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2019年9月 2日 (月)

遊園地は煉瓦工場の跡地

なんだかんだ言って、結局“夏風邪”の完治に2週間かかった。 最初は簡単に治る思った夏風邪であったが、後半は夏風邪と言うより蓄膿症のようであった。 どうにかこうにか、今日は鼻水・咳も止まり好調である。 

JR京浜東北線上中里駅で下車し、都電の梶原停留場、「あらかわ遊園」、都電の小台停留場と歩き、西尾久二丁目バス停からバスに乗る。 1万1千歩。




●危ない危ない、捕まりたくない! ・・・・・・京浜東北線の上中里駅で下車する。 相変わらず乗降客の少ない駅。、、、、駅前で、ロー・アングルでカメラを構えたら、ちょうど近くの女子高生がゾロゾロ、危うくヤバイ写真を撮るところだった。 誤解しないで、『おじさんは、女子高生に興味ナシ!』

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●銀座の店はまだ寝てる! ・・・・・・・上中里駅から梶原銀座商店街に向かう

・・・・・・・・・・・・・・上中里駅から、上中里2丁目の細い道を抜けていく。、、、、キョロキョロしながら迷路のような裏道を歩くと、早朝の泥棒と間違えられそう

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・・・・・・・・・・・・・・梶原踏切の正面に出る。 梶原踏切は東北本線、高崎線、宇都宮線、上野東京ラインなどが引切り無しに通過する。 踏切の脇にはエレベーター付きの歩道橋があり、高齢者、身障者に優しい配慮。 踏切待ち時間は、関係ナシの二人!、、、、踏切を越えると、明治通りまでは「上中銀座」と称する商店街だが、店は少なく、寂しい!

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・・・・・・・・・・・・・・明治通りを渡り、都電荒川線梶原停留場付近で、「梶原銀座商店街」(北区堀船3)に続く。、、、、地元密着型の商店街、朝8時半、まだ寝ているようだ!、、、、ここで問題です、『北区には、〇〇銀座商店街はいくつある?』


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・・・・・・・・・・・・・・梶原銀座商店街の中程に祀られている愛宕地蔵尊。 江戸時代のこの辺りを所領していた旗本水野家が勧請したもので、元は本郷の屋敷に在ったのを、この地の小泉家が勧請したと伝えられている。 この地蔵尊は眼病平癒と、火除けの祈願仏として信仰されているそうだ。、、、、小泉家が勧請したのはクリステルではなかったか?

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・・・・・・・・・・・・・・ クイズの答え(“〇〇銀座商店街”の“商店街”は省略)、、、、赤羽地区には、志茂銀座、浮間銀座、神谷銀座の3商店街。 王子地区には、王子銀座、東十条銀座、梶原銀座、十条銀座、十条富士見銀座の5商店街。 滝野川地区には、上中里銀座、田端銀座、霜降銀座、西ヶ原銀座、滝野川銀座の5商店街。 北区には合計13の銀座商店街がある。 数えてみると結構あるもんだ!



●本堂の上に八角堂とは? ・・・・・・梶原銀座商店街の北側、隅田川岸に白山神社とその別当寺であった福性寺がある。

・・・・・・・・・・・・・・白山神社創立沿革などは、神仏分離の際、古文書類をことごとく紛失し、由緒不明。 言い伝えによると源義家奥州に出陣の際白山神社に詣で戦勝を祈願し、奥州を平定し当地を経て鎌倉より京に帰ったと云われている。 当社は当時、梶原の鎮守として敬われた。 別当寺は北隣の福性寺。、、、、社殿は昭和47年(1972)に再建された。、、、、現境内は550坪程の広さがあり、雑草が元気よく生えている。 駐車場にすると儲かるかも?


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・・・・・・・・・・・・・・白山神社の北隣に神社の別当寺であった、真言宗豊山派の福性寺がある。 寺は、白王山と号し、寛永2年(1625)の創建と。、、、、現本堂と本堂屋上の八角堂は昭和39年(1964)に建てられた。


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●60年前の車両とご対面! ・・・・・大正2年(1913)、王子電気軌道三ノ輪(現:三ノ輪橋駅)~飛鳥山下(現:梶原駅)開業に伴い船方車庫として開設した。 その後、名称等の変更もあり、現在は荒川電車営業所として、都電荒川線の運行管理・営業を行い、乗務員基地や車庫・保守基地を擁している。 車庫の前には、「荒川車庫前停留場」があり。 、、、、ここにいると、たぶん都電の全車両が見られることだろう! 


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・・・・・・・・・・・・・・停留場の前に車庫がある。、、、、大部分の車両は稼ぎに出ているため、車庫に残るは数両のみ。

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・・・・・・・・・・・・・・車庫の片隅に止められていた6086号車両。 6000形は、昭和22年(1947)から昭和27年(1952)までの6年間に290両が製造された戦後の新造車両である。 、、、、ちょうど、私が中学・高校と都電で通学していた時期に大活躍した車両だ、ひょっとしたら60年前に乗った車輛かも?

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・・・・・・・・・・・・・・車庫の脇には「都電おもいで広場」として、5501号7504号車両が保存展示されている。、、、、この車両も懐かしいね! 停留場名の表示灯も、これまた懐かしい!

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・・・・・・・・・・・・・・都電荒川車庫から500m程北東に位置する「あらかわ遊園」
の脇に、前照灯が一つの「一球さん
」と愛称がついている6000形車両が保存されている。 懐かしのグリーンとクリーム色の塗装は、私が通学時の車体の色、都電通学していた頃の思い出が頭の中を横切り嬉しくなった。、、、、あらかわ遊園は只今改装工事中、一球さんは工事現場の中で近づけません!

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●煉瓦工場の町 ・・・・・・白山神社がある北区堀船、あらかわ遊園のある荒川区西尾久、この付近は隅田川の水運に恵まれ、原料の荒木田土が採れることから、明治時代、多くの煉瓦工場が創業した。 この付近では、その名残の煉瓦塀、煉瓦蔵が随所に見られる。 モルタルで補強したのか、割れ目からチラリと煉瓦の見える塀もある。

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・・・・・・・・・・・・・・「あらかわ遊園」西側に、大正11年(1922)まで「廣岡煉瓦工場」があった。 そのオーナーであった廣岡幾次郎(1859(安政)~1932(大正))が寄進した煉瓦造りの船方神社の神輿庫。 

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・かつて煉瓦工場であったあらかわ遊園を囲むように、大正11年(1922)の遊園地開園時に造られた煉瓦塀。 総延長300m程が造られ、現在は170m程が残されている。、、、、なお使用されている煉瓦には、小菅集治監製の煉瓦もあるそうだ!

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●お帰りです! ・・・・・・・小台停留場前をとおり、西尾久二丁目からバスで帰宅。

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