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2019年8月

2019年8月29日 (木)

暑さでボケた!

一週間ほど前に医者に駆け込み抗生物質を頂戴し飲んでいたが治らず、一昨日、さらに一週間分の“おかわり”を貰い飲み続ける。 単なる夏風邪と思うが鼻水が止まらず、ティシュが離せない! 頭は冴え、身体はピンピン、鼻水だけはグジュグジュ。 イライラすることこの上もなし、今日は雨も止んだようなので、気晴らしに歩いてみることにした。 

日暮里舎人ライナー扇大橋駅から北に向かって歩き、西新井大師に寄って、病気平癒の願掛けをして帰ろうとおもったが、、、、扇大橋駅から裏道を歩きはじめたら、東の方角に歩いてしまい、気がついて修正したら今度は西の方角に歩き、結局は扇大橋駅の一つ隣の高野駅までの散歩ととなってしまった! 病み上りで暑さに負け、ボケてしまったのか、炎天下に1万歩の迷歩です。




●眺望抜群、陽当り良好! ・・・・・・日暮里舎人ライナーは、JR日暮里駅から尾久橋通りを北上し、足立区の北の端「舎人」までの全9.7km、13駅の案内軌条式鉄道。 全線・全駅とも平成20年(2008)3月30日に開業。、、、、都営の鉄道で、敬老パスを持っていると切符を買うことなく乗れる。(もちろん私も持ってる) 先頭車両の一番前に乗って景色を見るのが、私の楽しみ!

・・・・・・・・・・・・・・扇大橋駅の手前:足立小台駅を過ぎると、ライナーは扇大橋(尾久橋通り)に並行し、若干の上り勾配で荒川を越える。 扇大橋駅手前では、高架橋の最高地点を通過。 この辺りでは、高さ約30m、眺望は抜群!

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・・・・・・・・・・・・・・一日約1万人が乗り降りする扇大橋駅。 日暮里舎人ライナーの駅はJRなどに接続する日暮里・西日暮里の両駅以外はだいたい同程度の乗降客で似たり寄ったり。 駅の建物も似たり寄ったり。 

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●田舎道(?)を歩く! ・・・・・・・・駅から脇道に入ると住宅地の中に、全てが田圃の一区画がある。 この付近の昔からの田圃で、地主が提供したのか(?)、地元の小学生が描いた『田圃を大切に』の注意書きもある。、、、、夏休みが明けると、そろそろ刈入れの時期、給食はこの新米で作る“美味しい御飯”、楽しみだね!

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・・・・・・・・・・・・・・扇1-33付近で、祠を覗くと馬頭観音が! 美人の観音様なら、嬉しいのだがね!

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・・・・・・・・・・・・・・一車線一方通行の道が曲がりくねり、どうやってここに出てきたか説明できず、でも銭湯:「星谷浴泉」(扇1-34)の前に出てきた。、、、、50年以上続く老舗の銭湯で、番台・富士山のペンキ絵をはじめ日本の銭湯文化を大切に守っている昭和の銭湯。 1番人気は 漢方を混ぜた日替わりの健康薬用風呂らしい。 私も一風呂浴びて行きたいが、只今、8時30分、営業開始は15時30分、チョイト早すぎた!

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●葵の御紋で年始回り! ・・・・・・・私の足は、いつのまにか扇1丁目から本木西町に入っていた。 長い塀が続いている、『塀の向こうは、アリャ、コリャどこかの寺の墓地のようだ。 オヤ、本堂らしき屋根も見える。 行って見よう!』

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・・・・・・・・・・・・・・ぐるりと寺を一周し、山門前に出た。 『ナンダ、ココか! 数年前に来たことのある吉祥院』 チョイト風邪が治るよう手を合わせて行こう!、、、、吉祥院は真言宗豊山派大和長谷寺の末。 江戸四ヶ寺の一つで、真言宗関東の役寺として、江戸時代の盛時には32,000㎡の寺域を持ち、33ヶ寺の末寺を有していた。 渕江山星谷寺と号す。 正応元年(1288)僧円真が開山し、古くから名刹として知られ、住職は権大僧都として、毎年正月には葵の紋のついた籠で江戸城に登場したといわれている。、、、、山門は、平成16年(2004)に建てられたもので、正面の左右には楠の大木で造られた身丈8尺の阿形・吽形の仁王像が邪念を持つ者が入らぬよう、仁王立ちして睨みをきかせている。 念には念を入れ、鉄柵で囲み参拝者も山門はくぐれず、脇から境内に入る。、、、、本堂は昭和57年(1982)の再建で、八間四面、入母屋造りの重厚な建物。 拝殿にかかる「吉祥院」の扁額は豊山派第二十六代管長:総本山長谷寺第八十世化主中川祐俊猊下の揮毫。、、、、境内には庚申塔、板碑なども多い。

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●風邪でボケたか? ・・・・・・吉祥院に着いて、歩く方向を間違えたのに気付いた。、、、、『アリャ、北へ行かずに、東に歩いてた!』 方向転換する。 『進路、北北東にとれ!』 歩く先に神社あり、手を合わせて行こう!
・・・・・・・・・・・・・・チョイトお立ち寄りは、吉祥院の東側に鎮座する本木氷川神社。 祭神は素盞嗚尊。 創建については詳細は不明だが、享徳3年(1454)に創建の後、宝永6年(1709)に現在地に本殿を再建したといわれている。 本木村全体の鎮守であった。


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・・・・・・・・・・・・・・神社の北側に“昭和のアパート”発見! どうやら、空き家のようだが、間違いなくアパートだった建物。中央に配した1階と2階の玄関扉が印象的だ!


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・・・・・・・・・・・・・・自分では北北東に向かっているつもりだったが、曲がりくねった道のため、しばらくして再び地図を見ると、、、、『アレ、また間違えた! コリャ西に向かっている。 もう駄目だ、今日は帰ろう!』 今日は西新井大師に向かうのを諦めた。、、、、柿の実に秋の到来間近を感じながら、暑い暑い陽射しの下、一番近そうな、日暮里舎人ライナーの高野駅へ向かう。

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●帰ります! ・・・・・・・・高野駅に到着。

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2019年8月22日 (木)

ダウン!

クーラーをガンガン、扇風機をブルブル、北京ビキニ・スタイルで、枕を抱いて鼻血ブーのリバブル先生の夢でもみてスヤスヤ。 今朝、起きたら大変、喉はカラカラ、鼻水はタラタラ。 朝一でクリニックへ駆け込み、ダウンしました。 5日分の風邪薬を頂戴し、家で休養!

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2019年8月19日 (月)

巾着腹と大根足

そろそろ夏バテする時期だ。 私は、隅田川花火大会で孫を抱き腰がイテテ、連日のアイスコーヒーの飲み過ぎでお腹はピーピー、昼寝が多く不規則な睡眠でお眼目シバシバ、熱中症と戦いエアコンと扇風機でガンガン躰はヒエビエ、リバブル先生に見とれ鼻血ブー(病院で血管を焼いてもらった)、、、、どうやら、私もバテてきた!

今日は、浅草寺の支院の一つ本龍院(待乳山聖天)と、浅草寺に行ってきた。




●巾着腹・大根足の寺? ・・・・・・浅草寺の北東650m程離れた隅田川沿いの小高い丘にある、浅草寺の支院で、聖観音宗の寺院である本龍院(ほんりゅういん)。 “小高い丘”は待乳山(まつちやま)と呼ばれ、寺は別名「待乳山聖天」と呼ばれている。、、、、この丘は推古天皇3年(595)に突然小高く盛り上がりできた。 そして、この山に金龍が舞い降り守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となった。 この不思議な降起は、十一面観音菩薩の化身「大聖歓喜天」が出現するめでたい先触れで、それから6年後村人は天候不順に悩まされ、永い旱魃(ひでり)のために飢えと焦熱の地獄に陥っていた。その時大聖歓喜天が出現し、雨を降らせて村人を苦しみから救ったという。それ以来民衆の篤い尊信が集まり、天安元年(857)慈覚大師円仁が東国巡拝の折、この山に籠もって21日の間浴油修法して国家安泰、庶民の生活安定を祈願し、自ら十一面観世音菩薩像を彫んで奉安したと伝えられている。、、、、本堂などの建築物は震災・戦災で焼失し、現在の本堂は昭和36年(1961)に権現造りで再建されたものである。

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・・・・・・・・・・・・・・境内各所に印されてあります巾着大根は、信心し祈願することによって得られるその御利益を端的に表したもの。 大根は身体を丈夫にし、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合の御加護える功徳を表している。 巾着は財宝で商売繁盛を表し、聖天さまの信仰の御利益の大きいことを示している。 境内のあちらこちらに大根と巾着のシンボルを見ることができる。、、、、巾着のようにフックラした腹、大根のようにスラッとした足が、御利益ではないので、誤解なきように! 


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・・・・・・・・・・・・・・境内には、足利末期(1600頃)の作と云われてる出世観音、、、、昭和18年(1943)に浪曲協会が建てた浪曲相輪塔、、、、江戸時代の名残をとどめる築地塀、、、、いろいろ見るべきものがある。 戦前・戦後の美人女優:花柳小菊が献燈した燈籠もある。


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・・・・・・・・・・・・・・境内から見るスカイツリー。 チョイト木が茂り、判りづらいが隅田川も見える。

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●猿若三座? ・・・・・待乳山聖天と浅草寺の間の町、現在の浅草6丁目。 この地はその昔、丹波国(京都府)園部藩主小出氏の下屋敷であった。天保12年(1841)、徳川幕府は天保の改革の一環として、この屋敷を公収し、その跡地に境町・葺屋町・木挽町(現中央区)にあった芝居小屋の移転を命じた。 芝居小屋は、天保13年から翌14年にかけて当地に移り、猿若町はできた。 芝居小屋の移転とともに猿若町は、一丁目から三丁目にわけられ、一丁目には中村座および薩摩座、二丁目には市村座および結城座が移った。 そして、三丁目には河原崎座が移転してきた。このうち中村座、市村座、河原崎座が世にいう「猿若三座」である。 町名は、江戸芝居の始祖といわれた猿若勘三郎の名に由来する。、、、、現在は、芝居小屋の跡に碑が建つのみ。 


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●カッコイイ侠客が勧請した ・・・・・・浅草寺の裏手に、新門辰五郎が勧請した被官稲荷社がある。、、、、安政元年(1854)新門辰五郎の妻女が重病で床に伏した時、京都の伏見稲荷社に祈願した。 その効果があって病気全快、安政2年(1855)お礼の意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、小社を創建して被官稲荷社と名付けた。、、、、江戸後期の町火消、鳶頭、侠客で、映画、芝居では、カッコイイね!


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●チョイト暑さもやわらいだ浅草寺 ・・・・・・・このブログでは、毎度おなじみの浅草寺。


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2019年8月17日 (土)

夜の堀切

この夏一番の暑さ、予報では36℃。 熱中症で彼の世へ行くのは嫌だ、今日は家でゴロゴロ、グダグダ、そしてグッタリ。 でも、陽も落ちる時刻となると、『ブラブラ歩いてくるか』、、、、今宵は暑そうだから無理をせず、私の好きな東武伊勢崎線の堀切駅と牛田駅・京成関屋駅に行ってきた。




●降りた客は二人! ・・・・・・・堀切駅は、明治35年(1902)4月1日、吾妻橋(現:とうきょうスカイツリー)~北千住間の開業と同時にできた駅。 当時の堀切駅は今よりやや東側、ちょうど荒川のど真ん中付近にあった。 当時はまだ現在の荒川がなかったためで、河川改修に伴って堀切駅が現在の位置に移転したのは大正12年(1923)のことである。 荒川の右岸、堤防沿いギリギリにつくられた駅で、優等電車はスピードを落としホームに沿った急カーブを通過していく。、、、、電車が着いた、降りた客は二人、乗る客はいない、寂しい駅。、、、、駅舎は上下方向別に2箇所ある。 乗降客も少なく、駅前には明かりを消した小さなラーメン屋が1軒あるだけ。 暗闇の中に駅の明かりがまぶしく見える。

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・・・・・・・・・・・・・・駅の東側は荒川。南西側400m程には隅田川が流れ、両川を結ぶように綾瀬川でつながっている。 綾瀬川の荒川側には、昭和43年(1968)に隅田水門が設けられた。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前の荒川の堤防にあがって見ると、、、、荒川の向こう岸には首都高の堀切JCTの明かりが見える、、、、上流側には堀切橋が架かる、、、、ふりかえると、南千住方面にタワーマンションが並んでいる
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●下町を抜ける ・・・・・・線路際を歩き、牛田駅に向かう、、、、駐車場横を特急“りょうもう”が疾走、、、、低い桁のガード、、、、ぽつんと一軒家は中華そば屋、、、、線路際の十一面観音は夜中の犯罪を見守っている
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●向かい合わせ! ・・・・・・・東武伊勢崎線の牛田駅、京成本線の京成関屋駅、両駅の改札は40m程の距離で向かい合う。 共に電車が着くと、一方から一方へお客が移動するここは乗換駅である。
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・・・・・・・・・・・・・・両駅の間では、数軒の店が乗換客を狙って、手招きしている。
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・・・・・・・・・・・・・・幸い、私は呑めない身であり、誘惑には負けることもなく、牛田駅から帰ることにした。
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2019年8月15日 (木)

貨物も計画運休?

台風10号は九州と四国の間を器用にすり抜け、山口県岩国付近に上陸したそうだ。 大きな強風域で東京にも影響があると思われるが、天気予報では午前中は雨も降らず、どうにか散歩もできそうな空模様。 南千住駅から歩きはじめ、水神大橋で隅田川を越え、東武の鐘ヶ淵駅前を通り、京成曳舟駅まで、1万4千歩の散歩です。




●頑張れ、都バス! ・・・・・・我が家のある浅草橋駅前をとおる都電(市電)は、大正時代から運行されていた。 大正初期には南千住~雷門間の運転だったが、大正10年頃に南千住~浅草~浅草橋~本石町(現:本町三丁目)~日本橋~銀座四丁目~新橋~芝橋(現:東京港口)まで延伸された。 戦時中は南千住~新橋間に短縮され、昭和20年4月には東京大空襲の影響で、さらに南千住~浅草橋・日本橋間に短縮された。 しかし、2か月後の6月には南千住~新橋間が復活した。 戦後は昭和42年(1967)まで、南千住~新橋間を都電22系統として運行していたが残念なことに都電廃止となった。 その代替バスとして、新橋~銀座間は切り捨て、南千住~日本橋~東京駅八重洲口間に都バス[東42甲]が運行された。 以来約50年、バス路線は大きくは変わらず運行されている。 市電時代から数えると約100年間、南千住~浅草橋~日本橋間には、市電・都電・都バスが住民の足として走ってきたことになる。、、、、乗客の減った都バスは、いつまで走り続けることができるのか? 私が敬老パスを利用している間は、頑張って欲しいね。

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貨物駅は、盆休み?計画運休? ・・・・・・JR南千住駅の東側に広がる、JR貨物とJR東日本が所管する貨物専用の隅田川駅。 いつもは、機関車の汽笛が聞こえ、貨車の入れ替え作業が見られ、コンテナを運ぶトラックが行き交い、フォークリフトがチョコマカ動いているのだが、全ては静寂の中にあり、整然と置かれている、動くものが見えない! 貨物駅も盆休みか? それとも、台風による計画運休か?

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●サバサバした味気ない町! ・・・・・・隅田川駅とその北から東へ流れる隅田川の間に、総面積約49ヘクタールの再開発地域:「汐入地区」がある。 かつて、1500世帯が住んでいた木造家屋の密集する街をいったん壊し、平成の時代にスーパー堤防を備えた災害に強い、タワーマンション等が並ぶ、新しい都市へ生まれ変わった。 町の中央には防災拠点として汐入公園が造られ、災害時には12万人を収容できる広域避難場所でもある。、、、、近代的でカッコイイ町か? 私は、路地裏のない、この手の町には住みたくないね!

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●荒川区にトンネルがある! ・・・・・・・荒川区汐入地区と隅田川を挟み対岸の墨田区東白鬚地区(両地区とも防災拠点)を結び水神大橋がある。 この橋の西詰(汐入地区)に、胡録トンネルと瑞光トンネルの2つのトンネルがある。 共に、汐入地区のスーパー堤防の下を走る都道314号のトンネル。 半円形の断面の胡禄トンネルは全長150m、矩形断面の瑞光トンネルは全長80m。、、、、荒川区にトンネルがあるのを知る人は少ないと思う。 コリャ、クイズになるね!  

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●旧防潮堤は華奢だった! ・・・・・・・水神大橋(すいじんおおはし)は、隅田川にかかる東京都道461号吾妻橋伊興町線支線の橋。 西岸は荒川区南千住八丁目(汐入地区)、東岸は墨田区堤通二丁目(東白鬚地区)。 橋は東岸にある「隅田川神社(水神宮)」に因み命名された。 竣工は平成元年(1989)。 形式は3径間連続ニールセンローゼ桁橋、橋長157.0m、幅員17.0m。 この橋は、組み立てを陸上で行い、橋桁を台船に乗せて干満の差を利用して橋脚に乗せるという工法を採用した。、、、、面白い工法での工事、見たかった! 

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・・・・・・・・・・・・・・水神大橋から下流を望む
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・・・・・・・・・・・・・・橋の下、スーパー堤防に残されている「隅田川旧防潮堤」、、、、昭和32年から昭和50年にかけて造られた防潮堤の一部が残されている。 周りのスーパー堤防と比較すると、高さは数メータ低く、堤防としては華奢に感じる。
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●盆休みの商店街! ・・・・・・・水神大橋を渡ると、防災拠点でもある白鬚東アパートがある。 ここから、東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅前を通り、シャッターの下りた商店街を抜け、京成押上線八広駅付近の水戸街道(国道6号)に出る。、、、、この間はコチラを見てね!

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●高架になって早や6年! ・・・・・水戸街道からは京成押上線の高架下を歩き京成曳舟駅に出る。、、、、京成曳舟駅は、6年前の平成13年8月24日に初めて上り線が高架駅となった。 下り線は2年後の平成15年8月22日に高架となる。、、、、駅周辺には民家が密集しゴチャゴチャした雰囲気があった地上駅の頃が懐かしく感じるね!

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2019年8月13日 (火)

宵の亀戸線

猛暑は続き、日中は外出も嫌になり、今日は夜の散歩にした。 東武鉄道亀戸線の亀戸駅から曳舟駅まで亀戸線に乗り曳舟駅で下車し、線路沿いに亀戸駅まで歩いてきた。 汗だくの1万1千歩。、、、、このコースの散歩は個人的に好きで、日中に歩いたブログはコチラを見てね!



●都心のローカル線で出発! ・・・・・・・・・・まずは、夕暮れの亀戸駅。、、、、2両連結の電車が、10分間隔で走っているが、亀戸駅を出る頃には空いた座席は無し。 盆休み期間中にもかかわらず、通勤客が多いね。 

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●8分で終点! ・・・・・・・亀戸駅から4駅目、所要時間8分、終点曳舟駅に到着、折り返し亀戸行となるワンマンカー。 亀戸線ホームは2両分だけの短いホーム。
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●下町の軒先を走り抜ける! ・・・・・スカイツリーが見下ろす、木造住宅の密集した墨田区京島地区を走り抜ける亀戸線。 下町の「キラキラ橘商店街」も店仕舞いし買い物客の姿はない。

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●ポッンと都会に一駅! ・・・・・・曳舟駅の隣り小村井駅(おむらいえき)、、、、江戸時代からこの辺りは小村井村と称していたことに由来する駅名。 駅は明治通りに面しているが、大きな商業施設はなく、周辺は暗く、静かだ!

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●もう着いた! ・・・・・・次の東あずま駅までは600m、線路沿いに歩けば近い!、、、、途中の踏切りも2カ所だけ。

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●ローカル線のローカル駅! ・・・・・・東あずま駅は、付近一帯の地名:吾嬬(あづま)に由来する。 しかし駅名は“東あづま”ではなく“東あずま”、理由は不明。 駅は都道476号(丸八通り)に面する。、、、、一日の乗降客が8,000人に満たない小さな駅。

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●家路に急ぐ! ・・・・・・次の駅:亀戸水神駅に向かう。、、、、東あずま駅から立花団地へ帰る人、、、、静かな丸八通り、、、、蔵前橋通りの跨線橋から見る亀戸線

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●天神にあらず水神! ・・・・・・駅名そのまま亀戸水神駅亀戸水神宮の最寄り駅。 駅は亀戸駅から700m程の距離である。、、、、一日の平均乗降客は約4000人で、都内ではワースト5に入る都心のローカル駅。

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●亀戸の明かり ・・・・・終点の亀戸に向かう。、、、亀戸線は踏切が多い、、、、踏切を渡るつとその先にはJR総武線のガード、、、、線路の先に亀戸駅の明かりが見える

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●散歩の起点は散歩の終点! ・・・・・亀戸駅に戻った!

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2019年8月12日 (月)

夏だ、お化けだ、煙突だ!

東武伊勢崎線北千住駅から「北千住駅前通り」沿いに西へ歩き、足立区千住桜木で隅田川左岸に出る、チョイト上流側に上り、尾竹橋を渡り荒川区に入る。 「尾竹橋通り」を歩き、町屋駅付近で、ポツリポツリと雨粒に遭遇。 急遽、地下鉄千代田線町屋駅に避難し、そのまま西日暮里経由で浅草橋の我が家に戻る。 1万1千歩。




●東武の巨大ターミナル! ・・・・・北千住駅は明治29年(1896)に、日本鉄道土浦線(現:JR常磐線)の駅として開業した。 3年後の明治32年(1899)8月27日に、東武鉄道初の路線となる伊勢崎線が北千住駅~久喜駅間で開業し、乗換駅となった。 昭和37年(1962)には、営団地下鉄日比谷線が当駅にて東武伊勢崎線に乗り入れ直通運転を開始した。 また、昭和44年(1969)には営団地下鉄千代田線、平成17年(2005)に首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線の駅が開業した。、、、、この間、平成9年(1997)に東武鉄道の北千住駅の大規模改修工事が行われ、3階建ての駅舎に変わった。 1階は東武伊勢崎線用で島式ホーム2面4線の地上ホーム、3階は日比谷線乗り入れ用で島式ホーム2面3線の高架ホームである。 2階が改札・コンコースとなっている。、、、、東武鉄道北千住駅では、一日平均45万人が乗り降りする、東武東上線の池袋駅に次ぐ巨大ターミナルである。 乗降客数は、私が住むJR総武線浅草橋駅の約8倍の規模である。 デカすぎるね、比べる意味がない! 今日は盆の連休で、さすがに通勤客も少なく、駅はスカスカ、電車はガラガラ。

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●駅から隅田川に伸びる! ・・・・・・「北千住駅前通り」は、北千住駅西口から西の方向、隅田川に向かって伸びるバス通り。 両側のアーケード下には、店舗がズラリと並んでいる。 今日は、まだ8時半で店舗のシャッターも下りている。、、、、旧日光街道である「宿場町通り」もまだ開店準備中。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前通りの中程に、大橋眼科医院」のレトロな建物がある。 もともとあった大正6年建築のハーフティンバー様式の建物を老朽化で解体後、その意匠を受け継ぎ、大正・昭和の資材をかき集めて昭和57年(1982)に作ったのが今の建物。 建築年は新しいが、大正の香り漂う建物だ!、、、、建物内部も見たいので、眼を悪くして一度診察を受けてみたいね!

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・・・・・・・・・・・・・・駅前通りは日光街道(=国道4号)と交差する。 アーケードのある歩道もここまで、この先は道幅もチョイト狭まり、普通の通りが続く!

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、脇道に入ると、、、、鍍金工場屋根に面白いものが見えた。 煙突? 空気抜け?

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・・・・・・・・・・・・・・駅前通りは、千住中居町で「大正通り」と交差する。 大正通りは、正式名「大正記念道」と称するらしい。 荒川放水路の完成によって廃止になる西掃部堀を埋め立てて大正5年(1916)に完成し、大正天皇の御即位記念としてこの名がつけられたそうだ。 現在は日光街道の西側を並行する、北千住地域の大事な幹線道路の一つ。、、、、かつて、この交差点から北へチョイト入った千住柳町付近には遊廓(戦後は赤線)が在ったそうだ。 残念だが、現在はありませんよ!

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・・・・・・・・・・・・・・駅前通りは千住龍田町交差点」で、墨堤通り」にぶつかり終点となる。 この先は150m程で隅田川の左岸にでる。 右折して墨堤通りを北へ向かえば、西新井橋で荒川を越える。

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●夏だ、お化けだ、煙突だ! ・・・・・北千住駅前通りから真直ぐ隅田川に向かうと、帝京科学大学7号館の脇で隅田川の堤防上に出る。
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・・・・・・・・・・・・・・隅田川の堤防に沿って、帝京科学大学の校舎が立ちなんでいる。、、、、帝京科学大学は平成2年(1990)に西東京科学大学として創立、平成8年(1996)に学部再編に伴い帝京科学大学に名称変更した。 生命環境学部、医療科学部、教育人間科学部の3学部と大学院からなる大学。、、、、校舎の出入口が堤防に直結し、堤防から校舎に入れる、珍しい大学だ!

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・・・・・・・・・・・・・・帝京科学大学本館の入口脇に、「お化け煙突」のモニュメントがある。、、、、大学のある足立区千住桜木に、かつて東京電力千住火力発電所があった。 この火力発電所は、大正15年(1926)から昭和38年(1963)まで稼働し、昭和39年(1964)に発電所は解体された。 ここには4本の煙突があり、薄い菱形の各頂点に煙突を配した平面配置であった。 そのため見る角度により、煙突の像が重なるため、4本、3本、2本、1本と見える不思議な「お化け煙突」と呼ばれた。 私も常磐線の車窓から見るのが楽しみだったことを思い出す。、、、、モニュメントはその「お化け煙突」の一部で作られている。 

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●雨だ、ダメだ、帰ろう! ・・・・・お化け煙突の後は、尾竹橋を渡り荒川区に入り、尾竹橋通りを町屋駅まで歩く。、、、、隅田川沿いの小さな公園でも多くの蝉が大合唱、夏だ!、、、、オヤ、落ちてきた、ポツリポツリと雨粒が、、、、千代田線で帰ろう!

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2019年8月 7日 (水)

猛暑の浅間神社

連日の猛暑だが今日は特に暑い、朝7時半、我が家から外に出た瞬間、モワ~~とした熱気が身体を囲み、2分程の歩いて地下鉄の駅に着いた頃には汗が吹き出し始めた。 「アリャリャ、この暑さでは散歩は危ないかな?」 しばし悩み、なるべく涼しい電車に長い間乗って行ける新宿線の篠崎駅で降りることにした。、、、、と云うことで、今日の散歩は都営新宿線篠崎駅からJR総武線小岩駅まで、殺されそうな猛暑の中、1万3千歩の死の行軍。




●千葉県まで電車で2分! ・・・・・東京都の最東端に位置する駅が、都営新宿線の篠崎駅(江戸川区篠崎町)。 昭和61年(1986)9月14日、新宿線船堀~篠崎間延伸時に開業した。 その後、平成元年(1989)に新宿線が本八幡(千葉県市川市)まで延伸し中間駅となった。、、、、ホームは島式1面2線構造で地下2階にある。 駅ビルにはスーパーが入居しており、駅前には別のスーパー、パチンコ屋、薬屋などもあり、生活には便利そうな駅である。 駅からチョイト外れると静かな住宅街となる。 都会の駅でもなく、田舎の駅でもなく、特徴が見つからない駅。

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●駅から徒歩2分、静かです! ・・・・・・・篠崎駅前も暑い! 早速「ソルティライチ」を買い、身体を冷やす。 イザ、北に向かい暑い暑い行軍開始! 

・・・・・・・・・・・・・・診療開始は9時から、只今8時20分、まだ40分前。 ここは名医なのか? それにしても、この行列、並んでいる間に体調が悪くなっても、診てもらうからいいか!

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・・・・・・・・・・・・・・駅前から徒歩2分、駅前通り鹿骨街道ともに、人通りは少なく、マンションが建ち並ぶ住宅地。

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・・・・・・・・・・・・・・早くも、ママチャリの後ろでグッタリした熊を発見! 頭の上にはウンコ!?

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・・・・・・・・・・・・・・この道は、上篠崎2丁目の商店街「ニコニコ奉仕会」 会員店舗数は22店舗の完全地域密着型商店街。 

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・・・・・・・・・・・・・・目の前に広がる畑、ここは上篠崎1丁目。 200m程東に行くと江戸川の川底だ! 写真:奥の民家の後ろの森は浅間神社。

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●お好みの神様がお出迎え! ・・・・・・上篠崎1丁目、江戸川を背にする大社:浅間神社。 天慶元年(938)5月15日に創建された江戸川区内では最古の神社。 祭神は木花開耶姫命。 境内は広く、社殿は数メートル程の小山の上に鎮座している。、、、、摂社に下浅間・下浅間御嶽宮・香取・天満宮・八幡・白髭・天祖・須賀・稲荷・霧島・水神・弁天・靖国宮・道祖神など、境内社が14社もある神様のデパート。 ついでに、昭和40年創立の幼稚園もある。 多角経営の神社。、、、、境内は約4000坪で、樹木が鬱蒼と茂る「浅間さまの森」にある。

・・・・・・・・・・・・・・・表参道から参拝する。 参道脇には、2年に1回行われる「
幟祭」に使用する丸太が置かれてる。 幟の大きさは12間(21.72m)で日本一の大きさと云われている。 祭りでは、この幟が10本立てられるそうだ。、、、、高さ30mの杉丸太を人力で立てる作業は一度見てみたいものだ!

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・・・・・・・・・・・・・・鳥居をくぐると広い境内が現れる。 その正面の小高い処に浅間神社が鎮座する。 小高い山を富士山に見立てている。 祭神の木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)は、最も美しい神様と言われており、安産、火防、子育ての神様。、、、、速報で知ってれば、滝川クリステルの安産を祈ってきたのに、残念!

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・・・・・・・・・・・・・・境内社の一部をご紹介。 天満宮、御嶽宮、稲荷、天祖神社・須賀神社

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●公園に変わった畑! ・・・・・・都立篠崎公園上篠崎1丁目にある約28haの広大な都立公園。 芝生公園、バーベキュー広場、児童遊園、野球場、テニスコート、壁打ちコート、河川敷には10数面のサッカー場がある。、、、、公園の起源は昭和15年(1940)に紀元2600年の事業のひとつとして計画された防空大緑地である。 戦時中は高射砲陣地などか置かれていた。 当初は面積約154haの大緑地帯であったが、当時は 公園として整備されていたのではなく多くは農地などに転用されていた。 戦後再び当地を公園にする計画があがったが、付近の都市化・宅地化の流れが進んでいたこともあって計画は縮小された。 公園としては昭和42年(1967)に開園。、、、、あまりの暑さのせいか、公園を歩く人は数人。 木陰に入っても今日の暑さは効果なし、暑い!

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生還した、暑い、暑い散歩! ・・・・・・篠崎公園を抜けた頃、いよいよ熱中症が心配になってきた。 水分補給し、首に濡れ手拭、意識が正常かセルフ・チェック、足のふらつきもチェック、“まだ、正常だ、生きている” 小岩駅に向かい頑張るぞ!

・・・・・・・・・・・・・・北篠崎2丁目会館の脇にある石仏と庚申塔。 どれも年代物。
 
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・・・・・・・・・・・・・・篠崎の地元のせんべい屋さん。 瓦せんべい、あられ、など、多種類のせんべいの製造元で、お安く買えるそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・住宅地に点在するビニールハウス。 篠崎にはまだ農業が残っている。

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・・・・・・・・・・・・・・まだ生きてる、気も確かだ! どうにか、千葉街道に出てきた。 駅まではあと15分、「死ぬなよ!」と自分に言い聞かせる。
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・・・・・・・・・・・・・・小岩駅南口正面に出る「昭和通り商店街」を歩き駅に向かう。 太陽は頭上に居るのか、建物の陰が無い! 

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・・・・・・・・・・・・・・小岩駅に生きて到着。 身体じゅうから汗が吹き出している!、、、、JR総武線で帰る。

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2019年8月 5日 (月)

一之江のお寺

都営新宿線の一之江駅で下車し、一之江・西一之江の寺社を巡りながら南から北へ歩き、西一之江二丁目バス停まで、1万1千歩の散歩です。

・・・・・・・・・・・・江戸川区一之江(いちのえ)・西一之江の町は、現在の江戸川区のほぼ中央部に位置する。 葛飾区高砂付近で中川から分流した新中川(旧:中川放水路)がJR総武線の新小岩と小岩の中間(上一色付近)で江戸川区に入り南へ流れ下り、浦安市のチョイト北側で旧江戸川に合流する。 その新中川の右岸に広がる町の一つが一之江・西一之江である。



●都内のベッドタウン? ・・・・・・都営新宿線「一之江駅」は、昭和61年(1989)9月14日に開業した。 島式ホーム1面2線の地下駅で、東京交通会館所有の駅ビルの下にある。 駅の乗降客数は一日に平均44,000人である。 若い人も多そうだ、ベッドタウンだな!

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●中山法華経寺末の三寺 ・・・・・・日蓮宗の三寺(感応寺、長勝寺、妙覚寺)が並んでいる一之江。

・・・・・・・・・・・・・・一之江駅前の環七通りを横断し西へ歩くと住宅地の奥(一之江7)に、一之江白鬚神社がある。 一之江白鬚神社は、江戸時代に東一之江村の名主宇田川源蔵の祖先と、伝左衛門とが祭神:猿田彦大神を勧請し創建した。、、、、猿田彦珈琲とは無縁と思われる小さな神社。

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・・・・・・・・・・・・・・一之江白鬚神社から住宅地の曲がりくねった道を進むと、立派な寺の前に出た。、 日蓮宗寺院の感応寺である、江久山蓮光院と号す。 感応寺は、元久2年(1205)に建立した真言宗寺院を、正応元年(1288)日蓮聖人が日蓮宗寺院に改めて開山したと云われている。 日蓮が真言宗の寺を乗っ取った!、、、、本堂、鐘楼堂、客殿、庫裡などすべての堂宇は、平成20年(2008)に再建したので、綺麗な寺である。 境内は大きな松の古木を移植し、更に植樹を加え、広々とした空間が創られ癒される庭園となっている。

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・・・・・・・・・・・・・・感応寺の北側200m程(一之江6)に、日蓮宗で利栄山善学院といって中山法華経寺の末であった長勝寺がある。 長勝寺は、妙覚寺の日住上人の弟子善学院日信が開山となり、天正11年(1583)に創建した。 この寺の位置が、妙覚寺と感応寺の中間にあるので「中寺」と呼ばれていたそうだ。 本尊として一尊四士と鬼子母神を祀っている。 、、、、青空に映える寺。

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・・・・・・・・・・・・・・引き続いて、長勝寺の西隣に、これまた、日蓮宗で金鳥山等覚院と号す、もと中山法華経寺の末の妙覚寺がある。 弘安7年(1284)等覚院日全上人の開山した、700年の歴史を有す古刹。、、、、境内には妙見堂もあり、菩薩が祀られている。 勝負事、眼病、安産、縁結びに御利益があるそうだ。 私も懇ろに手を合わせてきた。

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●コイが泳ぐ親水公園! ・・・・・・妙覚寺の裏には「一之江境川親水公園」がある。 一之江1丁目1番、船堀7丁目1番を終始点とする旧一之江用水暗渠上に、江戸川区内3番目に造られた親水公園。 多くの区民からの「自然に近い水辺を」という声に応えたもので、季節の移り変わりを楽しめ、豊かな自然を満喫できる。 多くの区民が毎日公園を清掃し、いつ来てもゴミの無い綺麗な親水公園を歩くことができる。 水質も綺麗で、コイが泳ぐ処もある。 夜は若い二人の恋が泳いでいるかも?、、、、今日の散歩は、南から北へ親水公園沿いに歩く。

・・・・・・・・・・・・・・まずは、妙覚寺裏、一之江境川親水公園と今井街道の交差する地点に保存されている「城東電車線路」、、、、城東電車は大正2年に創立し、江戸川線は大正14年(1925)に東荒川~今井間で開通した。 車両が1両で「マッチ箱電車」と呼ばれたり、発車合図の発車ベルの音から「チンチン電車」と呼ばれ、昭和27年(1952)まで運行していた。 城東電車の廃止の翌日より、無軌道電車(トロリーバス)が今井街道をはしり、昭和43年(1968)までの約17年間運行されていた。、、、、トロリーバスは上野公園でよく見ていたが、乗った記憶が無い、一度は乗ってみたかった!

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・・・・・・・・・・・・・・一之江5丁目と西一之江3丁目の境となっている親水公園。、、、、道路中央に流れる用水跡に整備された親水公園、、、、コイが泳ぐ、、、、花も咲く、、、、見えないけれど蚊も飛んでいる

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・・・・・・・・・・・・・・親水公園沿いに、、、、農家の小屋が残っていた、、、、八幡さま、水神宮など神様も点在する、、、、地主のモダンな建物は玄関前に高そうな庭石がゴロゴロ、、、、別な地主は門構えが立派で主屋が見えない

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・・・・・・・・・・・・・・一之江5丁目の妙音寺は真言宗豊山派で医王山不動院と号す。 建久元年(1190)開山といわれ、区内でも有数の古刹です。 本尊は木造十一面観音立像で桃山時代の作と云われている。(私は拝見したことがない)、、、、寺に残る「片目の鮒の伝説」とは、むかし、ひとりの目の不自由な娘がいた。 その娘は、目を治そうと、妙音寺の薬師如来に21日の願をかけ、食を断って祈願した。 すると満願の日に、目が見えるようになった。 娘はお礼にと薬師の池にたくさんの鮒を放ったところ、鮒は全て片目になったと云われている。 今の時代なら「ナニコレ珍百景」で“登録”間違いなし!

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・・・・・・・・・・・・・・一之江境川親水公園は環七通りと首都高7号小松川線が交差する「一之江ランプ交差点」に出てきた。、、、、 ここには水神宮が祀られ、、、、公園の表示もある

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●命あるうちに帰ろう! ・・・・・そろそろ、頭の天辺が暑くなってきた、まだ舌のシビレはない、まだ自分の名前が言える、水分は「ソルティーライチ」を2本飲んだから十分だ! いまなら、救急車に乗らずにバスで帰れる! 京葉道路「西一之江交差点」に出たので、ここからバスで最寄り駅まで行くことにする。、、、、本日の散歩はココまで! 

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2019年8月 2日 (金)

熱中症と戦う

この暑さに身体を慣らすため、今日も歩いてみた。 朝7時半に家を出て、京成押上線立石駅から、JR総武線新小岩駅まで、9千歩の散歩です。




●立石が変わる! ・・・・・・京成押上線の「京成立石駅」は大正元年(1912)11月3日に開業した。 現在は相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 駅名は、“京成立石”が正式な駅名で、旅客向け案内では“京成”を省略して「立石」としている 、、、、令和5年(2023)の完成を目指し進められている京成押上線(四ツ木駅~青砥駅間)連続立体交差事業も、そろそろ佳境に入り、立石駅の高架化工事も始まるとおもわれる。 数年後には今の駅は消え、新しいモダンな駅に変わっていることだろう。

・・・・・・・・・・・・・・只今、午前7時30分。 上りホームは通勤客で行列ができた。

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・・・・・・・・・・・・・・今の駅舎に改築したのは昭和43年(1968)、50年前の駅だ! 立石駅は押上線の中では乗降客(一日平均約4万人)が最も多い駅であるが、駅舎は狭く古い 、、、、駅では改札内コンコースにトイレを造る余裕がなく、下りホーム中程に男女とも一か所あるのみ。 チョイト、ホームの真ん中の狭いトイレでは、若い女性は利用しにくいね! 新しい駅になるまで、漏らさず、我慢して!

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・・・・・・・・・・・・・・橋上駅舎から線路を見る。 線路沿いに工事用地が見える。 真下にはホームが見える。

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・・・・・・・・・・・・・・駅の周りには工事用地が確保され、駅部以外の工区では工事も進捗している 、、、、駅の北側では鉄道の高架化に合わせ、令和4年(2022)の工事竣工を目指し36階建てタワーマンションと、13階建て葛飾区庁舎の建設工事が計画されている 、、、、立石は変わります、大きく、近代的な駅に変わります、乞うご期待!

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・・・・・・・・・・・・・・駅前のこの踏切も無くなる 、、、、下り電車が行っても次は上り、高架になればイライラ解消!
 
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●汗をかきかき、ひたすら歩く! ・・・・・・立石駅から南へ、中川に架かる平和橋を目指す 、、、、街路樹のサルスベリが夏らしく赤い花を咲かせた 、、、、あまりの暑さに思考も鈍り、このままでは命が危険と判断し、日陰を求めて路地を歩く 、、、、身体じゅう汗がダラダラ、平和橋通りに出た! 、、、、でかい集合住宅は昭和50年(1975)築の公団住宅。 日射しを遮る効果なし

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●広島にもあった平和橋! ・・・・・中川に架かる平和橋 、、、、関東大震災後の昭和2年(1927)に計画された橋であるが、実際に架橋されたのは戦後の昭和22年(1947)で、しかも木製であった。 昭和32年(1957)に架け直しが決まり、昭和35年(1960)に現在の平和橋が竣工した 、、、、現橋はPC単純桁橋で、長さは134.4m、幅15.0m、、、、橋から蛇行する中川を見る。 橋は平和でも、私は熱中症と戦いの真最中。
 
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●村の鎮守! ・・・・・平和橋を渡り東新小岩地区に入ると、まず、平和橋通に面して鎮座する天祖神社がある。 綺麗に掃き清められた境内に、昭和46年に完成した社殿が堂々と迎えてくれた 、、、、創建は、鎌倉時代の源頼朝の家臣壱岐守平清重(葛西三郎)が、勧請したと伝えられ、江戸時代には皇太神宮社・葛西神明とも尊称され、明治4年(1871)に天祖神社と改称した。 江戸時代には上平井村の鎮守社であった。、、、、暑さのせいか、神社に参る人影はなし。 私の頭は、ポッカポカ。 

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●閻魔の寺! ・・・・・天祖神社から平和橋通りを南へ100m、新義真言宗の上品寺がある。 八幡山来迎院と号す。 本尊の阿弥陀如来は運慶の作とも云われている 、、、、 本堂は安政2年(1855)の地震に倒壊後、再建され、大正11年(1922)および昭和11年(1936)に修築された。 屋根の勾配が綺麗な曲線を描いている。

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・・・・・・・・・・・・・・本堂の左隣に閻魔堂があり、閻魔大王坐像があり安置されている。 閻魔大王坐像は高さ2m程で、室町時代初期の作とも云われている。 江戸十六閻魔の一つ。 地獄に住み18の将良と8万の獄卒を従え、死して地獄に落ちくる人間の生前の善悪を正し、罪あるものには、苦しみを与える冥王として信仰する人が多い 、、、、私も閻魔大王の人柄(?)には魅力を感じるね!

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●死にそうだ! ・・・・・・熱中症にならずに、どうにかこうにか新小岩駅に到着。 早く、涼しい電車に乗って帰りたい! 

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2019年8月 1日 (木)

下町の田園調布

東京は36℃の猛暑日。 暑さに身体を慣らすためと、自らに言い聞かせ散歩に出てみた。 今日も駅で、「何処に行こうか?」 「遠くだと、救急車に乗ったら家族が駆けつけるのに大変だ、近場にしよう!」 「埼玉方面は内陸部でより危険だが、ドクターヘリに乗るチャンスがあるかも!」 「中央線沿線は熱中症で倒れたら知合いに会うかも、チョイト恥ずかしいね!」 などなど、考えに考え、東武伊勢崎線、堀切駅から北に歩くことにした。 堀切駅から北千住駅まで、直射日光が当たらないように裏道を歩いて、1万1千歩の散歩です。



●映画・ドラマのロケ地! ・・・・・・時刻は午前7時45分、夏休みで学生のいない都会のローカル駅:堀切駅は乗る人・降りる人も少ない。 堀切駅は明治35年(1902)に開業した。 大正13年(1924)の荒川放水路掘削工事では、伊勢崎線のルート変更により、荒川の土手際をギリギリ通ることになり、線路は駅構内で大きくカーブしている。、、、、乗降客も少なく、駅前の賑わいもなく、下町の哀愁を漂わせる駅である。 小津安二郎監督の映画『東京物語』、ドラマ『3年B組金八先生』のロケ地である。

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●汗に交じって出た涙 ・・・・・・・堀切駅から裏道を歩き柳原に出る

・・・・・・・・・・・・・・堀切駅から徒歩2分、地域医療を担う中核病院:柳原病院は昭和26年(1951)に開設した病院で、地元住民に愛されてかれこれ70年。
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・・・・・・・・・・・・・・柳原病院の向かいには、平成19年(2007)に開設した東京未来大学がある。 こども神理学部、モチベーション行動科学部の2部を設置し、通学課程、通信課程を合わせ2000名強の学生が学んでいる。、、、、足立区の中学校統合に伴い、2004年度をもって廃校になった足立区立第二中学校の校舎を改修増設して利用している。 なお当校舎は、ドラマ『3年B組金八先生』の「桜中学校」のロケ地としても使われていた。

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・・・・・・・・・・・・・・私の夏休みの楽しみはプールとラジオ体操だった。 嫌だったのは、絵日記とドリル。 登校日の一週間程前からイヤイヤやったものだ! 今の子はどうなんだろう?、、、、朝一で学校のプールに向かう姿は、60年前の私と変わらない。

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・・・・・・・・・・・・・・桁下1.7mの東武伊勢崎線牛田駅ホーム下のガード。、、、、私の前を行く老々の二人。 杖をつき腰も曲がりはじめた上品なお爺さんが、同じように杖をつき腰の曲がったお婆さんの手を引きガードを抜け、行った先は介護サービスセンター。 ご夫婦か、母子か、ほほえましくもあり、悲しくもあり、明日の我が夫婦もこうありたい! 二人を見つめていたら、なぜか、汗と間違えて涙が出てきた・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・盛土の上に牛田駅ホームが見える。

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●下町の田園調布! ・・・・・北千住駅の東側に半円状(田園調布みたいだ)に道路が整備された足立区柳原の町がある。 町の東は荒川土手で、対岸は葛飾区堀切・小菅の町。、、、、柳原の町は現在足立区に属しているが、荒川放水路が掘削されるまでは、小菅・堀切の町とつながって南葛飾郡南綾瀬村に属していた。 荒川放水路により南綾瀬村は分断され、柳原は北千住の町となどとともに足立区に属することとなった。 時は、昭和9年(1934)6月1日のことである。、、、、夕暮れの柳原の町
 
・・・・・・・・・・・・・・柳原の町の中央を貫く、桜並木の「大踏切通り」、、、、名前の踏切りは、東武鉄道、JR常盤線が通過する北千住駅南側の「大踏切」を指す。

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・・・・・・・・・・・・・・町の中心は江戸城の鬼門除けとして創建した柳原稲荷神社 、、、、コミュニケーションの中心は高い煙突の大和湯 、、、、お買い物は原町の目抜き通り「千草通り」と言いたいが、実は寂れて営業しているのは数店舗 、、、、柳原村唯一の寺であった真言宗の理性院(瑠璃山柳原寺)、、、、荒川土手から柳原の町を見る

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●・・・・・・・・・・・・柳原の町から日ノ出町・千住旭町の町を歩く

・・・・・・・・・・・・・・日ノ出町のシンボルのように、旧公団の日の出団地がある。 昭和43年(1968)に竣工した、4棟(764戸)の団地。、、、、千住の町を威圧しているようだ!
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の中に埋もれたように校舎がある、北千住駅前の足立学園(中学・高校)。 その足立学園を囲むように「学園通り」が東西、南北に伸びている。 また、近年、東京電機大学の千住キャンパスもでき、「学園通り」も活気づいているようだ!

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●年寄りは無理せず! ・・・・・・時刻は9時半を過ぎた、まだ歩く体力は十分だが、ダラダラと汗は流れ落ち、今日はこれ以上歩いていると、間違いなく熱中症になると思われた。 救急車の世話にならないように、帰ることにした。
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