上野から観音さままで
連日の梅雨空、ここ数日散歩する機会もなく我が家でゴロゴロ状態。 今日は小雨がぱらつく中、朝一番に上野駅前の区役所に書類を貰いに行き、その足で浅草までチョイト散歩してきた。 (井の頭線沿線の散歩は休み)
●ステキな案内嬢? ・・・・・・霧雨の中、台東区役所に到着、一番乗りで入庁。 すかさず60歳前後の案内嬢(?)がやって来て「今日はどのような・・・」、夫婦の課税(非課税)証明書を貰いに来た旨を告げると、「こちらの申請書に記入してください」。 夫婦の名前、性別、生年月日などを記入するのだが、アレ? 妻の生年月日が月日は判るが、“昭和・・年”の記憶が怪しい! 普段はスラリと出てくる誕生日、今日は昭和28年だったか29年だったか、迷いが出た。 一度迷うと困ったもんで考えるほど怪しくなる。 書く手が止まると、再び案内嬢「どうしました?」 「アノ、家内の誕生日教えてください」 「え?・・・・!」 「家内は午年(うまどし)なんです、昭和28年ですか?29年ですか?」 案内嬢、指を折って計算している、自分の歳から逆算している、足し算か引き算か、チョイト間があいて「29年ですね」 「助かりました、ありがとう・・・」、、、、私も、そろそろ惚けてきたか! 昭和48年(1973)に竣工した庁舎も老朽化?


●雨上がり、ムシムシ暑い! ・・・・・区役所を出る頃には雨も上がり、蒸し風呂状態。 上野から浅草に向かって歩く。
・・・・・・・・・・・・・・区役所の北側に残る区立旧下谷小学校。 関東大震災の震災復興小学校として、昭和3年(1928)竣工の鉄筋コンクリート造校舎。 施工は安藤組(現:安藤ハザマ)。 現在は廃校となり、南側にたつ区役所で使用しているようだ。 いずれは、取り壊され区役所庁舎と共に再開発される運命かも?

・・・・・・・・・・・・・・台東区役所の北側にポツリと建つ、銅板建築の民家。 昭和初期の建物と思われる、2階の半円形の窓も洒落ている。 全面銅板で黒い建物だが、建てられた時は銅の色で輝き、金閣寺みたいなものだ!
・・・・・・・・・・・・・・東上野界隈の昭和の建築。 関東大震災では、台東・墨田・江東・中央の各区はほぼ全焼した。 ここ東上野の一帯も全焼した地域である。



・・・・・・・・・・・・・・かっぱ橋道具街の西側に矢先稲荷神社がある。 徳川家光が寛永19年(1642)に、江戸浅草の地に創建した三十三間堂の守護神として祀られた稲荷大明神を起源とする。 三十三間堂は、元禄11年(1698)の大火後に深川へ移転したが、稲荷大明神は当地に残り、三十三間堂(弓矢の練成道場、通し矢が行われた)の由来から、矢先稲荷神社と称した。 昭和20(1945)年3月9日の空襲では神輿庫を残し社殿は焼失し、戦後、昭和35(1960)年にRC造の現社殿が再建された。、、、京都にならって建てられた、浅草の三十三間堂。 今残っていれば観光名所にプラス・ワン。

・・・・・・・・・・・・・・上野駅前から浅草に向かう浅草通り。 この通りは東本願寺の表通りで、南側には仏具屋さんがズラリと並んでいる。(南側に並んでいるのは、仏具に直射日光が当たらないように配慮したため) その仏具屋さんの一軒。 東本願寺の参道正面に、昭和4年(1929)に建てられた、丸窓とビルの上の寺院風の塔屋が特徴的な難波佛具店がある。、、、、榎本徳蔵の設計で、鉄筋コンクリート造、戸田組(現:戸田建設)の施工。