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2019年11月29日 (金)

芸妓のいない池袋三業地

かつて池袋にも三業地があった。 その名も「池袋三業通り」と名付けられた通りが、今もある。 5年ほど前に歩いた処を、今日歩いてみた。 池袋駅で下車し、東武東上線の大山駅まで、1万2千歩の散歩です。




●区民全員が一日一回乗降 ・・・・・・JR池袋駅は、島式ホーム4面8線を有する地上駅。 山手線・埼京線・湘南新宿ラインの3路線が乗り入れており、東側の2面4線を埼京線・湘南新宿ラインに、西側の2面4線を山手線にそれぞれ割り当てている。、、、、一日当たりのJR乗降客数は566,000人程。 これは、池袋駅が所在する豊島区の人口(約281000人)のほぼ倍。 つまりは豊島区在住の、誕生したばかりの赤子から、ヨタヨタ歩き・寝たきりの御老人までが、一日一回池袋駅からJRに乗り、JRで帰ってくる勘定である。、、、、他社線への乗り換えも多く、改札口は5か所あり、北口・中央北口・中央南口・南口は池袋駅を東西に結ぶ3本の地下道に直結している。 ホーム南端(目白寄り)のメトロポリタン口は跨線橋に併設され、西口(東武東上線側)方面のみに出ることができる。 年を取り田舎者になった私には、迷路に近い通路から地上に出るのに一苦労!

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・・・・・・・・・・・・駅前の地上に出ても通行人は少ない、皆さん改札に直結している地下通路を利用し勤務先に行くようだ。

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・・・・・・・・・・・・飲食店街、ラブホテル街、仕事帰りにはいろいろ悩ましい誘惑を受ける街を抜けていく。、、、、『触れるように なでるように 極上の癒しを貴方に ひざまくら みみかき』なんて読むと、朝からゾクゾク、コリャ仕事帰りにぜひ寄ろう! 負けそうだ!

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●消えた三業地! ・・・・・・・池袋2丁目(劇場通り)から池袋3丁目(山手通りの手前)までを結ぶ裏通りに、「池袋三業通り」と名が付いている。(豊島区設定の名称) この池袋三業通りの西側、池袋御嶽神社周辺の一画にかつて「池袋三業地」があった。、、、、“三業”とは料亭、芸子屋、待合茶屋の総称である。 つまり、赤坂、柳橋、浅草、向島などと同じ花柳界である。 池袋三業地は、昭和3年(1928)に待合の許可が下り正式な三業地となり、昭和10年(1935)前後の最盛期には、料亭・待合が40数軒、置屋10数軒が狭い路地に並んでいたそうだ。 その後、戦渦に巻き込まれ街は衰退したが、戦後再び復活し、昭和30年代には料亭39軒、芸妓数200名を数えたそうだ。 しかし、ピークは過ぎ再び衰退の一途をたどり、現在はその面影もほとんどなく、数軒のスナックやバーが散在するだけとなった。、、、、5年前までは面影を残していた建物も取り壊され消えた!

・・・・・・・・・・・・「池袋三業通り」は、ゴク普通にどこにでもある裏通りとなった。、、、、最盛期には、多くの芸者が通っていた道。 旦那を乗せた人力車も通っていたかも?

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・・・・・・・・・・・・数軒の建物に、それとなく面影が残っているようだ。

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・・・・・・・・・・・・閑静な住宅街という雰囲気に変わった三業地の一角に、狭い境内、赤い鳥居の「三社神社」がある。 “三業”を生業とする人たちが信仰対象としていたらしい。 三業地で働らく芸妓や遊女はここで手を合わせたであろう。、、、、三社神社の近くの電柱に“三業”の文字を発見!、、、、町内会の名は「池袋三業町会

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・・・・・・・・・・・・三業地の鎮守さまか(?)、池袋3丁目の「御嶽神社」。 池袋駅西口一帯の氏神様だが、創建年代は不詳。 祭神は倭建命、神武天皇、武甕槌命。 倭健命の草薙の剣の話(駿河の野火の難を逃れた)により古くより災難除・厄除・防火の神徳有り。 鎮座した年代は不詳だが、天正年間頃に鎮座し、貞享4年(1687)に社殿が創建されたといわれる。 昭和13年(1938)には村社に昇格し、社名を三嶽神社から御嶽神社に改める。 嘉永6年(1854)に社殿が造営され、昭和34年(1959)に改築。、、、、境内社の「子育稲荷神社」では御祭神:保食神(うけもちのかみ)に願いを書いて吊るしてた。

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●スタコラ通過! ・・・・・・・池袋三業通り(豊島区)を抜け、山手通りを横断すると、板橋区中丸町と南町の境に「中丸通り」が北に向かい伸びている。 中丸通りの北端は、板橋区大山西町で川越街道にぶつかる交差点である。、、、、面白いもの、珍しいもの、喜ばせるもの、商店街、コンビニ、何もない極々普通の通りである「中丸通り」である。 端から端まで中丸通りの素顔を公開する。

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・・・・・・・・・・・・中丸通りからチョイト脇に入ると、板橋区南町に新義真言宗豊山派の寺:医王山西光院薬圓寺がある。 本尊は阿弥陀如来。 創建は慶長年間(江戸時代初期)とされているが、無住時代があったことや火災にあったために、開山が覚慧大和尚であること以外は全く不明。、、、、本堂横に薬師堂があり、これは正徳元年(1711)の建立。、、、、参道には大きな仁王像が立ち、その後ろには天然記念物である樹齢400年の椎の木と、区の保存樹木に指定されてる公孫樹3本が聳え立っている。 山門を入ると、右手に鐘楼、左手が墓地と薬師堂。 正面の本堂は古く落ち着きのある寺だ。

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●元気な商店街! ・・・・・・大山駅昭和6年(1931)8月25日に開業した。(私が住む浅草橋駅より1年前に開業している。 負けた!) 相対式2面2線の大きくカーブするホームの地上駅。、、、、駅前のハッピーロード大山商店街は活気あるね、午前11時、お年寄りがカートを押しながら、つるんで元気に買い物に来ている。 午後は若い人が来るのだろう!

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