観音の観音
今朝も出がけに、『今日は何処へ行くの?』と妻が聞いてきた。 『決めていない』と応えると、『今日は日曜だから京急方面の電車空いてるよ!』 これで決まり、浅草橋で三崎口行きの電車に乗る。 ラクラク座れ、ipadを取り出し地図を見る。 『さて、何処で降りようか?』 京急沿線を見ていると、川崎大師の南側に「観音」という地名が目に飛び込む。 決めた!今日の散歩は、何となくありがたい名前の「観音」に行こう!、、、、川崎大師駅で下車し、観音の町を探索し、バスで川崎に戻り帰る。 1万歩の散歩です。
●大師は、ほっとけ! ・・・・・・・川崎大師駅で下車する。 まだ朝の早いせいか、川崎大師に参拝する人も少ないようだ。、、、、今日は、初詣で賑わう川崎大師、女性が喜ぶ金山神社のある若宮八幡宮、どちらも無視して「観音」へ行くことにした。


●ごりやくは咳止め? ・・・・・・・・駅前に立ち、左手(東側)に川崎大師の表参道、右手(南西側)に若宮八幡宮に向かう道路、その中間、駅の正面(南側)に「観音」の町に向かう「ごりやく通り」がある。、、、、「ごりやく通り」とは、何処の御利益を言うのか? 川崎大師か、若宮八幡宮か、それとも「ごりやく通り」に面する神明神社か。 商店街入口のアーチをよく見ると、イラスト入りで「川崎大師 ごりやく通り」と書いてある。 この通りは、川崎大師解脱門(民家に例えれば裏口)に通じる通りであった。 くず餅屋、あめ屋、だるま屋など、参拝のみやげ物を売る店が一軒も無いゴク普通の寂れた商店街、“参道”とは言いずらい!

・・・・・・・・・・・・サックスブルーと呼ばれる水色の川崎フロンターレの旛がなびく商店街。 人通りが少なく寂しいかぎり。
・・・・・・・・・・・・道なりに進み、町名が「川中島」に変わると、商店街の名も変わり。フロンターレの旗も小ぶりになった。
・・・・・・・・・・・・川中島1丁目、「ごりやく通り」に面し神明神社がある。 神明神社は、建武2年(1334)に創建、江戸時代には、平間寺(川崎大師)が管理していたそうだ。、、、、境内社の一つに「せきの神様」と赤字で大書された旗がなびく社がある。 風邪・インフルエンザに効きそうだ、御神体らしい石仏(元は道祖神らしい)にしっかり手を合わせてきた。 でも、私には「せき止め飴」の方が効きそうだ!



・・・・・・・・・・・・「ごりやく通り」は、JR川崎駅前からほぼ東に向かい東京湾へ伸びる「富士見通り」にぶつかり終わる。
●観音の観音! ・・・・・・・・「富士見通り」を越えると「観音」の町である。 観音1丁目と観音2丁目の2区画で構成する町。 昭和の香り漂う建物は少なくなり、新しい住宅に建て替えが進んでいる町だった!
・・・・・・・・・・・・バス停の名は「観音一丁目」、、、、周りを見回しても普通の町だ! 観音さまの後光は何処にも見えないが、何かを期待したい。
・・・・・・・・・・・・路地に、何だか手招きしているような鳥居が見える。 早速、招かれたか? ワクワクして奥に進むと、三の鳥居の後ろに赤い社がポツントあった。 社の中には神棚があるだけ、ガックリ、期待ハズレ! ちなみに、社名は中瀬大師稲荷神社・日枝大神社であった。
・・・・・・・・・・・・周辺には、チョイト懐かしい感じがする戦後の住宅もある。
・・・・・・・・・・・・川崎市営住宅「観音町住宅」は114戸の団地、、、、昭和50年代の施工か?、、、、ここでも、公園で遊ぶ子供がいない!

・・・・・・・・・・・・「観音」の町で観音を見つけた!、、、、観音2丁目に、曹洞宗寺院の石観音堂がある、潮音殿と号す。 石観音堂は寛文5年(1665)天台宗明長寺の僧弁融が創建、近郷近在の人々の信仰を集めたと言われている。 本尊は石造如意輪観世音菩薩。、、、、江戸時代には信仰を集めて賑わったとそうで、地元の人々だけでなく江戸にも信者が多かった。 大師参拝の際の立ち寄りコースとして定着していた。 さほど広くはないが境内には、霊亀石伝 説、六句俳句碑、独吟万句詠草塚など当時を語る石造物が文化財として残されている。、、、、堂の内部を覗いてみたが、主の石造如意輪観音菩薩は拝めず残念至極!
・・・・・・・・・・・・路地に、何だか手招きしているような鳥居が見える。 早速、招かれたか? ワクワクして奥に進むと、三の鳥居の後ろに赤い社がポツントあった。 社の中には神棚があるだけ、ガックリ、期待ハズレ! ちなみに、社名は中瀬大師稲荷神社・日枝大神社であった。
・・・・・・・・・・・・周辺には、チョイト懐かしい感じがする戦後の住宅もある。
・・・・・・・・・・・・川崎市営住宅「観音町住宅」は114戸の団地、、、、昭和50年代の施工か?、、、、ここでも、公園で遊ぶ子供がいない!

・・・・・・・・・・・・「観音」の町で観音を見つけた!、、、、観音2丁目に、曹洞宗寺院の石観音堂がある、潮音殿と号す。 石観音堂は寛文5年(1665)天台宗明長寺の僧弁融が創建、近郷近在の人々の信仰を集めたと言われている。 本尊は石造如意輪観世音菩薩。、、、、江戸時代には信仰を集めて賑わったとそうで、地元の人々だけでなく江戸にも信者が多かった。 大師参拝の際の立ち寄りコースとして定着していた。 さほど広くはないが境内には、霊亀石伝 説、六句俳句碑、独吟万句詠草塚など当時を語る石造物が文化財として残されている。、、、、堂の内部を覗いてみたが、主の石造如意輪観音菩薩は拝めず残念至極!
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