チョイト早かった蓮
梅雨のチョイ間の雨上り、我が家(浅草橋)からブラリ、上野の不忍池に蓮の咲き具合を見に行き、根津・千駄木の裏道を歩いて、地下鉄千代田線の千駄木駅までの散歩です。 1万3千歩
●雅万歩の歴史? ・・・・・下町の歴史的建造物を見ながら不忍池へ向かう、、、、自分の歴史を振り返るようだ!
・・・・・・・・・・・・・・まずは、我が家から徒歩1分半、私の母校「旧東京市柳北尋常小学校(区立柳北小学校)」(台東区浅草橋5)、、、、次は、さらに3分歩いて「三井記念病院」(千代田区和泉町)、、、、病院前の「凸版印刷」本社前(台東区台東)に、「市村座跡」がある。 市村座は歌舞伎の芝居小屋で、寛永11年(1634)日本橋葺屋町に市村座創始し、中村・森田(のち守田)座とともに、江戸三座と呼ばれた。 天保13年(1842)浅草猿若町に移り、ついで当地に再転。 当地での市村座は、明治25年(1992)から昭和7年(1932)まであった。、、、、(この3か所はコチラに!)


・・・・・・・・・・・・・・秋葉原~御徒町間のJR「御徒町高架橋」(台東区上野5)は大正13年(1924)に完成した。 現在は、山手線・京浜東北線・上野東京ラインが走る。(地下には東北新幹線が走る)、、、、終戦直後の蔵前橋通りに架かる薄暗いガードの周辺には、秋葉原の市場周辺に食べ物を求め、ガード下に寝床を求め、周辺の焼け跡には金目の金属を求め、ばたや・浮浪者・孤児が集まっていた。 幼い私にはここも怖い処に思えた。 いつの間にか“ばたや”、“浮浪者”の姿も見えなくなり、言葉も死語となったのか?

・・・・・・・・・・・・・・上野松坂屋の方に向かい歩くと、朝湯で有名な燕湯がある。 建物は昭和25年(1950)の建築だが、国の登録有形文化財に指定されている。 私の幼き頃、地下鉄末広町駅の近くに住んでいた祖父母に連れられ度々利用した銭湯。 昔は白く濁った薬湯(くすりゆ)などもあって、湿疹などができると「白湯へ入ってきな!」と言われた記憶も残っている。、、、、燕湯から中央通りに出ると、最近建て替えられた新広小路ビルがある。 1階のコンビニの脇に「日本最初の喫茶店 可否茶館跡地」という碑が建っている。 ここは明治21年(1888)に、この地(当時・上野西黒門町)に日本初の喫茶店「可否茶館」が開店した場所だ!、、、、(ここの詳細はコチラに!)

・・・・・・・・・・・・・・可否茶館跡から中央通りを40m程北に向かうと、松坂屋の斜め前あたりに、東京3大どら焼きで有名な「うさぎや」がある。 大正2年(1913)創業の和菓子の老舗で、昔からどら焼きを売っている。 味わってみたい人は、並ぶの覚悟、1時間待ち覚悟、売り切れ覚悟でお店へ行くべし。、、、、ちなみに我が家では平日の午前中に、ママチャリに乗って私が買いに行く担当。
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