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2019年6月

2019年6月28日 (金)

井の頭線 (明大前~下北沢)

台風3号の影響で、今朝6時、東京は曇天である。 台風は小型で、しかも東京には立ち寄りそうもない。 台風一過の晴天を期待して、井の頭線沿線の散歩に出た。 明大前駅から下北沢駅まで、駅間距離はわずか1.9km、途中2駅である。 1万1千歩の散歩です。




●明大前は学生の町 ・・・・・・明大前駅で下車するのは明治大学の学生だけでなく、日大鶴が丘高校、二階堂高校、日本学園高校など高校生も多く、まさに学生の町だ。

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・・・・・・・・・・・・・・井の頭線と交差する京王線では、笹塚駅から仙川駅間付近にかけて、道路と鉄道との連続立体交差事業が着工されている。 この事業は、笹塚駅~仙川駅間約7.2kmの区間を高架化することで、25箇所の踏切を除却するとともに7箇所の都市計画道路を立体化し、あわせて側道を整備するものである。 これに伴い、代田橋駅・明大前駅~千歳烏山駅は高架駅となる。 明大前駅では、地下1階の掘割りを走る井の頭線については高架化工事の対象ではないそうだ。、、、、明大前駅部の工事は大成建設+竹中土木により始まった。 駅周辺では工事用地のも確保されている。

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・・・・・・・・・・・・・・駅名になった明治大学和泉(いずみ)キャンパス。 ここ和泉キャンパスは文系学部の教養課程で使用している。、、、、なみに、私の母校も明治大学だが、工学部なので、4年間、川崎市の生田キャンパスに通った。 残念ながら、こちらのキャンパスで学んだことはない。 (写真は2日前に撮影)

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●チョイト、松原2丁目をブラブラ ・・・・・・明大前駅の南側に広がる世田谷区松原2丁目の町を拝見!

・・・・・・・・・・・・・・京王線沿いに高井戸方向へ歩くと、カトリック松原教会があった。 聖堂は昭和40年(1965)に建てられたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・教会の西側、アパートらしき建物(松原2-16付近)の角にあった石柱。 「靏美ヶ丘」か、「鶴美ヶ丘」か、これは何だ?・・・ 最初の文字は、雨冠に鶴で“靏”、「カク」、「つる」と読むらしい。 地名か? 「鶴美ヶ丘」と云う地名は神奈川県秦野市鶴巻南に存在していたが、ここからは遠すぎる! サッパリ・判らん!
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・・・・・・・・・・・・・・菅原神社(松原3)は、寛文5年(1665)に寺子屋を開いていた石井兵助直慶が建立したと考えられている。 松原地域の鎮守社として崇敬を集め、明治期には村社に列格していた。 現社殿は昭和40年(1965)に落成した。、、、、住宅地の中に、落ち着いた神社。
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・・・・・・・・・・・・・・松原2丁目の日本学園中学・高等学校の正門奥に1号館の建物が見える。 この建物は、卒業生である建築家:早稲田大教授:今井兼次の設計による昭和初期の建築で、国の登録有形文化財に指定されている。、、、、日本学園は、明治18年(1885)に神田錦町に創立。 昭和11年(1936)に現在の世田谷区松原に移転。 卒業生には、吉田茂、佐々木信綱、横山大観、永井荷風など、著名人、大物がズラリ! ドリフの荒井注も・・・

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・・・・・・・・・・・・・・井の頭線の線路脇を歩く。

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●窮屈な駅 ・・・・・・東松原駅は、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地上駅、改札はホーム中間の橋上にある。 改札からは、駅西側(吉祥寺方)と東側(渋谷方)の出入口につながる。、、、、狭い構内に無理して造った駅を実感できる!

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●隣の駅まで500m ・・・・・・・・・・・・・東松原駅と次の新代田駅までの距離は500m、隣り駅が見えるようで見えない!

・・・・・・・・・・・・・・線路沿いを歩く。 『この先行止まり・・・』の案内が、わざわざ私道持主が、、、、坂道を上がるとナットク! 道路の中央に大木(羽根木1)が、コリャ、自動車は無理だ!、、、、自然保護?

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・・・・・・・・・・・・・・羽根木1丁目にステキなデザイナーズマンションが並ぶ一画がある。 和風の「亀甲新」とモダンな「羽根木インターナショナルガーデンハウス

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●代田、代田、代田! ・・・・・・・・・・・・・世田谷区の東を南北に走る環七通り、その通り沿いに北から、京王線の代田橋駅、井の頭線の新代田駅、小田急線の世田谷代田駅と、“代田”が紛らわしく並んでいる。、、、、井の頭線の新代田駅は、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の「代田二丁目駅」として開業。 昭和41年(1966)に「新代田駅」に改称。 ホームは掘割内にあり、駅の上に環七通りが通っているため、ホームの一部は道路下にある。 改札口は橋上駅舎として環七通りに面している。 相対式ホーム2面2線の地上駅。

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●幻となった廃線跡! ・・・・・・・井の頭線新代田駅と小田急線世田谷代田駅の間には、戦争中から戦後にかけて連絡線(代田連絡線)が引かれていた。 これは、空襲により井の頭線の電車がほとんど消失したために、急遽小田急線から電車を運び込むために用意されたものである。そのため、撤去後もしばらくの間は渡り線が放置されていたが、その後は宅地造成が進んだ。、、、、廃線跡と思われる付近を歩いてみたが、住宅が建ち並び、それらしき痕跡を発見することはできなかった! 
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●西口は地上、中央口は高架下の駅 ・・・・・井の頭線下北沢駅も、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の駅として開業した。 小田急線は昭和2年(1927)に開業しており、6年遅れての開業である。 井の頭線と小田急線は当駅で立体交差し、京王が高架駅、小田急が地下駅(以前は地上駅)となっている。、、、、井の頭線は島式ホーム1面2線を有する高架駅。 吉祥寺寄りのホームの端は地表と同じ高さで、ホームのすぐ脇に踏切がある。 踏切りの近くには西口がある。

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2019年6月26日 (水)

井の頭線 (浜田山~明大前)

井の頭線沿いの散歩も三日目。 今日は浜田山駅から明大前駅まで歩いてきた。 途中大圓寺に寄り道し、1万4千歩の散歩です。




●乗客の質が違うのか? ・・・・・・浜田山駅の出入口は一か所のみ。 電車が到着すると、通勤・通学客で混雑する。 乗る人、降りる人、どちらも、私の住む浅草橋駅(台東区)とはチョイト違うようだ、気のせいか、上品な人が多いように感じる。 “おばちゃん”、“おじちゃん”と呼ぶような人が少ないね!

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●山を見に行く! ・・・・・・地名「浜田山」なる“山”はどこだ?、、、、探してみましたが“山”らしき所はありません。 答えは、江戸時代、内藤新宿の商人:浜田屋が所有する林が近く(現:杉並区浜田山4付近)にあった。 この林の中には、浜田屋の墓地もあり、彼岸の時期などには浜田屋の人が墓参に詣で、その折には村人に銭・菓子が配られ賑わったそうだ。 そこで、村人はこの林を「浜田屋の山」と呼び、「浜田山」となった。 “林”を“山”と呼んだのだ。、、、、現在は林もなく、墓は永福にある理性寺の境内に移された。 
・・・・・・・・・・・・・・浜田山駅から、駅前の商店街、鎌倉街道のホンの一部を歩き、井の頭通りに出る。 浜田山4丁目、井の頭通りに面し「杉並南郵便局」がある。 この郵便局の付近に浜田屋の林があったと云われている。  

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・・・・・・・・・・・・・・井の頭通りから、井の頭線沿いの道に戻り、隣り駅「西永福」に向かう。 線路脇のアジサイは、そろそろ色も茶色に変わり、今年はお終い。

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●モダンな駅だ! ・・・・・・西永福駅は昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業。 島式ホーム1面2線を有する地上駅。、、、、平成20年(2008)に橋上駅舎化工事も完了し、小さいながらも、ユニバーサルデザインによるモダンな駅となった。  

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●隣り駅まで700m ・・・・・・・・西永福駅から隣の永福町駅までは700mしか離れていない。 西永福駅から線路沿いに駐輪場があるが、いずれいつの日か永福町駅まで繋がりそうだ! 駐輪場が切れると、かつての永福町検車区跡が見える。 検車区は昭和41年(1966)に廃止となり、現在は京王バスの営業所として利用されている。

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●またまたモダンな駅 ・・・・・・永福町駅も昭和8年(1933)8月1日の開業。 島式ホーム2面4線の地上駅。 平成22年(2010)より、それまでの地下駅舎に代わって橋上駅舎の供用を開始し、駅ビルも出来、これまたモダンな駅に変身した。、、、、エスカレーターのない総武線浅草橋駅を日々利用する私にとっては、エスカレーターのある駅は羨ましいかぎり。 年寄りには階段はキツイ!、、、、永福町という名の由来は、永福町駅の南400mにある、大永2年(1522)開創の古刹曹洞宗永福寺による。 

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●葵と丸に十 ・・・・・・永福町駅から北へ歩き、杉並区和泉3の薩摩島津家の江戸菩提寺:大圓寺(だいえんじ)に寄った。、、、、曹洞宗寺院の大圓寺は、泉谷山と号し、本尊は釈迦如来坐像。 大圓寺は、慶長8年(1603)江戸赤坂溜池の辺りに徳川家康が開基となって創建した。 寛永18年(1641)伊皿子(港区三田高輪辺)へ移転。 島津家の江戸菩提寺となり、明治維新後、寺院の発展を計り明治41年(1908)当地へ移転した。、、、、山門には葵の紋、本堂には葵の紋と丸に十の字。 ナットク!、、、、大きな寺ではないが、閑静な趣きのある寺である。 墓地には西郷隆盛の娘の墓もあるそうだが、どれもこれも古い墓で、どれがどれやら、サッパリ判らん!

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・・・・・・・・・・・・・・境内には、石像の仁王尊や寛永2年(1625)芝浦の海中から出現したといわれる潮見地蔵尊石像、また島津家の宝篋印塔・六地蔵尊があり、墓地には益満休之助他75名が刻されている「明治元年戊辰の役戦死者の墓」などがある。

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●2社1寺 ・・・・・・大圓寺から井の頭線に戻るついでに、和泉3丁目の2社1寺も訪ねてみた。

・・・・・・・・・・・・・・和泉熊野神社は、文永4年(1267)の創建と伝えられ、江戸期には別当龍光寺で和泉村の鎮守。

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・・・・・・・・・・・・・・和泉貴船神社は、和泉熊野神社の境外末社。 和泉貴船神社は、文永年間(1264~1275)に創建されたと伝えられている。 当社境内にある”御手洗の小池”はいかなる時でも涸れることがなかった湧水で、地名和泉の発祥地と云われている。

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・・・・・・・・・・・・・・真言宗室生寺派寺院の龍光寺は、泉涌山医王院と号す。 龍光寺は承安2年(1172)開創。 もと和泉熊野神社・貴船神社の別当であった。、、、、住宅街のなかに佇む、緑豊かな寺。 紅葉の時期には、綺麗な境内を見ることができるそうだ。 人も少なそうなので穴場かも?

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●・・・・・・・・・・・・・・井の頭線は、明治大学和泉キャンパス脇の切通しを走り、甲州街道の下を抜けて、明大前駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・明治大学の正門前を玉川上水が流れ、井の頭線はその下を抜ける。 そのため、江戸時代に造られた玉川上水を導水管で流し、人道橋も併設した「井の頭線玉川上水橋」が造られた。 ここには4本の線路が敷設できるように設計されていたが、2本は未使用のままだ。 この未使用の部分が、幻の鉄道である「東京山手急行電鉄」の遺構である。

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●チョイト狭いね! ・・・・・・明大前駅は、京王線、井の頭線の接続駅で、両線は当駅で立体交差している。 京王線・井の頭線ともに相対式ホーム2面2線を有し、2階が京王線ホーム、1階が改札口、地下1階が井の頭線ホームの3層構造である。、、、、明大前駅は、大正2年(1913)4月15日、京王電気軌道(現:京王線)の火薬庫前駅として開業した。 その後、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄(現:井の頭線)の西松原駅として開業。 昭和10年(1935)には明大前駅に改称した。、、、、乗降客の増加で、駅全体に手狭感がある。

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2019年6月21日 (金)

井の頭線 (久我山~浜田山)

京王井の頭線沿線の散歩。 一昨日の吉祥寺駅~久我山駅間に続き、今日は久我山駅~浜田山駅まで、4駅間2.7kmを歩いてきた。 1万1千歩




●今日も来ました久我山駅へ ・・・・・朝、久我山駅に降り立ち、“久我山”とは何処だ? チョイト考えたが、よそ者には判らない。 そこで、調べてみた。、、、、「くが」とは空閑地や陸地のことらしく、古くからの地名で、武蔵野の新開地を指す言葉らしい。 江戸時代から明治22年(1889)までは、江戸幕府領久我山村であった。 文化文政時代は64戸、水利は玉川上水、鎮守神は久我山稲荷神社ということらしい。 新開地として村には「農業を営もうとする者は重罪人でも許す」旨の高札が立ててあったとか(?)。

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・・・・・・・・・・・・・・久我山駅では、夏に向け新兵器の試験が行われていた。 水タンクを乗せた台車の上に扇風機を置いて、ミストを発生する新兵器だ? ケッコウ、涼しいね!

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●川と電車に挟まれた遊歩道 ・・・・・久我山駅から隣りの富士見ヶ丘駅の間は、線路の南側に神田川が流れ、線路と川の間には富士見ヶ丘検車区が広がっている。 検車区は150両程の井の頭線全車両を留置する広さがある。、、、、遊歩道の右手には、神田川の清流が流れ、鯉も、水鳥も、見られる。 左手は長いフェンスに囲まれ検車区が続く。 検車区全体を見渡す写真を撮りたいのだが構内には入れず、あきらめた!

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●富士山が見えた駅! ・・・・・昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の富士見ヶ丘駅として開業。 その名のごとく、開業当時は富士山が拝めた駅だったであろう。 現在、駅の所在地は杉並区久我山であり、駅周辺には「富士見ヶ丘」の地名は無い。 ただし、駅の南側に富士見丘小学校と富士見丘中学校などがある。

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●緑豊かな最新の老人ホーム ・・・・・富士見ヶ丘駅の南東(杉並区高井戸西1)にある、高齢者の福祉施設「浴風会」に寄ってみた。、、、、浴風会は、関東大震災のために自活することができなくなった老廃疾者及び扶養者を失った人々の救護を行うため、御下賜金及び一般義捐金を設立資金として、大正14年(1925)に内務大臣の許可を受けて財団法人として設立された。 初代会長は若槻禮次郎である。 当時の内務省によって、90,750㎡のこの地に、本館・入居棟・付属建物合わせて54棟の建物、建坪8,415㎡の施設を設置したのが始まりだ。 浴風会の事業は、養老事業の模範として、また老年医学の発祥として、創立後暫くの間は順調に事業遂行をしたが、第二次世界大戦によって施設建物の大半が軍に接収され、また運営資金も凍結されて、事業は不振を極めた。 終戦に伴い事業施設は、昭和21年(1946)の生活保護法による保護施設として再生復興することとなった。 さらに昭和38年(1963)老人福祉法の施行に伴い、同法による老人福祉施設として事業が運営され、平成12年(2000)の介護保険法の施行を経て今日に至っている。 現在は高齢者医療を専門とする浴風会病院を始め、養護老人ホーム、軽費老人ホーム、特別養護老人ホーム、介護老人保健施設、デイサービス、居宅介護支援事業所、地域包括支援センター等の施設・在宅サービスを運営している。 また、認知症介護研究・研修東京センターや浴風会ケアスクールなどの施設も備わっている。、、、、現在の浴風会施設の大半は平成に入ってから新築されたもので、殆どの建物は緑豊かな木々に囲まれて近代的で大きな建物である。、、、、私もそろそろヨイヨイの生活を考える歳だが、こちらのような環境にある老人ホームに入ることが出来れば素晴らしいかも・・・

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・・・・・・・・・・・・・・新しい建物に囲まれるように、「浴風会本館」と「礼拝堂」が敷地の中央にある。 「浴風会本館」は、東京大学の内田祥三らにより設計されたもので、大正15年(1926)に竣工した。 中央に塔を配置し、垂直線が強調された姿は、内田祥三が手がけた東京大学安田講堂と共通するものだ。

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・・・・・・・・・・・・・・本館とは中庭を挟み南側に、昭和2年(1927)竣工の「礼拝堂」が建っている。 阿弥陀如来を祀った祭壇がある仏教の礼拝堂で、毎週水曜日に法要が行われているそうだ。 今日は施錠されて内部を拝見することはできなかった。 設計者は不明。
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・・・・・・・・・・・・・・再び井の頭線の線路沿いを歩き、高井戸駅に向かう。

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●高いところにある駅 ・・・・・高井戸駅も、昭和8年(1933)8月1日 に開業した。 当時は築堤上の駅だったが、現在は、井の頭線では数少ない高架駅となっている。、、、、高井戸の由来については、①高いところに井戸があった、②高いお堂があった、と2説あるそうだ。 どっちも、どっちと云う感じ、どっちでもいいか!

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●閑静な住宅街を抜ける ・・・・・・・・・・・・・・高井戸駅から隣の浜田山駅までは、神田川沿い、閑静な住宅街を歩き駅に向かう。 線路わきのアジサイも見事だ。

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●地下からホームに上る駅 ・・・・・浜田山駅は、これまでの駅と同様に、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の駅として開業した。 平成8年(1996)には、ホームの延伸と駅舎の地下化を行う。 島式ホーム1面2線を有する地上駅。、、、、駅前は落ち着いた商店街となっている。 私もチョイト買い物に参加し、駅前の花屋さんで小ぶりの観葉植物を買ってきた。(安かったのでついつい3鉢購入)

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2019年6月19日 (水)

井の頭線 (吉祥寺~久我山)

久しぶりに京王井の頭線沿線を歩いてみることとした。 まず今日は、京王吉祥寺駅から久我山まで、4駅(駅間距離2.5km)を歩いた。 1万歩。

・・・・・・・・・・・・・渋谷(起点)と吉祥寺(終点)を結び、途中小田急小田原線・京王線と接続し、武蔵野台地を走り抜ける京王井の頭線。 吉祥寺からはほぼ下り勾配で渋谷までの全線距離は12.7km、駅数は17。 井の頭線の歴史は、チョイトややっこしく、昭和8年(1933)に帝都電鉄が渋谷~井の頭公園間を開通した。 翌昭和9年(1934)、井の頭公園~吉祥寺間を開通する。 昭和15年(1940)に帝都電鉄は小田原急行電鉄と合併し、現:井の頭線は同社の帝都線となる。 昭和17年(1942)には、小田原急行電鉄が東京横浜電鉄に合併され、東京急行電鉄(大東急)の路線となり、帝都線を井の頭線と改称。 昭和23年(1948)、東京急行電鉄の再編成により、井の頭線は京王帝都電鉄の所有路線となる。 つまり井の頭線は、帝都電鉄で生まれ、小田急・東急と契り、戦後になり、京王と再婚し落ち着いた。、、、、現在運転されている車両は、9種のパステル系の色でカラーリングされている。「次に来る電車の色は?」と、楽しめる!



●出発は吉祥寺駅 ・・・・・・JR吉祥寺駅は明治32年(1899)の開業であるが、井の頭線の吉祥寺駅は35年後の昭和9年(1934)4月1日である。 5両編成の電車が停まる、頭端式ホーム2面2線を有する高架駅。 一日約15万人が乗降し、京王電鉄の駅の中では新宿駅、渋谷駅に次いで3番目に多いそうだ。

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●吉祥寺駅を後にして ・・・・井の頭線の踏切を越えると、3回の掻い掘りで水質が綺麗になった井の頭池(井の頭公園)に出る。 この池は神田川の源流で、流れ下る水は、我が家(浅草橋)の近くに架かる柳橋で隅田川に合流する。 写真の石橋は神田川最上流に架かる「水門橋」。
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・・・・・・・・・・・・・・水門橋から100m程下流で、井の頭線は橋梁を渡り神田川を越える。 この橋梁には、「竹内清鉄工所製作 昭和七年拾月」のプレートがある。 井の頭公園~吉祥寺間の開通は昭和9年であり、この橋梁は開通時からのものだ!

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●井の頭公園駅に到着 ・・・・・・・・・・・・・・井の頭線開通時の昭和8年(1933)8月1日に同時開業した井の頭公園駅。 開通時は井の頭線の終着駅である。 翌年開業した隣の吉祥寺駅との距離は600m程しか離れていない。、、、、開業時の駅名は「井之頭公園駅」で、戦後になって「井ノ頭公園駅」→「井の頭公園駅」と変わった。

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●神田川に沿って走る! ・・・・・・・・・・・・・・・井の頭公園駅から次の三鷹台駅まで、電車は神田川沿いに走る。 沿線にはアジサイが咲き、絵になる風景だ!

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・・・・・・・・・・・・・・三鷹台駅の手前に立教女学院のキャンパスが見える。 ここでは、小・中・高の女学生が学んでいる。 学校は立教大学と姉妹校の関係にあり、大学へは推薦入学もあるそうだ。 卒業生には、野際陽子、鮎川いずみ、松任谷由実など美人・才女がいる。、、、、私は、昭和7年竣工の礼拝堂などの校舎が見たかった。 男子禁制、助平親爺は絶対ダメ、校門前で怖そうな警備員が睨んでいる、まだ命が惜しいので、今日はパスする。
 
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●見たか、三鷹台駅 ・・・・・・・・・・三鷹台駅は昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。 駅と駅の南側は三鷹市であるが、駅の北側は杉並区。、、、、【極秘情報】三鷹市には“三鷹”とつく地名は無い。 この駅が、なぜ“三鷹台”となったか、不明?

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●杉並区に入る! ・・・・・三鷹台駅の東端で井の頭線は再び神田川を越える。 この先は杉並区。

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・・・・・・・・・・・・・・三鷹台~久我山間は切通しとなっている。 跨線橋の一つで、右親柱に「ぎんざうばし」と書かれた「銀蔵橋」がある。 左の親柱には「昭和八秊七月造」と書かれているので、井の頭線開通時に架けられた橋だ。、、、、昭和の初め井の頭線の開通に向け、切通しとなった線路の南側の畑へ行けなくなる「秦銀蔵さん」のために、当時の帝都電鉄が建設したもの。 橋は古レールで造られており、現在は重量制限(2t以上通行不可)がある。、、、、今では畑は探しても見つからない!

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・・・・・・・・・・・・・・久我山駅の手前300m程西側に、中規模の久我山稲荷神社がある。 神社の創建年代は不詳だが、古くから久ヶ山村の鎮守社だったと云われており、明治40年には字北原の天祖神社を合祀、昭和16年村社に列格した。、、、、境内に元禄16年(1703)の庚申塔がある。 保存状態良好!

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●久我山駅到着! ・・・・・・・・・久我山駅も昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業する。 現在は、島式ホーム1面2線を持つ地上駅で、橋上駅舎の構造をもつ。 急行の停車駅。、、、、今日の散歩はココまで!

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2019年6月17日 (月)

新田は貨物駅の近く

ここ数日、浅草橋の我が家から、散歩に行ける近場の“新田”巡りをしたが、もう一か所私の好きな“新田”を忘れていた。 京急川崎から大師線に乗換え、その終点に「小島新田駅」(こじましんでんえき)がある。 今日の散歩は、小島新田駅で下車し、駅の先にある広大なJR貨物の川崎貨物駅を見ながら、川崎貨物駅の外側をほぼ一周し、小島新田駅に戻った。 1万歩




●おや、混んでるね! ・・・・・京急川崎駅は、1階が改札口と大師線ホーム、2階は高架で京急本線のホームがある。 大師線ホームは2面2線の頭端式ホーム。、、、、朝、京急川崎駅ホームに入ってくる電車は満員。(納得できる) 折り返しの小島新田行の電車は、平日の朝で川崎大師の参拝にはまだ早い時間なのに、座れず立ったままの乗客もかなりいる混雑度。 なぜだ、ローカルな盲腸線なのに?

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・・・・・・・・・・・・・・朝の大師線で、先頭車両の運転手の後ろに乗ったが、混んでいて車窓の写真を撮る雰囲気とはなれなかった。 (帰りは、しっかり撮ってきた)



●工場に向かう玄関口 ・・・・・京急川崎で乗った乗客の9割程は、終点の「小島新田駅」で下車した。 線路は盲腸線だが終点の先には京浜工業地帯の工場があり、乗客の多くはそこに勤務しているようだ。 ここから、各工場に向かう送迎バスも発着している。、、、、小島新田駅は島式ホーム1面2線の地上駅。 昭和19年(1944)10月1日、東京急行電鉄(大東急)による産業道路~入江崎間の開通に伴い開業。 昭和23年には、京浜急行電鉄の駅となる。 昭和39年(1964)、当駅から先の塩浜駅までが休止(後廃止)となり、大師線の終点駅となる。、、、、小島新田という地名は江戸時代後期、葭萱の茂る十二町歩余りの海岸を稲荷新田の名主、小島六郎左衛門と池上七左衛門とで開発し、北側を小島新田、南側を北池上新田と呼んだことから駅名を小島新田とした。 地名の小島新田は現:小島町に変わり、海側の「日本冶金工業」のある地域である。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前には一般のコンビニはなく、駅売店をチョイト大きくしたセブンイレブンがあるのみ。 値段はコンビニと同じ。

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・・・・・・・・・・・・・・・コンビニの後ろに、貨物線を跨ぐ跨線橋がある。 工場へ向かう人が、電車から吐き出され橋を渡って行く。

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・・・・・・・・・・・・・・仕事帰りの憂さ晴らし、チョイト寄って行く? 駅前に数軒の飲み屋があるよ!、、、、駅前には、パチンコ屋、ドトール、サラ金、吉野家など、シャレた店はありません!

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●広すぎて何が何やら? ・・・・・・・・・・・・・川崎貨物駅は、川崎市川崎区塩浜にある日本貨物鉄道(JR貨物)・神奈川臨海鉄道の貨物駅。 JRの東海道本線貨物支線(通称東海道貨物線)、神奈川臨海鉄道の浮島線・千鳥線のいずれも貨物線が乗り入れる。 38万m2の広大な駅。、、、、戦後、京浜工業地帯の貨物輸送量が増加し、従来からの浜川崎駅だけでは操車能力の限界に近づいた。 そこで、当時の国鉄は塩浜操駅を開設し操車能力を向上させた。 昭和60年代には操車場機能は無くなり、平成2年(1990)には川崎貨物駅と変わった。、、、、配線は複雑そうで、素人の私には何が何だか判らないが、貨物駅の雰囲気は、なぜか好きだ! 駅の周囲を一時間半かけ歩いてきた。

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●70歳代の鉄ちゃん ・・・・・最後に、小島新田から京急川崎へ、1500形先頭車両の窓越しに! 窓にしがみついての撮影は、チョイト、恥ずかしいね!

・・・・・・・・・・・・・・「小島新田駅」を出発進行!

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・・・・・・・・・・・・・・「産業道路駅」は地下駅

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・・・・・・・・・・・・・・味の素の「鈴木町駅」を発車

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・・・・・・・・・・・・・・まもなく「京急川崎駅」

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2019年6月16日 (日)

見事に咲いた菖蒲

朝食を済ませ自室でブラブラしていると、テレビを見ながら「堀切菖蒲園のショウブ、綺麗に咲いてるよ」と妻の声。 この一言で、本日の散歩は、夫婦で堀切菖蒲園に行くことになった。 

・・・・・・・・・・今年の「菖蒲まつり」は、5月27日(月)~6月16日(日)の間。 5月26日、まつりの前日とも知らず、いそいそと菖蒲園に行ってみたが、咲いているのは数える程度であった。 もちろん、観賞する人は一人・二人で寂しいかぎり、ガッカリしたね。、、、今日は祭りの最終日、こんどは枯れ萎んだショウブを見るのかと、車中で妻に確認「今朝のテレビは生中継か、録画か?」 妻「・・・?・・・」 半信半疑 コリャ、マタマタ失敗か、ショウブと勝負!、、、行って、見て、大正解! 青空の下、見事に綺麗に咲き揃ったショウブ。 花は綺麗だが、綺麗所は何処だ? いない、チョイト、残念。

 

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・・・・・・・・・・・・・・菖蒲園、入ります! (なぜか、女賭博師:昇り竜のお銀さん(江波杏子)、緋牡丹のお竜さん(藤純子)を連想していた)  泥田の中に、凛と清らに花咲くショウブ、いいね! 

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2019年6月14日 (金)

市川にもあった,,,,新田

江戸川区とは川を挟んで隣りの千葉県市川市にも「新田」がある。 今日の散歩は、JR総武線市川駅で下車し、駅に隣接する新田の町を歩き、市川駅に戻る、1万3千歩。

・・・・・・・・・・市川市新田(しんでん)の町は、JR総武線市川駅の東側に隣接し、総武線の北側に新田1丁目と新田5丁目、南側に新田2丁目~4丁目がある。 新田1丁目と5丁目の北側の端には、京成本線の線路が走り、「市川真間駅」と隣の「菅野駅」が新田の町に隣接する。 南側は市川市大洲の町と接する。




●朝のラッシュ時の駅・・・・・朝8時市川駅に到着。 これから学校へ、会社へ、皆さまご苦労さま!、、、、仕事がなくなった私には、通勤していた頃が懐かしい。

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●歴史ある建物がなくなった! ・・・・・・市川駅から千葉街道に出ると、西消防署の隣りに自然幼稚園がある。、、、、同支社大学で神学・哲学を修め、市川三本松教会で牧師をしていた創設者:石田締は、「人の”心の教育”は大人になってからでは遅い。幼児の頃から始めなければならない」と悟り、昭和6年(1931)市川市の人口が6万人あまりだった頃、静かな松林の中、しかも掘れば掘るほど綺麗な砂の出る地で、自然の中での純な人間教育を念願して自然幼稚園を設立した。 当時の建物が残っていると思い本日寄ってみたら、三年程前に取り壊し、新しい園舎に変わっていた。 また一つ歴史ある建物が消えた、残念!

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●新田はイチゴの産地だった! ・・・・・自然幼稚園の北側(市川1)に、松の木でこんもりとおおわれた墓地がある。 その墓地の中央が小高くなって、チョイト大きなお地蔵さまがある。 これぞ「新田」の由来となる、市川新田開拓の功労者:田中正成の墓碑である。 この場所は「地蔵山」と呼ばれている。、、、、「新田」の地名はこの田中正成によって開拓された地域を「市川新田」と呼んだことに由来する。 正成は明暦元年(1655)9月4日に没しており、子孫は代々新田村の名主を努めていた。 江戸時代の新田村は、今の国道14号線(千葉街道)に沿ってわずかに農家がその両側に並ぶ程度であった。明治35年(1902)に、ある農家がイチゴの栽培に成功し、新田一帯にイチゴ栽培が広まった。 大正6年(1917)には市川新田果物組合が結成され、イチゴの共同出荷が行われる。昭和に入ると露地イチゴ「マーシャル」も栽培された。 戦後もイチゴの出荷は続いたが、昭和40年代には宅地化が進み、栽培面積は減少の一途をたどり、市場から姿を消した。、、、、「新田」は当初、市川新田と呼ばれていたが、昭和26年新田町1丁目~4丁目となり、昭和43年(1968)の住居表示では新田1丁目~5丁目となる。

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●総武線の北側で市川駅より ・・・・・新田5丁目、、、、総武線の北側で、JR市川駅、京成市川真間駅に隣接する町。 中央を国道14号(千葉街道)が走る。

・・・・・・・・・・・・・・「地蔵山」の北側は京成本線の市川真間駅。 駅と線路は「市川市真間」だが、線路沿いの道路は「新田5丁目」。

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・・・・・・・・・・・・・・5丁目の住宅地の奥にある洋館は国の登録有形文化財である。 東京深川で商事会社を経営していたかつてのオーナーが震災に遭遇し、大正13年に本邸をこの地に移した。 昭和2年(1927)完成のこの建物は、ゲストルームとして邸内の奥まった一画に建てられたもの。 木造3階建ての妻側の玄関ポーチ上に手摺を巡らしたバルコニーを設け、破風の拝みを押さえた半切妻、側面の軒先に付けた千鳥屋根など外観の意匠に留意している。 設計・施工は明治・大正の名大工「大亀」(私は知らない?)。、、、、現在は、「いちかわ西洋館倶楽部」として、ギャラリー&コンサートの会場となっている。

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・・・・・・・・・・・・・・5丁目の中央を貫く国道14号(千葉街道

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・・・・・・・・・・・・・・千葉街道に面した参道入口から春日神社に参拝する。 300余年の歴史を持つ春日神社は、平成19年(2007)不審火により焼失したが、氏子、奉賛会、地元民の浄財により、平成20年(2008)に現社殿が落成した。 一年後には再建された神社、さすが、地元民は裕福なのか?、、、、社殿の後ろには、クロマツの大木が空に伸びる。

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●総武線の北側、5丁目の隣りは1丁目 ・・・・・新田1丁目、、、、総武線の北側で、5丁目に隣り合う1丁目。 ここも、中央を国道14号(千葉街道)が走る。

・・・・・・・・・・・・・・町のシンボル、街路樹に自然林のクロマツを活かした住宅地。 風格のある町、ナイス!、、、、もう一つ、風格ある住所案内板。

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・・・・・・・・・・・・・・春日神社に似た胡録神社。 千葉街道に面した参道、境内の大きさ、社殿の大きさ、賽銭箱の作り、、、どれも似ている! 祭神は淤母陀琉神、惶根命。 創建年代不詳だが、承応2年(1653)に再建したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・新田1丁目に接し、隣りの平田2丁目にある諏訪神社。 参道から境内までクロマツがお出迎え。
 
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・・・・・・・・・・・・・・千葉街道から諏訪神社へ向かう裏道の角に石仏と道標があった。 石仏は上の方がつぶれてしまい、判別できず。 正面下に「寛政11年 富村講中」と読める。 道標には「左 宮久保山道」、横に「東京開運女人會」と彫られていた。 チョイト気になる“東京開運女人會”、若い娘の会か(?)、ババァの会か(?) わざわざ“女人”と言うからには・・・・・

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●町を分け、どこまでも続く ・・・・・総武線市川~本八幡間の高架橋。、、、、高架橋の北側が新田5丁目・1丁目、南側が新田2丁目・3丁目・4丁目。 北側は歴史を感じさせる町並みであったが、南側は新興の住宅地となる。 

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●総武線の南側、面白味のない住宅地 ・・・・・新田2丁目~新田4丁目、、、、アパート、マンション、住宅が混在する、どこもかしこも同じような雰囲気の住宅地。 まとめて紹介する!

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・・・・・・・・・・・・・・おや! 電柱に10数年前に話題となった「路上喫煙禁止」の案内。 なぜ今頃? 在留の外人向けか? それにしては、英語が見にくいね? 効果は????? 

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・・・・・・・・・・・・・・市川駅前に通じる「ゆうゆうロード」 この道が新田地区の西の端となる。

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●お疲れさま! ・・・・・1万3千歩の散歩も終わり、市川駅に到着。

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2019年6月12日 (水)

江戸川区にもあった!

草加市の「新田」・大田区の「武蔵新田」に続き、今日は地下鉄東西線の葛西駅から南へ1km程の処にある、江戸川区の「新田」を散歩した。 西葛西駅で下車し、「新田」バス停を見つけ、葛西駅まで、1万歩の歩き。 (足立区の「新田」はコチラ




●座れない電車を待つ辛さ ・・・・・散歩は、地下鉄東西線「西葛西駅」で下車し、歩く。、、、、西葛西駅は昭和54年(1979)10月1日に開業。 相対式ホーム2面2線を有する高架駅。 上りホームで満員電車の到着を待つ人の気持ち理解できるね、私も10数年前はサラリーマン、毎日お勤め御苦労さま!

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●眺望ヨシ! ・・・・・西葛西駅から南へ約1km歩くと、13階建ての新田第二住宅(都住宅供給公社の賃貸住宅)がある。 この辺りは、旧地名が「新田」(しんでん)であったが、昭和58年(1983)に現在の「西葛西」に変わったそうだ。 「新田」の地名は現存しない。、、、、新田第二住宅は昭和54年(1979)に建てられた、13階建て、約570戸の集合住。 チョイト、11階におじゃまして、眼下の旧新田地域を撮影させてもらいました。

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・・・・・・・・・・・新田第二住宅に隣接する江戸川区立新田小学校(江戸川区西葛西8)。 この学校は、昭和56年(1981)に開校し、校名に当時の地名「新田」が付けられた。、、、、開校時は、南側の校庭の先の堤防から広々とした埋立地が続いていて、屋上からは東京湾を行き交う船が見えたそうだ。 ということは、学校が開校した頃(昭和50年代)、「新田」の南側は東京湾だったが、現在は新左近川が校庭の南に流れ、その先には「ロッテ葛西ゴルフ場」、京葉線「葛西臨海公園駅」、「葛西臨海水族園」ができ、「新田」は内陸部の地となった。

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●内陸部に残された水門 ・・・・・新田小学校の南側に新左近川親水公園がある。 海辺であった処が、埋め立てられ川となり、親水公園と変わったそうだ。 かつて、海であり左近川が流れ注いだ地点には、現在も水門が残されているが、無用の長物となり取り壊されるそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・水門から東側は古くからある左近川で、こちら側は左近川親水緑道として整備されている。、、、、江戸川区には多くの親水緑道があるが、どこの緑道も毎日手入れされ綺麗だ。 ここ左近川親水緑道でも、水鳥が遊び、アジサイが咲き、ゴミは無く、気持ちよく散策できる。 大勢のシニアの方がアルバイトとして清掃しているそうだ、御苦労さまです!

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●「新田」がアッタ! ・・・・・・左近川親水緑道近く、中葛西7丁目と8丁目の境に「新田」(しんでん)のバス停を発見。、、、、江戸川区の葛西地区の新田地域は、東京メトロ東西線の西葛西駅~葛西駅間で、線路の概ね南側の地域にあたる。 昭和58年(1983)に地名は消滅し、現町名の西葛西、中葛西、清新町、臨海町などに変わった。、、、、この「新田」バス停がある位置は、かっては西葛西駅から南下する都バスが左近川にぶつかり、南に行けない行き止まりの地点で、バスの折り返し点だったらしい。、、、、現在は葛西臨海公園の方に向かうバスの単なる通過点。

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●のんびり帰ろう! ・・・・・・・・・・・・・・・「新田」バス停を後にして、東西線で帰宅するつもりで葛西駅に到着。 おや!駅前のバス停に小岩駅行と平井駅行が停車している。 ヨシ、平井駅行で帰ろう! のんびりバスの旅。 

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2019年6月 9日 (日)

男も女も、皆、ずぶ濡れ

鳥越神社のお祭りは、毎年6月9日に近い土・日曜日に行われる。 この時期は梅雨入りと重なり雨の日が多い。 都内随一の重さ約4トンの本社神輿「千貫神輿」のお渡りである、「夜まつり」の今夜はドシャ降りだ。 かつぐ人、警護する人、見物する人、男も女も、皆々、ずぶ濡れ。、、、、カメラはレンズがくもり、傘は見物のジャマ、身動きはできない。 隣りで見物するお姐さんの傘から、雨水が私の首筋を流れ下着の中に流れ込む、こうなったらお姐さんの傘の中に入り込むように身を擦り付ける。(ウ・ヒッ・ヒ!) 必死の撮影を行い、家に帰るや否や、風邪をひかないように、風呂に飛び込んだ!  

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2019年6月 8日 (土)

二週続けて、お祭り (散歩は休み)

先週は我が家の氏神様、JR浅草橋駅裏の銀杏岡八幡神社のお祭り。 家内は御神酒所のお手伝い、孫と娘はお祭り参加、そして私は高齢の母と家の番。、、、、今日・明日は隣町の鳥越神社のお祭り。 こちらは氏子も多く、神社も大きく、屋台もズラリ。 明日は早朝から夜まで神輿が各町内を廻り、クライマックスは夜8時頃からの宮入である。 散歩している余裕はないね!

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2019年6月 6日 (木)

“新田”は人名だった!

一昨日、東京から北の草加市「新田駅」から歩いてきた。 今日は東京の南、東急多摩川線「武蔵新田駅」を目指し蒲田駅から歩いてみた。 1万2千歩



●逆走は危険! ・・・・・JR蒲田駅とは“L”字形に接続する東急の蒲田駅。 現在は、「東急プラザ」の3階に頭端式5面4線構造のホームを有する高架駅である。、、、、大正11年(1922)10月6日、池上電気鉄道線(現:池上線)が蒲田から池上駅まで開通。 大正12(1923)11月1日には、目黒蒲田電鉄目蒲線(現:東急多摩川線)が蒲田から沼部駅まで開通。 東急の蒲田駅には池上線と東急多摩川線の2路線が乗り入れてるが、後者は会社名である「東急」を冠し「東急多摩川線」が正式な路線名である。、、、、頭端式ホームは電車の始発駅であり、人生の旅立ちを感じる雰囲気がいいね! 夜の頭端式ホームでは、終着駅を感じ、人生の終わりに頭を巡らせ、線路に飛び込まないで!

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・・・・・・・・・・・・・・朝、ラッシュ時の蒲田駅は、電車が到着するたびにJRに乗り換える人が流れ出てくる。 人の流れは一方通行状態で、流れに逆らうと“高齢者の逆走”で事故のもと。

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・・・・・・・・・・・・・・高架沿いの飲食店街を抜けて行く。 どの店も、まだ閉まっている!

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●隣の矢口渡駅に向かう ・・・・・・東急多摩川線の南側を歩き、隣り駅:矢口渡駅へ、スタコラ・サッサ!

・・・・・・・・・・・・・・東急多摩川線(写真:手前)と池上線(写真:奥)が蒲田駅に到着する直前に並行して通過する蓮沼4号踏切

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・・・・・・・・・・・・・・2社にお立ち寄り!、、、、まずは、大田区東矢口にある若宮八幡神社です。若宮八幡神社は、この地(旧小林村)が開村した際に村の鎮守として、鶴岡八幡宮を勧請したそうだ。、、、、次は、大田区多摩川の多摩川諏訪神社。 600年前の創建と言われている。 丈夫そうな鉄筋コンクリート造の朱塗りの社殿は戦後の建築。

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・・・・・・・・・・・・・・矢口渡駅前に通じる「矢口の渡商店街」の一隅に、「放光地蔵尊」と称する小祠がある。、、、、この地では、昭和20年(1945)4月15日夜半、B29の爆撃を受け無数の焼夷弾と爆弾が投下されて矢口渡駅から多摩川の土手に至るまで焼野原となり多数の焼死者が出た。 当時、地蔵を祀るこの家の主:鈴木三郎は一人焼跡の遺骨を拾い集めて供養をした。 何の罪もないこれ等戦災横死者の霊を慰めたく、このお地蔵さまの建立を思いつき、昭和32年に「放光地蔵」と名づけて末の世までも平和である事を願ったそうだ。 合掌

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●トイレはありません! ・・・・・・多摩川に架かり国道1号(第二京浜)を通す多摩川大橋まで800m程の距離に、東急多摩川線の停車場:矢口渡駅(やぐちのわたしえき)がある。 駅は大正12年(1923)11月1日の目蒲線全通時に開業した。、、、、ホームは相対式2面2線の地上駅。 上下線のホームは完全分離され、それぞれに改札・駅舎がある。、、、、トイレは2番線(多摩川方面行)にしかないので、1番線(蒲田方面行)で漏れそうな人は、ライフリーを着用すると安心!

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・・・・・・・・・・・・・・【注】 江戸川にあるのは「矢切の渡し」、ここ多摩川は「矢口の渡し」。 「矢口の渡し」は、昭和24年(1949)まで存在した。



●次は武蔵新田駅に向かう ・・・・・・次の隣り駅:武蔵新田駅へ、スタコラ・サッサ・ホイ・サッサ!

・・・・・・・・・・・・・・矢口渡駅から200m程歩き、国道1号(第二京浜)を横断する。、、、、思ったほど混んでない国道、わざわざ歩道橋を渡らなくても、横断歩道を歩けばよかった!

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・・・・・・・・・・・・・・国道を越え、大田区矢口2丁目、浄土宗寺院の願海山延命寺に、お立ち寄り。 弘安年間(1278~1298)蓮花寺と号して創建された。 永緑年間(1558~1570)に現在地に再興し、延命寺と改称した。 現本堂は昭和33年(1958)に再建されたものである。

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・・・・・・・・・・・・・・延命寺の西、町角の祠は「今泉北向庚申」 正面に青面金剛・三猿を刻み、右面に「文化五戊辰十二月吉日」と刻む。 文化5年(1808)から約200年、往来する人の安全を見守ってきたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・「むさしにった」商店街のゲート横に祠があり、阿弥陀如来尊石像と庚申塔が祀られている。 庚申塔は元文5年(1740)の建立。、、、、商店街の守り本尊?

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・・・・・・・・・・・・・・「むさしにった」商店街の中程に新田神社がある。 正平13年(1358)創祀。 新田義興は、正平13年畠山国清等の奸計により、矢口の渡に於て討たれ憤死した。 このことがあってから、矢口の渡に夜々「光り物」が表はれ、往来の人を悩ましたので、村老等が墳墓を築き、社祠を興し、新田大明神として奉斎したのが始まりである。、、、、ナイショの話だが、新田義興は畠山の腹心:竹沢右京亮が潜入させた美女のハニートラップ(甘い罠)を受けたそうだ。 私も一生に一回ぐらいハニートラップを経験してみたかった。、、、、旧社殿は、昭和20年(1945)の空襲で焼かれてしまった。 そこで明治神宮で仮社殿として建てられていた「本殿並びに幣殿」(神明造)を特別に下付され、それを昭和35年(1960)に復元奉建し、新たに「拝殿」(流れ造)を新築した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内にある「うなる狛犬」とは、、、、、謀略を企てた足利基氏家臣の畠山一族の者、またその血縁者末裔が新田神社付近に来ると、きまって雨が降り、この狛犬がうなったと云われている。 しかし残念ながら昭和20年の戦災で一体が壊れてしまった。、、、、AIロボの犬みたいだ、泥棒除けに一匹いたらいいね!

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●“新田”の由来は人名だった! ・・・・・東武伊勢崎線の新田駅に続き、今日は“新田”がらみの駅を訪れたのだが、伊勢崎線の「新田」は“しんでん”と読み開墾地、ここ東急多摩川線の「武蔵新田」は“にった”と読み人名だ。 駅名「武蔵新田」の“新田”は、駅近くにある新田神社に由来し、他の地にある新田と書いて「にった」や「しんでん」と呼ぶ駅が存在していることから、旧国名を冠して「武蔵新田」としたそうだ。、、、、大正12年(1923)11月1日、新田駅として開業。 大正13年(1924)4月1日、武蔵新田駅に改称。 相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、当駅も「矢口渡駅」と同様で、上下線で駅舎・改札が別となっており、さらにトイレも2番線にあるのみ。

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・・・・・・・・・・・・・・駅の北側は環八通りが東急多摩川線と20m程の間隔で並行にとおり、駅前の町並みが途切れている。

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2019年6月 4日 (火)

草加のゴーストタウン?

今日は、東武伊勢崎線の「新田駅」で下車し、駅から西へ向かい、埼玉高速鉄道の「戸塚安行駅」まで、1万2千歩の散歩です。



●駅前は未整備? ・・・・・草加駅から二つ目、普通電車のみ停車する新田駅。 有名な駅ではないので、駅名の読みも、“しんでん”、“にった”、“あらた”、“しんだ(死んだ?)”など、いろいろ考えてしまう。 正解は単純で、“しんでん”と読む。、、、、駅の開設は古く、明治32年(1899)12月20日であるが、9年後の明治41年(1908)に廃止となる。 さらに17年後の大正14年(1925)11月10日、復活再開する。 昭和63年(1988)には上下線の高架化が完了し、島式ホーム1面2線の高架駅となる

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・・・・・・・・・・・・・・新田駅のメインとなる東口。 東口前にはロータリーがあるが、道幅が狭く、バスは駅前まで入ってこられない。 (バスの発着は駅から少し離れた処にバスロータリーがある)、、、、駅前は飲食店(飲み屋)を中心とする、懐かしさを感じさせる昭和の商店街である。

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・・・・・・・・・・・・・・西口(?)と言うより、西側の勝手口と言いたくなるほど、駅ギリギリのところまで民間の駐輪場が並び迫ってる。せせこましい処だ!、、、、駅前にある数か所の駐輪場、どこも、100台・200台は駐輪できそうだ! 1ヵ月100台が駐輪したとして、27万円の売り上げ、コリャ、コンビニやるより、いい商売かも?

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●草加市の北のはずれ、ソウか! ・・・・・駅を後にして、西に向かい歩く。、、、、湿度は高く、気温は暑い、お肌の日焼けに注意し、スタコラ・スタコラ。

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・・・・・・・・・・・・・・途中、ファミリーマート駐車場の隅に、成田山の道標と三基の庚申塔があった。 成田山道標は、文久2年(1862)、幕末の動乱期に建てられようだ。 道標の左面に天下泰平・五穀成就と彫られている。 道標の右側には、3基の庚申塔が建っている。 左にある板碑型の庚申塔は延宝5年(1677)の年代物。 中央の青面金剛は享保4年(1719)で二世安楽と彫られている。右端にある石塊のようなものは、貞享4年(1687)の庚申塔。 いずれも宅地開発により、近隣にあった庚申塔を集めたものであろう。

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・・・・・・・・・・・・・・草加市清門で、国道4号(日光街道)を横切る。、、、、地名「清門」(せいもん)は、明治期には新田村大字清右衛門新田で、昭和30年には草加町大字清右衛門新田と変わり、昭和33年(1958)には草加市清門町に、そして平成26年(2014)に草加市清門となった。

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・・・・・・・・・・・・・・「清門」は草加市の北部に位置する町。 平成の時代でも区画整理が実施され、北隣の「新栄」、「長栄」の町とともに、主に住宅地となっている。 西端には、川口市との境界となる伝右川が流れている。、、、、道路は広いが走っている車は少なく、どの建物も戦後の建築で新しい。 また、夫婦共稼ぎのようで、どの家も人の気配はなく、洗濯物が留守番をしている。 ゴーストタウンのようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・清門町会館の裏に鎮座する小さな神社が清門稲荷神社。 神社の創建年代は不詳だが、江戸時代には名主田中八右衛門氏の所有で、清右衛門新田村の鎮守社であったと云われている。 境内には、庚申塔、成田山道標などもある。

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・・・・・・・・・・・・・・草加市の西北端に位置する、伝右川に架かる伝右橋。 伝右川は埼玉県さいたま市見沼区を源に、草加市、八潮市を流れ、東京都足立区で毛長川とともに綾瀬川に合流する一級河川。 この川が、ここ辺りでは川口市と草加市の境界である。、、、、ドブ川ではないが、ホタルとぶ川でもない。 ホタルとぶ川に変身して欲しいね!

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●植木屋がない! ・・・・・・川口市の北のはずれと云ってもいい埼玉高速鉄道の戸塚安行駅に到着。 戸塚安行駅は、平成13年(2001)3月28日に開業した。 駅名は現在の地区名の戸塚と安行を合成した。 駅は、地下1階が改札階、地下2階がホーム階となっている。 地上の出入口前には、バスが発着するロータリーがつくられている。、、、、安行は植木の街なのだが、駅前に植木屋・花屋が見つからない。 買えずに残念なり!

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