カエルの寺
台風19号に騒がせられ、驚かされ、踊らされ、疲れさせられた一週間。 我が家では幸い被害はありませんでしたが、被災した方にはお見舞い申し上げます。
今日は朝から東上野の病院で泌尿器科の定期検診。 結果はもちろん異状なし、看護婦さんが『年が明けたらまた来てね!』。 その後、病院の近所を散歩してきた。
●寄席発祥の地 ・・・・・まずは、病院の近くの神社。 上野駅前から駒形橋方向に伸びる浅草通りに面し、朱塗りの大きな一の鳥居が建つ下谷神社。、、、、天平2(730)上野の忍ヶ岡に創建されたと云われてる。 寛永4年(1627)寛永寺建立のため山下に移された(現:上野駅入谷口前)。 しかし土地が狭く、延宝8年(1680)に広徳寺前通り(現:浅草通り)の南側に移る(現在地の近く)。 その周囲には武家の屋敷や長屋が建ち並んでいた。 本社は下谷の鎮守として広く信仰を集め、「下谷稲荷社」などとよばれた。 稲荷町(現:地下鉄銀座線の駅名でもある)という地名も、本社に由来する。 江戸時代には開帳・人形芝居などがおこなわれ、祭礼の時には盛大な行列がみられた。 「下谷神社」と改称したのは明治5年である。 関東大震災の後、昭和3年(1928)の区画整理により、東南に50mほどの現在地(台東区東上野3)に移る。、、、、都内最古の“お稲荷さん”で、浅草通りに面する一の鳥居は、昭和8年5月の建立で朱塗りである。 扁額の字は元帥:東郷平八郎の書。 東郷元帥は、翌年の昭和9年5月に87歳で亡くなった。 現社殿は昭和9年の完成。
・・・・・・・・・・・・・・社殿左手隅にある境内社:陸栄稲荷神社(下谷稲荷神社)。 鳥居前の石の上に神使(狐の石像)が何匹もいる。、、、、これが全て生きた狐だと、チョイト怖いね!
●柔道発祥の地 ・・・・・下谷神社から浅草通りを横断し、地下鉄銀座線稲荷町駅出入口前の交番横(東上野5)に、朝日山願成院永昌寺の門がある。 永昌寺は、朝日長者が尊譽榮全を招いて永禄元年(1558)下谷御成小路辺長者町に創建、寛永14年(1637)に現在地へ移転した。 慈恵大師が厄除のため彫刻し、後に朝日長者の守護仏となったと伝える千手観音が秘仏として祀られている。 俗に「厄除本尊」といわれる。、、、、境内はさほど広くはないが、樹木は少なく、石畳の参道が本堂へ導いてくれる。 また、本堂裏にはビルの谷間に整然と墓石が並ぶ墓地がある。
・・・・・・・・・・・・・・本堂に向かい左側に丸みをおびた自然石に「講道館柔道発祥之地」と彫った碑がある。、、、、その横に発祥の地を説明する石柱がある。 『明治14年嘉納治五郎は、東京大学を卒業、学習院に奉職したが、翌15年2月より、当寺内に居住して、同寺書院を道場として学生を養柔道を中心とする訓育を始めた。 これが、今日国際的な広がりを持つに至った。 唯一の国技講道館柔道の発祥である。時に治五郎は、年23才。 道場の広さは12畳初年の入門者は9名。 当時住職は、朝舜法大和尚であった。 平成8年吉祥日 朝日山願成院永昌寺中興廿八世 白蓮社純誉貞晋上人』と説明している。、、、、地下鉄駅に近い場所に道場に開くとは、交通便利で入門者も通いやすく、さすが先見の明ある治五郎君!
●池の寺 ・・・・・・・浅草の方向に歩いて行くと、かっぱ橋道具街の手前(松が谷1)に、日蓮宗寺院の妙音寺がある。 妙音寺は妓楽山と号す。 慶長15年(1611)日本橋馬喰町に創建、富田半七(華光院日性)を開基とする。 明暦3年(1657)の大火で伽藍を焼失し現在地(松が谷1)に移転した。、、、、 江戸十祖師の一つとして著名である。、、、、境内には、小さいながらも鯉の泳ぐ池があり、「池の妙音寺」とも云われているそうだ。 立派な錦鯉が優美な泳ぎを披露している。
●格調高い寺 ・・・・・・妙音寺と同じ松が谷1丁目に、曹洞宗萬年山祝言寺(しゅうげんじ)がある。 祝言寺は、太田道灌が天文20年(1551)に創建したとも弘治2年(1556)の創建だともいい、祝言村(千代田区)に建立。、、、、もと駒込吉祥寺末の寺で、入口に「当山開山 太田道灌公顕彰碑」と彫られた碑がある。 寺は天正18年(1590)に徳川家康より萬年山の山号と松平家と同じ「丸に一つ葵」の紋所を賜り、江戸城大手門前から後に神田、日本橋を経て現在地の浅草に移った。、、、、寺は明暦の振袖火事、関東大震災、戦災などで何度も焼けたので、古文書や宝物は残っていないけれども、太田道灌の位牌「静勝軒春苑道灌居士」がある。、、、、祝言寺本堂は、内井昭蔵の設計、大成建設の施工で、昭和60年(1985)に竣工した。 また、燻したような光沢のボーダータイル張りの山門永代供養堂は、テツク建築設計事務所の設計、大成建設の施工で、平成18年に竣工した。 重厚で格調高い雰囲気を演出している、いいね!
・・・・・・・・・・・・・・山門から本堂へ
・・・・・・・・・・・・・・墓地への入り口近くに、鉄鍋を被せた「鍋被り地蔵」がある。 地震の時にたまたま地蔵の上に落ちてきた鍋が被さって難を逃れたことからずっと鍋を被り続けている。 災害除けの霊感もあるとか。 直参旗本酒井家に祀られていたもので、眼病に利益あるとか。、、、、眼病より災害除けのほうが御利益ありそうだ!
●蛙の寺 ・・・・・・さて、本日の散歩の最後は、祝言寺の北側(松が谷2)にある日蓮宗寺院の龍嶋山本覚寺。 本覚寺は、天正19年(1591)馬喰町に創建、明暦3年の大火の後、現在地へ移転した。 江戸十大祖師の一つ日限祖師として著名。、、、、【蛇足】江戸十大祖師とは、江戸にある10ヶ寺の日蓮宗寺院を参拝することにより祖師(日蓮)のご利益にあずかろうとする民間信仰。 江戸時代は盛んであったが、現在では大がかりには行なわれていない。
・・・・・・・・・・・・・・本堂は昭和34年(1959)に城郭研究の第一人者だった東工大教授:藤岡通夫の設計で再建された。 カラフルでモダンな建築である。
・・・・・・・・・・・・・・数日前の台風19号、サンマの不良、どれもこれも地球温暖化による異常気象が原因らしい。 この寺でも類似の現象か(?)カエルの大発生である。、、、、本堂横の蟇大明神には、数えきれないほどの蟇(カエル)がイッパイ。 何じゃ、コリャ! よく見ると、陶器のカエル。 本堂で売ってる置物のカエルである。、、、、蟇大明神の横に、『蟇塚由来記 天保の頃、當山の檀家に秋山某なる人があった。故あって稼業を助ける神として蛙蟇塚という碑を建てて崇めていたと云う。大正一二年関東大震災の折、東京は一瞬にして焦土となり當山も又烏有に帰したがその時の墓守関某という人が霊感する所あって土の中より件の碑を探し出し小さな堂を建てて祠った。 丁度その頃下谷に千八という人がおり、この蛙蟇塚に願をかけた所大きなご利益を得、遂に一念發起して現在の地に蟇堂を建て、人に逢うことに蟇の分身を與えて利益のあることを宣伝した。 千八師は自らも歌舞をよくしこの方面に宣伝した為に花柳界歌舞演劇界映画芸能界等金銭物質の出入や人気稼業方面に信者が多い。昭和二十年三月の大空襲で全焼したが戦後いち早く下谷の高田家保袋家氏等の尽力で復興し今日に至っている。動物信仰の一形態としても誠に珍しいものである。昭和五十一年に至り堂宇の傷み甚だしくここに恒久的堂宇の再建を發願した所詣者多数の賛同と協力を得て昭和五十三年七月二十日新蟇堂の完成を見た。』と記されている。、、、、山のように積み重なったカエル。 ジーッと見ていると、チョイト不気味だ!