井の頭線 (明大前~下北沢)
台風3号の影響で、今朝6時、東京は曇天である。 台風は小型で、しかも東京には立ち寄りそうもない。 台風一過の晴天を期待して、井の頭線沿線の散歩に出た。 明大前駅から下北沢駅まで、駅間距離はわずか1.9km、途中2駅である。 1万1千歩の散歩です。
●明大前は学生の町 ・・・・・・明大前駅で下車するのは明治大学の学生だけでなく、日大鶴が丘高校、二階堂高校、日本学園高校など高校生も多く、まさに学生の町だ。


・・・・・・・・・・・・・・井の頭線と交差する京王線では、笹塚駅から仙川駅間付近にかけて、道路と鉄道との連続立体交差事業が着工されている。 この事業は、笹塚駅~仙川駅間約7.2kmの区間を高架化することで、25箇所の踏切を除却するとともに7箇所の都市計画道路を立体化し、あわせて側道を整備するものである。 これに伴い、代田橋駅・明大前駅~千歳烏山駅は高架駅となる。 明大前駅では、地下1階の掘割りを走る井の頭線については高架化工事の対象ではないそうだ。、、、、明大前駅部の工事は大成建設+竹中土木により始まった。 駅周辺では工事用地のも確保されている。
・・・・・・・・・・・・・・駅名になった明治大学和泉(いずみ)キャンパス。 ここ和泉キャンパスは文系学部の教養課程で使用している。、、、、なみに、私の母校も明治大学だが、工学部なので、4年間、川崎市の生田キャンパスに通った。 残念ながら、こちらのキャンパスで学んだことはない。 (写真は2日前に撮影)
●チョイト、松原2丁目をブラブラ ・・・・・・明大前駅の南側に広がる世田谷区松原2丁目の町を拝見!
・・・・・・・・・・・・・・京王線沿いに高井戸方向へ歩くと、カトリック松原教会があった。 聖堂は昭和40年(1965)に建てられたそうだ。
・・・・・・・・・・・・・・教会の西側、アパートらしき建物(松原2-16付近)の角にあった石柱。 「靏美ヶ丘」か、「鶴美ヶ丘」か、これは何だ?・・・ 最初の文字は、雨冠に鶴で“靏”、「カク」、「つる」と読むらしい。 地名か? 「鶴美ヶ丘」と云う地名は神奈川県秦野市鶴巻南に存在していたが、ここからは遠すぎる! サッパリ・判らん!
・・・・・・・・・・・・・・菅原神社(松原3)は、寛文5年(1665)に寺子屋を開いていた石井兵助直慶が建立したと考えられている。 松原地域の鎮守社として崇敬を集め、明治期には村社に列格していた。 現社殿は昭和40年(1965)に落成した。、、、、住宅地の中に、落ち着いた神社。

・・・・・・・・・・・・・・松原2丁目の日本学園中学・高等学校の正門奥に1号館の建物が見える。 この建物は、卒業生である建築家:早稲田大教授:今井兼次の設計による昭和初期の建築で、国の登録有形文化財に指定されている。、、、、日本学園は、明治18年(1885)に神田錦町に創立。 昭和11年(1936)に現在の世田谷区松原に移転。 卒業生には、吉田茂、佐々木信綱、横山大観、永井荷風など、著名人、大物がズラリ! ドリフの荒井注も・・・
・・・・・・・・・・・・・・井の頭線の線路脇を歩く。

●窮屈な駅 ・・・・・・東松原駅は、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地上駅、改札はホーム中間の橋上にある。 改札からは、駅西側(吉祥寺方)と東側(渋谷方)の出入口につながる。、、、、狭い構内に無理して造った駅を実感できる!


●隣の駅まで500m ・・・・・・・・・・・・・東松原駅と次の新代田駅までの距離は500m、隣り駅が見えるようで見えない!
・・・・・・・・・・・・・・線路沿いを歩く。 『この先行止まり・・・』の案内が、わざわざ私道持主が、、、、坂道を上がるとナットク! 道路の中央に大木(羽根木1)が、コリャ、自動車は無理だ!、、、、自然保護?




●代田、代田、代田! ・・・・・・・・・・・・・世田谷区の東を南北に走る環七通り、その通り沿いに北から、京王線の代田橋駅、井の頭線の新代田駅、小田急線の世田谷代田駅と、“代田”が紛らわしく並んでいる。、、、、井の頭線の新代田駅は、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の「代田二丁目駅」として開業。 昭和41年(1966)に「新代田駅」に改称。 ホームは掘割内にあり、駅の上に環七通りが通っているため、ホームの一部は道路下にある。 改札口は橋上駅舎として環七通りに面している。 相対式ホーム2面2線の地上駅。