大田区の下町
梅雨寒から一転し、湿度100%・気温28℃、ムシムシ・ベトベト・ジメジメのスッキリしない空模様。 散歩には、汗拭きタオルと扇子を忘れずに! 、、、、 今日は、京急空港線の糀谷駅で下車し、第一京浜(国道15号)と産業道路(国道131号)に挟まれた大田区の“下町”を歩き、京急本線の大森町駅まで、1万歩の散歩です。
●近代的な駅に変身! ・・・・・・・糀谷駅(こうじやえき)は、明治35年(1902)6月28日に京浜電気鉄道の穴守線(=羽田支線)として蒲田~稲荷橋間 (3.6km) の開通と同時に開業した。 平成22年(2010)、高架化工事の進捗により、それまで地上を走っていた上り線が高架となる。 その2年後、下り線も高架となり、平成29年(2017)に全ての高架化事業が完了した。 駅前にはロータリーもでき、高層ビルも建ち、シャレた近代的な駅に生まれ変わった。




・・・・・・・・・・・・・・昔ながらの駅前商店街(写真1枚目)。 高架化工事中は写真:左端の「丼丸」の左隣りに仮の改札口があった(写真2枚目、平成24年撮影)。 また、撮影している足下に踏切があった(写真3枚目、平成24年撮影)。

●大田区の“下町” ・・・・・・・・・・・・・・・海側にどんどん広がる大田区は平成5年(1993)に世田谷区を抜いて、東京23区で最も面積の広い区となった。 山側の田園調布は一度は住んでみたい高級住宅地、海側の羽田に近い処は町工場の多い下町、その先の羽田空港と東京湾の中にある中央防波堤埋立地は未来都市、いずれも全て大田区である。、、、、今日の散歩はその下町の一角、西糀谷、北糀谷、大森中の町をブラブラ。
・・・・・・・・・・・・・・西糀谷の裏道で見つけた板塀の一種で大和塀の住宅。 大和塀は、板を一枚おきにずらして張り、凸凹を造ることで、目隠し効果を得ると同時に、通風をよくする先人の知恵。、、、、チョイト曲がりくねった裏道は、昔、子供の遊び場だった。

・・・・・・・・・・・・・・西糀谷の西仲天祖神社。 神社の創建年代は不詳。 祭神は、太陽を信仰し発展した神霊であるといわれている天照皇大神と、一般的に商業・工業方面で霊威を発揮するといわれている豊受姫大神の二神、以上最強のペアである。
・・・・・・・・・・・・・・なんと!レトロな外観の床屋さん、看板の文字が消えかかっていますが「ハセガワ理容所」と読める。 丁寧な仕事をしてくれそうな床屋さんだ!
・・・・・・・・・・・・・・白無垢の袋を着せられ姿の見えないブドウ、酔い覚ましの効用があるカリン、収穫はまだか?

・・・・・・・・・・・・・・複数の神社・公園で櫓を組んでいるのが見られた。 今日・明日は納涼盆踊りが、日本全国で始まる日かも?、、、、我が家のある浅草橋でも、「柳橋 納涼盆おどり」が昨日から明日までの3日間行われている。 我が妻も毎年参加していたが、今年は五十肩(還暦過ぎても五十肩?)で参加できず、残念!
・・・・・・・・・・・・・・西糀谷から呑川を越えると北糀谷。 平成9年(1997)に架けられて北糀谷橋を渡る。、、、、呑川は、昭和の時代は黒く濁った臭い川だった。 都・大田区では、河床の清掃、都営浅草線の湧水放流などで、呑川の水質浄化に取り組んでおり、平成7年頃から環境基準を達成し、現在は魚も戻ってきた。
・・・・・・・・・・・・・・大森中3丁目に鎮座する三輪神社。 この地は古く堀之内と呼ばれた処で、北条時頼の時代(1247~1259)の陣屋跡といわれている。 三輪神社は、享徳年間(1452~1456)に土地開拓の神として、大国主命を祀り第六天社と呼び、村人の崇敬を集めたのが創始と云われている。 昭和20年(1945)空襲で被災し、その後昭和27年(1952)に社殿を新築した。
・・・・・・・・・・・・・・三輪神社の近くに、もう一社。 かつての村の鎮守であった前方八幡神社。 創建年代は建武年間(1334~1336)らしい。 大田区の下町には神社が多く、歴史ある土地を物語っている。
« 昭和の匂いプンプン | トップページ | 宗派が変わった円融寺 »