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2019年7月

2019年7月31日 (水)

暑い暑い散歩

連日の猛暑、今日は特に暑い。 この暑さの中、朝一番にて上野の病院で定期検診。 9時半には病院を出て、蒸し風呂状態で、上野公園、寛永寺、浄名院と巡り鶯谷駅まで歩いてきた。




●暑い暑い! ・・・・・・痛い痛い夏の日射しはなく、暑い暑い空気がどんより漂う、、、、帰省時の賑わいは遠い昔の話となった上野駅も静かに暑さに耐える、、、、中国か韓国か台湾か、お姉ちゃんは尼(雨)傘で日除け、、、、日陰がなくては暑くて歩けない、東京国立博物館前の広場は人影もまばら、、、、熱中症に注意し、風の流れる木立の陰を歩く、、、、「旧奏楽堂に入って一休みするか?」、300円の入館料がもったいないので素通り、、、、東京藝大美術学部の陳列館音楽学部の赤レンガ1号館、外から覗いて「また来ます!」

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●この木なんの木 ♪ ・・・・・♪♪ この木なんの木 気になる木 名前を知らない木ですから 隣りの説明読みました ♪♪、、、、上野公園のムクノキ(椋の木)で、木の説明書きでは、『ムクノキは、関東以西の山地から低地に普通に見られる落葉高木で、しばしば大木になります。 また、この木に見られるように、樹洞(じゅどう)という幹に穴ができやすいのも特徴です。 冬は葉が落ちるので、枯木のようですが、夏は葉が茂り元気な姿となります。』、、、、それにしても凄い穴だ! 突き抜けているので、熊も冬眠できないと思う。

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●川越から来た本堂 ・・・・・藝大音楽学部の北側に天台宗の寛永寺がある。 寛永寺は天台宗関東総本山で、東叡山寛永寺円頓院と号す。 開基は徳川家光、開山は天海和尚で、徳川将軍家の祈祷所・菩提寺となっている。 本尊は薬師如来。 寛永寺の堂宇は、慶応4年(1868)の上野戦争で多くを焼失した。、、、、寛永寺の本堂(根本中堂)は、明治12年(1879)に川越喜多院の本地堂を移築したものである。
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●数えてみたい地蔵さん! ・・・・・・寛永寺とは、言問通りをはさみ向かい合わせの浄名院。 浄名院は寛文6年(1667)に寛永寺36坊の一つとして開かれた。、、、、境内にズラ~ット並ぶ八万四千体地蔵は圧巻である。 本当に84,000体あるかは確認していないが、写真には一つのアングルでは納まらない。 境内の至る所に“〇〇地蔵”が安置され、さしずめ地蔵博物館と云う処。

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●汗もひたたる色男! ・・・・・寛永寺陸橋を渡り、JR鶯谷駅から帰宅。 我が家に着くと、パンツの中まで汗でビショビショ。 

2019年7月29日 (月)

泣きたくなって笑った神社

今日梅雨明け宣言がでた、これからは散歩も熱中症との戦いだ! 今日の都心の気温は34℃の予報で、朝から暑い一日が始まっている。

今日の散歩は大久保駅・新大久保駅周辺の、小さいながらも有名で、チョイト変わった社寺を巡ってきた。 都営大江戸線東新宿駅で下車し、大久保のコリアタウン周辺をうろつき、JR高田馬場駅まで、1万3千歩の散歩です。




●新宿のベッドタウン! ・・・・・・東新宿駅は都営大江戸線と東京メトロ副都心線の地下駅。 平成12年(2000)12月12日の大江戸線全通時に開業。 大江戸線ホームは地下3階で、島式1面2線の構造。 平成20年(2008)に副都心線が地下5階・6階に乗り入れて乗換駅となった。 場所的には歌舞伎町の北東にあたり、周辺は歓楽街の趣がなく、おとなしい駅である。、、、、周辺にはマンションが多く、歌舞伎町裏(北側)のラブホテル街にも至近である。 コリャ、ベッドタウンだ!

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●福は内、鬼は内! ・・・・・・古来より大久保村の聖地といわれた場所にたてられた、福を招く稲荷神社と、紀州熊野の鬼王権現を祀る鬼王神社が、天保2年(1831)に合併し稲荷鬼王神社(新宿区歌舞伎町2)となった。 全国唯一の鬼の福授けの社として信仰を集め、「撫で守り」の授与で有名である。 皮膚病・その他病気平癒に御利益がある。 祭神は、稲荷神の宇迦之御魂神、鬼王権現の月夜見命・大物主命・天手力男命。 そして、大久保村が祀っていた神々(火産霊神など)も明治時代に合祀されている。、、、、神社では、節分の豆まきに、鬼を春の神とみなし「福は内、鬼は内」と唱える。

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・・・・・・・・・・・・・・境内社:恵比寿神社にお参りして、手水から柄杓で「かえる石」に水を掛け、次に「かえる石」をさすりながら、心の中で次の言葉を三度唱えると叶うそうだ。 交通安全や旅の安全を願う人は『無事かえる』 開運を願う人は『良き運にかえる』 金運を願う人は『金かえる』 縁結びを願う人は『待ち人かえる』 健康を願う人は『若がえる』 神を信ぜぬ人は『あきれかえる』(?)

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●塀の外は娑婆! ・・・・・稲荷鬼王神社から「職安通り」と呼ばれる大通りを西へ向かうと、西武新宿線・JR山手線のガード手前に曹洞宗長光寺(百人町1)がある。 長光寺は山号を玉宝山と称し、甲州武田家の遺臣により、天正10年(1582)の織田信長との合戦によって滅亡した武田家の菩提を弔うために、文禄3年(1594)に建立された。 本尊は釈迦如来。、、、、入口脇に「しあわせ薬師如来堂」がある。 皆さん、素通り、特別に歴史ある薬師如来ではないようだ! 

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・・・・・・・・・・・・・・・長光寺の墓地は本堂裏から、広い処で幅15m、長さ約130mぐらいで、北に伸びている細長い敷地である。 この墓地の北の端に「北向観音」に建立されている。 “北向”であるから塀の外に向かい立っている、ヘィ~~! 塀には「北向観世音菩薩  厄除の観音様です」と書かれ、賽銭箱も用意されてるが、塀の外を歩く人は蒸し暑いので、無視、無視(?)

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●大久保の新しい観光スポット? ・・・・・大久保駅南口の近くに、中華料理レストランと見間違うような派手な建物(百人町1)があった。 正面には「東京媽祖廟」と書かれている。 平成25年(2013)に完成した、“媽祖(まそ)”と呼ばれる台湾及び香港・マカオ・福建省など中国沿海部を中心に信仰を集める女神を祀る廟である。 簡単に言うと、道教の寺院で、横浜の関帝廟と同じようなものらしい。 媽祖を祀る媽祖廟は世界中に約2000寺院以上あり、約2億人以上の信仰があるそうだ。 特に媽祖信仰のあつい台湾では、900余りの媽祖廟が存在するそうだ。、、、、なんだか入ってみたくなった! 私には異次元の空間かも?
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・・・・・・・・・・・・・・2階は「関帝殿」と称し、関帝を中心に男の神様が祀られている。

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・・・・・・・・・・・・・・3階は「媽祖殿」と称し、媽祖を中心に女の神様が祀られている。

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・・・・・・・・・・・・・・4階は「観音殿」と称し、観音を中心に仏様が祀られている。

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●チョイト、パッチリ! ・・・・・・・大久保駅・新大久保駅周辺のコーリア・タウン、、、、早朝、ゾロゾロ専門学校に通う東南アジアの学生、、、、静かな朝は歌舞伎町のラブホテル街、、、、ラフなスタイルは中国の観光客、、、、韓流グッズをさがす観光客

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●当たらん! ・・・・・・・新大久保駅近く(百人町1)に皆中稲荷神社がある。 皆中(かいちゅう)稲荷神社は、天文2年(1533)に創建されたらしい。 寛永11年(1634)の江戸城拡張に伴い鉄砲隊百人組が当地に屋敷地を支給された。 “皆中”を「みなあたる」と読むことで縁起よいとされて、鉄砲組の信仰をえて、百人組出陣の儀が奉納されるようになったという。、、、、今は『ギャンブル神社』として知名度が高い。 私も何回かお参りしたが、宝くじはハズレ! 運が無いのか、食あたりにも当たらない! 

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●拝殿はアパートの2階? ・・・・・・皆中稲荷神社の次は、新大久保駅前をとおり大久保2丁目の裏道を歩く。 住宅街の中に、「これが夫婦木神社か?」と、信じられない、疑いたい、泣きたくなるが笑ってしまう神社があった。 パワースポット、夫婦木神社(めおとぎじんじゃ)、、、、祭神は、男神:伊邪那岐大神と女神:伊邪那美大神。 二神は夫婦でもあり、天照大神や素戔男尊など多くの子を作った夫婦神である。 創建の詳しい年代や経緯などは不明ですが、室町時代の後期、江戸城築城の際に太田道灌によって創建されたと伝えられている。 その後江戸時代には紀州藩の屋敷内に遷座した。 昭和40年(1965)には淡路島の伊弉諾神宮より分霊を勧請し、現在の夫婦木神社となりました。 住宅の二階にあるという珍しい神社である。 この住宅には、元々は皆中稲荷神社の神職の方が住んでいたそうだ。 神職の方が引越しした後、その場所に分霊を勧請した。 縁結びや夫婦円満、子授けや安産などに大きな御利益があるとされ、メディアでも度々取り上げている神社らしい。、、、、一度参拝すれば、メディアが取り上げる気持ちも、理解できるね。
・・・・・・・・・・・・・・静かな住宅街の奥に鎮座する夫婦木神社。 社務所は通りに面し開いている。 御朱印・お守りはコチラ!

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・・・・・・・・・・・・・・木製、朱塗りの鳥居は、お稲荷さんと間違えるかも。

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・・・・・・・・・・・・・・・拝殿はアパート(?)の2階。 階段途中の踊り場に置かれた青いポリバケツは手洗鉢。 水は飲まないでください!

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・・・・・・・・・・・・・・・朱塗りの階段を、2階に上り詰めたら、ハイここまでヨ! ドア1枚分の大きさの開口部があり、目の前に賽銭箱がある。、、、、ここは以前、神職の住んでいたアパートか(?) なんだか、不思議な自信が湧いてきた!

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・・・・・・・・・・・・・・4畳半程の部屋に神棚があった。 ここは神社なので、“二拝二拍一拝”する。、、、、神社の案内によると、神前結婚も可能なそうだ。 ぜひ多くのカップルが挙式をあげるといいですね。 幸せになれそうな神社です。

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●アニメの狐? ・・・・・夫婦木神社から戸山公園を抜け、山手線の内から外に出て、高田馬場4丁目の住宅地の奥へと歩く。 江戸幕府開府以来当地に鎮座する鉄砲稲荷神社がある。 由緒不明。 “鉄砲”とは危なっかしい名前の神社だが、ひょっとすると徳川鉄砲百人隊ゆかりの神社かな? アニメ調の狐は平成の時代の作品らしい。

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●タカダノババ、タカタノババ? ・・・・・・高田馬場駅は明治43年(1910)9月15日に国有鉄道山手線の駅として開業した。 昭和2年(1927)には、西武鉄道の駅も開業。 昭和39年(1964)には地下鉄東西線の駅も開業する。

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2019年7月26日 (金)

深川の三十三間堂

一気に夏到来、これからは外出時に熱中症を心配しなければならない、暑い暑い夏だ!

今日の散歩は、都営浅草線日本橋駅から、永代通りに沿って地下鉄東西線木場駅までの、1万2千歩です。 




●間違えたら一大事! ・・・・・・昭和7年(1932)、中央通りに東京地下鉄道(現:東京メトロ)の日本橋駅が開業。 昭和38年(1963)2月28日、中央通りと約200m離れて並行する昭和通りに、都営地下鉄1号線(現:浅草線)の江戸橋駅開業。 昭和42年(1967)には、中央通りの日本橋駅と、昭和通りの江戸橋駅を連絡するように永代通りに東西線の日本橋駅が開業する。 これにより、日本橋駅と江戸橋駅は乗換駅となる。 平成元年(1989)都営地下鉄浅草線の江戸橋駅を日本橋駅に改称。、、、、浅草線の日本橋駅は、相対式ホーム2面2線の駅であるが、改札内にはホーム間の連絡通路が無いため、行先により利用する改札を使い分ける必要がある。、、、、我が家のある浅草線の浅草橋駅の隣り駅は東日本橋駅、三越デパートに近いのがJR総武快速線の新日本橋駅、そしてここ日本橋駅。 どれも“日本橋”間違えないように!(大阪メトロにも日本橋駅があるけど、ここと間違えたら悲惨!)

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・・・・・・・・・・・・・・浅草線から地上に出ると、昭和通りと永代通りが交差する「江戸橋一丁目交差点

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●撤去されずに50年 ・・・・・・永代通りの日本橋駅と茅場町駅の間に、かつて流れていた楓川(かえでがわ)を渡る千代田橋が残されている。 千代田橋の最初の架橋は昭和3年(1928)。 東京オリンピックに間に合うように、昭和37年(1962)に川は埋め立てられ、頭上には首都高が造られ、千代田橋は使命を終えた。 その後今日まで、千代田橋はなぜか撤去されず残されている。 当時、急速に進んだ都市開発の波にもまれ、取り残されたこの橋に悲哀を感じる。

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●暑さに耐え、今日もお勤め! ・・・・・・日本橋駅から約500mで隣の茅場町駅。 通勤する人がゾロゾロと地下駅から掃き出されてくる。、、、、亀島川に架かる霊岸橋を渡り、昔の霊岸島、今は中央区新川である。、、、、大手企業の本社ビルが立ち並ぶ、バブルの象徴と言われるビルもその一つ。

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●只今、化粧中! ・・・・・・永代通りが隅田川を越える永代橋。 橋の素顔を見たかったが、只今、一年がかりの塗装工事で、暑さ寒さに耐えられるよう厚化粧中だ!、、、、橋から見る、青空の下の隅田川。 画になるね!

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●味噌屋の逸話 
・・・・・永代橋を渡り江東区佐賀1の乳熊ビル前に、ちくま味噌(株)の建てた「赤穂義士休息の地」の石碑がある。 赤穂四十七士の一人大高源吾守葉は俳人としても有名であるが、ちくま味噌初代竹口作兵衛本浄とは其角の門下として徘界の友であった。 元禄15年(1702)12月14日本所松坂町(墨田区両国)の吉良邸討入後、大石内蔵助率いる義士達が一ツ目通りを引き上げの途中、永代橋際の乳熊屋味噌店の前にさしかかる。 乳熊屋は上棟の日に当たり、作兵衛は一同を店に招き入れ甘酒粥を振る舞い労をねぎらった。 大高源吾は棟木に由来を認め又看板を書き残し泉岳寺へ引き上げて行ったそうだ。 ちくま味噌では、現在「元禄浪士あま酒」として販売している。 老舗の味噌屋には、それなりの話が残っているものだね。、、、、ところで、恥ずかしながら、私は今日まで「ちくま味噌」の“ちくま”は“千曲”で信州の会社だと思っていた。 “乳熊”は伊勢乳熊郷の地名であった。 慶安の頃(1648~1651)竹口作兵衛義道が、一旗揚げようと伊勢乳熊郷から江戸へやってきて、日本橋で塗物商を営んでいたが、元禄の初め(1688~)深川永代橋際の現在地で味噌醸造を営み、乳熊屋作兵衛商店といったのが、今の「ちくま味噌」の始まりだそうだ。

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●蒲鉾にあらずミカンなり! ・・・・・蒲鉾屋のお稲荷さんと間違えそうな、大和総研(永代1-14)の敷地の東角地にある紀文稲荷神社。 江戸中期(元禄時代)の豪商紀国屋文左衛門が京都伏見稲荷神社より御霊を拝受しこの地に祀ったのが紀文稲荷神社。 紀国屋文左衛門は第5代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保荻原重秀等と結び風浪を冒して紀州よりミカンを江戸に運びまた材木商として明暦の大火に木曽の木材を買い占め数年で巨万の財を築き豪遊して紀文大尽と称せられていた。 その文左衛門の店は八丁堀にあり、下屋敷が深川にあり、船蔵もこの周辺にあり、縦横に伸びた運河によって結ばれていた。 そこで、文左衛門は、この付近時この付近一帯の航海の安全と商売の繁盛を祈ってこの地にお稲荷さんを祀った。、、、蒲鉾屋にあらず、ミカン屋のお稲荷さんだった!

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●度々の参拝、建物は見飽きた! ・・・・・・門前仲町駅前をとうり、永代寺深川不動尊深川不動燈明塔富岡八幡宮と、定番の寺社を巡る。

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●国産第一号の鉄橋 ・・・・・・
富岡八幡宮の東側に「八幡掘遊歩道」があり、そこには歴史ある人道橋2橋の上部が残されている。

・・・・・・・・・・・・・・江東区木場の大横川(旧大島川)に架かり、町の人びとの暮らしを支え続けてきた小さな人道橋。 大正時代、岐阜県から上京し、木場で開業医をしていた新田清三郎さんが、昭和7年(1932)、不慮の事故で亡くなった夫人の霊を慰める供養の意味を込めて架けた橋である。 当初「新船橋」と名付けられたが、新田医師の亡きあと「新田橋」と呼ばれるようになった。、、、、現在の新田橋はコチラ

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・・・・・・・・・・・・・・旧弾正橋は、明治11年(1878)工部省赤羽製作所にて作られた国産第1号の鉄橋。 長さ15.2m、幅3mの単径間アーチ型式。 近代橋梁技術史上において価値の高い橋で、国の重要文化財に指定されている。 昭和4年(1929)に現在地(八幡堀)に移され八幡橋と改称し、人道橋として使用されてきた。、、、、堀は埋め立てられ、橋の下は遊歩道となっている。

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●三十三間堂があった! ・・・・・旧弾正橋(八幡橋)を渡り東に向かうと深川八幡東交差点。 この交差点角に「三十三間堂跡」がある。、、、、江戸三十三間堂は、京都蓮華王院に模して、寛永19年(1642)に浅草において建立された。 ここ深川に移されたのは元禄14年(1701)のことである。 深川の三十三間堂は、南北六十六間・東西四間の堂舎であり、本尊は千手観音だったといわれている。 現在でも、京都の三十三間堂において通し矢が行われているが、江戸時代は、この三十三間堂においても、諸士の弓術稽古のために通し矢が行われていた。 深川三十三間堂は、明治5年(1872)に廃棄解体され、本尊は正覚寺(深川2)に移された。 跡地は明治時代に、堂域そのままに細長い深川墓地として利用されたが、大正時代には数矢小学校と住宅に変わった。 その後、数矢小学校は富岡八幡宮の北側の現在地に移転した。、、、三十三間堂が建っていた場所は、明治2年~昭和6年、深川数矢町(かずやちょう)といった。 町名は「三十三間堂が射手数矢を演じたる地なるを以って町に名づくという」ことに因んでいる。 現在は富岡2丁目に含まれ、数矢町は消滅したが、この名は、数矢小学校の校名に残っている。 


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●200億円の工事! ・・・・・・東西線の木場駅は昭和42年(1967)9月14日に開業した。 島式ホーム1面2線を有する地下駅である。 深さ22.4mと、東西線で一番深い位置に存在する。 開削工法で掘られた両端部以外は単線シールド工法で掘られたためホーム中央に壁があり、単式ホームを隣り合わせとしたような構造である。この単線シールド工法で建設された駅は日本の地下鉄として初である。このような構造のため、改札口と連絡する階段・エスカレーターはホームの両端にあり、それ以外の位置ではホーム間の行き来はできない。階段はエスカレーターの奥にある。、、、、開業してから50年、狭いホームの改良工事が進められている。 シールドの壁を撤去し、広い空間を造りホームを広げる総工事費200億円の大工事。乞うご期待!

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2019年7月24日 (水)

宗派が変わった円融寺

「今日の散歩は何処にしようか?」と地図を見ていたら、「円融寺通り」の文字が目に入った。 決まり!今日は「円融寺通り」を歩くことにした。 もちろん、円融寺にも寄ることにした。 東急目黒線洗足駅から、東急バス清水バス停まで、1万歩の散歩。

・・・・・・・・・・・「円融寺」は、天台宗寺院で、経王山と号す。 仁寿3年(853)に慈覚大師が当地(目黒区碑文谷1)に創建した天台宗法服寺を起源とし、日蓮上人の高弟日源上人が日蓮宗に改め、弘安6年(1283)妙光山法華寺と改号した。 末寺75ヶ寺を擁し、日蓮宗の名刹寺院として栄えた。 しかし、不受不施派(法華経信者以外からは施しを受けず、施しもしないと主張した、日蓮宗の一派)の拠点であったことから江戸幕府の弾圧を受け、元禄11年(1698)に再び天台宗に改宗し、天保5年(1831)には経王山円融寺に改めた。、、、、天台宗から、日蓮宗へ、そして天台宗に戻り、次は何宗か?

・・・・・・・・・・・「円融寺通り」は、その名のごとく円融寺の近くをとおる通りの名である。 東急目黒線の洗足駅から南東に150m程にある「小山七丁目交差点」を起点に、洗足駅前、原町と抜け、碑文谷の円融寺の東250m程を北上し、目黒本町の町中を抜けて、目黒通りの「東急バス目黒車庫前交差点」までの2車線のバス道路である。、、、、通り名を知っているのは地元の人だけだと思うね! 




●池がない洗足駅 ・・・・・・・東急目黒線の洗足駅は大正12年(1923)3月11日に開業。 昭和40年(1965)には、環七通りとの立体交差のため地下化された。 深さ約7mの相対式ホーム2面2線を有する地下駅。、、、、目黒線の「洗足駅」と池上線の「洗足池駅」は、名が似ているが前身となるの会社が異なっていたため、直線距離で約1.1km離れている。 両駅を利用する時は、間違えないで!

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● 女子高が消えた円融寺通り ・・・・・・・まずは円融寺まで、円融寺通りを歩く。

・・・・・・・・・・・・・・まずは、南端の「小山七丁目交差点」 写真中央の通りが「円融寺通り」で、ここから駅前を通り洗足2丁目の交差点までは、「洗足 いちょう通り」と称している。、、、、本名は円融寺通りで、源氏名はいちょう通り?

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・・・・・・・・・・駅前の洗足いちょう通りは、シャレた店が多く(早朝なので、店はまだ開いていない)、駅に向かう若い娘もモデルみたい! この町には皇后さまの実家があるそうだ。 さすが私の住む浅草橋(台東区)とはチョイト違うね! 
  
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・・・・・・・・・・・・・・昭和40年代に建てられたマンション、現在でも“高級賃貸マンション”として入居者募集中。 この辺りは、やはり浅草橋とは違い高級住宅街なのか?

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・・・・・・・・・・・・・・江戸時代の面影を残す緑豊かな古民家と屋敷林が、原町2に「宮野古民家自然園」として残されている。 入園は10時から、まだ開いてないので、残念だがまたの機会とする。

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・・・・・・・・・・・・・・原町2のバス停「洗足学園前」  停留場名となった「洗足学園第一高等学校」は平成20年(2008)に閉校した。 跡地には大きなマンションが建っている。、、、、学校は、敬虔なクリスチャンでもあった創設者:前田若尾により大正13年(1924)に開校した私立女子高等学校であった。 歌手:由紀さおりは卒業生の一人である。 バス停は残れども、校舎は残らず、残念!

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・・・・・・・・・・・・・・円融寺通りから、西にある円融寺参道に向かう。 途中、住宅(原町2-13)の軒下に薬師寺と東塔・西塔、金閣寺、銀閣寺、平等院などの寺社の手作り模型が並んでいた。 その家の主:寿司屋を廃業された80歳の御主人が趣味で作ったものだ。 最近作、2カ月かけた作品「国家 令和元年」というものもあった。 今後は姫路城の築城に取り組むそうだ、お元気で!

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●23区最古の建築! ・・・・・・・円融寺通りから約300m西側によった碑文谷1-22に天台宗の円融寺(えんゆうじ)はある。 都心に在る寺とは思えない静けさと、綺麗に手入れされた境内で、癒される空間が創られている。

・・・・・・・・・・・・・・現在の山門は昭和26年(1951)に品川御殿山の原邸から移築されたものである。 この門は天保4年(1833)播磨の国の寺の山門として造られたもので、明治時代に原邸に移されたものだ。、、、、山門をくぐると、仁王門に向かい真直ぐに参道が伸びている。
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・・・・・・・・・・・・・・参道の先で、数段の階段を上ると仁王門がある。 簡素な造りの仁王門であるが、唐風に和風を取り入れ、虹梁、蟇股、懸魚などにも様々な装飾が加えられている。 建立時期は不明であるが、永禄2年(1559)に仁王像が作成されるのとほぼ同時期と考えられる。 茅葺きだった屋根は、平成19年(2007)に銅葺きに改められた。


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・・・・・・・・・・・・・・仁王門の先に入母屋造の釈迦堂が見える。 円融寺では山門、仁王門、釈迦堂、阿弥陀堂が一直線に並んだ伽藍配置となって、境内の奥行の深さを感じる。、、、、釈迦堂は室町初期の建立とされ、23区内最古の木造建築でる。 明治44年(1911)に国の古社寺保存法により国宝に指定され、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。 本来の屋根は茅葺きでしたが、火災予防の見地から昭和27年(1952)に銅葺きに改められた。 全体に調和のとれた優美な姿の堂である。

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・・・・・・・・・・・・・・釈迦堂の後ろに阿弥陀堂(本堂)が控えている。 阿弥陀堂は、昭和50年(1975)の建立で、設計は佐々木嘉平、設計顧問に早稲田大学名誉教授工学博士・田辺泰をむかえ、平安朝阿弥陀堂様式に則って建設された。、、、、本尊の阿弥陀如来は、仏像彫刻家の第一人者:松本昇の作で、日野法界寺の国宝・阿弥陀如来の様式を模して作られたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・仁王門の横の梵鐘は、寛永20年(1643)に鋳造されたものである。 国重要美術品、、、、撞いてみたくなったが、撞木がない、ガ~~ン!

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・・・・・・・・・・・・・・この他、境内には、小さな五重塔のような石塔がある。 これは円融寺の前身である日蓮宗法華寺の開基日源上人(~1315)の供養塔。 また、法華寺と彫られた水鉢もある。、、、、天台宗に残る日蓮宗だ。

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●住みたくない家がある円融寺通り ・・・・・・また、円融寺通りに戻り歩くことに、、、、、

・・・・・・・・・・・・・・円融寺東門から出ると、アリャ・コリャ・ナンジャ?、、、、内部はどうなっていることやら???
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・円融寺通りの五差路角(目黒本町6-24)に法界塚なるものがある。 法界塚の名は16世紀末の古文書にも見られることから由緒あるものと考えられるが、塚自体は法華寺に関係する経塚とも古墳とも伝えられ、詳しいことは不明。 隣に建つ鬼子母神堂は、江戸時代に安藤氏が勧請したもので、明治末に品川区西小山の摩耶寺からこの地へ移された。

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・・・・・・・・・・・・・・円融寺通りもあと少し目黒本町1の町を抜ける。
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・・・・・・・・・・・・・・円融寺通りが目黒通りにぶつかる「東急バス目黒車庫前交差点」、、、、これにて、「円融寺通り」を踏破。

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・・・・・・・・・・・・・・目黒通り「清水バス停」からバスにて渋谷へ向かう。

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2019年7月20日 (土)

大田区の下町

梅雨寒から一転し、湿度100%・気温28℃、ムシムシ・ベトベト・ジメジメのスッキリしない空模様。 散歩には、汗拭きタオルと扇子を忘れずに! 、、、、 今日は、京急空港線の糀谷駅で下車し、第一京浜(国道15号)と産業道路(国道131号)に挟まれた大田区の“下町”を歩き、京急本線の大森町駅まで、1万歩の散歩です。




●近代的な駅に変身! ・・・・・・・糀谷駅(こうじやえき)は、明治35年(1902)6月28日に京浜電気鉄道の穴守線(=羽田支線)として蒲田~稲荷橋間 (3.6km) の開通と同時に開業した。 平成22年(2010)、高架化工事の進捗により、それまで地上を走っていた上り線が高架となる。 その2年後、下り線も高架となり、平成29年(2017)に全ての高架化事業が完了した。 駅前にはロータリーもでき、高層ビルも建ち、シャレた近代的な駅に生まれ変わった。

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・・・・・・・・・・・・・・昔ながらの駅前商店街(写真1枚目)。 高架化工事中は写真:左端の「丼丸」の左隣りに仮の改札口があった(写真2枚目、平成24年撮影)。 また、撮影している足下に踏切があった(写真3枚目、平成24年撮影)。 


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・・・・・・・・・・・・・・糀谷駅を出た羽田空港行の電車は、急勾配を下り一気に地下に潜って産業道路と環八通りの交差点の直下に位置する大鳥居駅の地下ホームへ進入する。



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●大田区の“下町” ・・・・・・・・・・・・・・・海側にどんどん広がる大田区は平成5年(1993)に世田谷区を抜いて、東京23区で最も面積の広い区となった。 山側の田園調布は一度は住んでみたい高級住宅地、海側の羽田に近い処は町工場の多い下町、その先の羽田空港と東京湾の中にある中央防波堤埋立地は未来都市、いずれも全て大田区である。、、、、今日の散歩はその下町の一角、西糀谷、北糀谷、大森中の町をブラブラ。
・・・・・・・・・・・・・・西糀谷の裏道で見つけた板塀の一種で大和塀の住宅。 大和塀は、板を一枚おきにずらして張り、凸凹を造ることで、目隠し効果を得ると同時に、通風をよくする先人の知恵。、、、、チョイト曲がりくねった裏道は、昔、子供の遊び場だった。


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・・・・・・・・・・・・・・西糀谷の西仲天祖神社。 神社の創建年代は不詳。 祭神は、太陽を信仰し発展した神霊であるといわれている天照皇大神と、一般的に商業・工業方面で霊威を発揮するといわれている豊受姫大神の二神、以上最強のペアである。


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・・・・・・・・・・・・・・なんと!レトロな外観の床屋さん、看板の文字が消えかかっていますが「ハセガワ理容所」と読める。 丁寧な仕事をしてくれそうな床屋さんだ!


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・・・・・・・・・・・・・・白無垢の袋を着せられ姿の見えないブドウ、酔い覚ましの効用があるカリン、収穫はまだか?


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・・・・・・・・・・・・・・複数の神社・公園で櫓を組んでいるのが見られた。 今日・明日は納涼盆踊りが、日本全国で始まる日かも?、、、、我が家のある浅草橋でも、「柳橋 納涼盆おどり」が昨日から明日までの3日間行われている。 我が妻も毎年参加していたが、今年は五十肩(還暦過ぎても五十肩?)で参加できず、残念!


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・・・・・・・・・・・・・・西糀谷から呑川を越えると北糀谷。 平成9年(1997)に架けられて北糀谷橋を渡る。、、、、呑川は、昭和の時代は黒く濁った臭い川だった。 都・大田区では、河床の清掃、都営浅草線の湧水放流などで、呑川の水質浄化に取り組んでおり、平成7年頃から環境基準を達成し、現在は魚も戻ってきた。 


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・・・・・・・・・・・・・・北糀谷の小学校、校庭の隅にたつ“あの人”の像。 像の前には生徒が栽培する鉢が並んでいる。


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・・・・・・・・・・・・・・大森中3丁目に鎮座する三輪神社。 この地は古く堀之内と呼ばれた処で、北条時頼の時代(1247~1259)の陣屋跡といわれている。 三輪神社は、享徳年間(1452~1456)に土地開拓の神として、大国主命を祀り第六天社と呼び、村人の崇敬を集めたのが創始と云われている。 昭和20年(1945)空襲で被災し、その後昭和27年(1952)に社殿を新築した。


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・・・・・・・・・・・・・・三輪神社の近くに、もう一社。 かつての村の鎮守であった前方八幡神社。 創建年代は建武年間(1334~1336)らしい。 大田区の下町には神社が多く、歴史ある土地を物語っている。


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・・・・・・・・・・・・・・大林寺は大森中にある日蓮宗の寺。 創建年代は不詳、旧真言宗薬王院として創建、薬王院の住職だった日円が、法華宗日位と法論した結果、長享2年(1488)に日蓮宗に改めた。、、、、山門横にある池上道道標は、享保14年(1729)に、大森村の日蓮徒で組織された甲子講の人々が建てたもので、東海道から分かれて池上本門寺に至る大森中宿の池上道の追分にあったもの。 高さ1.6mの大きな道標である。、、、、大林寺参道正面にある八百屋さんは安さで評判の店らしい。 チョイト、店名が気にかかる。


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●垢抜けした駅! ・・・・・昭和24年(1947)までは近くに「大森山谷駅」という駅があったが廃止され、昭和27年(1952)12月25日に「大森町駅」として追加開業した。  高架化工事に伴い、平成22年(2010)から上下線別にホームを高架に切り替えられた。、、、、旧駅を知っている人には、『これが今の大町駅なのか・・・』と叫ばれそうな、垢抜けしたデザインだ!


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2019年7月18日 (木)

昭和の匂いプンプン

「今日は晴れるか?」疑心暗鬼で散歩に出る。 空を見上げて「何処へ行こうか」、どうも晴れそうにない。 迷った末に、昨日は京急大師線に乗ったので、今日は東武大師線に乗ることにした。 西新井大師に参拝し、その後は“昭和”が匂う本木新道を歩いてみた。 1万1千歩




●もう一つの大師線 ・・・・・・東武鉄道にもある「東武大師線」 こちらは、西新井駅から次の大師前までの一駅間(単線、1.0km)、昭和6年(1931)12月20日に開業した盲腸路線。、、、、2両連結のワンマン電車が、行ったり来たり。 

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●チョイト、早すぎた! ・・・・・・朝8時過ぎ、参道の店はまだシャッターが下りている。 西新井大師の静かな境内には人影も少ない。 大きな本堂でも静かに掃除中。、、、、投げた賽銭の音が堂に響く、静寂。 おもむろに、イロイロ、タップリ、シッカリ、多くの願い事を並べ合掌する。、、、、(昨年末の、東武大師線と西新井大師はコチラ)

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●“昭和”の匂い漂う道 ・・・・・・西新井大師の参拝を終え、「さて、どっちに向かって歩こうか」地図を見ながら思案橋! 決めた、西新井大師の南側に伸びる「本木新道」を端から端まで歩くことにした。

・・・・・・・・・・・・・・本木新道とは、北端の環状7号線の西新井大師交差点から、南端の荒川土手沿いに走る首都高中央環状線高架下の本木一丁目交差点を結ぶ、2km余りの2車線の道路をいう。 新道は古くからの歴史ある街道とは異なり、昭和30年代から農業用水らしき川が暗渠化され、その際、今のように川の流れに沿った曲がりくねった道となった。 沿線には、西新井病院、西新井小学校、足立西郵便局などが道路沿いに在る。 またこの道路には、商店街らしい賑わい、アーケード、大型スーパーなどは無いが、長い距離の沿線に、地域に密着した新旧の個人商店が並んでいる。 また、沿線から最寄りの鉄道駅までは、チョイト距離がありお年寄りには無理、そこで北千住行のバスが大いに利用されている。

・・・・・・・・・・・・・・まずは、環七通りに面し、本木新道に近い西新井氷川神社に寄って行く。、、、、寛永3年(1626)に武蔵国一宮氷川神社(現さいたま市)から素盞嗚尊を勧請して創建されたと伝えられている。 江戸時代には、西新井村の鎮守とされ、明治6年(1873)には村社となる。

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・・・・・・・・・・・・・・環七通りから本木新道に入った処。(西新井本町1付近)、、、、本木新道には信用金庫の支店が多く、数えてみなかったが、10店舗以上あったようだ。 写真左側は足立成和信用金庫。

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・・・・・・・・・・・・・・西新井本町付近の本木新道。 元気な商店、疲れた商店、昭和の面影残る沿道。 

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、本木新道から脇にそれて、西新井本町4の奥に広がる「都営興野町住宅」に寄ってみた。 棟数:27棟、戸数:560戸、鉄筋コンクリート造4階建て、昭和34年(1959)頃の建物。 最近、改良工事が行われたようだ。 家賃は3万円~4万円程、安い!、、、、築60年の都営住宅、この団地に建てた頃から住んでる人は、何人ぐらいいるのか。 そろそろ建て替えの時期かも? 

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・・・・・・・・・・・・・・再び本木新道に戻り、興野(おきの)地区を歩く。 裏通りの呑み屋、「すてきな奥さん」が売る本屋、モルタルでデコレートしたかつての医院、飲食店も並ぶ、モデルガンを売る店もある。

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・・・・・・・・・・・・・・本木東町、本木南町、本木と続く本木地区を歩く。 どこのバス停にも、バスを待つ人の姿がある。 本木新道は本木南町の付近でS字に大きくカーブする。 ポツリと一軒の八百屋さん。 本木新道の正面に首都高と荒川土手が見えた!

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・・・・・・・・・・・・・・本木新道の南側の端部である本木一丁目交差点。 今日の散歩もここまで、私もバスで北千住駅に出て帰る。

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2019年7月17日 (水)

京急大師線 (川崎大師~京急川崎)

来週から多くの学校は夏休み、でも陽気は5月並み、プールにも入れない連日の梅雨寒。 今朝も明け方近くまで都心では雨がパラついていた。 5時に起床し、天気予報を見ると、本日は『午前は曇り、午後は晴れ』 「川崎大師に行ってくる」と家を飛び出す。 京浜急行大師線の散歩、今日は川崎大師駅から京急川崎駅まで、1万1千歩です。



●のんびり通勤の駅 ・・・・・・雨上がりの朝、川崎大師駅、上りも下りも通勤ラッシュには縁がなさそうだ。、、、、

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●撫で牛ならぬ、撫で撫で男根 ・・・・・・川崎大師駅から南西に150m程に若宮八幡宮がある。 大師地区に所在する八社の総鎮守。 多摩川の向こう岸、大田区東六郷にある八幡塚六郷神社から氏子達が大師河原干拓のために移り住み、守護神として祀ったのが当神社と云われ、八幡様(応神天皇)の若宮様(仁徳天皇)が御祭神なので若宮八幡宮と呼ばれる。 創建は永正17年(1520年)頃らしい、創建以来川崎大師平間寺に属しその鎮守社とされてきたが、明治の神仏分離の際に平間寺から独立した。 昭和35年(1960)、社殿を鉄筋コンクリート造で再建。

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・・・・・・・・・・・・・・若宮八幡宮の境内社として金山神社が境内にある。 この神社は、鉱山や鍛冶の神である金山比古神(かなやまひこのかみ)と金山比売神(かなやまひめのかみ)の二柱を祭神として祀っている。 祭神である二神は、伊邪那美命(イザナミ)が火の神カグツチを産んだ際に女陰に火傷をし病み苦しんでいるときにその嘔吐物(たぐり)から化生したこと、鍛冶に使う鞴のピストン運動が男女の性交を連想させることなどから、性神としても信仰されている。、、、、神社で毎年4月に行われる奇祭「かなまら祭」は、助平はもちろん若い女性にも知られ、さらには海外にも知られた有名な祭りである。 祭りは男根をかたどった神輿が三基巡行する性信仰の祭りだそうだ。、、、、約3万人が見物に来るらしい。 残念であるが、私はまだ現地で祭りを見たことがない、ぜひぜひ見たいものだ!

・・・・・・・・・・・・・・平成11年(1999)に新築された、一辺が3mの正八角形、高さ8mの吹き抜けの金山神社社殿。 内部は鍛冶屋の作業場か?

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・撫で牛の代わりか?社殿の前には男根が二基。 オヤ!、鍛冶屋の金床も男根のデザイン。 旗にもそれらしき絵が、御朱印にもそれらしき絵を描いてもらえるらしい。、、、、チョイト、やりすぎ馬鹿馬鹿しくなった。 

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●消えたエプロンおばさん ・・・・・・鈴木町駅は、昭和4年(1929)12月10日、味の素前駅として開業。 昭和19年(1944)に鈴木町駅に改称。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、京急川崎方に構内踏切がある。 1番線側(味の素工場側)の改札口は平日朝のみ利用可能な臨時出口で、工場守衛室前に出る。、、、、駅名の「鈴木町」は味の素の創業者・鈴木三郎助に由来している。 線路北側(多摩川側)は味の素の工場でよそ者は立入禁止。、、、、いつの頃からか、食卓から赤いキャップの“味の素”が消えた。 我が家だけか? まだ、店では売っているそうだ! 登録商標の“エプロン姿の主婦”の絵も見ることがなくなったね!

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●名産品で飾った水門 ・・・・・・鈴木町駅と隣の港町駅の中程に川崎河港水門がある。 第一次世界大戦による好景気により、不足した工場用地の拡大を図る運河・港湾を整備する計画の一環として川崎河港水門が造られた。 当時の多摩川改修事務所長であった内務技師:金森誠之の設計により、大正15年(1926)に着工し、昭和3年(1928)に完成した。 高さ20.3m、水門幅10.0m、鉄筋コンクリート造。 2本のタワーと、タワーをつなぐ梁、ゲートによって構成され、タワーの頭頂部には当時の川崎の名産品のブドウ・梨・桃等をあしらった装飾で飾られている。 現在は国の登録有形文化財として保存されている。、、、、良い状態で残っているね!

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・・・・・・・・・・・・・・この水門の近くで、平成27年(2015)2月20日早朝、中学1年の男子生徒が殺されていた。 加害者は上級生の不良グループ。 当時の悲惨な事件を思いおこし、現場で手を合わせてきた。

・・・・・・・・・・・・・・まだ、厚い雲に覆われ陽は射してこない、多摩川には薄い靄(もや)がかかり、湿度は高く身体からは汗が吹き出してくる。 多摩川土手を歩き隣の港町駅に向かう。

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●マドロスのいない港町 ・・・・・昭和4年(1929)から 昭和6年(1931)まで、現在の駅の位置から川崎大師寄り300mの処に、臨時駅として河川事務所前停留場が2年間限定で開設されていた。 昭和7年(1932)、臨時停留場を正式駅であるコロムビア前駅として開業。 昭和19年(1944)に港町(みなとちょう)駅に改称。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 ホーム間を連絡する跨線橋が設置されている。、、、、港町駅は美空ひばりの楽曲「港町十三番地」の舞台となった駅である。 この駅前には美空ひばりが所属していた日本コロムビアの川崎工場があった。 駅名は“みなとちょう”だが、歌の方は“みなとまち”である。 また番地も、“13番地”で実際には存在しない。、、、、ホームには「港町十三番地」の音符が描かれている。 また、南口改札前には同曲の歌碑などがパネルで紹介されている。、、、、♪♪長い旅路の 航海終えて 船が港に 泊る夜 海の苦労を グラスの酒に みんな忘れる マドロス酒場 ああ港町 十三番地♪♪ チョイト横浜を連想する歌詞だね!

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●・・・・・・・・・・港町駅を出ると、電車は六郷橋の下を抜けて京急川崎駅へ向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・明治32年(1899)大師電気鉄道が、(初代)川崎駅~大師駅間を開業した時の川崎駅の跡が六郷橋の下に残っている。 明治35(1902)には(初代)川崎駅~現・京急川崎駅まで線路が延長され、(初代)川崎駅は六郷橋駅と名称を変更した。、、、、六郷橋駅跡は六郷橋の下にあり、橋上の人道から見下ろすことができる。 今の時代から見ると、狭い、小さなホームだった。

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●2階は本線、大師線は1階だ! ・・・・・・・・・・・・・・明治35年(1902)9月1日に川崎駅として開業。 大正14年(1925)に国有鉄道川崎駅と混同を避けるため京浜川崎駅に改称。 昭和41年(1966)に本線が高架化し、大師線の新ホームも供用開始する。 昭和62年(1987)に現在の駅名「京急川崎駅」になる。

・・・・・・・・・・・・・・高架は本線、大師線は地上。

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・・・・・・・・・・・・・・JR川崎駅から離れている京急川崎駅。 大師線は折り返し、仕事は続く!

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2019年7月13日 (土)

チョイト早かった蓮

梅雨のチョイ間の雨上り、我が家(浅草橋)からブラリ、上野の不忍池に蓮の咲き具合を見に行き、根津・千駄木の裏道を歩いて、地下鉄千代田線の千駄木駅までの散歩です。 1万3千歩



●雅万歩の歴史? ・・・・・下町の歴史的建造物を見ながら不忍池へ向かう、、、、自分の歴史を振り返るようだ!

・・・・・・・・・・・・・・まずは、我が家から徒歩1分半、私の母校「旧東京市柳北尋常小学校(区立柳北小学校)」(台東区浅草橋5)、、、、次は、さらに3分歩いて「三井記念病院」(千代田区和泉町)、、、、病院前の「凸版印刷」本社前(台東区台東)に、「市村座跡」がある。 市村座は歌舞伎の芝居小屋で、寛永11年(1634)日本橋葺屋町に市村座創始し、中村・森田(のち守田)座とともに、江戸三座と呼ばれた。 天保13年(1842)浅草猿若町に移り、ついで当地に再転。 当地での市村座は、明治25年(1992)から昭和7年(1932)まであった。、、、、(この3か所はコチラに!)

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・・・・・・・・・・・・・・市村座跡跡から西へ80m程歩くと、大正11年(1922)に建てられた煉瓦造風の下水道局和泉町ポンプ所がある。 私が幼き頃は、妖怪の住む怖い建物に思えた処。

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・・・・・・・・・・・・・・秋葉原~御徒町間のJR「御徒町高架橋」(台東区上野5)は大正13年(1924)に完成した。 現在は、山手線・京浜東北線・上野東京ラインが走る。(地下には東北新幹線が走る)、、、、終戦直後の蔵前橋通りに架かる薄暗いガードの周辺には、秋葉原の市場周辺に食べ物を求め、ガード下に寝床を求め、周辺の焼け跡には金目の金属を求め、ばたや・浮浪者・孤児が集まっていた。 幼い私にはここも怖い処に思えた。 いつの間にか“ばたや”、“浮浪者”の姿も見えなくなり、言葉も死語となったのか?

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・・・・・・・・・・・・・・上野松坂屋の方に向かい歩くと、朝湯で有名な燕湯がある。 建物は昭和25年(1950)の建築だが、国の登録有形文化財に指定されている。 私の幼き頃、地下鉄末広町駅の近くに住んでいた祖父母に連れられ度々利用した銭湯。 昔は白く濁った薬湯(くすりゆ)などもあって、湿疹などができると「白湯へ入ってきな!」と言われた記憶も残っている。、、、、燕湯から中央通りに出ると、最近建て替えられた新広小路ビルがある。 1階のコンビニの脇に「日本最初の喫茶店 可否茶館跡地」という碑が建っている。 ここは明治21年(1888)に、この地(当時・上野西黒門町)に日本初の喫茶店「可否茶館」が開店した場所だ!、、、、(ここの詳細はコチラに!)

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・・・・・・・・・・・・・・可否茶館跡から中央通りを40m程北に向かうと、松坂屋の斜め前あたりに、東京3大どら焼きで有名な「うさぎや」がある。 大正2年(1913)創業の和菓子の老舗で、昔からどら焼きを売っている。 味わってみたい人は、並ぶの覚悟、1時間待ち覚悟、売り切れ覚悟でお店へ行くべし。、、、、ちなみに我が家では平日の午前中に、ママチャリに乗って私が買いに行く担当。

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・・・・・・・・・・・・・・池之端「仲町通り」の「黒沢ビル」前を通り不忍池に向かう。 黒沢ビルは毎日、早朝から玄関前を綺麗に掃除し水がまかれ、歩いても気持ちがいい。 オーナーが綺麗好きなのかも?

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奇遇ですね! ・・・・・不忍池の蓮、咲き始めたばかりだ。 まだチョイト早かった、来週の梅雨明けが過ぎた頃、一番の見頃かも?、、、、去年の今日、不忍池を散歩していた。 
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●まだ残っているぞ“下町” ・・・・・不忍池から千駄木駅まで、根津・千駄木の“下町”を求めて裏道を歩く。 裏道にもマンションなどが建ち、“下町”も少しづつ消えて行くようだ。

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2019年7月10日 (水)

京急大師線 (小島新田~川崎大師)

「梅雨の中休み」と言いたいところだが、どうやら今日だけの晴れ間で「梅雨の一休み」である。 この貴重な“一休み”を大切にして、今日は京浜急行大師線の小島新田駅から川崎大師駅まで歩てきた。 1万歩




●乗客は工場へ向かう ・・・・・電車を降りたのは、一ヵ月前に来た小島新田駅。 小島新田駅は島式ホーム1面2線の地上駅で、京浜急行大師線の終着駅である。 昭和19年(1944)10月1日、東京急行電鉄(大東急)の傘下にて産業道路~入江崎間の開通に伴い駅は開業した。 昭和23年には、京浜急行が大東急から分離・独立し、京浜急行の駅となる。、、、、今日も大勢の通勤客に交じって駅の外に出たが、多くの人は海側の工場に向かうが、私は一人、線路沿いに戻るように川崎方向に歩きはじめた。 

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●弁天さまが盗まれた! ・・・・・・小島新田駅から線路沿いに川崎駅方向に歩く。

・・・・・・・・・・・・・・線路の南側に鎮座する田町稲荷神社。 神社の創建は宝暦14年(1764)。 神社は、弁天社の末社であったが、いつの頃かご神体たる神像(多分、弁天さまだ)が盗難に遭い失われたため、宝暦14年(1764)に地元の名主らが願主となり勧請し、祭神の宇迦御魂神、大宣都比売神を合祀し、稲荷神社と称するようになった。 つまりは、弁天さまが行くえ不明、代わりにコンコンさまを呼び込み、名も替えた神社。、、、、現社殿は昭和2年(1927)に再建したが、昭和27年(1952)に神社が現在地に移転したため、社殿も曳家で移動した。

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・・・・・・・・・・・・・・大師線は隣の産業道路駅に向かい地下にもぐる。、、、、現在、大師線小島新田駅~川崎大師駅間の地下化工事が進められている。 その1期工事として産業道路駅の地下化にについては線路・ホームの地下化が完了した。 2期工事の東門前駅~川崎大師駅間は今年度に工事着手した。 完成まで数年かかるね!

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●バス停のような駅名 ・・・・・・・・・・・・昭和19年(1944)6月1日、軍の要請により浜川崎工場地区への便を確保するため、川崎大師~産業道路間を延長し、開通したと同時に産業道路駅として開業した。
・・・・・・・・・・・・・・産業道路駅はその名のごとく駅前を走る産業道路に因み命名された。 頭上には首都高羽横線が走り、現在は地上に単線の線路跡を残す。 電車はすでに地下化された。 バス停のような駅名だ!

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・・・・・・・・・・・・・・駅舎など地上の施設は工事中?

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・・・・・・・・・・・・・・地下ホームは本年3月3日から運行が開始された。 出来て数ヵ月、まだ綺麗だ!

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●川崎大師はヒンドウ教? ・・・・・産業道路駅から隣の東門前駅手前までは、かつての地上の線路はまだ撤去されておらず、錆びたレールが伸びている。

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・・・・・・・・・・・・・・線路敷きから離れ北側の道路に出ると、「川崎大師 自動車交通安全祈祷殿」のインド風の建物が見える。 なぜ、ここにヒンドウ教式の建物を建てたのか?、サッパリ判らん!、、、、建物は大岡實の設計、大林組の施工で、昭和45年に完成した。、、、、ちなみに、ここで祈祷してもらうと、護摩札・守り・ステッカーの三点セット付で、祈願料は1台:5,000円らしい。
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●大師詣での裏参道? ・・・・・・・東門前駅(ひがしもんぜんえき)は大正14年(1925)8月15日に海岸電気軌道の駅として開業。 しかし、昭和12年(1937)に廃止となり、昭和19年(1944)に東京急行電鉄(大東急)の駅として開業。 昭和23年(1948)に、京浜急行電鉄の駅となる。 相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、小島新田方に構内踏切がある。、、、、令和4年(2023)の地下化を目指し工事中。、、、、駅名は、川崎大師の東門に近い(“近い”と言っても徒歩10分程)ことに因む。

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●・・・・・・・・・・・通称「川崎大師」と呼ばれ、正式名「平間寺(へいけんじ)」と言われると??? 真言宗智山派の大本山の寺で、高尾山薬王院、成田山新勝寺とともに関東三本山のひとつである。 創建は大治3年(1128)、本尊は弘法大師。

・・・・・・・・・・・・・・9時過ぎの参道は人もまばら、これから店を開けるところもある。 今日は帰りに、くず餅とせき止め飴を買って帰った。 ダルマはかさばるので、またの機会に!、、、、正月の初詣では、本堂からこの参道を過ぎて駅まで人の行列となる。 全国3位の初詣客は凄い! 

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・・・・・・・・・・・・・・川崎大師の建物は、どれもこれも戦後に建てられたもので、ビッグである。 参道正面の大山門は、昭和52年(1977)の建築。 大きな提灯が出迎える。、、、、参道・山門・提灯と見てくると、浅草の浅草寺と似ている感じがする。

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・・・・・・・・・・・・・・そして昭和39年(1964)に建てられた大本堂。 もちろん、鉄骨鉄筋コンクリート造である。
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・・・・・・・・・・・・・・八角五重塔聖徳太子堂大本坊つるの池と薬師殿など、どの建物もビックでビックリ。 デザインにも驚かされるものもある。

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●京急の発祥地 ・・・・・・川崎大師から徒歩5分、川崎大師駅に到着。 明治32年(1899)1月21日、大師電気鉄道の大師駅として開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 ホームは改札から3段の階段を上るだけ、お年寄りに優しい駅だ。

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・・・・・・・・・・・・・・駅舎の左側に大師電気鉄道「発祥の地」記念碑ある。 大師電気鉄道は京浜急行電鉄の前身であり、まさに、当駅が京浜急行の発祥地である。、、、、大師電気鉄道が明治32年(1899)1月、六郷橋~大師間を開通した時に大師駅として開業。その後、大正14年(1925)、川崎大師駅と駅名を改称した。 この記念碑は京浜急行70周年記念事業として建てられた。

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2019年7月 8日 (月)

井の頭線 (駒場東大前~渋谷)

今年の梅雨は、飽きもせずに連日の雨。 今朝は、ヤットコドッコイ、やっとのことで雨も上がった。 井の頭線沿線の散歩は、本日が最終日となった。 駒場東大前から渋谷まで、途中に神泉駅があるだけの、二駅間(1.4km)であるが見どころは多い。 1万歩。



●東大生の気分で! ・・・・・・・渋谷から井の頭線に乗り、二つ目の駒場東大前駅で下車。 チョイト、東大生になった気分で、学生と一緒に下車し東大口から出ると、二十歳代の学生の中に七十歳代の親爺一人、このギャップに気付き、恥ずかしい!

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●チョイト東大見学!・・・・・・東大口の正面には東大駒場キャンパスの正門が見える。 守衛さんに呼び止められないか? ドキドキしながら堂々と正門を通過。、、、、駒場キャンパス(教養学部)の正門は旧制第一高等学校正門として昭和13年(1938)頃に完成した。 門扉には、柏葉と橄欖(カンラン)を図案化した一高の校章が入れられている。 平成20年(2008)に門扉は復元された。

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・・・・・・・・・・・・・・正門を入ると正面に、国の登録文化財である旧制第一高等学校本館がある。 内田祥三、清水幸重の設計、銭高組の施工により、昭和8年(1933)完成。 現在は教養学部1号館として教室を使用している。、、、、キャンパスの象徴的建物。 私が受験生の頃の蛍雪時代(旺文社の受験雑誌)の表紙に載っていたかも?、、、、教室はゴク普通の教室だ!

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・・・・・・・・・・・・・・1号館の左側に教養学部900番教室がある。 旧制第一高等学校の講堂で、昭和13年(1938)に完成。設計は内田祥三、清水幸重。 施工は多田工務店。

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・・・・・・・・・・・・・・キャンパス西側の奥に研究者交流と外国人研究者宿泊のための施設がある。 この建物は昭和12年(1937)に完成した旧一高同窓会館。 設計は内田祥三、清水幸重。 施工は多田工務店。 平成16年(2004)に改築されて、現在はフランス料理のレストランもある、駒場ファカルティハウスと称している。

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・・・・・・・・・・・・・・1号館の右側には教養学部900番教室と対をなすように、東京大学駒場博物館がある。 旧制第一高等学校の書庫・閲覧室で、昭和10年(1935)に完成。設計は内田祥三、清水幸重。 施工は銭高組。、、、、閉まって入れません!

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・・・・・・・・・・・・・・博物館の北側には学教養学部101号館があり、旧制第一高等学校特設高等科の建物であった。 こちらも、内田祥三、清水幸重の設計で、多田工務店の施工により、昭和10年(1935)に完成。

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・・・・・・・・・・・・・・以上は古い建物の紹介。 これらの建物を囲むように、近代的な校舎が並んでいる。 

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●・・・・・・・・・・・・・東大駒場キャンパスの東側の門から出て、井の頭線沿いに神泉駅に向かう。 この辺りは、住宅も密集し学生向けのアパート、マンションがアッチニモ・コッチニモ!

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・・・・・・・・・・・・・・神泉駅に近づくと線路脇から、切通しの先に神泉トンネルが見える。 300m程のトンネルの渋谷寄りには神泉駅がある。 トンネルの上には住宅が建っている。

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●ホームはトンネルの中 ・・・・・・神泉トンネルの渋谷寄りにある神泉駅。 神泉駅は、昭和8年(1933)8月1日の帝都電鉄渋谷~井の頭公園間開業と同時にできた駅。 ホームは相対式2面2線で、そのほとんどがトンネルの中にある珍しい構造である。 かつての神泉駅はホームの長さが3両分しかなく、吉祥寺寄りの2両がはみ出して停車していた。 そこで神泉トンネルを削って5両分に延長する工事が平成7年(1995)に行われた。 現在は、神泉トンネルと渋谷寄りに駅ビルがつくられ、その中に5両分のホームがある。

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・・・・・・・・・・・・・・渋谷へ行く電車は、神泉駅を出るとスグに渋谷トンネル(渋谷隧道)に入り、円山町のラブホテル街、道玄坂の飲み屋街などを地下で抜けて渋谷駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・駅名の「神泉」は、この辺りの地形が谷間になっており、その谷の名「神泉谷」に由来する。、、、、江戸時代の本『江戸砂子』によると、「此処に湧水あり、昔空鉢仙人此谷にて不老不死の薬を練りたる霊水なる故斬く名付しと言ふ」とあって、古くから霊泉として知られていました。 江戸時代から明治20年ころまで、弘法湯として栄え、後の円山を中心とする盛り場の発祥地となりました。、、、、駅近くのコンビニの脇にポツンと立つ神泉湯石碑。 石碑には弘法様らしきが刻まれ、微笑んでいる。 

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●昔も今も、二人の街! ・・・・・渋谷トンネルの上の地には、湯治目的で神泉湯に人が集まり、さらに芸妓さんも住み、湯治場は花街となり、戦後はホテル街と変わってきた。 今でも料亭だった建物が残っている。 知る人ぞ知る「円山町」 円山町から道玄坂を歩き駅へ・・・・一度、夜行ってみたい、楽しそうな街!
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・・・・・・・・・・・・・・その町の中に、長禄元年(1457)に太田道潅が江戸城を建築した際、城内に京都の伏見稲荷を勧請したことに始まる、千代田稲荷神社がある。 その後、徳川家康が江戸城を拡張した慶長7年(1602)に城内から渋谷宮益に移し、「千代田稲荷」と称した。、、、、知る人ぞ知る、道玄坂のパワースポット。 道玄坂で焼肉食べて、神社でパワーを授かり、いざ、円山町はラブホへ出陣!

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●ゴールした! ・・・・・井の頭線沿線の散歩もいよいよゴール。 誰もが知ってる渋谷駅に到着。、、、、明治18年(1885)に日本鉄道の駅が開業(現:JR渋谷駅)。 明治40年(1907)には玉川電気鉄道玉川線(後の東急玉川線)が開業し、その後、東京市電(後の東京都電)、玉川電気鉄道天現寺橋線(後の東京都電天現寺橋線)、東京横浜電鉄(現:東急)東横線などが開業。 さらにその後、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄渋谷線(現:京王井の頭線)が開業した。、、、、いまは、地下鉄銀座線、半蔵門線、副都心線なども開通し、さらに、渋谷駅は大改造中。 何が何だか判らない駅だ!

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2019年7月 3日 (水)

井の頭線 (下北沢~駒場東大前)

雨の上がった午前中に散歩をすべく、朝7時過ぎに家を出た。 行先は井の頭線の下北沢駅、今日はココから歩きはじめ駒場東大前駅まで、1万1千歩の散歩です。




●すし詰めラッシュ ・・・・・井の頭線沿線の散歩、今日は下北沢駅から。 まずは、井の頭線の下北沢駅で下車。

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・・・・・・・・・・・・・・吉祥寺方面から渋谷に出る通勤客にとっては、中央線新宿経由で渋谷に出ると、乗換1回、所要28分、運賃216円。 井の頭線で渋谷に出ると、直行、30分、195円。 自宅・勤務先の事情もあるだろうが、井の頭線の利用に魅力を感じる人も多いはずだ。 それ故に、朝8時の井の頭線下北沢駅ホームに到着する渋谷行の電車は超満員、“乗せて! 押して! 詰め込んで!”のラッシュ。 一方、吉祥寺行は“楽々座れますね!”

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●落ち着かない町! ・・・・・・下北沢の隣り駅:池ノ上駅まではわずか600m。 チョイト、裏道、回り道、寄り道を!

・・・・・・・・・・・・・・地下化された小田急線の地上の旧線路跡。 広い空間が、まだ整備されず・・・

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・・・・・・・・・・・・・・駅周辺には、大きな劇場、小さな劇場、数えたことはないが、自分の知るだけでも10軒以上はある!

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・・・・・・・・・・・・・・踏切を一つ、また一つ、線路の先には池ノ上駅が見える!

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●駅名の由来は単純! ・・・・・下北沢駅から600m、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の駅として開業した池ノ上駅。 駅名は“いけのうえ”と読む。 ノーなしは東急池上線の池上駅、間違えないで! 島式ホーム1面2線の地上駅で橋上駅舎を持つ。、、、、かつて駅の南方に細長い池があり、それから駅周辺の高台を「池の上」と呼ぶようになる。 その地名から駅名を「池ノ上」としたそうだ。
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●研究の成果を見たい! ・・・・・・池ノ上駅の西側、目黒区駒場に東大駒場リサーチキャンパスがある。 ここは、元々は駒場農学校(東大農学部の前身)の敷地だった。 関東大震災後は東大の工学部系の研究施設がつくられる。 現在は、先端科学技術研究センター、生産技術研究所、国際産学共同研究センターがつくられ、先端工学系の研究施設が集まるキャンパスとなっている。、、、、“駒場”の東大と言えば、誰もが東大教養学部の駒場キャンパスを思いだすが、そのキャンパスは「駒場東大前駅」の北側に広がっている。 ここは、教養学部のキャンパスとは駒場公園を挟んで西側にあるキャンパス。 東大でも一般にあまり知られていない、超最先端の研究をしている施設である。 セキュリティがシッカリしているので、内緒で機密情報をパクることは出来ません!、、、、文化財級の建物を除いて、研究室などがある近代的な建物は、京都駅を設計した原広司の設計である。、、、、

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 ・・・・・・・・・・・・・・最先端の研究をする施設群の中で、キャンパスの中央にシンボル的にたつのは「先端科学技術研究センター13号館」。 旧航空研究所本館で、登録有形文化財。 昭和4年(1929)完成。 設計は内田祥三、清水幸重。 施工は大倉土木(現:大成建設)。、、、、現在は、事務室と教室として使用されているようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・13号館の真後ろたつ14号館。

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・・・・・・・・・・・・・・正門から入ると、13号館の右にたつ「試作工場」は、旧東京帝国大学航空研究所中央工場第1号館として昭和4年(1929)に建てられた。 鉄筋コンクリート造2階建て。 設計は内田祥三と清水幸重ほか、施工は大倉土木(現:大成建設)。

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・・・・・・・・・・・・・・13号館の左には、「旧:東京帝国大学航空研究所風洞部研究室」であった1号館がある。 設計:内田祥三、清水幸重など、施工は竹中工務店。
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●東西駒場駅の合作! ・・・・・・「駒場東大前駅」は、昭和40年(1965)7月11日に「駒場駅」と「東大前駅」を統合して開業した。 井の頭線で唯一戦後に開業した駅で、最も新しい駅である。 現:駒場東大前駅より吉祥寺寄りに駒場駅が、渋谷寄りに東大前駅があった。 両駅がその中間点に移動し、統合したものだ。

・・・・・・・・・・・・・・まず「駒場駅」について、、、、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の「西駒場駅」として開業。 昭和12年(1937)に「駒場駅」に改称した。、、、、駒場駅は現:駒場小学校の前辺りにあった。 (写真1枚目の中央)上り側:京王電鉄の保線詰所のような小さい建物が建っている処。  (写真2枚目の中央)下り側:ホームのようなコンクリート構造物がある処。

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・・・・・・・・・・・・・・「東大前駅」について、、、、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の東駒場駅が開業。 昭和10年(1935)には「一高前駅」に改称し、昭和26年(1951)に「東大前駅」に改称した。、、、、次の写真では、現駒場東大前駅の渋谷寄り東口階段を下り20m程渋谷側に寄ったあたりに、写真左端の看板がある処。 この付近ではコンクリートの中に鉄骨の一部が埋められたものを2m程の間隔に見ることができる。 当時の駅に関係する構造物の一部か?

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・・・・・・・・・・・・・・現在の駒場東大前駅は、島式ホーム1面2線の構造。 傾斜地にあるため、吉祥寺寄りは高架ホーム、渋谷寄りは通常の地平ホームとなっている。 改札口は、吉祥寺寄りホーム階下の西口と渋谷寄りの路盤上にある東口・東大口の2か所がある。

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2019年7月 2日 (火)

上野から観音さままで

連日の梅雨空、ここ数日散歩する機会もなく我が家でゴロゴロ状態。 今日は小雨がぱらつく中、朝一番に上野駅前の区役所に書類を貰いに行き、その足で浅草までチョイト散歩してきた。 (井の頭線沿線の散歩は休み)




●ステキな案内嬢? ・・・・・・霧雨の中、台東区役所に到着、一番乗りで入庁。 すかさず60歳前後の案内嬢(?)がやって来て「今日はどのような・・・」、夫婦の課税(非課税)証明書を貰いに来た旨を告げると、「こちらの申請書に記入してください」。 夫婦の名前、性別、生年月日などを記入するのだが、アレ? 妻の生年月日が月日は判るが、“昭和・・年”の記憶が怪しい! 普段はスラリと出てくる誕生日、今日は昭和28年だったか29年だったか、迷いが出た。 一度迷うと困ったもんで考えるほど怪しくなる。 書く手が止まると、再び案内嬢「どうしました?」 「アノ、家内の誕生日教えてください」 「え?・・・・!」 「家内は午年(うまどし)なんです、昭和28年ですか?29年ですか?」 案内嬢、指を折って計算している、自分の歳から逆算している、足し算か引き算か、チョイト間があいて「29年ですね」 「助かりました、ありがとう・・・」、、、、私も、そろそろ惚けてきたか! 昭和48年(1973)に竣工した庁舎も老朽化?

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●雨上がり、ムシムシ暑い! ・・・・・区役所を出る頃には雨も上がり、蒸し風呂状態。 上野から浅草に向かって歩く。

・・・・・・・・・・・・・・区役所の北側に残る区立旧下谷小学校。 関東大震災の震災復興小学校として、昭和3年(1928)竣工の鉄筋コンクリート造校舎。 施工は安藤組(現:安藤ハザマ)。 現在は廃校となり、南側にたつ区役所で使用しているようだ。 いずれは、取り壊され区役所庁舎と共に再開発される運命かも?

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・・・・・・・・・・・・・・台東区役所の北側にポツリと建つ、銅板建築の民家。 昭和初期の建物と思われる、2階の半円形の窓も洒落ている。 全面銅板で黒い建物だが、建てられた時は銅の色で輝き、金閣寺みたいなものだ!

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・・・・・・・・・・・・・・東上野界隈の昭和の建築。 関東大震災では、台東・墨田・江東・中央の各区はほぼ全焼した。 ここ東上野の一帯も全焼した地域である。

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・・・・・・・・・・・・・・かっぱ橋道具街の西側に矢先稲荷神社がある。 徳川家光が寛永19年(1642)に、江戸浅草の地に創建した三十三間堂の守護神として祀られた稲荷大明神を起源とする。 三十三間堂は、元禄11年(1698)の大火後に深川へ移転したが、稲荷大明神は当地に残り、三十三間堂(弓矢の練成道場、通し矢が行われた)の由来から、矢先稲荷神社と称した。 昭和20(1945)年3月9日の空襲では神輿庫を残し社殿は焼失し、戦後、昭和35(1960)年にRC造の現社殿が再建された。、、、京都にならって建てられた、浅草の三十三間堂。 今残っていれば観光名所にプラス・ワン。

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・・・・・・・・・・・・・・上野駅前から浅草に向かう浅草通り。 この通りは東本願寺の表通りで、南側には仏具屋さんがズラリと並んでいる。(南側に並んでいるのは、仏具に直射日光が当たらないように配慮したため) その仏具屋さんの一軒。 東本願寺の参道正面に、昭和4年(1929)に建てられた、丸窓とビルの上の寺院風の塔屋が特徴的な難波佛具店がある。、、、、榎本徳蔵の設計で、鉄筋コンクリート造、戸田組(現:戸田建設)の施工。

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・・・・・・・・・・・・・・浅草通りから参道に入り、正面の東本願寺に寄って、手を合わせる。、、、、慶安4年(1651)に神田で、京都東本願寺の別院として開創。 明暦の大火により焼失し、現在の浅草に移転し、浅草本願寺となる。 昭和56年(1981)真宗大谷派から独立し、「浄土真宗東本願寺派 本山東本願寺」となる。(お東さん騒動)、、、、木造の旧本堂は関東大震災で焼失し、昭和14年(1939)鉄筋コンクリート造で現本堂を再建。 その後空襲で被災し内部を焼失したが、再建され、現在の荘厳な趣となっている。
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●判らん稲荷! ・・・・・浅草に到着、観音さまに行く前に、チョイト小さなお稲荷さんへ。 雷門の大通りから中に1本入った“食通街”(浅草1-14)に祀られている無事富稲荷神社。 由緒・謂れを記した案内板もなく、なにもわからないが、ご近所の店で信仰しているのであろう。、、、、“無事富”は“ぶじとみ”と読むのか? 判らん! さて、その意味は、“事無きを得る、富を得る”か? こちらも、判らん!

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●今日も観音さまに祈る ・・・・・観音さまに参り今日も願うは、金運招福、家内安全、夫婦円満、延年天寿など。 100円の賽銭で全て叶えば安いもの!

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