大晦日の浅草寺
毎年、大晦日の夜は家族で、浅草に出て蕎麦を食べ、浅草寺にお参りし、お汁粉を頂て帰り、除夜の鐘を生で聴きながら「ゆく年くる年」を見て、床につくのは元日の夜中であった。、、、、今年は、96歳となった母が歩くことが億劫となり、夜の御礼参りをやめることにした。 明るいうちに、浅草寺に行って、蕎麦は我が家で食することにした。、、、、我が散歩、一年の〆は浅草寺参り。
●今日は大晦日! ・・・・・・・・浅草寺へ行く前に、チョックラ買い物出た。 デパートのショウウインドウは既に新春モード。 デパート前では年末恒例の救世軍の社会鍋。 暮れの風物詩である。、、、、【チコちゃんに褒められる知識】 明治42年(1909)に、日本で始められた社会鍋のルーツは、遠くアメリカのサンフランシスコにある。 それはいわゆる「一八九三年恐慌」の翌年のこと、不況下で失業した船員が多くなり、その家族に温かいスープを提供しようと、救世軍の大尉が始めた、失業困窮者の救済活動である。 スープ鍋を三脚に吊るしてその中へ街頭募金の投入を依頼するというスタイルは、全世界の救世軍部隊に伝わった。 日本では、芋煮をする和風の鉄鍋を三脚に吊るして始められた。 明治の頃は集金鍋、大正時代は慈善鍋、戦後は社会鍋と呼ばれ、英語ではクリスマス・ケトル(Christmas kettle)と呼ばれている。、、、、俳句の季語にもなっている。 慈善鍋昼が夜となる人通り 中村汀女

●大晦日の浅草寺! ・・・・・・・今日は、繁華街の飲食店は営業しているだろうが、チョイト場末の飲食店は閉まっている。 さらに、博物館・美術館などの施設は休館しているかも、外人観光客の皆様は行く処が無いのか、浅草は外人で超満員! どこを歩いていても、聞こえる会話は、中国語・韓国語・インドネシア語・ヒンズー語・英語・フランス語、すべて私にはチンプンカンプン、何語で何を喋っているのやら、『ここは日本だ、日本語で喋れ!』怒鳴りたくなるね。 でも、かわいい娘は許す!


・・・・・・・・・・・・お土産をさがすカップル。 フランス人か、長い足が羨ましいカップル。 イスラムの若いカップル。 賽銭箱の前で記念撮影のカップル。 大金持ちか、栄養満点のカップル。 和服に和傘、日本に憧れたカップル。





・・・・・・・・・・・・最後のカップルは、私の目の前で、写した自分が恥ずかしくなる、なんとも羨ましいカップル。 この二人は、きっとチュー国人だと思うよ!
・・・・・・・・・・・・本堂の東南、弁天山と呼ばれる小高い丘に、江戸時代の「時の鐘」の一つで、松尾芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」で有名な鐘がある。 鐘楼は昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失し、昭和25年(1950)に再建されたものであるが、元禄5年(1692)に鋳造された鐘は幸いにも無事に残り、現在でも毎朝6時に役僧によってつき鳴らされている。 もちろん、今宵も撞かれる。、、、、昭和40年代頃までは、我が家で耳を澄ますと、早朝、ゴ~~ンと時の鐘の音が聞こえた。 鐘の音の前には、浅草橋駅に入ってくる蒸気機関車(貨物列車)の汽笛も聞こえた。 今思う、懐かしい音、もう一度聞いてみたい!