二十世紀梨の町
散歩に出たが、スッキリしない空模様。 浅草橋から浅草線に乗り、車中で『どこで降りようか?』下車駅を考えたが決まらないまま、押上・青砥・高砂と過ぎ、北総線に突入した。 天気も悪そうなので、『やけのやんぱち日焼けのなすび 色は黒くて食いつきたいが わたしゃ入れ歯で歯が立たない』と、寅さん気分で北国分駅で降りてみた。 駅を出たら『東西南北 どちらに行こう 駅前のバス通り マドンナ探しに 松戸へ向かう』 てなことで、今日は松戸駅まで、1万1千歩の散歩です。
●太陽が見える地下駅! ・・・・・・・・平成3年(1991)3月31日に開業した北総線北国分駅は、 掘割による半地下構造で、地表からホーム面までは11.7m程である。 地下1階は改札口・コンコースなどがあり、地下2階に相対式ホーム2面2線を有する。 ホームの両端からはトンネルが見える。、、、、一日の平均乗降客は8千人程で、通勤時間帯でも電車を待つ人はまばら。



●二十世紀梨の発祥地! ・・・・・・・駅の近くの幹線道路:千葉県道180号松戸原木線。 松戸市松戸の国道6号との交点である「陣ケ前交差点」を起点とし、市川市、船橋市を経て、市川市原木の終点:インターチェンジまで伸びる一般県道。 平成12年(2000)までは市川松戸有料道路として運営されてきたが、現在は無料化されている。、、、、今日は北国分駅付近から陣ケ前交差点まで歩いた。
・・・・・・・・・・・・・・北国分駅から県道につながるバス通り。 北国分駅の北側:駅前三叉路で県道にぶつかる。、、、、この付近までは市川市、これより先は松戸市となる。
・・・・・・・・・・・・・・県道180号は「二十世紀が丘」の町を貫いている。、、、、この町は昭和56年(1981)の町名地番整理にて、美野里町、丸山町などの7町が「二十世紀が丘」を冠する町名に改めたそうだ。 この「二十世紀が丘」 の名は、明治21年(1888)に当地で梨農家を営んでいた松戸覚之助が発見した「二十世紀梨」に由来し、さらに当地が高台にあるので“丘”を足して命名されたそうだ。、、、、私のようなよそ者が、名から想像するのは果物ではなく洒落た近代的イメージで、現実には、チョイト、ギャップがあるようだ!、、、、道路沿いに、いま流行の作業服を扱う店。 新鮮野菜を直売する店もある。 そして、多いのはファミレス等のチェーン店。 かわいらしい交番もあった。 そして最後は陣ヶ前交差点に出る。







●木製です! ・・・・・・・松戸にあった、私好みの木造家屋、、、、一つは、チョイト倒れかけている木造倉庫(?)、、、、もう一つは、下見板張りの外塀に、木製の塀。昭和チックな平屋住宅。
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