もやもやの宇喜田
三日間降り続いた雨も今朝6時頃にやっと止んだ。 7時半過ぎに散歩に出る。 道路は雨で濡れあちらこちらに水溜まり。、、、、都営新宿線に乗車、東大島駅手前で電車が地下から地上に顔を出すと、雨上がりの霧と荒川からの水蒸気がブレンドされ視界不良。 コリャ、何かが起きることを期待して次の船堀駅で下車した。 船堀駅から南へ、宇喜田の町を歩いてみた。 散歩中に視界は良くなり、期待に反し何も起きず。 多少の靄(もや)の中、西葛西駅近くの「宇喜田」バス停まで。 1万歩の散歩です。
●金魚の船堀 ・・・・・・・船堀駅は、昭和58年(1983)12月23日に開業した、相対式ホーム2面2線の高架駅。
・・・・・・・・・・・・駅前の「タワーホール船堀」は、平成11年(1999)にオープンした江戸川区のシンボル施設です。 高さ103mの展望室は靄の中。
●秋の新川 ・・・・・・・駅前の篠崎街道を南に歩く。、、、、枯れ葉が舞い落ち、秋を感じる。、、、、♪♪秋が来た 飽きが来た どこに来た 鼻に来た 口にきた 眼にも来た♪♪ 枯れ落ちないよう、すぐに整形しましょう!
・・・・・・・・・・・・・童謡を口ずさみながら、中川と旧江戸川を結ぶ運河:新川に架かる宇喜田橋(昭和32年完成)を渡る。、、、、続いて、隣りに架かる擬宝珠橋(平成20年完成)の際を歩く。
●ボウボウの3社 ・・・・・・・北葛西1丁目の「第一三共 葛西研究開発センター」の南側、北葛西1丁目から2丁目にかけ半円状に通る「棒茅場通り」がある。 この通り名「棒茅場」は、難読地名と有名である。 さて何と読むのでしょうか?、、、、答えは、かつての宇喜田村の小名:「ぼうしば」。 由来は不明であるが、「棒」の音読みは“ぼう”、「茅」の音読みも“ぼう”で、“ ぼうぼうば ”なのだが、茅を“し”と読み“ぼうしば”と読む。、、、、北葛西八雲神社前のバス停名にその名が残っている。
・・・・・・・・・・・・・棒茅場通りの小さな三社を紹介する。、、、、まずは、家と家の間に鎮座する七軒町水神宮(北葛西1-20)。 謂れは知らないが、私の推測では、昔、この付近の農業用水の守り神だったのかも?
・・・・・・・・・・・・次は、第一三共の研究所に隣接する豊栄稲荷神社(北葛西1-16)。 豊栄稲荷神社は、元禄3年(1690)に創建された、歴史ある小さい神社。 豊受姫命を主神とし誉田別神を合祀する。
・・・・・・・・・・・・最後は、“赤いポストと緑のバス停”に鳥居が挟まれた北葛西八雲神社(北葛西1-6)。 ここが棒茅場バス停。
●眺望良し! ・・・・・・・半円状の棒茅場通り、その半円の中心(北葛西2-19)に都住宅供給公社の宇喜田第二住宅がある。 ここは、昭和46年(1971)に建てられた、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上12階、5棟(710戸)の団地である。
・・・・・・・・・・・・・・12階から見下ろすと、写真中央奥に「第一三共 研究開発センター」の高層ビルが数棟、右端奥には「タワーホール船堀」の展望塔、左端奥には中川とその堤防上を走る首都高がある。
●隣接する公園 ・・・・・・宇喜田第二住宅から船堀街道に出ると都立宇喜田公園(北葛西3)がある。 野球場、草花広場など、身近なスポーツ、レクリエーションが楽しめる、広々とした公園である。
・・・・・・・・・・・・・・都立宇喜田公園の隣りに区立行船公園(ぎょうせんこうえん)がある。 両公園は一体化されてるようで、都立公園がスポーツ中心、区立公園が庭園・釣り堀が中心。、、、、行船公園は、昭和8年(1933)地元の府会議員田中源が、区民福祉の増進と生活文化向上のための公園用地として東京市に寄付したことにより開園。 行船の名は、田中家の屋号「行船」に由来する。 昭和25年(1950)には区に地上権・管理権が移管された。 昭和58年(1983)に無料で動物に触れられる「江戸川区自然動物園」が、平成元年(1989)には築山池泉回遊式庭園として「江戸川平成庭園」が、それぞれオープンした。、、、、今日の散歩の〆として、ユックリ庭園を散策。