草加のゴーストタウン?
今日は、東武伊勢崎線の「新田駅」で下車し、駅から西へ向かい、埼玉高速鉄道の「戸塚安行駅」まで、1万2千歩の散歩です。
●駅前は未整備? ・・・・・草加駅から二つ目、普通電車のみ停車する新田駅。 有名な駅ではないので、駅名の読みも、“しんでん”、“にった”、“あらた”、“しんだ(死んだ?)”など、いろいろ考えてしまう。 正解は単純で、“しんでん”と読む。、、、、駅の開設は古く、明治32年(1899)12月20日であるが、9年後の明治41年(1908)に廃止となる。 さらに17年後の大正14年(1925)11月10日、復活再開する。 昭和63年(1988)には上下線の高架化が完了し、島式ホーム1面2線の高架駅となる。
・・・・・・・・・・・・・・新田駅のメインとなる東口。 東口前にはロータリーがあるが、道幅が狭く、バスは駅前まで入ってこられない。 (バスの発着は駅から少し離れた処にバスロータリーがある)、、、、駅前は飲食店(飲み屋)を中心とする、懐かしさを感じさせる昭和の商店街である。

・・・・・・・・・・・・・・西口(?)と言うより、西側の勝手口と言いたくなるほど、駅ギリギリのところまで民間の駐輪場が並び迫ってる。せせこましい処だ!、、、、駅前にある数か所の駐輪場、どこも、100台・200台は駐輪できそうだ! 1ヵ月100台が駐輪したとして、27万円の売り上げ、コリャ、コンビニやるより、いい商売かも?


●草加市の北のはずれ、ソウか! ・・・・・駅を後にして、西に向かい歩く。、、、、湿度は高く、気温は暑い、お肌の日焼けに注意し、スタコラ・スタコラ。

・・・・・・・・・・・・・・途中、ファミリーマート駐車場の隅に、成田山の道標と三基の庚申塔があった。 成田山道標は、文久2年(1862)、幕末の動乱期に建てられようだ。 道標の左面に天下泰平・五穀成就と彫られている。 道標の右側には、3基の庚申塔が建っている。 左にある板碑型の庚申塔は延宝5年(1677)の年代物。 中央の青面金剛は享保4年(1719)で二世安楽と彫られている。右端にある石塊のようなものは、貞享4年(1687)の庚申塔。 いずれも宅地開発により、近隣にあった庚申塔を集めたものであろう。

・・・・・・・・・・・・・・草加市清門で、国道4号(日光街道)を横切る。、、、、地名「清門」(せいもん)は、明治期には新田村大字清右衛門新田で、昭和30年には草加町大字清右衛門新田と変わり、昭和33年(1958)には草加市清門町に、そして平成26年(2014)に草加市清門となった。

・・・・・・・・・・・・・・「清門」は草加市の北部に位置する町。 平成の時代でも区画整理が実施され、北隣の「新栄」、「長栄」の町とともに、主に住宅地となっている。 西端には、川口市との境界となる伝右川が流れている。、、、、道路は広いが走っている車は少なく、どの建物も戦後の建築で新しい。 また、夫婦共稼ぎのようで、どの家も人の気配はなく、洗濯物が留守番をしている。 ゴーストタウンのようだ!
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