疲れた大嘗宮
やっと晴れた! 10時半、夫婦で東京駅到着、駅構内のトイレは超満員、『なんじゃこりゃ?』と驚いた。 構内アナウンスで『大嘗宮(だいじょうきゅう)へ行かれる方は・・・・・(うんじゃら・かんじゃら)』と叫んでる。 我が夫婦の考えは『今日は久々の秋空、しかも平日、皇居大嘗宮と乾通りの見学には絶好の日』、ところがドッコイ、誰しも考えは同じだった。 “絶好の日”が“最悪の日”となったようだ。 東京駅から長蛇の列に引き込まれ、見学が終わり皇居から出るまで3時間強、人並みに揉まれ、足はパンパン、腰はイテテ、気持ちはイライラ、腹はペコペコ。、、、、見学終えて市ヶ谷まで歩き、遅めの昼食の中華料理は、大嘗宮のおかげで美味しく食べることができた。
●中高年がゾロゾロ! ・・・・・・・東京駅前の「行幸通り」はイチョウが色づき、『Oh! Beautiful! Wonderful! インフルにはタミフル!』、、、、行幸通りは東京駅中央口から皇居前の和田倉門までまっすぐに伸びる全長約200メートル、幅約74メートルの道路。 皇室の行事などに使われてきたため、この名で呼ばれている。 道路は関東大震災の復興事業として、大正13年(1924)に着工し大正15年(1927)に完成した。 工事費は約62万円(当時)、設計は復興局技師:川地陽一、河野通靖、施工は橋本組工業合資会社。、、、、歩道には、毎日が日曜日の中高年がゾロゾロ。 道路中央の分離帯には若い娘がキャッキャ。



●気持ちはイライラ! ・・・・・・皇居前広場に幾重にも蛇行する長い行列。 私も仲間入りしたが、『コリャ、皇居の中に入るまで1、2時間かかるかも?』心配になってきた。 後から、おばさんが私の前に出てくる、コンチクショウ! 『女は度胸、男はやせ我慢!』、、、、予想に反し、行列は止まることなく進み、30分ぐらいで皇居の入口:坂下門から入場できた。、、、、坂下門の先には宮内庁庁舎があるため、皇居に出入りするのに一番使用されている門である。 江戸時代には枡形城門であったが、明治21年(1888)に第一門は撤去されて、現存する門は移設された第二門。 一見小さな門のように見えるが、左右に見附がある大きかった第一門が無くなったためである。




●一刻は仮宮殿! ・・・・・・坂下門を入ると正面に宮内庁庁舎がある。、、、、設計は宮内省内匠寮、施工は清水組・大林組、鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て。 この宮内庁庁舎は、昭和10年(1935)に建てられた建物。 昭和27年(1952)庁舎3階が改装され昭和43年(1968)の新宮殿落成までの間、仮宮殿として使用されていた。、、、、庁舎玄関には立派な車寄せを張り出し外壁は全面石張りで、格調高い仕上げである。


●屋台なしの紅葉狩り! ・・・・・平成に続き、令和初! 皇居「乾通り」秋の一般公開に参加。 宮内庁庁舎前から乾門に至る乾濠及び蓮池濠沿いの約750mの通り「乾通り」が紅葉に染まっている。、、、、町中の公園とか城址だと、歩く道沿いに、“焼きそば”、“イカ焼き”、“ビール”など屋台が出てるのだが、ここはただただ歩くだけ。 ソースの臭いがなく、気持ちよく歩けていいね!






●大赤字(?)の大嘗宮 ・・・・・ゾロゾロ人の後について大嘗宮(だいじょうきゅう)に向かう。 江戸城本丸跡付近で、ポリスのアナウンス『ここから大嘗宮の正面までは、あと1時間ぐらいかかります。 すこしでも急いで前に歩いてください!』 たしかに、大嘗宮は見えているのだが、本丸跡をぐるりと人の列が囲み、『近くて 遠い 大嘗宮』、、、、大嘗宮は、今回の即位に伴う儀式のためだけに造営された、この一般公開後は取り壊される。 宮内庁は平成の時と比べて敷地面積を縮小したり、屋根は簡素な板ぶきを採用し、経費削減を図ったそうだ。 大嘗宮は約6,500㎡で、私には用途がよく判らないが、悠紀殿(ゆきでん)や主基殿(すきでん)など大小30近くの建物で構成されてる。、、、、建物の撤去費用などを含めた建設関係費は約24億4千万円程かかるそうだ。 清水建設が施工した大嘗宮の造営は、9億5700万円で落札したらしい。 予定価格の6割の値段だって、大赤字! 太っ腹!、、、、解体した大嘗宮は、その大部分の木材を再利用する方向で調整が進められているそうだ。 出来れば、我が家をリホームして欲しいね。
・・・・・・・・・・・・・・1時間待ちの行列。 芝生の先に全景がみえる大嘗宮。、、、、行列に並ぶことに意義がありそうだ。 私も大人になったね!
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