観音さまに狸がいた!
日の入時間も早くなり3時過ぎると薄暗くなる時期となった。 今日は午後から買い物をかね、ぶらり、浅草を一回り。
明治時代まで浅草にはタヌキ(狸)がいたそうで、今日はその証を紹介する。
●狸がいた観音さま ・・・・・・まずは、浅草寺御本尊に手を合わせてから!


●お狸さまの御乱行! ・・・・・・・雷門から浅草寺本堂向かい真っ直ぐ伸びる仲見世。 その仲見世は途中で新仲見世・伝法院通りと交差する。 伝法院通りを西(浅草六区)へ向かうと、浅草公会堂の斜め前に鎮護堂(ちんごどう)がある。 ここは広い浅草寺境内の一角で、伝法院(浅草寺の本坊)の庭園に続く敷地内である。、、、、この鎮護堂の由来については、浅草寺の案内に以下のように記されている。、、、、『 江戸市中に「狸阪」「狸穴」などという地名があったとおり、かつて江戸には狸が多く棲んでいた。上野の山や、浅草の奥山にも狸が棲んでいたが、官軍と彰義隊が戦った上野戦争や奥山の開拓などで逃げ出して、明治の初めには浅草寺の伝法院あたりに棲みつくようになった。一説には狸らは、草履を釜に投げ入れたり、座敷に砂をまいたりなどのいたずらをしたという。 浅草寺も狸らの乱行に困っていたが、時の住職、唯我韶舜大僧正の夢枕に狸が現れ、「われわれのために祠を建てて保護してくれれば、伝法院を火災から守り、永く繁栄させましょう」というお告げがあった。そこで、明治16年(1883)に鎮護大使者として祀ったのがこの鎮護堂である。その霊験あってか、伝法院、鎮護堂ともに関東大震災や東京大空襲での焼失を免れている。 火除け祈願のほか、この祠に祈ったところ失せものが見つかったという霊験から、盗難除けの祈願をするご信徒も多い。また、狸を「他を抜く」という語呂としてとらえて、特に落語家や歌舞伎役者など、芸能関係者の信仰が篤いことで知られている。』、、、、これにて鎮護堂が、狸の御乱行を鎮めるために明治時代に建立されたことが判る。
・・・・・・・・・・・・・・鎮護堂の門をくぐり左手奥に鎮護堂の拝殿・本殿がある。 拝殿には「鎮護大使者」の提灯がかかり、ここで燈明をあげる。 さらに、拝殿の奥には入母屋造りの本殿がある。 これらの建物は大正2年(1913)の建立。、、、、この御狸さんは、当初、伝法院の鎮守としてまつられたが、福徳を願う信者の参詣が多いので、一般にも開放され、火防・盗難除の守護神として知られている。

・・・・・・・・・・・・・・・・鎮護堂の境内には数体の地蔵尊が願掛けのお客をお待ちしている。、、、、綺麗どころを順に紹介すると、、、、亡くなった子を救済してくれる水子地蔵尊、、、、破損した頭部をつないであるため加頭地蔵の名がある。 “首がつながる”と言われサラリーマンらの信奉を集めている。、、、、出世・子育にパワーを発揮する「おやす地蔵尊」、、、、開運の目白地蔵尊、、、、さらに加藤観世音菩薩もしかえている。、、、、これだけ揃うと、どんな願い事もいずれかの地蔵尊が叶えてくれそうだ!



・・・・・・・・・・・・・・境内には、もう一つ戦後昭和38年(1963)に建立された、“たいこもち”を供養した幇間塚碑がある。 碑には浅草生まれの作家:久保田万太郎の俳句がある。 「またの名の たぬきづか 春ふかきかな」 、、、、芸妓も少なくなったが、いまの時代、“幇間”(男芸者)をする人は少なくなり、東京と岐阜で数名の人がいるだけらしい。 絶滅寸前!
●待ってました! 辰五郎たぬき! ・・・・・鎮護堂の南にある新仲見世(商店街)のさらに一本南側に、全長50m程の「浅草たぬき通り商店会」がある。 この商店会の案内には、『 明治の頃まで浅草一帯は、田圃に囲まれた薮野原でたくさんのたぬきが住んでいました。 戊辰戦争が勃発し、戦火を免れた上野の山のたぬき達は四方八方へ逃げのび、中にはたぬき横丁で安堵をとるものもいました。 しかし、ここには浅草の地たぬき達がいて、縄張りが荒らされるという思いから睨み合いがはじまり、合戦という雰囲気になってきました。 そこへ浅草たぬきの長老「辰五郎たぬき」が現れ、浅草の地たぬき達に、今までのいたずらを反省し、観音様の御慈悲とご加護で安穏に暮らせていることを悟り、平和を守ることや人の役に立つことの大切さを悟しました。たぬき達の荒れていた心に暖かい気持ちが生まれ、戦いもいたずらもなくなりました。 その中の使命感を持った十二匹のたぬきは人の役に立とうと一念発起し、人々の願い事が叶えられる力が持てる仙人修行を積み、それぞれが願かけたぬきとなってまちの人々からも慕われ、お参りされるようになりました。』と書かれている。、、、、辰五郎たぬきの登場で、急に話はウソッポクなってきたね! でも、観音さまの地元だから、信じよう!、、、、通りの街路灯には12体の「願かけたぬき」が祀られている。
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