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2019年6月14日 (金)

市川にもあった,,,,新田

江戸川区とは川を挟んで隣りの千葉県市川市にも「新田」がある。 今日の散歩は、JR総武線市川駅で下車し、駅に隣接する新田の町を歩き、市川駅に戻る、1万3千歩。

・・・・・・・・・・市川市新田(しんでん)の町は、JR総武線市川駅の東側に隣接し、総武線の北側に新田1丁目と新田5丁目、南側に新田2丁目~4丁目がある。 新田1丁目と5丁目の北側の端には、京成本線の線路が走り、「市川真間駅」と隣の「菅野駅」が新田の町に隣接する。 南側は市川市大洲の町と接する。




●朝のラッシュ時の駅・・・・・朝8時市川駅に到着。 これから学校へ、会社へ、皆さまご苦労さま!、、、、仕事がなくなった私には、通勤していた頃が懐かしい。

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●歴史ある建物がなくなった! ・・・・・・市川駅から千葉街道に出ると、西消防署の隣りに自然幼稚園がある。、、、、同支社大学で神学・哲学を修め、市川三本松教会で牧師をしていた創設者:石田締は、「人の”心の教育”は大人になってからでは遅い。幼児の頃から始めなければならない」と悟り、昭和6年(1931)市川市の人口が6万人あまりだった頃、静かな松林の中、しかも掘れば掘るほど綺麗な砂の出る地で、自然の中での純な人間教育を念願して自然幼稚園を設立した。 当時の建物が残っていると思い本日寄ってみたら、三年程前に取り壊し、新しい園舎に変わっていた。 また一つ歴史ある建物が消えた、残念!

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●新田はイチゴの産地だった! ・・・・・自然幼稚園の北側(市川1)に、松の木でこんもりとおおわれた墓地がある。 その墓地の中央が小高くなって、チョイト大きなお地蔵さまがある。 これぞ「新田」の由来となる、市川新田開拓の功労者:田中正成の墓碑である。 この場所は「地蔵山」と呼ばれている。、、、、「新田」の地名はこの田中正成によって開拓された地域を「市川新田」と呼んだことに由来する。 正成は明暦元年(1655)9月4日に没しており、子孫は代々新田村の名主を努めていた。 江戸時代の新田村は、今の国道14号線(千葉街道)に沿ってわずかに農家がその両側に並ぶ程度であった。明治35年(1902)に、ある農家がイチゴの栽培に成功し、新田一帯にイチゴ栽培が広まった。 大正6年(1917)には市川新田果物組合が結成され、イチゴの共同出荷が行われる。昭和に入ると露地イチゴ「マーシャル」も栽培された。 戦後もイチゴの出荷は続いたが、昭和40年代には宅地化が進み、栽培面積は減少の一途をたどり、市場から姿を消した。、、、、「新田」は当初、市川新田と呼ばれていたが、昭和26年新田町1丁目~4丁目となり、昭和43年(1968)の住居表示では新田1丁目~5丁目となる。

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●総武線の北側で市川駅より ・・・・・新田5丁目、、、、総武線の北側で、JR市川駅、京成市川真間駅に隣接する町。 中央を国道14号(千葉街道)が走る。

・・・・・・・・・・・・・・「地蔵山」の北側は京成本線の市川真間駅。 駅と線路は「市川市真間」だが、線路沿いの道路は「新田5丁目」。

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・・・・・・・・・・・・・・5丁目の住宅地の奥にある洋館は国の登録有形文化財である。 東京深川で商事会社を経営していたかつてのオーナーが震災に遭遇し、大正13年に本邸をこの地に移した。 昭和2年(1927)完成のこの建物は、ゲストルームとして邸内の奥まった一画に建てられたもの。 木造3階建ての妻側の玄関ポーチ上に手摺を巡らしたバルコニーを設け、破風の拝みを押さえた半切妻、側面の軒先に付けた千鳥屋根など外観の意匠に留意している。 設計・施工は明治・大正の名大工「大亀」(私は知らない?)。、、、、現在は、「いちかわ西洋館倶楽部」として、ギャラリー&コンサートの会場となっている。

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・・・・・・・・・・・・・・5丁目の中央を貫く国道14号(千葉街道

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・・・・・・・・・・・・・・千葉街道に面した参道入口から春日神社に参拝する。 300余年の歴史を持つ春日神社は、平成19年(2007)不審火により焼失したが、氏子、奉賛会、地元民の浄財により、平成20年(2008)に現社殿が落成した。 一年後には再建された神社、さすが、地元民は裕福なのか?、、、、社殿の後ろには、クロマツの大木が空に伸びる。

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●総武線の北側、5丁目の隣りは1丁目 ・・・・・新田1丁目、、、、総武線の北側で、5丁目に隣り合う1丁目。 ここも、中央を国道14号(千葉街道)が走る。

・・・・・・・・・・・・・・町のシンボル、街路樹に自然林のクロマツを活かした住宅地。 風格のある町、ナイス!、、、、もう一つ、風格ある住所案内板。

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・・・・・・・・・・・・・・春日神社に似た胡録神社。 千葉街道に面した参道、境内の大きさ、社殿の大きさ、賽銭箱の作り、、、どれも似ている! 祭神は淤母陀琉神、惶根命。 創建年代不詳だが、承応2年(1653)に再建したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・新田1丁目に接し、隣りの平田2丁目にある諏訪神社。 参道から境内までクロマツがお出迎え。
 
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・・・・・・・・・・・・・・千葉街道から諏訪神社へ向かう裏道の角に石仏と道標があった。 石仏は上の方がつぶれてしまい、判別できず。 正面下に「寛政11年 富村講中」と読める。 道標には「左 宮久保山道」、横に「東京開運女人會」と彫られていた。 チョイト気になる“東京開運女人會”、若い娘の会か(?)、ババァの会か(?) わざわざ“女人”と言うからには・・・・・

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●町を分け、どこまでも続く ・・・・・総武線市川~本八幡間の高架橋。、、、、高架橋の北側が新田5丁目・1丁目、南側が新田2丁目・3丁目・4丁目。 北側は歴史を感じさせる町並みであったが、南側は新興の住宅地となる。 

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●総武線の南側、面白味のない住宅地 ・・・・・新田2丁目~新田4丁目、、、、アパート、マンション、住宅が混在する、どこもかしこも同じような雰囲気の住宅地。 まとめて紹介する!

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・・・・・・・・・・・・・・おや! 電柱に10数年前に話題となった「路上喫煙禁止」の案内。 なぜ今頃? 在留の外人向けか? それにしては、英語が見にくいね? 効果は????? 

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・・・・・・・・・・・・・・市川駅前に通じる「ゆうゆうロード」 この道が新田地区の西の端となる。

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●お疲れさま! ・・・・・1万3千歩の散歩も終わり、市川駅に到着。

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