一二三四、五反野、六町
北風ビュ~ン・ビュ~ン、いよいよ冬が近づき散歩にも出辛くなってきた。 今日は、近場の散歩にしようと家を出たが、行く先のあてもなく、結局東武伊勢崎線五反野駅で下車。 駅前の通りを北に向かい歩き、途中でチョイト東に寄れて、つくばエキスプレスの六町駅まで、1万1千歩の散歩。
●五反田は知ってる、五反野ってどこ? ・・・・・・東武伊勢崎線で北千住の次は小菅、小菅の次が五反野駅。 急行は通過する駅、準急も通過、区間準急も乗客を無視して通過、普通電車が親しみをこめのんびりと停車する駅。、、、、大正13年(1924)10月1日に開業。 現在は島式ホーム1面2線を有する高架駅で、ホームの外側に優等列車が通過する急行線がある。、、、、チョイト知名度では五反田に負ける駅!



・・・・・・・・・・・・・改札口は高架下の一ヵ所のみ。

・・・・・・・・・・・・・駅前に立ち、『さて、東西南北、右左、どっちへ歩こうか?』考えても決まらないのに考えて、ヤッパリ決まらない。 悩んだ時は『美女に従え!』と神のお告げ。 朝の通勤時間、電車に乗る人は多いが、改札から出てくる人は少なく、まして美女がいない! 条件を緩め、『女性なら誰でもいいや!』 パートのおばさん風の人が改札から出て右へ行った。 『ヨシ、自分の運命をあのおばさんに託し、自分も右へ歩こう!』 駅から右、北の方角に歩くことにした。

●銀ブラの後はコンチクショウ! ・・・・・・駅前の商店街「五反野駅前通り銀座会」を歩いてみる。、、、、商店街は駅前から北に伸び「四家交差点」までの約600mで、50店舗程が加盟しているそうだ。 昭和45年(1970)に発足した、下町の“銀座”?、、、、早朝なので、店のシャッターは下りているが、活気のありそうな商店街だ! 北の端には銭湯もあり、熱気も感じられる。


・・・・・・・・・・・・・・商店街の端は「四家交差点(よつやこうさてん)」、、、、「四家」の地名は、江戸時代この地域に住んでいた、鶴飼、市川、高橋(兄弟)さんの四家族から名付けられたそうだ。、、、、この交差点、名は“四”でも、“六”差路となっている。 駅から歩いて来た自分だが、まっすぐ先(草加方面)に行こうと思って、イザ交差点に立ったら『あれ、どの道を行くのだ?』 判らなくなった。 しっかり確かめず、自分の鋭い勘に過信し先へ進んだ。、、、、写真中央右側の道を歩いた。 草加方面には写真中央左側の道を歩かなければならなかった。 間違いに気付いたのは、「後の祭りだ! 山鉾も帰り コンチキチンのコンチクショウ」 我が進路は、北から北東に変わった。
●一、二、三、四? ・・・・・・四家交差点から北東へ向かう道は足立区西加平で、都道102号(足立区と越谷を結ぶ道路)にぶつかり、その先でつくばエキスプレス六町駅に出る。、、、、道路沿いの迷所を巡る
・・・・・・・・・まずは、四ツ家稲荷神社(足立区青井2)、、、、祭神は、宇迦之御魂命とチョイト異色な徳川家康です。 江戸時代から四ツ家のある次郎左衛門新田には、東の宮と西の宮の二つの稲荷社があった。 明治にり、1村1社政策が進められたため、現在地にあった西の宮に東の宮が合祀され、その際、四家の一つ鶴飼家の屋敷神だった徳川家康「権現さま」も合祀した。、、、、創建年代は不明だが、安土桃山時代の文禄年間(1592~1596)頃の創建と考えられているそうだ。

・・・・・・・・・・・・続いては、愛宕神社(青井1)、、、、神体は馬に乗った愛宕権現で、元々は旧家の屋敷神だったそうだ。 安産の神・火の用心の神として信仰されている。 神社の祭日は、「彼岸の中日」という珍しい神社である。、、、、彼岸の墓参りしてから、神輿をかついでワッショイするのか?

・・・・・・・・・・・・・・愛宕神社の近く(青井1)には「二ツ家町」バス停がある。、、、、チョイト興味が湧いたので調べてみると、愛宕神社の北300m程に環七通りが東西に走り、その北側の地名は「一ツ家」であった。 「二ツ家」はバス停として残り、「四家交差点」の南側には「三ッ家堀」があったそうだ。 そして「五反野」、この後向かった駅は「六町」。 “一”から“六”まで揃い踏み!
・・・・・・・・・・・・環七通りを横断し足立区西加平に入ると、東電の花畑変電所がある。 自分のような素人には、設備の名称も機能も判らず、大きな鉄塔をスゲーと叫び、変な機械・装置を見てナンジャコリャ?
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