小松菜の里
困ったもので、顔は良いのだが眼が悪く、最近メガネの度が合わず新調することにした。 私のメガネは二十年程前から同じ眼鏡屋さんから購入してる。 同じ眼鏡屋さんだと、検眼、購入履歴などの情報を保存しており、客側としても何かと相談しやすく便利である。 その眼鏡屋さんは秋葉原にあり、浅草橋の我が家から歩いても20分程で行けた。 しかし2年前に店舗を整理統合し、秋葉原の店は新小岩の店に統合された。 仕様がない、“生姜は八百屋で売ってるよ”、新小岩の店に行って買うことにした。、、、、今日は、その新調したメガネを受け取りに新小岩に行ってきた。 眼鏡屋へ行く前に香取神社へチョイト寄ってきた。
●小松が消えた! ・・・・・・現在、新小岩駅のある位置には大正15年(1926)に設置された新小岩信号所があった。 昭和3年(1928)7月10日、信号所が駅に昇格し新小岩駅が開業した。、、、、新小岩駅周辺は元々「小松」という地名であった。 駅の開業にあったっては、駅名を地名に由来して「下総小松」とか「小松」とする予定だった。 ところが、周辺住民の要望によって信号所の名前のままの新小岩駅となった。 さらに、昭和40年代の住居表示実施の際、周辺の地名も駅名に合わせて新小岩・東新小岩・西新小岩となり、「小松」の地名は消え去った。


・・・・・・・・・・・・ホームから見る駅前ロータリー。 手前は旧駅舎を撤去中。
●小松菜の里 ・・・・・・・眼鏡屋へ行く前に、駅ホーム下を抜けるバス通り「平和橋通り」南下し、江戸川区中央4丁目の新小岩香取神社に寄ってみた。、、、、新小岩香取神社の創建年代は不詳だが、昔この辺一帯が芦原で船が自由に往来できた頃、その中に浮かぶ道ヶ島(堂ヶ島)という小高い島に、下総の香取大神宮より経津主命の分霊を祀ったのが、香取神社勧請の由緒と言われている。 元和3年(1617)に再建、西小松川村の鎮守であった。 当時国府台間々の入江から、武蔵国上野の台地に向かう船は、この神社の森を船路の目安としたので、間々井宮と称したと伝えられている。、、、、この社は元和5年(1619)の棟札を所蔵する古社で、亀井和泉守源永好以来代々亀井家が宮司をつとめている。、、、、明治時代以降、近隣の神社を当社に合祀、また数多くの神社の兼務を行っている。 まさに、神社のM&Aと、出先店舗の増設だ!
・・・・・・・・・・・・平和橋通りを南に歩き、新小岩親水公園の手前をチョイト東に入ると、住宅地の中に神社がある。

・・・・・・・・・・・・現在の本殿は総欅造りで、氏子大工牧野八郎次が十年の歳月を費やし、天保4年(1833)に竣工した建物。


・・・・・・・・・・・・境内には、すき焼きに入れる小松菜に因む石碑がある。、、、、「小松菜」は、享保4年(1719)、八代将軍吉宗が鷹狩をする時の食事をする場所として、当香取神社が選ばれ、時の神主亀井和泉守永範がそのお役を受けました。 しかしこれといって差し上げるものもなかったので、餅のすまし汁に青菜を少々、彩りとしてあしらって差し出すと、吉宗は大変喜ばれ、この菜をこの地にちなんで「小松菜」と命名されたと伝えられています。、、、、と、説明板に書かれている。 写真は「小松菜ゆかりの里」、「小松菜産土神」の石碑。

・・・・・・・・・・・・神社の隣りには、小松菜の発祥の地といわれている屋敷「小松菜屋敷」がある。 将軍が鷹狩りに訪れた際、御膳所として小松菜の入った餅の澄まし汁を出した神主亀井和泉守の屋敷跡。 現在も子孫である地域歴史研究家亀井千歩子の住居となっている。
・・・・・・・・・・・・神社前の道を西へ100m程歩くと「亀井家墳墓」がある。 香取神社を代々祀ってきた亀井家の墓所。
●元気な商店街! ・・・・・・・JR新小岩駅の駅前ロータリーの真ん前にルミエール商店街がある。 全長420m、約140店舗が軒を連ねる下町の元気な商店街。 昭和34年(1959)に設置した長いアーケードが駅前から続き、雨でも安心して買い物ができるようだ。、、、、商店街の中に眼鏡屋さんが5軒もあった。 もちろんスーパー、コンビニも、パチンコ屋も、生活に必要なものは全てあるようだ。
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