都心のローカル駅、十条
私には、埼京線(正式には赤羽線)十条駅はなじみが薄く私用・公用を問わず、当駅で下車することはまず皆無。 そこで、今日の散歩は十条駅で下車し、そこから歩いてみようと家(浅草橋)を出た。、、、、浅草橋から、中央・総武緩行線で新宿へ出て、埼京線で十条駅へ行くことにした。 電車が途中で動かなくなった、アレレ? 中央・総武線に乗り入れてる東西線で車両点検があり、さらに、別の駅で何かトラブルがあったようで、電車は亀の歩みで新宿に着いた。 新宿の乗り換えでは、チョウド埼京線が出るところ、いそいで飛び乗った、ラッキー・ミッキー・ポッキー・ついてるね! ところがギッチョン、新宿を出た直後の車内アナウンス『新宿駅での信号トラブルと、板橋・十条駅間で線路内に人が立ち入り安全確認のため、この電車は10分遅れで新宿を発車しました。 ご迷惑をおかけし申しわけ御座いません』 まあこの後順調に走ってくれればいいかと思った矢先、池袋の手前で、この電車も亀になった。 なんと、池袋駅で急病人が発生したそうだ。 さらに、川越方面からの電車がトラブって時間調整。 浅草橋から30分で着くはずの十条まで、今日は1時間、歩く前から疲れた!、、、、十条駅周辺を一周し、その後、赤羽駅まで歩いて、1万歩。
●都心のローカル駅? ・・・・・・赤羽線の全通は明治18年(1885)の品川~赤羽間の開業時である。 十条駅は、赤羽線の開業からはだいぶ遅れて、明治43年(1910)11月1日に追加開業した。 ホームは相対式2面2線構造で、両ホームは跨線橋で結ばれている。 2本のホームを結ぶだけの純粋な跨線橋がある駅は、都区内のJR駅では十条駅だけである。 改札口・出口は表玄関の北口と勝手口の南口の2ヶ所。

・・・・・・・・・・・・ホームの両端は踏切。 南側は都道でバスも通る、北側は商店街を結ぶ生活道路。、、、、今日は踏切付近で電車が停まり、遮断機が下りたまま。 線路の向こう側に私も行きたく待つこと10分、イライラする踏切だ!



・・・・・・・・・・・・十条駅の脇に建つ「十条駅開業70周年記念碑」、、、、十条駅は明治38年に、東京砲兵工廠の貨物を取り扱う日本鉄道の貨物駅として開業したが、翌年には廃止となった。 5年後、明治43年(1910)の開業は2代目の駅で、この時から旅客扱いすることになった。 この記念碑は1980に建てられたので、70年引くと1910年、この年は旅客扱いする駅として開業した年で、初代の貨物駅の開業はカウントされていない、チョイト悲しいね!
・・・・・・・・・・・・【チョイト、ないしょの話】十条駅の前後、約1.5kmを高架化する計画があるそうだ! 計画では2033年完成らしいが、あと14年先のこと。(私は居ないかも?)、、、、高架化に反対する人もいるようだ! 地下化ならOK?
●まだ睡眠中! ・・・・・十条駅から、「十条銀座」、「富士見銀座」を抜けて環七通りに出る。 2つの銀座も、まだ寝ているか、寝ぼけ状態で店は開いていない。、、、、十条銀座は昭和初期から商店街が結成された歴史ある商店街。 富士見銀座は十条銀座に続いて伸びる商店街だが、アーケードが無いのでチョイト残念。 途中には戦後間もない頃の店舗と思われる店が残っている。



●憧れの洋風! ・・・・・・十条仲原4丁目で見つけた擬洋風の建物。 まずはT邸、どうやら元医院の建物のようだ。、、、、もう一軒は、木造の建物N邸で、玄関部分は塀で隠されてる。、、、、どちらも、庶民の洋風への憧れを感じさせる。



●坂・坂・坂! ・・・・・・・「游鯉園の坂」、「水車の坂」、「野間坂」の、3か所を紹介
・・・・・・・・・・・游鯉園の坂を下り、道なりにまっすぐ進むと「水車の坂」(西が丘2-27)がある。、、、、ここも案内に、『現在は石段となっていますが、昔はこの下に水車小屋があり、近くの農家が利用していました。水車に荷を運んできた馬が坂の途中から落ちて死んだこともあり、お稲荷さんと馬頭尊とが並んで立っていました。現在は稲付川も暗渠となってしまい、水車もありませんが、石段は西が丘から十条銀座を通って十条駅へ向かう通勤の人でにぎわっています 』、、、、長さ45m程の急な階段坂で、途中の踊り場でクランク状に曲がる。 この階段を上ると、稲付公園まで200m。
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