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2019年9月

2019年9月27日 (金)

県道1号は松戸街道

北総線矢切駅から松戸街道(県道1号)沿いに歩いて京成本線国府台駅まで、1万歩の散歩です。




●朝の通勤ラッシュがない! ・・・・・・江戸川を挟み柴又と矢切を結ぶ「矢切の渡し」、今は観光で利用する人が大半だろう。 まして、朝の通勤に渡し舟を利用する人はいない。(利用したくても、運行開始は10時から) 通勤客は運賃がチョイト高めだが、矢切駅から北総線を利用して都心に向かう。 その矢切駅、一日の乗降客は8,000人程で朝のホームに並ぶ人も少ない。、、、、地下駅であるため、特急電車がものすごいスピード、ものすごい騒音で通過していく。

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●県道1号をスタコラ・サッサ! ・・・・・・・矢切駅前をとおり千葉県市川市と千葉県松戸市を結ぶ松戸街道(県道1号)。 私も駅前から県道を市川方面に歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・・・県道から顔を西に向けると、平成29年国の登録有形文化財に指定された、千葉県水道創設時の円筒形高架水槽「栗山浄水場配水塔」(昭和12年完成)が見える。、、、、チョイトかわいらしい給水塔だ!


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・・・・・・・・・・・・・・浄水場の見える交差点から南側は、住所が松戸市栗山から市川市国府台となる。 その市境に天台宗寺院の泉養寺(醫王山無量院)がある。 泉養寺は、深川を開拓した深川八郎右衛門が開基となり、秀順法師が慶長元年(1596)深川元町に創建、元禄6年(1693)猿江へ移転した。 その後、関東大震災にて被災し、昭和2年(1927)現在地へ移転した。、、、、江戸深川にあった寺で、俳人:松尾芭蕉とも縁ある寺らしい。


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・・・・・・・・・・・・・・泉養寺から100m程行くと、浄土宗寺院の源光寺がある、この寺は両国回向院の別院である。 源光寺は、両国回向院が関東大震災で被災したことから、両国回向院の上人が開山となり、江東区の専受院も合併して昭和4年(1929)に開創した。、、、、寺の本堂は平成21年(2009)にモダンな本堂に建て替えられた。 この本堂は、建築家:河原秦の設計で「千葉県建築文化賞」を受賞したそうだ。、、、、赤い山門をくぐり、緑豊かな参道を歩き、コンクリートを木造で覆った本堂の前に出る。 堂の中には本尊の阿弥陀如来像。、、、、本堂の2階はカフェになっているそうだ、また写経などもできるらしい。 これぞ、“カフェ寺ス”!


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・・・・・・・・・・・・・・源光寺から南(市川寄りに)に歩くと、松戸街道の東側には「じゅん采池緑地」があり、西側には「国府台緑地」がある。 今日は、どちらの緑地も寄らずに歩く。、、、、国府台4丁目の「飛地天満宮」に寄ってみた。 かつて、この地は国府台村の飛地であった。 この地の村人は、本来は「国府台天満宮」を信仰するのであるが、国府台天満宮から離れているため、近くの栗山(松戸市)にある天満宮を信仰していた。 ところが、栗山の天満宮が祭神を変えたため、天神様を信仰したい村人と争議が起こった。 村人は向島(墨田区)の三囲神社に相談し、河内(大阪府)の道明寺天満宮から分祀を受け国府台道明寺天満宮とした。 こうして、一件落着したそうだ。 以来、今もここは三囲神社の神主さん兼務している。、、、、、まさに、信仰もここまですると、頭(こうべ)も下がる、神様、天神様々! 


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・・・・・・・・・・・・・・バス停「公民館」が見えた。 バス停の前に公民館があった。 今どき“公民館”とは、懐かしい響きである。、、、、今は“公民館”と言わず、“生涯学習センター”、“交流館”などと称する処が多いと思う。

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・・・・・・・・・・・・・・国立国府台病院の前を歩く。 国府台病院は、平成22年(2010)に独立行政法人に移行し、『国立研究開発法人』となり、正式名称も国立研究開発法人 国立国際医療研究センター国府台病院となった。、、、、かつては国府台陸軍病院と称したこともある国府台病院。 今は高度医療を追求するナショナルセンターであり、地域の総合病院でもある。


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・・・・・・・・・・・・・・ここまで県道1号を歩いてきたが、県立国府台高校の前に来て、思い出した! 『そうだ、この高校の奥に赤レンガ造りの旧千葉県血清研究所の建物があるはず、ヨシ、見に行こう!』(私はまだ見たことがない建物)、、、、急遽、県道をそれて和洋女子大の西側(裏側)に向かう。 ところが残念なことに、旧千葉県血清研究所に向かう道は封鎖され、工事中の警備員に注意され、建物を見ることができず。 ガッカリ!  

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●汗をかきかきスタコラ・サッサ! ・・・・・・県道1号から江戸川の土手に出た。 残暑厳しく汗をかきかき、国府台駅まで土手を歩く。 

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●学生の駅! ・・・・・・・・京成本線の国府台駅、降りてくるのは学生ばかり。 和洋女子大、千葉商科大、東京医科歯科大の最寄り駅。 一日当たり13,000人が乗り降りする駅。 客の多くは学生さんか?

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2019年9月26日 (木)

二つの内田ゴシック

台風17号のため、出足が遅れた彼岸の墓参りを昨日やっと終え、今日は朝から散歩。 都営地下鉄浅草線の高輪台駅から、都営地下鉄三田線の白金台駅まで、1万歩の散歩です。




●狭い駅です! ・・・・・・高輪台駅昭和43年(1968)11月15日に都営地下鉄1号線(現:浅草線)の駅として開業。 駅ホームは上下線それぞれ単線シールド工法で建設された。 ホーム途中に上下線ホームを結ぶ数本の連絡通路が設けられている、またホーム階と改札階を結ぶ階段・エスカレーターはホーム中央に一ヵ所あるのみ、チョイト狭苦しい構造の駅である。、、、、一日当たりの乗降弱数は15,000人に満たず、浅草線内では最も乗降客の少ない駅。 客が少ないためか、地上の出入口も、国道1号沿いに向かい合わせで2カ所しかない。

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●寺町に出た! ・・・・・・・高輪台駅で下車したが、地上に出るとそこは港区白金台2丁目。 白金台の裏道を西へ向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・・道の先は階段となり、高台から下る。、、、、階段を下りた処が、港区と品川区の境で、階段の下は品川区上大崎1丁目
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・・・・・・・・・・・・・・・階段下には日本郵政の宿舎が並んでいる。 宿舎脇の坂を下る。、、、、引き続き、坂を上ると、上大崎2丁目の宝蔵寺の前に出た。 この辺りは、9ヶ寺が集まっている寺町である。

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●福沢諭吉が眠っていた寺! ・・・・・寺町の中に常光寺という寺がある。 浄土宗寺院の常光寺は、正福山と号し、元和元年(1615)芝金杉に開山した。 その後、高輪北町への移転を経て、明治42年(1909)に当地にあった正福寺と合併、明治43年に現在地へ移転した。、、、、この辺りは、上皇后美智子様の実家などがあった高級住宅街。 ここに、元々芝公園の増上寺の子院であった、常光寺を含む浄土宗の9ヶ寺が、明治末期に集団移転してきたのである。 このことが、死後の福沢諭吉を悲しませることとなった。(詳細はこの後)

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・・・・・・・・・・・・・・さて、福沢諭吉の話。、、、、福沢諭吉は明治34年(1901)2月3日に脳溢血で亡くなる。 葬儀は福沢家の菩提寺:麻布善福寺執り行われたが、しかし、諭吉は善福寺には埋葬されず、正福寺(現:常光寺)の墓地に埋葬された。 これは、諭吉が生前、この地:正福寺の眺望が気に入って、生前に自分の墓地を用意していたからである。(ちなみに、現在でも常光寺の墓地からは高輪の台地を見渡すことができ。眺望抜群!) 昭和50年頃、常光寺は本堂の建て替えを行い、その時、墓の所有者は浄土宗信徒であることを条件とした。 福沢家の菩提寺:善福寺は浄土真宗であったため、常光寺に墓を持てなくなり、昭和52年(1977)に墓は、常光寺から菩提寺の善福寺に改装された。、、、、諭吉が自ら建てた墓は無くなり、現在常光寺には、「福沢諭吉先生永眠の地」の碑と、慶大三田キャンパスにある胸像の原型を復元したものがある。

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●これぞ、ゴシック建築! ・・・・・・寺町から北へ向かい目黒通りの白金台駅に出る。 駅前にある「東京大学 医科学研究所」と隣の港区立「ゆかしの杜」にお立ち寄り。(本日の散歩のハイライト!)

・・・・・・・・・・・・・・まずは、東京大学 医科学研究所、、、、医科学研究所は明治25年(1892)に設立された伝染病研究所を前身とし、附属の研究病院を持つ我が国随一の医学・生命科学の研究所。、、、、研究所に入り正面に建つ1号館は、設計は内田祥三の設計により、昭和12年(1937)に完成した旧伝染病研究所である。 (正面玄関は改装中)

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・・・・・・・・・・・・・・旧伝染病研究所と同じ敷地内にあった旧国立公衆衛生院の建物が隣にある。、、、、内田祥三により設計され、昭和15年(1940)に建てられた。 「内田ゴシック」と呼ばれる、ゴシック様式の特徴が取り入れられ、両翼を広げた、城壁のような造りの建物である。 鉄骨鉄筋コンクリート造5階建て(一部8階)。 施工は大倉土木(現:大成建設)。、、、、昨年(2018)この建物は、港区の郷土歴史資料館を中心とした複合施設「ゆかしの杜」に生まれ変わり、開館した。、、、、今日は1階から5階まで、ジックリ、ユックリ、タップリ拝見。 外観も素晴らしいが、340席を有する階段状の講堂が当初の姿で、そのまま残されていた。、、、、明日にでも国宝に指定したいね!

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●羨ましい駅! ・・・・・・・白金台駅東京地下鉄(東京メトロ)南北線と都交通局(都営地下鉄)三田線の共同使用駅。 両線を合計すると、一日当たり約40,000人の乗降客が利用する駅。、、、、気のせいか、乗降する女性客の質が違うようだ! 私が住む浅草橋駅は問屋に来るおばさんが多い、白金台駅は女子大生が多い。 気のせいでなく、事実だ!

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2019年9月22日 (日)

綺麗な花には毒がある

明日は彼岸中日、運悪く台風17号の襲来と重なり、天気はどうなることやら? 我が家の墓は、東京の外れにあり、千葉の台地にあり、どちらにしても都心でないため、チョイト簡単に『行って来るよ!』とはならない処。 朝の天気予報では、昼過ぎまではもちそうだ。 ヨシ、今日は千葉方面の墓参りに行って来よう! 夫婦で花を携え霊園へ。、、、、(散歩は休み)

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・・・・・・・・・・・・・・墓を掃除していると、隅に一輪の愛らしい白い花が咲いていた、摘まずにそのままにしてきた。、、、、後で、調べてみたら、花の名はゼフィランサス (タマスダレ)で、6~9月頃に咲く野生化した外来種であった。 茎はノビルに似ているが有毒でアブナイ!、、、、綺麗な花、愛らしい花は、やはり手を出さない方がいいようだ! 

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2019年9月20日 (金)

お江戸の隣りの江戸

9月に入り、都が発行する敬老パス(年20,510円で都内のバス、都営交通の電車が乗り放題)を昨日更新した。 新しいパスの使い始めは、遠距離の交通機関がいいだろうと思い、都が運行する日暮里・舎人ライナーで終点の見沼代親水公園駅まで行き、そこから埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅まで歩く予定で家を出た。 山手線で日暮里まで行く予定が、車内のテレビCMの若い娘に見とれ日暮里駅で下車するのを忘れてしまった。 気づいたのは、“時すでに遅し”、ドアが閉まった。シマッタ! しかたない逆回りで、鳩ヶ谷駅から見沼代親水公園駅まで歩くことにした。 1万4千歩。

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●旧市のターミナル ・・・・・・・王子駅から地下鉄南北線に乗換え、そのまま埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅まで行く。、、、、鳩ヶ谷駅は、平成13年(2001)3月28日に開業。 島式ホーム1面2線の地下駅。 開業時は鳩ヶ谷市の駅であったが、平成23年(2011)に鳩ヶ谷市は川口市に編入され川口市の駅となる。、、、、鳩ヶ谷市は東京都足立区に隣接し、蕨市に次ぎ面積の小さな埼玉県南部の市であった。 鳩ヶ谷駅は鳩ヶ谷市の中心部、市民センターの地下に造られており、当時財政難と云われていた鳩ヶ谷市としては贅を尽くした建物である。

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●かつては宿場町! ・・・・・・鳩ヶ谷駅付近の建物、、、、今年の春に、鳩ヶ谷駅周辺を歩いていた。コチラを!
・・・・・・・・・・・・・・駅から300m程、北東の高台に鎮座する鳩ヶ谷氷川神社。 鳩ヶ谷氷川神社は、鳩ヶ谷宿・辻村・里村の鎮守で、応永元年(1394)に造営された。 明治以降、周辺の神社18社を合祀し、社殿の周囲には境内社が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・神社の東側をとおる日光御成道に残る、鳩ヶ谷宿のシンボル的な建物は十一屋北西商店。 昭和5年(1930)に建てられた店舗と蔵は、国の登録有形文化財に指定されている。 酒屋としての創業は明治初期で、現在の主人はソムリエの資格を持っているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・日光御成街道沿いに、もう一軒、旧船津眼科医院がある。 昭和初期の木造建築。、、、、現在も住居として利用されている。 レトロチックなこの建物に住んでおられる方が羨ましいね!

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・・・・・・・・・・・・・・オゥ~~懐かしい、最近は見られなくなった、赤く塗られた地上式消火栓。 地上式消火栓の規格は昭和44年(1969)に廃止となった。 しかし、積雪の多い地方ではまだ使用されているそうだ!

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●面白いことないかな~ ・・・・・・・・鳩ヶ谷から見沼代親水公園駅に向かい。バス通りを歩く。 

・・・・・・・・・・・・・・私を引きつけるものがない、美人も歩いていない、単調で、面白みがない道を、ホイサカホイサカ歩く。 

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・・・・・・・・・・・・・・オヤ! “もう東京に着いたか”と言いたくなる地名「江戸」に来た! 江戸は、川口市の東部、毛長川沿いの町。 中小企業の工場・倉庫や、住居兼工場が多く住宅地とは言いずらい。、、、、この辺りの旧地名は“江戸袋村”である。

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・・・・・・・・・・・・・・「江戸」の隣り町は「江戸袋」、こちらは「新郷工業団地」を中心とした町。 地名の由来は、徳川家とは一切関係なく、「水が淀み、悪水が溜まりやすい低湿地」であったから名付けられたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・江戸袋1丁目にある真言宗智山派の東光院は、古桂山大山寺と号します。 東光院は、聖政(慶安元年(1648)寂)が開山したと云われている。 大きくなく素朴な感じの寺である。 今日は“彼岸の入り”、檀家の人々が線香をあげていた。(私も、三連休に墓参りしなければ!)

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・・・・・・・・・・・・・・本堂前の「女人開運・所願成就 願いがかなう お地蔵さま」と標された立札が目にとまる。 六面それぞれに地蔵菩薩立像が彫られている、一石六地蔵石が立っていた。 女性はハッピー、男性はアンラッキー!

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・・・・・・・・・・・・・・川口市江戸袋・川口市本蓮を抜け、東京都足立区舎人に入ると、2つの川、見沼代用水東縁と毛長川が直交している。 ここには舎人橋が架かっている。 2つの川は水位が異なり、ここで全てが合流するのではなく、交差するのである。、、、、北から流れてきた見沼代用水東縁(写真1)は、舎人橋で毛長川にぶつかり(写真2)、水量の多くは毛長川の方に流れ合流する(写真3)が、用水の一部は毛長川の下を通り川向こうに流れるように仕組まれている。(文章で説明しずらい仕組み、実物をご覧あれ!)

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●着きました! ・・・・・・・見沼代親水公園を通り抜けると日暮里・舎人ライナーの見沼代親水公園駅が見える。

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・・・・・・・・・・・・・・新しい敬老パスで改札を通過できた、これで向う一年間、“乗り放題”で利用できる。 ヨシ・ヨシ!、、、、先頭車両の一番前に座って、日暮里まで嬉しそうに乗車!

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2019年9月17日 (火)

美しいモスク!

京王線代田橋駅から、小田急線代々木上原駅まで、1万1千歩の散歩です。

 

●再開発に着手! ・・・・・・・代田橋駅は、大正2年(1913)4月15日、京王電気軌道の駅として開業。 相対式ホーム2面2線の駅で、狭い敷地のため駅舎・改札は八王子寄りの地下に1か所のみある。、、、現在、京王線笹塚駅~仙川駅間の高架化事業が始まり、数年後には代田橋も高架駅に生まれ変わる。 また、駅前の和田堀給水所により、道路の一部が途切れていた井の頭通りも一直線の道路に変わる予定。 こうなると、代田橋駅前の再開発が巷の噂となって“あたり前田のクラッカー”。 世田谷区では計画実現に向け、真剣に取り組み始めているそうだ。、、、、通勤・通学時間、狭い駅前の通りは学生がゾロゾロ、快傑ゾロ!

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●区内唯一の酉の市 ・・・・・・駅の西50m程、線路沿いに大原稲荷神社がある。 天明2年(1782)五月、それまで代田村字大原の北外れを結界とし、村外からの悪霊を祓うため地元の人々の寄合地としてあった杉林に社を建て、遠く京都の伏見稲荷大社まで出向き、稲荷神社が勧請された。 境内社として大鳥神社があり、11月の酉の日には縁起物の熊手市が立ち、世田谷区内唯一の酉の市とあって大勢の人で賑わうそうだ。

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●丸は無くなり、四角ができる ・・・・・代田橋駅の南西に、大正から昭和にかけ建てられた規模の大きな和田堀給水所がある。 用地面積は約5,400㎡。 ここには、頑強な丸い造りの1号配水池(昭和9年完成)と、小さな山の様な四角い2号配水池(大正13年完成)があり、千代田区・港区・渋谷区・世田谷区・目黒区に給水していた。 2つの配水池の有効容量は合計60,000㎥だが、容量不足と老朽化により、平成23年(2011)から給水池の再構築と、給水所の北側を迂回するように延伸されている井の頭通りの直線化工事が行われている。 2号配水池は壊され、丸い1号配水池も今後壊される予定である。 その後、四角い2つの配水池が新たに造られる予定だ。 井の頭通りは配水池の地下を通るらしい。 完成すると、有効容量を60,000㎥から110,000㎥になるそうだ。、、、、工事も佳境に入り部外者は立入禁止、給水所の周りを歩いても、現場の中は見えずらい。 鉄柵越しに最後の姿を瞼に焼き付ける!

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●世田谷の和風住宅! ・・・・・・和田堀給水所の東、大原二丁目交差点を越え、大原1丁目の裏道に「柳沢の杜市民緑地 」がある。 庭の広い個人住宅の跡である。 ここは、かつてこの場所に暮していた柳澤君江が、生前「没後もこのままで残して欲しい」と願い、その意思に沿って残された和風庭園と住宅の跡である。 現在は、市民緑地として開放されているようだ。 庭の奥にある、伊東安兵衛(1908~1972、東京都生まれ、家具・木工のデザイナー。他方、建築設計も行う)の設計による、昭和26年(1951)に建てられた、国の登録有形文化財の建物も残されており、故人が暮らし、愛した風景に触れることができる。、、、、建物の中には入れず、残念!

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●“なつぞら”の空 ・・・・・・・今日の空は、青く澄んだ空に白い雲の映えるアニメのような“なつぞら”。 世田谷区北沢、渋谷区大山町の裏道を歩き代々木上原駅に向かう。、、、、“なつぞら”は暑い、久しぶりに汗が噴き出してきた。

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●凄い綺麗なモスク! ・・・・・渋谷区大山町、もうまもなく代々木上原駅だと思った時、目の前に尖塔が見えた。 アッ、あの尖塔は銭湯の煙突ではない、あれは紛れもなく、私が前から行って見たかった、イスラム教のモスク「東京ジャーミイ」だ! ヨシ、内部を拝見させてもらうぞ!

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・・・・・・・・・・・・・・東京ジャーミイ(Tokyo Camii)は、日本最大のイスラム教寺院である。 東京ジャーミイは、駐日本国トルコ共和国大使館の所属であり、宗教法人「東京トルコディヤーネットジャーミィ」によって運営されている。 モスクの光熱費などはトルコ共和国宗務庁が負担しており、責任者であるイマームも同庁からの派遣である。 東京ジャーミイには、1階にイスラム教(回教)やトルコの文化を紹介する「トルコ文化センター」があり、2階は最大2,000人収容可能な礼拝堂で、女性用の礼拝室も3階にある。 日本最大のモスクである。 敷地面積は734㎡、建物床面積は1,693㎡。 東アジアで最も美しいモスクと云われている。、、、、只今、建物外部は改装中。 内外の壁には大理石を多用し、今日の空の青さを背景に白さが際立っている。

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・・・・・・・・・・・・・・まずは、1階、トルコの美術品が展示されているトルコ文化センターを拝見。 チョイト旅のおつまみに、トルコ原産のナツメは食べ放題。(私は遠慮して3粒ほど頂戴してきた)

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・・・・・・・・・・・・・・2階は礼拝所。 東京ジャーミイの扉・天井・壁などにある装飾は全て意味がある模様・デザインである。 アラビア語の簡潔な文章で、神のメッセージや預言者ムハンマドの言葉がいたる所に記されている。 私はアラビア語はダメなので、すべてが模様のように見えてしまった。 ゴメン! ここで2000人が礼拝する様子を見てみたくなった。 圧倒されること間違いなし!、、、、3階は女性の礼拝室で男性は入室禁止。 残念だが、見るのはあきらめた!

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●懐かしさを感じたホームの売店 ・・・・・・・・代々木上原駅は、昭和2年(1927)4月1日、代々幡上原駅として開業。 昭和16年、代々木上原駅に改称。 昭和53年(1978)に営団地下鉄千代田線・代々木公園~代々木上原間が開通し、小田急小田原線との相互直通運転開始。、、、、現在は、島式ホーム2面4線の高架駅。 最近少なくなったように思えるホームの売店がある。


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2019年9月14日 (土)

駄菓子屋を覗いた大鳥居

京浜急行空港線大鳥居駅から、多摩川の六郷水門を見て、京急本線の雑色駅まで、9千歩の散歩です。




●霧雨の寒い駅 ・・・・・・久しぶりに多摩川の六郷水門が見たくなり、京浜急行空港線の大鳥居駅下車して歩くことにした。 我が家(浅草橋)を出る時は降っていなかったが、大鳥居駅は霧雨の中で、半袖の私には肌寒いスタートとなった。、、、、かつての地上駅は、環状8号線と産業道路が交わる大鳥居交差点のところにあったため、踏切渋滞を解消するために平成9年(2021)11月に地下駅となった。 相対式2面2線のホームは地下1階にあり、駅舎(改札口・出口)は交差点を挟み西口・東口の2ヶ所となった。、、、、駅名の大鳥居は、穴守稲荷神社の大鳥居が付近にあったことに由来する。 現在は空港島の端、天空橋駅付近に移設されている。

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・・・・・・・・・・・・・・大鳥居駅の西側、線路が地下にもぐる部分。 “線路が地上に出る部分”とも言う!(好みで、お好きな方を)

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●機関車で喜ぶ親爺 ・・・・・・大鳥居駅の南にある萩中公園(大田区萩中3)、ここに鉄道ファンが嬉しがるものが静態保存されている。、、、、9:00開園の公園に、子供より先に大人の一番乗り!

・・・・・・・・・・・・・・蒸気機関車:大正3年(1914)に英国マンチェスターのベーヤ―・ピーコック社で製造された蒸気機関車。 昭 和41年(1966)9月まで、東武鉄道に最後の蒸気機関車として走っていたもので、大田区が譲り受けた。

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・・・・・・・・・・・・・・尼ヶ崎駅、玉造駅などで、駅構内での車両の入換え、トロの牽引をしていた軌道モーターカー、昭和30年(1955)加藤製作所製。

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・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線7008号車:都内唯一の路面電車である都電荒川線の主力車両として平成24年(2012)12月まで運行し、親しまれていた車両。 都から譲渡されたもの。

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●寺の隣りは駄菓子屋さん ・・・・・・・・萩中公園の南(本羽田3)には、いくつかの寺院が集まっている。 その内の2寺。
・・・・・・・・・・・・・・日蓮宗の長照寺は羽田山と号す。 長照寺は、池上本門寺第12世惺(1550~98)が大師橋付近に創建したと云われている。 明治11年(1878)の大洪水で諸堂宇を流失し、翌年現在地に移転再興した。 震災・戦災で被災し、現堂宇は昭和39年(1964)に建立。、、、、山門だけは戦火を免れ、修復され現在に至っている。 大きな境内の寺だが、事務所・諸堂が大きく、墓地も大きく、本堂前の庭は小さい。

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・・・・・・・・・・・・・・長照寺の西側には、浄土真宗本願寺派の放光山海岸寺がある。 海岸寺の創建年代は不詳。 震災後の昭和3年(1928)築地本願寺寺中から当地へ移転した。、、、、こじんまりした寺で、木々は庭師によりよく手入れされている。 茶室のような寺。 

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・・・・・・・・・・・・・・海岸寺の南隣に小さな駄菓子屋を発見。 店主のおかみさんと駄菓子屋談議で、チョイト昔を懐かしむ。、、、、煙を愛する大人向けにタバコも販売していた。

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●あと100年もすれば世界遺産登録されるかも? ・・・・・・・木造の骨組みが残る戦前の金属加工工場。 内部にはクレーンも取り付けられているが、そのクレーンは木造で支えられている。、、、、現在は車の整備工場として使用。 先日の台風で屋根の一部が壊されたが、建物が世界遺産登録されるのを待っているそうだ!(オーナー談)

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●煉瓦造りの水門は町のシンボル ・・・・・・・多摩川の土手に出た、チョイトばかり上流側に歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・昭和に入り、六郷地区の住宅化が進むにつれ 生活用水が増し大雨時には排水しきれずに浸水する事態が起こった。 そこで、地元六郷町が国と東京府の補助金を受けて昭和6年(1931)にこの六郷水門を設けた。 水門は、下水道が普及するまで六郷用水の末流をはじめ、六郷や池上、矢口、羽田の一部地域の雨水、汚水を排除していた。、、、、水門に架かる橋の高欄には、「郷」の字を、「口」の字が9個で囲む六郷町の町章を用いている。 船溜まりは、かつて舟運にも利用され、雑色運河とよばれた水路下流の様子を今に伝えている。、、、、昭和47年(1972)、新たにポンプの圧力によって強制的に排水できる施設が東京都下水道局によって設置され、さらに下水道の整備もすすみ、六郷水門はその機能を保ちつつ使われる事はなくなった。、、、、水門は地元のシンボルとして、多摩川と共に公園のように整備されている。

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・・・・・・・・・・・・・・この六郷水門船溜まりの先から、真直ぐ「水門通り商店街」が京急本線の雑色駅まで続く。、、、、全長600mぐらいある長~い商店街、大きな店舗はないが活気はありそうだ。 

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●モダンな駅だ! ・・・・・・・雑色駅は明治34年(1901)2月1日、京浜電気鉄道の駅として六郷橋~官設大森間の開通と同時に開業。 平成22年(2010)から平成24年(2012)に、上下線のホームを高架線へ切り替える。 現在は、私が住む浅草橋駅よりモダンでカッコイイ高架駅である。 負けた!、、、、駅名の雑色は当時の地名:雑色村から名付けられたが、“雑色”の名は駅名に残るだけとなった。 

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2019年9月13日 (金)

寺院・火葬場・墓地、一式あり!

正午の気温23℃、湿度68%、半袖ではチョイト肌寒い人もいる、秋風が優しく吹く天気。 昨日まで夏、今日から秋だ! 夏場は熱中症が恐くて歩けなかった北総線沿線の散歩に出た。 手始めに、北総線大町駅で下車し、市川霊園を抜けて、武蔵野線市川大野駅まで、1万1千歩の散歩。




●ラッシュ時間がない駅! ・・・・・平成3年(1991)3月31日に開業した北総線の大町駅。 駅の1日平均乗降人員は1,700人に満たず、市川市内さらに北総線内でも、鉄道駅として最も乗降客が少ない。 駅の南側はゴルフ場、市営公園、市営霊園で、住宅地は北側だけで、駅勢圏も狭く、鉄道駅としての需要が少ないことによる。、、、、通勤・通学時間にホームに立つ客の数が正確に数えられる駅。 特急スカイライナーが猛スピードで通過するホームに、危険を知らせるアナウンスも必要ないようだ!

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●大町から大野への道 ・・・・・・・大町駅を通る「大町梨街道(国道464号)」からチョイト脇にそれて、ゴルフ場と市営公園に挟まれた間の道を南へ歩く。
・・・・・・・・・・・・・・市川の名産“梨”を売る農家が並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、道沿いの梨園を拝見。 先日の台風15号にヤラレタか、美味しそうな梨が落ちていた。

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・・・・・・・・・・・・・・約10,000坪の広さがあるフィールドアスレチックが楽しめる「ありのみコース」。 BBQも楽しめる処。 まだ、営業前で閉まってます!

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・・・・・・・・・・・・・・アスレチックの隣り、「市川市動植物園」も台風にヤラレタようだ、“立入禁止”の貼り紙がある。、、、、倒木・落下物で園内を歩けないらしい! オラウータンも、ロバも、猿も、しばらく仕事は休み、檻の中で昼寝もOK!

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・・・・・・・・・・・・・・道路の反対側には、木立に囲まれ市川市斎場がある。 火葬炉は10基、通夜・告別式にも利用できる式場もある。(結婚式はダメ) お一人様の火葬料は非課税で、市内居住者は6,750円、子供は割引で4,720円也。、、、、私も何度か訪れたことがある斎場、結構利用されているようで、毎日が順番待ちのようだ! 

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・・・・・・・・・・・・・・市川市霊園、市川霊園、総武霊園など、複数の霊園が火葬場を取り囲むようにある。 広い丘陵に墓石の波形を作り並ぶんでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・火葬場・霊園と続けば、坊さんの需要もあるはずで、近くには寺院もある。、、、、まずは、火葬場に近い浄願寺。 浄願寺では、直送から家族葬まで規模に応じて、低価格で厳粛な葬儀を行うことができるそうだ。 お寺の宗派は?(何でもOKかも)

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト奥に入った処には、日蓮宗寺院の曽谷山礼林寺がある。 礼林寺は、曽谷城主曽谷教信(法蓮阿闍梨日礼)の菩提を弔うため、娘の芝崎姫(妙林日貞法尼)が当地に創建したと云われている。 手入れの行き届いた境内には、本堂、庫裏のほか、稲荷大明神と釈迦を祀る感応殿や牛頭天王神社がある。、、、、今日は、本堂にカーテンがひかれ、内部を見ることができなかった、休日だったのかも!

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・・・・・・・・・・・・・・キリスト教の方は、浄願寺の近くに、市川北バブテスト教会もある。 昭和55年(1980)総武線下総中山駅近くの肉屋)の二階を借り、開拓伝道によりスタートした。 昭和63年(1988)に市川市大野町に200坪の土地を購入し、現:教会堂が建設された。

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・・・・・・・・・・・・・・教会前の上り坂の細い道を奥へ歩く。 両側に梨の木を見ながら、さらに奥へ道は続く。 痴漢にでも襲われたらどうしよう、チョイト不安になった頃、正面に鳥居が見えた。

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・・・・・・・・・・・・・・・出てきた処は、駒形大神社(こまがただいじんじゃ)の脇の鳥居だったので、正面参道から参ることにした。、、、、駒形大神社は市川市大野町に鎮座する神社で、旧社格は村社、大野町(旧大柏村)の鎮守である。 香取信仰の経津大神を御祭神にしており、市川大野の地に残る平将門伝説から将門公を合祀している。 拝殿は平成27年(2015)に改装された。、、、、大神社というだけあって、境内は広く、社殿・社務所も立派です。 村の多くの神社が合祀されたみたいで境内社も多い。 神輿の倉も立派です。 立派なわりには、村人以外には参拝に訪れる人も少ないようだ。 観光地化されておらず、ちょっと勿体ないね!

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●ワースト5にランクイン! ・・・・・・・武蔵野線の市川大野駅は昭和53年(1978)に開業した。 相対式2面2線と中線のある高架駅。 一日24,000人程が乗降する駅である。 武蔵野線の中ではワースト5に入る、乗降客の少ないである。

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2019年9月11日 (水)

物語の多いゼームス坂

熱中症が心配になるほどの残暑、朝から暑いザンショ! 今日は、JR大井町駅から、ゼームス坂通りを歩き京急新馬場駅まで、9千歩の散歩。


●お勤めご苦労さん! ・・・・・・明治34年(1901)に国有鉄道東海道本線に大井聯絡所が開設。 大正3年(1914)12月20日に京浜線(現:京浜東北線)運行開始に伴い、大井聯絡所を駅に格上げし大井町駅が開業。 昭和2年(1927)に、目黒蒲田電鉄(現:東急電鉄)大井町線が開通。 平成14年(2002)には、東京臨海高速鉄道りんかい線の駅が開業。、、、、100年の歴史を誇るJR大井町駅は、一日に約20万人が乗り降りするターミナル。 到着する電車は全て満員、乗るのに苦労する人もいる、通勤ラッシュを体感できる駅。 

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●物語の多い坂道だ! ・・・・・ゼームス坂とは、南品川5丁目と6丁目の境にある坂道で、「南品川五丁目西交差点」から上り、南品川6-18でYの字に分岐する「すずらん通り」入口付近までの、全長410mである。 この坂道を前後に延長し、第一京浜「南品川四丁目交差点」から、南へ坂を上り、大井町駅手前の「ゼームス坂上交差点」までを、「ゼームス坂通り」と呼ぶ。、、、、今日の散歩はこのゼームス坂通りを、坂上から下り制覇してきた。
・・・・・・・・・・・・・・大井町駅北側で、跨線橋によりJR線を横切る区役所通り。 JR大井町駅東口から100m程東に寄った、区役所通りに「ゼームス坂上交差点」がある。 ここが、ゼームス坂の南端であり、坂上である。、、、、写真1:中央奥が大井町駅、右へ向かう道がゼームス通り。 写真2:周囲のゴチャゴチャに紛れ目立たないように坂名の標識が建っている。 写真3:坂下の方向を望む。 

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・・・・・・・・・・・・・・ゼームス坂の頂部、大井町駅へ若干の近道となる「すずらん通り」の入口。 日が落ちると近道が、近道でなくなる、誘われつい寄り道したくなる通りである。

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・・・・・・・・・・・・・・ゼームス坂の標識、、、、標識には、『ゼームス坂 musu(James)zaka-Slope もとは浅間(せんげん)坂と呼ばれ,かなり急な坂でした。片側は切り落としになっていて,崖の向こうには品川の海が間近に迫って見えたそうです。 明治時代,この坂の途中に英国人の J・M・ゼームスが住んでいたことから,ゼームス坂と呼ばれるようになりました。』と標されている。

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・・・・・・・・・・・・・・ゼームス坂の中程、品川特別支援学校の向い側の一車線の狭い道にを入って行くと、ジグザグに曲がる、長さ80m程の急な下り坂がある。 これぞ「幽霊坂」である。 品川区のHPでは、「道幅が狭く、途中でかぎ型に曲がる。 かつては道の両側に大きな樹木がしげっていて、うす暗く寂しい場所だったために、この名称がついたといわれている。」と記されている。、、、、今は、両側にマンションも建ち、暗さはなく明るい坂だ! “幽霊”を嫌ったのか、坂には坂名を表示したものは一切なし!

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・・・・・・・・・・・・・・再びゼームス坂に戻り歩くと、9階建て195戸、昭和58年築の大きな「三越ゼームス坂マンション」がある。、、、、このマンションは、ゼームス邸跡地に建っている。 マンション中庭にある石碑には、その経緯について記されている、『此の処は、南品川英国人ジョンMジェームス邸跡地である。 Mジェームスは慶応二年(一八六三年)二十八歳の時来日した。 そして坂本竜馬等とも知り合い後に日本海軍創設に貢献し明治五年海軍省雇入れ以降幾多の変遷を経て住いを此の地に構え隣人に慕われつつ明治四十一年七十歳にて没した。 墓は身延山本堂裏山に在り「日本帝国勲二等英国人甲比丹ゼームス之墓」と刻まれている。 その頃のジェームス在りし日を偲ぶ庭の欅も品川区の保存指定樹として樹齢百数十年の姿をそのままに苔むす石垣と共に昔の面影を今に止めている。 昭和五十八年十月』

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・・・・・・・・・・・・・・・三越ゼームス坂マンションの中庭と道路を挟み向かい側に、「高村智恵子終焉の地」の碑がある。 この地は高村智恵子が入院していたゼームス坂病院があった処で、彼女はここの病院で亡くなった。 詩集「智恵子抄」として有名であった高村光太郎の妻であった智恵子は、福島県の裕福な造り酒屋の娘として生まれ、日本女子大を卒業した後、絵画を学ぶ中で光太郎と知り合い結婚した。 しかし、その幸せもつかぬ間のもので、父の死や実家の没落などが重なり次第に精神を病むようになり昭和10年に、この地のゼームス坂病院に入院した。 入院してからの智恵子は、創作意欲を吐きだすかのごとく紙絵に没頭して千数百点もの作品を残した。 だが、病には勝てず3年後にこの病院で52歳の生涯を終えた。  昭和13年10月5日智恵子が死ぬ数時間前にレモンを口に含んだ時の様子が、高村光太郎の詩に見事に描かれている。 この日10月5日は「レモンの日」と名づけられている。 この石碑は智恵子とほぼ同じ高さで作られ、「レモン哀歌の碑」と呼ばれている。、、、、ぜひ、詩集「智恵子抄」の“レモン哀歌”を読んで・・・智恵子が噛んだレモンの数滴の汁が、一瞬、智恵子の意識を正常に戻し、眼はかすかに笑い、死に導かれる情景が詩に綴られている。 チョイト、しんみりさせられる!

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・・・・・・・・・・・・・・ゼームス坂の坂下は「南品川五丁目西交差点」である。 この先、「品川銀座」商店街があり、ゼームス坂通りとして続く。、、、、ココにもあった“銀座”、品川区の商店街連合会のHPによると、370m程の通りに全12店舗の名が標されている商店街。 「品川銀座」のバス停もある。 「品川銀座」の提灯がチョイトむなしい、小さな商店街、ガンバレ! 

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・・・・・・・・・・・・・・品川銀座の中程に、江戸時代の創建と伝わる「東關森稲荷神社」がある。 この付近の畑の鎮守神として祠が祀られていたそうだ。 かつては「稲荷(とうか)の森」と呼ばれ、祠も「稲荷森稲荷」と呼ばれていたそう。これが転じて「東關森(とうかんもり)」になったそうだ。、、、、参道が長く、社は小さく、境内は広い、稲荷ずしが供えられてる稲荷。


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・・・・・・・・・・・・・・商店街の北端に近い処、馬頭観音が祀られている。、、、、由来???判りません!

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・・・・・・・・・・・・・・ゼームス坂通り(品川銀座)の北端に、時宗の海蔵寺がある。海蔵寺は深広山無涯院と号す。 藤沢遊行寺二祖他阿真教上人が当地に永仁6年(1298)創建、江戸時代には数多くの無縁仏を供養していたことから投込寺とも呼ばれたそうだ。、、、、本堂裏にある首塚は、かつて、品川にあった溜牢(牢屋)でなくなった人々の遺骨を集めて、宝永5年(1708)に築かれた塚である。 お参りをすると頭痛が治るということから頭痛塚と呼ばれた。 この塚に、天保の大飢饉(1833-40頃)の折になくなった215人を祀る215人塚も合葬され、更に品川宿の娼妓の大位牌や、鈴ヶ森処刑場で処刑された人の首の一部も埋葬されて、総称を首塚と名付けられた。 この首塚の他に境内には、慶応元年(1865)の造立の津波溺死者供養塔や、大正4年(1915)に造立の京浜鉄道轢死者供養塔、昭和7年(1932)に造立の関東大震火災横死者供養塔などがある。 いずれも無縁の横死者の霊を供養するもので、ここ海蔵寺は品川の投込寺であったことが理解できる。、、、、そろそろ歳で、私も医療費で頭痛に悩まされる事もある、今日は懇ろに首塚に手を合わせてきた。 

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・・・・・・・・・・・・・・海蔵寺の山門脇には第一京浜が走り南品川四丁目交差点」がある。 この交差点が、ゼームス坂通りの北端で、ハイ・ココまでヨ!

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●長~いホーム ・・・・・・・新馬場駅は、昭和51年(1976)まであった北馬場駅と南馬場駅を統合して設けられた駅。 ホームは相対式2面2線構造で3階にある。 全長200mの非常に長いホームを持つが、4両か6両の普通列車(列車の長さは約100m程)しか停まらないため、ホームを持て余している。 これは、2駅を統合するため、元の北馬場・南馬場駅の近くに改札口を設け、両駅の間にホームを造ったためである。

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2019年9月 7日 (土)

暗い夜道も面白い!

残暑とは言え、日中の30℃超えは暑い! 朝はごろ寝、昼は昼寝で、家から出ずに我が家でゴロゴロ様。 夕刻になり『散歩してくる!』。 私が住む、台東区浅草橋1丁目~5丁目の町を適当に2時間ばかり散歩してきた。



・・・・・・・・・・・・・・日も落ち、暗くなってきた。 裏道は人影もなく静かである。 

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・・・・・・・・・・・・・・夕食で満席の鳥越神社近くの中華料理屋さん。 美味しいと評判の店。

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・・・・・・・・・・・・・・ 甚内神社は、武田家再興をはかって江戸市中を荒らした盗賊:高坂甚内を祀る神社。 御利益は泥棒除けか?

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・・・・・・・・・・・・・・私も何度か乗せて頂いた救急車が待機する浅草消防署浅草橋出張所

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・・・・・・・・・・・・・・消防署前には、都内最古の銭湯:鶴の湯がある。 あいにく本日定休日。、、、、もう一軒、こちらはマンションの1階にある帝国湯。 創業は明治時代と古い、本日営業中。、、、、どちらの湯も、私が子供のころから利用させてもらった銭湯。

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・・・・・・・・・・・・・・カトリック浅草教会は小さな教会だがモダンな建物。、、、、私が幼き頃は、付属の幼稚園があり、私も入園したかった!

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・・・・・・・・・・・・・・明治36年に、私立日本女子美術学校として芝公園に開校し、その後、本郷千駄木に移り、東京市立第一女子技芸学校となる。 大正時代には池之端に移転。 昭和15年に、現在地(浅草橋5)に移転。 戦後は都立忍岡高等学校となる。、、、、南隣りの私の母校と共に、かつて平戸藩松浦氏の屋敷跡で、約2,600坪の蓬莱園と称する庭園があった処。


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・・・・・・・・・・・・・・私の母校:旧台東区立柳北小学校。 建物は大正15年の竣工。 小学校は少子化により廃校となり、現在は空き家。 校庭ではテニスをする人もいる。、、、、浅草橋駅に近く、どこぞの女子大でも誘致したらいいと思うよ!

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・・・・・・・・・・・・・・こちらも古い建物で、大正か昭和初期に完成した、旧日光商事建物。、、、、同時期に建てられたもう一つの建物は旧福井ビル。、、、、我が母校:柳北小学校、旧日光商事、旧福井ビル、そして我が家(浅草橋2)も、この辺りは東京空襲で被災を免れた一帯である。 

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・・・・・・・・・・・・・・・昭和7年(1932)7月1日に総武線の浅草橋駅が開業した。 開業当初から高架駅として造られ、現在もおおむね当時のままである。、、、、私がまだ小学生の昭和30年代頃までは、早朝には蒸気機関車に牽かれた貨物列車が走っていた。

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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋の町は只今ホテルの建設ラッシュ、浅草・上野・銀座に近く交通の便よし、中国・ベトナム・台湾などの観光客向けに、ビジネスホテル・民泊がアッチャ・コッチャにポコポコ建っている。 駅周辺には、食事を求め徘徊する外人さんが多い、中には露出度の高い人も!

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・・・・・・・・・・・・・・鯛焼きやはまだ営業中。 外人さんの客も多いね!

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・・・・・・・・・・・・・・そろそろバスも終わりかな?、、、、台東区のコミュニティーバスは最終。 都営バスはもう少しありそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・散歩の〆に、駅裏の氏神さま銀杏岡八幡神社に手を合わせて帰る。 神様は、女神の夢を見て、すでに熟睡中。

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2019年9月 6日 (金)

新装開店の閘門

先日、荒川ロックゲートという閘門を見てきた、今日は小名木川にある扇橋閘門を見てきた。 JR総武線錦糸町駅から歩いて扇橋閘門へ行き、じっくり見た後は、暑さに負けバスで錦糸町へ戻り帰宅。 9千歩




●錦糸町は牛乳の産地! ・・・・・・・明治27年(1894)12月9日に総武鉄道(私鉄)の本所駅として開業。 明治40年(1907)に国有化。 大正4年(1915)に錦糸町駅に改称。 島式ホーム2面4線の高架駅で、現在は両国駅をしのぐターミナル駅。、、、、私の知る、昭和30年代の錦糸町駅は木造駅舎の地上駅で、ホーム北側には留置線などがあり、その北側には駄菓子問屋、花火・玩具問屋があったように記憶している。 現在の北口ロータリー周辺のこと。 南口には江東楽天地と映画館街(洋画に邦画、チャンバラ、西部劇、ピンク、何でもあった)があり、都電も走っていた、半世紀前の古い話だ。 昭和36年(1961)には、南口に駅ビルテルミナが開業した。

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・・・・・・・・・・・・・・南口駅前のバス乗り場の中に、明治から大正に活躍した歌人で、小説『野菊の墓』の作者:伊藤佐千夫が搾乳業を営んだ「伊藤左千夫牧舎兼住居跡 」の説明板がある。、、、、伊藤左千夫は、元治元年に上総国武射郡殿台村(現:千葉県山武市)の農家の四男として生まれた。 18歳の時上京して明治法律学校(明治大学:私の先輩になる)に入学したが、眼病のため中退し農業に従事した。 22歳の時再び上京、神田の牛乳店に勤めた。 その後、26歳のとき、この地に牧舎つき住居を購入して独立、牛乳搾取業を始めたそうだ。 30歳で、同業の伊藤並根に茶の湯、短歌を学ぶ。 明治33年正岡子規の門に入り、作歌に励みます。 子規歿後は、根岸派の機関誌『馬酔木』『アララギ』により活発に作歌を続け、多くの著名な歌人を育てた。 大正2年(1913)転居先の江東区大島で脳溢血のため急逝した、享年50歳。、、、、この地で搾乳していたなんて、想像できないね!  もし、今でも牧場を持っていれば、凄い大地主だ。

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●牡丹は散った! ・・・・・・錦糸町駅前から南に歩き、首都高7号小松川線の下に、埋め戻され公園・駐輪場となった堅川に架かっていた牡丹橋の親柱が残されている。、、、、ここに架かっていた牡丹橋は長さ35.29m、幅員11.00mの鋼橋(3径間鋼板ゲルバー指橋)で、関東大震災の復興事業により、昭和4年(1929)に架けられた。 橋名は橋の南側にあった「牡丹園」に由来する。 牡丹園は明治にオープンした、季節になると花を観ようと多くの見物客で賑わったそうだ。 関東大震災で焼失し、その名だけを橋名にとどめた。 粋な名の橋だが、その姿は無く、川も暗渠となり、チョイト寂しいね!

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・・・・・・・・・・・・・・旧牡丹橋が架かっていた牡丹橋通り(錦糸町駅前から新大橋通りまで南北に伸びる道路)は、振り返り北を見るとスカイツリーが道路の先によく見える!

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●薬師寺の聖観音? ・・・・・・・牡丹橋通りがぶつかる新大橋通りを横断し、さらに南へ向かい小松橋通りを歩く。 江東区猿江1丁目で重願寺前に出る。 重願寺浄土宗寺院で不虚山当知院と号す。 天正18年(1590)千葉邦胤の娘、不虚大禅尼によって日本橋郡代屋敷に草創、寛永6年(1629)本蓮社願譽是哲上人が開山した。 寛政7年(1795)に現在地の猿江に移転した。、、、、ここの山門の柱は、奈良の薬師寺の講堂に使用されていた木材で作られているそうだ。 平成16年(2004)の建立という新しいもの。、、、、本堂は鉄筋コンクリート造りの2階建てのビルで、平成29年(2017)に竣工した。

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・・・・・・・・・・・・・・本堂左に立つ「みまもり観音」は、関東大震災や東京大空襲などで殉難された多くの人々の冥福を祈り、天災や戦争のもたらす悲惨さと平和の尊さを後世に伝えるため、檀信徒をはじめ、猿江地区6ヶ町内有志を中心に、昭和56年(1981)造立された。、、、、「みまもり観音」の名称には、観音の限りない大慈悲によって亡き人々、いま生きる我々を日々に「見守り給え」という祈りが込められているそうだ。 その像は、奈良薬師寺東院堂の本尊である国宝「聖観音像」を原型に拝借、実写して二・二倍にして鋳造された。 つまりは、奈良に行かずとも聖観音像が拝める

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●化粧直しした閘門 ・・・・・・・重願寺から南へ200m程、小名木川に架かる小松橋に出る。 小松橋と西側の新扇橋の間に、今日の散歩の目的地、橋閘門がある。 次の写真は、2014年1月の扇橋閘門。 (昨年、小松橋、新扇橋、扇橋閘門について、こちらで説明している)


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・・・・・・・・・・・・・・・新装開店の扇橋閘門。 今年の春、姿を現した耐震補強工事が完了した扇橋閘門。 取付護岸の補強工事が終わり、閘門の支柱は鉄筋補強され、ゲートは新品に交換、上部の機械室はシースルーのスケスケ、管理棟は耐震補強し綺麗になった外装。

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●暑い暑い! ・・・・・・扇橋閘門に着いた頃は、気温は30℃を超え、汗びっしょり。 パンツの中も汗でムレムレ。 熱中症が恐くなり、閘門を見たら帰ることにした。、、、、扇橋一丁目バス停から錦糸町駅行で帰路につく。

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2019年9月 3日 (火)

コレ!地蔵さま?

東大島にある荒川ロックゲートが見たくなり行ってきた。 都営新宿線東大島駅で下車し、大島小松川公園を抜け、荒川土手のロックゲートの開閉をジックリ見て、江東区東砂3丁目の生田神社まで南下し、神社からは東砂の町を北上し小名木川を越えて、東大島駅に戻る。 1万1千歩




●出口を間違えたら一大事! ・・・・・・・東大島の所在は駅長室がある江東区大島9丁目である。 『江東区と江戸川区の区境の河川橋上駅で全国でも珍しい駅』として、2000年に関東の駅百選に定められた。 同じような河川橋上駅として、東京では北赤羽駅がある。、、、、東大島駅は昭和53年(1978)12月21日に都営新宿線の駅として開業した。 駅は江東区と江戸川区の区境となっている旧中川の真上にホームがあるため、西側の大島口は江東区、東側の小松川口は江戸川区にある。 東西の出口を間違えて下車すると、川を渡って戻ることになり一大事! 今日の私は荒川に行くので、間違えずに小松川口から出た。

・・・・・・・・・・・・・昨年改修工事が終わり、明るく眺望が良くなったホーム。

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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、江戸川区側の小松川口。、、、、乗降客は反対側:江東区側の大島口の方が多いようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・川の上の駅、、、、『来年からは釣り人にホームを開放して、釣りをできるようにする』という話は、アリマセン!

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●閘門を20分で通過! ・・・・・大島・小松川公園旧小松川閘門荒川ロックゲートの詳細は、こちら 2016/11/29の記事を見て!
・・・・・・・・・・・・・・東大島駅の南側で、東に荒川、西に旧中川に挟まれて都立の「大島・小松川公園」がある。、、、、公園の中央にはシンボル的に旧小松川閘門が、下半身を埋められ頭だけ出している。、、、、今日は昨夜からの雨で、公園は湿っぽく、雑草は茂り、暑さでムンムン・ムレムレ・ムシムシ。 空は一雨降りそうでムズムズ。 

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・・・・・・・・・・・・・・荒川ロックゲートは、閘門を通れる大きさの船であれば、いつでも通行できるそうだ。 ただし、利用は平日の8:45~16:30で、無料。、、、、今日はチョウド8:45に、ここ荒川ロックゲートに到着した。 朝一番に通る船があり、閘門を通過する一部始終を見ることができた。 

              ① 8:40 荒川側のゲート前に到着

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              ② 8:40 ローラーゲートが巻き上げられる
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              ③      ゲートが上る
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              ④ 8:40 ゲートの外(荒川)で待機していた船が閘門に入る
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              ⑤ 8:43 閘門の両側のゲートが下ろされる1909030827560
              ⑥ 8:47 閘門内の水位を下げ始める。 荒川と中川の本日の水位差は2.3m





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              ⑦ 8:47 水位が下がり始めた。 両側の壁が濡れて、水位の低下が判る

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              ⑧ 8:51 荒川の水位に比べ2.3m低くなり、水位調整完了!
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              ⑨ 8:52 旧中川側のゲートが上り始める
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              ⑩ 8:54 ゲートは上がり船は出ていく。 約20分間の出来事だった。
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●神社でUターン! ・・・・・・・荒川ロックゲートから裏道を歩き、江東区東砂3丁目の生田神社に出てきた。、、、生田神社は、当地開拓の際に旧太郎兵衛新田村の鎮守として慶安年間(1648~1651)に創建したと云われている。、、、、元禄初年(1688~1703)疫病のさい、里民当社に祈願し安全を得、特に産婦の安全を守護し、神徳を崇め遠近より参詣が多いそうだ。(私には、本当に参拝人が多いとは思えない)、、、、東大島駅からここまで歩いてきたが、雨粒が落ちてきた、チョイト寂れた商店街沿いに東大島駅に戻ることにした。 
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●“地蔵”をイメージできない! ・・・・・・小名木川にくると、雨粒も落ちてこず、蒸し暑さが残るだけ!

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・・・・・・・・・・・・・・川を渡り、大島8丁目に入ると宝塔寺がある。 真言宗智山派寺院の宝塔寺は、稲荷山小名院と号す。 宝塔寺は、慶長15年(1610)法印賢意が創建。、、、、境内に安置されている塩なめ地蔵は、もとは、小名木川沿いにあったものを昭和初期に移したものです。江戸時代に、小名木川や行徳道を通る商人たちが、この地蔵の前で休憩し、商売繁盛を願って塩を供えたのが由来と伝えられています。また仏前の塩をもらっていぼにぬると治るともいわれ、別名「いぼ取り地蔵」とも呼ばれていました。、、、、私は、どう見ても“地蔵”の姿をイメージできず、“アレ”をイメージしてしまう。 “アレ”に塩を供えると、何となくナメクジみたいに縮んでしまいそうだね!

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2019年9月 2日 (月)

遊園地は煉瓦工場の跡地

なんだかんだ言って、結局“夏風邪”の完治に2週間かかった。 最初は簡単に治る思った夏風邪であったが、後半は夏風邪と言うより蓄膿症のようであった。 どうにかこうにか、今日は鼻水・咳も止まり好調である。 

JR京浜東北線上中里駅で下車し、都電の梶原停留場、「あらかわ遊園」、都電の小台停留場と歩き、西尾久二丁目バス停からバスに乗る。 1万1千歩。




●危ない危ない、捕まりたくない! ・・・・・・京浜東北線の上中里駅で下車する。 相変わらず乗降客の少ない駅。、、、、駅前で、ロー・アングルでカメラを構えたら、ちょうど近くの女子高生がゾロゾロ、危うくヤバイ写真を撮るところだった。 誤解しないで、『おじさんは、女子高生に興味ナシ!』

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●銀座の店はまだ寝てる! ・・・・・・・上中里駅から梶原銀座商店街に向かう

・・・・・・・・・・・・・・上中里駅から、上中里2丁目の細い道を抜けていく。、、、、キョロキョロしながら迷路のような裏道を歩くと、早朝の泥棒と間違えられそう

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・・・・・・・・・・・・・・梶原踏切の正面に出る。 梶原踏切は東北本線、高崎線、宇都宮線、上野東京ラインなどが引切り無しに通過する。 踏切の脇にはエレベーター付きの歩道橋があり、高齢者、身障者に優しい配慮。 踏切待ち時間は、関係ナシの二人!、、、、踏切を越えると、明治通りまでは「上中銀座」と称する商店街だが、店は少なく、寂しい!

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・・・・・・・・・・・・・・明治通りを渡り、都電荒川線梶原停留場付近で、「梶原銀座商店街」(北区堀船3)に続く。、、、、地元密着型の商店街、朝8時半、まだ寝ているようだ!、、、、ここで問題です、『北区には、〇〇銀座商店街はいくつある?』


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・・・・・・・・・・・・・・梶原銀座商店街の中程に祀られている愛宕地蔵尊。 江戸時代のこの辺りを所領していた旗本水野家が勧請したもので、元は本郷の屋敷に在ったのを、この地の小泉家が勧請したと伝えられている。 この地蔵尊は眼病平癒と、火除けの祈願仏として信仰されているそうだ。、、、、小泉家が勧請したのはクリステルではなかったか?

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・・・・・・・・・・・・・・ クイズの答え(“〇〇銀座商店街”の“商店街”は省略)、、、、赤羽地区には、志茂銀座、浮間銀座、神谷銀座の3商店街。 王子地区には、王子銀座、東十条銀座、梶原銀座、十条銀座、十条富士見銀座の5商店街。 滝野川地区には、上中里銀座、田端銀座、霜降銀座、西ヶ原銀座、滝野川銀座の5商店街。 北区には合計13の銀座商店街がある。 数えてみると結構あるもんだ!



●本堂の上に八角堂とは? ・・・・・・梶原銀座商店街の北側、隅田川岸に白山神社とその別当寺であった福性寺がある。

・・・・・・・・・・・・・・白山神社創立沿革などは、神仏分離の際、古文書類をことごとく紛失し、由緒不明。 言い伝えによると源義家奥州に出陣の際白山神社に詣で戦勝を祈願し、奥州を平定し当地を経て鎌倉より京に帰ったと云われている。 当社は当時、梶原の鎮守として敬われた。 別当寺は北隣の福性寺。、、、、社殿は昭和47年(1972)に再建された。、、、、現境内は550坪程の広さがあり、雑草が元気よく生えている。 駐車場にすると儲かるかも?


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・・・・・・・・・・・・・・白山神社の北隣に神社の別当寺であった、真言宗豊山派の福性寺がある。 寺は、白王山と号し、寛永2年(1625)の創建と。、、、、現本堂と本堂屋上の八角堂は昭和39年(1964)に建てられた。


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●60年前の車両とご対面! ・・・・・大正2年(1913)、王子電気軌道三ノ輪(現:三ノ輪橋駅)~飛鳥山下(現:梶原駅)開業に伴い船方車庫として開設した。 その後、名称等の変更もあり、現在は荒川電車営業所として、都電荒川線の運行管理・営業を行い、乗務員基地や車庫・保守基地を擁している。 車庫の前には、「荒川車庫前停留場」があり。 、、、、ここにいると、たぶん都電の全車両が見られることだろう! 


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・・・・・・・・・・・・・・停留場の前に車庫がある。、、、、大部分の車両は稼ぎに出ているため、車庫に残るは数両のみ。

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・・・・・・・・・・・・・・車庫の片隅に止められていた6086号車両。 6000形は、昭和22年(1947)から昭和27年(1952)までの6年間に290両が製造された戦後の新造車両である。 、、、、ちょうど、私が中学・高校と都電で通学していた時期に大活躍した車両だ、ひょっとしたら60年前に乗った車輛かも?

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・・・・・・・・・・・・・・車庫の脇には「都電おもいで広場」として、5501号7504号車両が保存展示されている。、、、、この車両も懐かしいね! 停留場名の表示灯も、これまた懐かしい!

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・・・・・・・・・・・・・・都電荒川車庫から500m程北東に位置する「あらかわ遊園」
の脇に、前照灯が一つの「一球さん
」と愛称がついている6000形車両が保存されている。 懐かしのグリーンとクリーム色の塗装は、私が通学時の車体の色、都電通学していた頃の思い出が頭の中を横切り嬉しくなった。、、、、あらかわ遊園は只今改装工事中、一球さんは工事現場の中で近づけません!

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●煉瓦工場の町 ・・・・・・白山神社がある北区堀船、あらかわ遊園のある荒川区西尾久、この付近は隅田川の水運に恵まれ、原料の荒木田土が採れることから、明治時代、多くの煉瓦工場が創業した。 この付近では、その名残の煉瓦塀、煉瓦蔵が随所に見られる。 モルタルで補強したのか、割れ目からチラリと煉瓦の見える塀もある。

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・・・・・・・・・・・・・・「あらかわ遊園」西側に、大正11年(1922)まで「廣岡煉瓦工場」があった。 そのオーナーであった廣岡幾次郎(1859(安政)~1932(大正))が寄進した煉瓦造りの船方神社の神輿庫。 

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・かつて煉瓦工場であったあらかわ遊園を囲むように、大正11年(1922)の遊園地開園時に造られた煉瓦塀。 総延長300m程が造られ、現在は170m程が残されている。、、、、なお使用されている煉瓦には、小菅集治監製の煉瓦もあるそうだ!

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●お帰りです! ・・・・・・・小台停留場前をとおり、西尾久二丁目からバスで帰宅。

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