« 只の饅頭を祀る神社 | トップページ | 今年も、酉の市 »

2019年11月 7日 (木)

下練馬宿

自衛隊の哨所をぜひ見たく、東武東上線の東武練馬駅で下車し、陸上自衛隊練馬駐屯地へ行ってきた。 1万歩の散歩です。




●宿場の駅! ・・・・・・・・池袋から東武東上線に乗って7駅目、東武練馬駅で下車した。、、、、東武練馬駅は昭和6年(1931)12月29日に開業。 10両編成の電車が発着する相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。 駅舎・改札口は上りホーム側の北口と下りホーム側の南口の2か所があり、それぞれホーム西端に直結している。 上りホーム中央部には平日朝7時30分から8時30分までの1時間限定で供用される入場専用の臨時改札口がある。

201911070816280

201911070816540

201911070825050

201911070827330

・・・・・・・・・・・・・・下りホームにあった水道の蛇口。 これは、乗客の手洗い用か、スグ近くにトイレがあり、こちらにはきれいな洗面台もあるだが? または、飲料用か、上向いて蛇口に口開けて飲むの? 掃除用か、ホームの中央に置く必要はないね? 考えると謎は深まる! 

201911070824200

・・・・・・・・・・・・・・『板橋区に在って東武“練馬”駅とは是如何に』『品川区に在って目黒駅と云うが如し』 東武練馬駅が開業した昭和6年(1931)の時点では、駅の北側は北豊島郡赤塚村(駅の所在地)、南側は北豊島郡練馬町であった。(まだ区にはなっていない) 駅名として、駅南側を通る旧川越街道の下練馬宿にちなみ、「練馬」を使うことにしたが、当時すでに武蔵野鉄道(現:西武池袋線)に「練馬駅」があったことから「東武練馬」と命名した。 翌昭和7年(1932)には、北豊島郡は板橋区となる。 戦後、昭和22年(1947)広大な広さであった旧板橋区が、新たな板橋区と練馬区に分割され、現在の23区となる。 この時、駅のある赤塚村、駅の南側の練馬町がそれぞれ新板橋区、練馬区に属し、駅南口に面する道路が区境となった。 東武練馬駅は板橋区に残ることとなった。



●宿場の一画! ・・・・・・東武練馬駅南口前の通りから一本南側の通りに出ると、そこは旧川越街道で商店街となっている。 その出たところに、仁王、聖観音、馬頭観音がそれぞれ門と堂に納まっている、北町観音堂がある。 江戸周辺を探訪した小石川の僧が著した紀行文『遊歴雑記』にも、文化12年(1815)にここを訪れた記述があるそうだ。 往来の人々の信仰や、赤塚村への分岐道の目印だったらしい。

201911070836340

・・・・・・・・・・・・・・まずは、仁王門の阿形像・吽形像。 両像とも天和3年(1683)の銘がある。

201911070839370

201911070837390

201911070837280

・・・・・・・・・・・・・・仁王門の奥、観音堂には高さ270cmの聖観音像。天和2年(1682)の銘。  小さい堂には、高さ138cmの馬頭観音像。 製作年代不詳だが、江戸時代の作らしい。、、、、どちらも、小さい像であるが重そうだ、盗まないで!

201911070838490

201911070837580

201911070838190

・・・・・・・・・・・・・・・北町観音堂の横に、昭和の純喫茶「喫茶 ボタン」があった! モーニングにおにぎりセットもあるらしい。
201911070840530



●宿場は下練馬宿! ・・・・・・・・・・・・・・・・・北町観音堂のある東武練馬駅周辺(練馬区北町2)はかつて下練馬宿であった。 今は立派な駅前商店街。 街では宿場町として売り出し中!

201911070841590

201911070845240

・・・・・・・・・・・・・・街の中の街、北町観音堂から40m程の「北町楽天地」。 素敵な、昭和の歓楽街、会社帰りに寄ってみては!

201911070844160

・・・・・・・・・・・・・・こちらも、昭和で時間が止まったディープスポット、北町楽天地からすぐの「北町アーケード・ショッピングセンター 」。 アーケードの色あせ焼け焦げたネオンがに誘われそう!

201911070847080

201911070900180



●宿場の富士山! ・・・・・・北町アーケード・ショッピングセンターの斜め前に北町浅間神社の鳥居が見える。、、、、北町浅間神社は、下練馬宿の中程に位置する神社であるが、創建は明治期前後と比較的新しい。、、、、鳥居は、明治5年(1872)建立の明神鳥居(一の鳥居)と社殿前の大正4年(1915)建立(二の鳥居)があり、社殿は珍しい石造。、、、、社殿の左側には、傾斜面を利用した立派な「下練馬の冨士塚」がある。 登山道は、つづら折り道、直登道、下山道、お中道など、複数のコースが用意されている。 標高37.76mのここなら、遭難の心配はないと思う!

201911070850400


201911070851480



●宿場の小さな堂! ・・・・・・旧川越街道の家並みの裏手に回ると、参道の両側にたくさんの石仏が並ぶ阿弥陀堂(練馬区北町2)がある。 一見すると普通の住宅と間違えるような、小さな堂である。、、、、阿弥陀堂の墓地には、千川上水開設の功労者である千川家の累代の墓があります。 千川上水は元禄9年(1696)江戸下町方面の飲料水として玉川上水から分水された水道で、工事には徳兵衛・太兵衛の二人が当たる。 私費を投じて工事を完成させた功績により、両人は江戸幕府から苗字帯刀を許され、千川家の姓を賜る。 開通から10年後の宝永4年(1707)、上水は附近の20ヶ村の農民の願いで、灌漑用水として利用できるようになった。 両人の子孫は代々下練馬村(現:北町)に住み、千川上水の取締役として維持管理に努めた。

201911070904280

201911070908400

201911070907040



●宿場近くの駐屯地! ・・・・・・・・本日の散歩の目的地、陸上自衛隊練馬駐屯地に来た!、、、、ココ練馬の駐屯地は、昭和5年(1930)東京第一陸軍造兵廠練馬倉庫として始まった。 戦後は、昭和26年(1951)に警察予備隊が久里浜から移転。この時、敷地面積を8万坪に拡張。 昭和29年(1954)には保安隊を経て、陸上自衛隊へ移管。 平成14年(2002)に、第1師団が政経中枢師団へ改編。、、、、この駐屯地の中に自衛隊の資料館があると道すがら聞いていたので、門の前に立つ隊員に尋ねると、『資料館はありますが、イベントがある日に公開しますので、その時おこしください』 ヤッパリ、見学できなかった。 今日の今日は無理だね!

201911070920380

201911070921370

201911070928500

・・・・・・・・・・・・・・浅草橋(我が家)から遠路はるばる散歩にやってきたのは、資料館を観たかったのではなく、西門の側にある連隊門哨所を見るためだ。 こちらは、門の外にあるので365日24時間見学可能。、、、、この連隊門哨所について、『第一普通科連隊の前身「警察予備隊普通科第1連隊」は、昭和26年9月28日に、久里浜駐屯地から練馬駐屯地に移駐した。 この哨所は、移駐から約2か月後の昭和26年(1951)11月15日に竣工し、以来、昭和46年(1971)11月にこの連隊門(西門)閉門するまでの約20年間、駐屯地警備に使用された。』と説明されている。、、、、歴史を感じるコンクリート製の哨所、今日の散歩は、これが見たかった! 

201911070924550

201911070925110-2

・・・・・・・・・・・・・・ついでに、駐屯地前に立ち並ぶ官舎。 “イザ鎌倉”の際は、この官舎から大勢の自衛官が出動するのだろね!


201911070926330



●宿場から遠くはずれ! ・・・・・哨所を見たら、駐屯地前の川越街道を西へ歩き、東京メトロの地下鉄赤塚駅から帰宅。、、、、地下鉄赤塚駅は有楽町線と副都心線が乗り入れる駅。 昭和58年(1983)6月24日に帝都高速度交通営団(営団地下鉄)有楽町線の営団赤塚駅として開業。 平成16年(2004)4月1日には、交通営団の民営化に伴い、駅名を「地下鉄赤塚駅」に改称。 平成20年(2008)6月14日、副都心線開業により、当駅は有楽町線と副都心線の共用駅となる。 島式ホーム1面2線の地下駅で、川越街道(国道254号)の直下にある。

201911071019460

201911071022420

201911071024520

« 只の饅頭を祀る神社 | トップページ | 今年も、酉の市 »

散歩」カテゴリの記事

板橋区」カテゴリの記事

練馬区」カテゴリの記事