県道1号は松戸街道
北総線矢切駅から松戸街道(県道1号)沿いに歩いて京成本線国府台駅まで、1万歩の散歩です。
●朝の通勤ラッシュがない! ・・・・・・江戸川を挟み柴又と矢切を結ぶ「矢切の渡し」、今は観光で利用する人が大半だろう。 まして、朝の通勤に渡し舟を利用する人はいない。(利用したくても、運行開始は10時から) 通勤客は運賃がチョイト高めだが、矢切駅から北総線を利用して都心に向かう。 その矢切駅、一日の乗降客は8,000人程で朝のホームに並ぶ人も少ない。、、、、地下駅であるため、特急電車がものすごいスピード、ものすごい騒音で通過していく。
●県道1号をスタコラ・サッサ! ・・・・・・・矢切駅前をとおり千葉県市川市と千葉県松戸市を結ぶ松戸街道(県道1号)。 私も駅前から県道を市川方面に歩くことにした。
・・・・・・・・・・・・・・県道から顔を西に向けると、平成29年国の登録有形文化財に指定された、千葉県水道創設時の円筒形高架水槽「栗山浄水場配水塔」(昭和12年完成)が見える。、、、、チョイトかわいらしい給水塔だ!
・・・・・・・・・・・・・・浄水場の見える交差点から南側は、住所が松戸市栗山から市川市国府台となる。 その市境に天台宗寺院の泉養寺(醫王山無量院)がある。 泉養寺は、深川を開拓した深川八郎右衛門が開基となり、秀順法師が慶長元年(1596)深川元町に創建、元禄6年(1693)猿江へ移転した。 その後、関東大震災にて被災し、昭和2年(1927)現在地へ移転した。、、、、江戸深川にあった寺で、俳人:松尾芭蕉とも縁ある寺らしい。
・・・・・・・・・・・・・・泉養寺から100m程行くと、浄土宗寺院の源光寺がある、この寺は両国回向院の別院である。 源光寺は、両国回向院が関東大震災で被災したことから、両国回向院の上人が開山となり、江東区の専受院も合併して昭和4年(1929)に開創した。、、、、寺の本堂は平成21年(2009)にモダンな本堂に建て替えられた。 この本堂は、建築家:河原秦の設計で「千葉県建築文化賞」を受賞したそうだ。、、、、赤い山門をくぐり、緑豊かな参道を歩き、コンクリートを木造で覆った本堂の前に出る。 堂の中には本尊の阿弥陀如来像。、、、、本堂の2階はカフェになっているそうだ、また写経などもできるらしい。 これぞ、“カフェ寺ス”!
・・・・・・・・・・・・・・源光寺から南(市川寄りに)に歩くと、松戸街道の東側には「じゅん采池緑地」があり、西側には「国府台緑地」がある。 今日は、どちらの緑地も寄らずに歩く。、、、、国府台4丁目の「飛地天満宮」に寄ってみた。 かつて、この地は国府台村の飛地であった。 この地の村人は、本来は「国府台天満宮」を信仰するのであるが、国府台天満宮から離れているため、近くの栗山(松戸市)にある天満宮を信仰していた。 ところが、栗山の天満宮が祭神を変えたため、天神様を信仰したい村人と争議が起こった。 村人は向島(墨田区)の三囲神社に相談し、河内(大阪府)の道明寺天満宮から分祀を受け国府台道明寺天満宮とした。 こうして、一件落着したそうだ。 以来、今もここは三囲神社の神主さん兼務している。、、、、、まさに、信仰もここまですると、頭(こうべ)も下がる、神様、天神様々!
・・・・・・・・・・・・・・バス停「公民館」が見えた。 バス停の前に公民館があった。 今どき“公民館”とは、懐かしい響きである。、、、、今は“公民館”と言わず、“生涯学習センター”、“交流館”などと称する処が多いと思う。