新田は貨物駅の近く
ここ数日、浅草橋の我が家から、散歩に行ける近場の“新田”巡りをしたが、もう一か所私の好きな“新田”を忘れていた。 京急川崎から大師線に乗換え、その終点に「小島新田駅」(こじましんでんえき)がある。 今日の散歩は、小島新田駅で下車し、駅の先にある広大なJR貨物の川崎貨物駅を見ながら、川崎貨物駅の外側をほぼ一周し、小島新田駅に戻った。 1万歩
●おや、混んでるね! ・・・・・京急川崎駅は、1階が改札口と大師線ホーム、2階は高架で京急本線のホームがある。 大師線ホームは2面2線の頭端式ホーム。、、、、朝、京急川崎駅ホームに入ってくる電車は満員。(納得できる) 折り返しの小島新田行の電車は、平日の朝で川崎大師の参拝にはまだ早い時間なのに、座れず立ったままの乗客もかなりいる混雑度。 なぜだ、ローカルな盲腸線なのに?

・・・・・・・・・・・・・・朝の大師線で、先頭車両の運転手の後ろに乗ったが、混んでいて車窓の写真を撮る雰囲気とはなれなかった。 (帰りは、しっかり撮ってきた)
●工場に向かう玄関口 ・・・・・京急川崎で乗った乗客の9割程は、終点の「小島新田駅」で下車した。 線路は盲腸線だが終点の先には京浜工業地帯の工場があり、乗客の多くはそこに勤務しているようだ。 ここから、各工場に向かう送迎バスも発着している。、、、、小島新田駅は島式ホーム1面2線の地上駅。 昭和19年(1944)10月1日、東京急行電鉄(大東急)による産業道路~入江崎間の開通に伴い開業。 昭和23年には、京浜急行電鉄の駅となる。 昭和39年(1964)、当駅から先の塩浜駅までが休止(後廃止)となり、大師線の終点駅となる。、、、、小島新田という地名は江戸時代後期、葭萱の茂る十二町歩余りの海岸を稲荷新田の名主、小島六郎左衛門と池上七左衛門とで開発し、北側を小島新田、南側を北池上新田と呼んだことから駅名を小島新田とした。 地名の小島新田は現:小島町に変わり、海側の「日本冶金工業」のある地域である。



・・・・・・・・・・・・・・駅前には一般のコンビニはなく、駅売店をチョイト大きくしたセブンイレブンがあるのみ。 値段はコンビニと同じ。
・・・・・・・・・・・・・・・コンビニの後ろに、貨物線を跨ぐ跨線橋がある。 工場へ向かう人が、電車から吐き出され橋を渡って行く。
・・・・・・・・・・・・・・仕事帰りの憂さ晴らし、チョイト寄って行く? 駅前に数軒の飲み屋があるよ!、、、、駅前には、パチンコ屋、ドトール、サラ金、吉野家など、シャレた店はありません!
●広すぎて何が何やら? ・・・・・・・・・・・・・川崎貨物駅は、川崎市川崎区塩浜にある日本貨物鉄道(JR貨物)・神奈川臨海鉄道の貨物駅。 JRの東海道本線貨物支線(通称東海道貨物線)、神奈川臨海鉄道の浮島線・千鳥線のいずれも貨物線が乗り入れる。 38万m2の広大な駅。、、、、戦後、京浜工業地帯の貨物輸送量が増加し、従来からの浜川崎駅だけでは操車能力の限界に近づいた。 そこで、当時の国鉄は塩浜操駅を開設し操車能力を向上させた。 昭和60年代には操車場機能は無くなり、平成2年(1990)には川崎貨物駅と変わった。、、、、配線は複雑そうで、素人の私には何が何だか判らないが、貨物駅の雰囲気は、なぜか好きだ! 駅の周囲を一時間半かけ歩いてきた。
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