初詣を待つ神社
令和元年も残すところあと三日、我が家の正月の準備は妻に任せて、「チョイト散歩してくる!」と家を出た。 さてさて、どっちへ行こうか? 考えながらも足は地下鉄浅草橋駅に向かい、久里浜行きに飛び乗った。 車中で「どこで降りようか?」、停車駅案内図を見て「穴守稲荷」が目に入る。 きょうは、神社の正月準備でも見てみるか! 穴守稲荷駅で下車することにした。 神社は静かで期待ハズレ、羽田の大鳥居を見て、糀谷駅まで、1万1千歩の散歩。
●寂しい駅! ・・・・・・・明治35年(1902)6月28日、穴守駅(あなもりえき)として開業。 大正2年(1913)に、穴守駅を東へ800m、現在の羽田空港敷地内に移設し、旧穴守駅の位置に羽田駅が開業。 その後、羽田駅を稲荷橋駅に改称。 昭和15年(1940)には、稲荷橋駅は西に約200m移設。 戦後、昭和20年(1945)連合軍による穴守線(現:空港線)接収により、稲荷橋駅より東の区間は営業休止となる。 昭和27年(1952)、稲荷橋駅はさらに約340m西に移設。 昭和31年(1956)に、やっと稲荷橋駅から東の空港に向かって線路は延伸され羽田空港駅が開業する。 同時に稲荷橋駅は穴守稲荷駅と改称する。 さらに、平成3年(1991)から平成5年まで、穴守稲荷駅から東の羽田空港駅までは、空港島に線路延伸するため、またまた営業休止。 駅の移設・駅名変更・線路の延伸・営業休止など、何かと騒がしい空港線(旧:穴守線)であり、穴守稲荷駅である。、、、、現在の穴守稲荷駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅。 一日当たりの乗降客数も18,000人程で、空港線の中では最も少ない客数である。


・・・・・・・・・・・・駅改札を出たところに、穴守稲荷神社を象徴する狐の石像:コンちゃんが鎮座している。 平成3年設置。 正月向けか、ピンクの花飾りに、赤い上着、そして松飾り。
●コンちゃんの実家? ・・・・・・文化元年(1804)の羽田沖(現:羽田空港の敷地内)の新田開墾の折り、海が荒れて沿岸の堤防が決壊し、村々は海水による甚大な被害を受けた。 村民が堤防の上に祠を勧請し、稲荷大神を祀ると、海が静まって大きな実りをもたらした。 これが穴守稲荷神社の起こりとされている。穴守という名の由来は、堤防に開いた穴の害から人々を守るという神徳にちなむ。 元々は新田開拓を行った鈴木家の土地にある、小さな祠であった。 明治17年(1884)には暴風雨に襲われ崩壊してしまうが、翌年には再建の認可を取り付け、さらに2年後には「穴守稲荷社」から「穴守稲荷神社」へと改称を行った。 再建した穴守稲荷神社は境内も広くなり、さらに周辺で潮干狩りもできることや温泉が湧いたこともあり、門前には温泉旅館や芸者の置屋ができ、賑わいを見せていった。 この繁栄を見て、京浜電気鉄道(現:京浜急行電鉄)は京浜蒲田から穴守稲荷神社へ向けて支線を伸ばし穴守駅が開業した。 交通の整備もあり、穴守稲荷神社の界隈はさらに賑わっていった。 然るに昭和20年(1945)8月の終戦では、米軍による羽田空港拡張のため、従来の鎮座地(東京国際空港内)より48時間以内の強制退去を命ぜられた。 同年9月、地元崇敬者有志による熱意により現在地が寄進され、仮社殿を復興再建した。、、、、神社は只今、境内整備と奥之宮改修工事を実施中、漸次昔日の面影を取り戻しつつある。 お稲荷さんのシンボル、朱塗りの鳥居も一か所に集められ退避中。 境内では、正月準備は終わっているようだ!



●空港に残った大鳥居! ・・・・・・穴守稲荷神社の社殿や他の鳥居は、終戦直後、GHQによって取り壊されたが、門前の赤鳥居(大鳥居)だけは撤去されず、そのまま羽田空港の駐車場に残っていた。 平成の初め、羽田空港の沖合展開事業にあたり新B滑走路整備の障害になるため、鳥居を撤去する話が出たが、地域住民らから穴守稲荷神社や強制接収の憂き目にあった旧住民らのシンボルとして残したいと要望が上がった。 平成11年(1999)に、同じ空港島の弁天橋脇(現在地)に移設された。、、、、空港島の隅に鳥居だけがポツント、東京湾と多摩川の風に晒されながら、日々、飛行機の離発着を見守っている。 今日は鳥居の前に門松が置かれていた!


●勝手に思う! ・・・・・・・チョイト古そうな建物を見て、一人で何かを感じて歩く!
・・・・・・・・・・・・穴守稲荷神社の参道前にあったビジネスホテル。 「梅月」という名が旅館を連想させる、ひょっとしたら戦後、現在地に移った穴守稲荷神社の参拝客を当て込んで開業したのか? 近くには割烹料理の店もあった。
・・・・・・・・・・・・環八通りを歩くと、「羽田民生アパート」(羽田1)が目にとまる。 公営住宅なので差別しているわけではないだろうが、“母子アパート”、“民生アパート”など、なんだか特定の入居者を対象とした名前が気になるね。
●便利で活気づいた駅! ・・・・・・・糀谷駅に到着、、、、平成24年(2012)に糀谷駅の上下線の高架化が完成し、現在の駅の構造となる。、、、 大きな一か所だけの改札の前には、高架下のスーパーなどがあり便利になった。 また、以前からある駅前の商店街も活気づき、明るい雰囲気の町となった。