中にもいくつかの祠が見られる。 麓にあった力石は、近年まとめて移設された、この時、富士塚の築造石が発見され、明治19年の築山だということが判明したそうだ。 また、塚には大正14年(1925)の大正天皇銀婚記念碑も建てられている。
●400年、立ちっぱなしの地蔵さん ・・・・・天祖神社から300m程南、江戸川区の東の縁を半周する篠崎街道に出る。、、、、南篠崎町1丁目に真言宗豊山派の西光寺がある。 西光寺は薬王山蓮華院と号す。 創建は永正2年(1505)、、、、山門前には、万治3年(1660)の銘がある地蔵菩薩立像が祀られている。
・・・・・・・・・・・・・・篠崎新町商店街入口に祀られている「六斎地蔵尊」、、、、六斎地蔵尊は、天和2年(1882)、江戸幕府第五代徳川綱吉の時代に造立された。 江戸川区内では、最も古い地蔵像の一つである。 無量寺別院旧六斎の本尊仏であって、当所には昭和40年(1965)に下篠崎町会会館隣りの六斎堂から遷座、開眼供養が行われた。
・・・・・・・・・・・・・・篠崎街道にある「新町商店街入口」バス停、、、、ここからは、JR総武線の小岩駅、新小岩駅行きのバスがある。 また都営新宿線の瑞江駅、篠崎駅に行くバスもある。 いずれにせよ、バスが唯一の交通機関。 自家用車と自転車、自前の足を利用する人は勝手にしたら!、、、、私も、今日の散歩はココまで! バスで帰ることにした。
・・・・・・・・・・・・・・篠崎街道にある「新町商店街入口」バス停、、、、ここからは、JR総武線の小岩駅、新小岩駅行きのバスがある。 また都営新宿線の瑞江駅、篠崎駅に行くバスもある。 いずれにせよ、バスが唯一の交通機関。 自家用車と自転車、自前の足を利用する人は勝手にしたら!、、、、私も、今日の散歩はココまで! バスで帰ることにした。