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2019年10月23日 (水)

OFF LIMITS の街

今朝、秋晴れの下、草加方面を散歩する予定で家を出た。 朝8時、自分の乗った電車が曳舟駅に着いたら、動かない? 15分後、駅アナウンスで『西新井駅で人身事故が発生しました。 振替輸送を行っております。』 「アリャリャ、自分は何処へ振替輸送してくれるんだ?」 SUICAで乗車し、行先は明示されていない、振り替えも何もない! とりあえず改札へ向かうと、『遅延証明書』を貰う人で行列ができている。 「コリャマタ・タマゲタ、自分は証明書貰っても持っていく先がない!」 大勢の通勤客と同じ行動ができない自分に、チョッピリ寂しさを感じながら駅をでる。

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駅前で「さて、東西南北どっちへ歩くかな?」 「東南北(=シャーない=しょうがない)、西へ歩いてみよう!」 出てきた処は国道6号水戸街道)に面した、出桁造り商家「萬屋糸店」の前。 萬屋さんは、糸・毛糸・寝具・洋品とタバコを扱う地元の老舗。、、、、こちらの向かい側には鳩の街通り商店街の入口がある。 今日の散歩は、久しぶりに鳩の街の周辺を探訪することにした。

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●「鳩の街」は、現在の墨田区向島と東向島の境界付近にあった赤線地帯。 地理的に私娼街「玉の井」と近く、1kmほどの距離である。 太平洋戦争末期に、空襲で焼け出された玉の井の銘酒屋(銘酒を売る看板を上げ、飲み屋を装い、私娼を抱えて売春した店)が何軒か、この地で開業したのが始まり。 終戦直後は、米兵の慰安施設として出発したが、兵士が性病に感染することが多いため、昭和21年(1946)に米兵の立ち入りが“off limits”となった。 その後は日本人相手の赤線として発展したが、昭和33年(1958)の売春防止法の完全施行で、店は廃業となる。 店は警察の指導でカフェー風に造られ、一目でその手の店と識別できたそうだ。 昭和27年(1952)頃は、108軒の店に、298人の娼婦がいたらしい。、、、、戦後生まれの自分は、当時は赤子。 知っていれば一度は行って見たかった!
 
●一本道の商店街 ・・・・・・・現在は「鳩の街通り商店街」として、国道6号(水戸街道)と都道461号(墨堤通り)を結んでいる商店街。 昭和3年(1928) 「寺島商栄会」としてスタートし、戦後になると隣接する赤線「鳩の街」に因み、「鳩の街商栄会」と名乗る。

・・・・・・・・・・・・・・水戸街道側の入口。 入口のポールには、商店街の名は見えず、あるのは、デザインされたハトだけ。 「鳩の街」の名を伏せたいのか?

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・・・・・・・・・・・・・・でも、案内板・立て看板・店舗名に“鳩の街”がある。

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・・・・・・・・・・・・・・ほぼ真直ぐな道の商店街。 しかし、開いてる店舗は半数もない。 チョイト寂しいが、只今、商店街活性化の最中で効果が出ているそうだ。 モダンな店舗もオープンしている。 数年後には、元気な商店街の復活も夢ではない! 

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・・・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に建てられた木造の薬屋さんをリノベーションしたカフェ「こぐま」。 あいにく、火曜・水曜は定休日。 オリジナルカップで出されるコーヒーは美味しいそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・商店街の中程には保育園(写真:右)もある。 この保育園がある場所は、『鳴門秘帖』を書いた作家:吉川英治の旧居跡。、、、、吉川英治は明治25年(1892)横浜生まれ、小学校を中退し、職を転々としながら、朝から晩まで働き通した18歳の時、上京。 大正6年(1917)、25歳の時、下谷の花街で知り合った赤沢やすと、寺島村1820(東向島1丁目)のこの辺りの家で同棲を始め、母たちを近くの借家に呼んだといわれている。 30歳で『親鸞記』を初めて新聞連載し、以後、雑誌「キング」に『剣難女難』、大阪毎日新聞に『鳴門秘帖』を連載し、国民文学作家としての大成した。

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト懐かしい雰囲気の元理髪店もある。 数年前に廃業した。

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・・・・・・・・・・・・・・墨堤通り側の商店街入口(出口かな?) コチラにも商店街の名はみえない、ポールの上には鳩が止まっている。

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●向島の路地裏の建物 ・・・・・・・鳩の街通りの東側、赤線があったと思われる裏道の一帯を歩いてみた。 

・・・・・・・・・・・・・・この辺りは救急車両が入れない木造家屋密集地区であるが、
最近建て替えられた建物では建て替えに伴い前面道路を広く確保している。 赤線Ⓙ時代の路地裏のゴチャゴチャ感は無くなってきた。

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・・・・・・・・・・・・・・・裏道に、赤線当時の名残と思われる建物が数棟ある。 いずれも、外装にタイルを使用し、丸みを帯びた柱・コーナー部・庇などがあり、出入口が狭いなど共通する。

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・・・・・・・・・・・・・・10年程前まで残っていた“OFF LIMITS”(立入禁止)、、、、外壁の窓下に、白ペンキで書かれていた。 既に、この建物は取り壊された。 (2010年撮影)

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・・・・・・・・・・・・・・鳩の街通り商店街の墨堤通り側の入口から東へ100m程歩くと、文豪幸田露伴が明治41年(1908)から大正13年(1924)まで蝸牛庵と名付けて親しんだ住居の跡である、児童公園:「露伴児童遊園」がある。 

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、おまけで鳩の街通り商店街の西側の裏道にある、榎本武揚居住跡に寄ってみた。、、、、武揚は幕末に徳川軍の海軍奉行に就き、戊辰戦争では五稜郭にて戦い、その後明治政府の文部大臣・外務大臣に就いた。 引退後は、この地(現:墨田区向島5-13)に住んでいた。、、、、“旧居跡”というと、都心ではだいたいマンションに変わっている処が多い。 ここも、そうだ。なんだか、実感が沸かないね!

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●・・・・・・・この後、押上まで歩き、今日の散歩は1万2千歩。   【蛇足】押上で電車に乗ったら、ホームに止まったまま20分経過。 その後、『信号装置のトラブルにより、この電車は回送となります』のアナウンスあり。 今日は最悪の日、方角が悪かったのか?

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