宗派が変わった円融寺
「今日の散歩は何処にしようか?」と地図を見ていたら、「円融寺通り」の文字が目に入った。 決まり!今日は「円融寺通り」を歩くことにした。 もちろん、円融寺にも寄ることにした。 東急目黒線洗足駅から、東急バス清水バス停まで、1万歩の散歩。
・・・・・・・・・・・「円融寺」は、天台宗寺院で、経王山と号す。 仁寿3年(853)に慈覚大師が当地(目黒区碑文谷1)に創建した天台宗法服寺を起源とし、日蓮上人の高弟日源上人が日蓮宗に改め、弘安6年(1283)妙光山法華寺と改号した。 末寺75ヶ寺を擁し、日蓮宗の名刹寺院として栄えた。 しかし、不受不施派(法華経信者以外からは施しを受けず、施しもしないと主張した、日蓮宗の一派)の拠点であったことから江戸幕府の弾圧を受け、元禄11年(1698)に再び天台宗に改宗し、天保5年(1831)には経王山円融寺に改めた。、、、、天台宗から、日蓮宗へ、そして天台宗に戻り、次は何宗か?
・・・・・・・・・・・「円融寺通り」は、その名のごとく円融寺の近くをとおる通りの名である。 東急目黒線の洗足駅から南東に150m程にある「小山七丁目交差点」を起点に、洗足駅前、原町と抜け、碑文谷の円融寺の東250m程を北上し、目黒本町の町中を抜けて、目黒通りの「東急バス目黒車庫前交差点」までの2車線のバス道路である。、、、、通り名を知っているのは地元の人だけだと思うね!
●池がない洗足駅 ・・・・・・・東急目黒線の洗足駅は大正12年(1923)3月11日に開業。 昭和40年(1965)には、環七通りとの立体交差のため地下化された。 深さ約7mの相対式ホーム2面2線を有する地下駅。、、、、目黒線の「洗足駅」と池上線の「洗足池駅」は、名が似ているが前身となるの会社が異なっていたため、直線距離で約1.1km離れている。 両駅を利用する時は、間違えないで!



● 女子高が消えた円融寺通り ・・・・・・・まずは円融寺まで、円融寺通りを歩く。
・・・・・・・・・・・・・・まずは、南端の「小山七丁目交差点」 写真中央の通りが「円融寺通り」で、ここから駅前を通り洗足2丁目の交差点までは、「洗足 いちょう通り」と称している。、、、、本名は円融寺通りで、源氏名はいちょう通り?
・・・・・・・・・・駅前の洗足いちょう通りは、シャレた店が多く(早朝なので、店はまだ開いていない)、駅に向かう若い娘もモデルみたい! この町には皇后さまの実家があるそうだ。 さすが私の住む浅草橋(台東区)とはチョイト違うね!

・・・・・・・・・・・・・・昭和40年代に建てられたマンション、現在でも“高級賃貸マンション”として入居者募集中。 この辺りは、やはり浅草橋とは違い高級住宅街なのか?
・・・・・・・・・・・・・・江戸時代の面影を残す緑豊かな古民家と屋敷林が、原町2に「宮野古民家自然園」として残されている。 入園は10時から、まだ開いてないので、残念だがまたの機会とする。
・・・・・・・・・・・・・・原町2のバス停「洗足学園前」 停留場名となった「洗足学園第一高等学校」は平成20年(2008)に閉校した。 跡地には大きなマンションが建っている。、、、、学校は、敬虔なクリスチャンでもあった創設者:前田若尾により大正13年(1924)に開校した私立女子高等学校であった。 歌手:由紀さおりは卒業生の一人である。 バス停は残れども、校舎は残らず、残念!


・・・・・・・・・・・・・・円融寺通りから、西にある円融寺参道に向かう。 途中、住宅(原町2-13)の軒下に薬師寺と東塔・西塔、金閣寺、銀閣寺、平等院などの寺社の手作り模型が並んでいた。 その家の主:寿司屋を廃業された80歳の御主人が趣味で作ったものだ。 最近作、2カ月かけた作品「国家 令和元年」というものもあった。 今後は姫路城の築城に取り組むそうだ、お元気で!


●23区最古の建築! ・・・・・・・円融寺通りから約300m西側によった碑文谷1-22に天台宗の円融寺(えんゆうじ)はある。 都心に在る寺とは思えない静けさと、綺麗に手入れされた境内で、癒される空間が創られている。


・・・・・・・・・・・・・・参道の先で、数段の階段を上ると仁王門がある。 簡素な造りの仁王門であるが、唐風に和風を取り入れ、虹梁、蟇股、懸魚などにも様々な装飾が加えられている。 建立時期は不明であるが、永禄2年(1559)に仁王像が作成されるのとほぼ同時期と考えられる。 茅葺きだった屋根は、平成19年(2007)に銅葺きに改められた。
・・・・・・・・・・・・・・仁王門の先に入母屋造の釈迦堂が見える。 円融寺では山門、仁王門、釈迦堂、阿弥陀堂が一直線に並んだ伽藍配置となって、境内の奥行の深さを感じる。、、、、釈迦堂は室町初期の建立とされ、23区内最古の木造建築でる。 明治44年(1911)に国の古社寺保存法により国宝に指定され、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。 本来の屋根は茅葺きでしたが、火災予防の見地から昭和27年(1952)に銅葺きに改められた。 全体に調和のとれた優美な姿の堂である。

・・・・・・・・・・・・・・釈迦堂の後ろに阿弥陀堂(本堂)が控えている。 阿弥陀堂は、昭和50年(1975)の建立で、設計は佐々木嘉平、設計顧問に早稲田大学名誉教授工学博士・田辺泰をむかえ、平安朝阿弥陀堂様式に則って建設された。、、、、本尊の阿弥陀如来は、仏像彫刻家の第一人者:松本昇の作で、日野法界寺の国宝・阿弥陀如来の様式を模して作られたそうだ。
・・・・・・・・・・・・・・仁王門の横の梵鐘は、寛永20年(1643)に鋳造されたものである。 国重要美術品、、、、撞いてみたくなったが、撞木がない、ガ~~ン!
・・・・・・・・・・・・・・この他、境内には、小さな五重塔のような石塔がある。 これは円融寺の前身である日蓮宗法華寺の開基日源上人(~1315)の供養塔。 また、法華寺と彫られた水鉢もある。、、、、天台宗に残る日蓮宗だ。
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