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2020年1月14日 (火)

粗忽者は堀の内

今日は夫婦で散歩。 東京メトロ丸ノ内線の終点「方南町」で下車し、落語『堀の内』の舞台、お祖師さまの妙法寺に参り、JR中央線の「高円寺」まで、1万歩の散歩です。




●失敗しないように! ・・・・・・・東京メトロ丸の内線の終着駅「方南町」。 昨年1月にホーム延伸工事が終わり、6両編成の電車が発着するようになった。、、、、今日は、商店街の間の狭い東口から地上出てみた。 ホーム端の東口は、通路・階段・改札口などのスペースは狭く、エスカレーター、エレベーター、トイレを設置する余裕がない出入口である。、、、、電車に乗ってるときにチョイト“行きたくなり”、方南町駅であわてて降りて東口に向かったら災難である。 私のような生意気な中高年は、過活動膀胱で一刻の猶予もなく、さらにボケる前はスタイルを気にし尿漏れパンツを穿かず、一触即発の状態でトイレを探し回る。 悲しいかな、東口にはありません! ホームの反対端の西口まで行かなければならない! ホームに戻り西口へ向かうが、神にも仏にも見放され、未曾有の大惨事となるかも? 濡れたズボンは目立つので、人生の最後と思いつめ、電車に飛び込もうとしても、ホームドアが設置され死ぬこともままならず! 生きるはずかしめ受けることとなる、アーメン!

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●お祖師さまへの道 ・・・・・・・昔の「堀之内」は現在の杉並区堀ノ内2丁目・3丁目一帯を指す。 町の中心は、“厄除けのお祖師さま”と言われている日蓮宗寺院の妙法寺である。(今日は妙法寺に参拝すべく家を出た!) ところで、「堀ノ内」の由来は不明である。 一般に「堀の内」と言えば、大きな城・館の堀内を指すが、室町時代には既にあった堀之内村では、誰の城・誰の館が何処にあったのか、“堀”はどれなのか、サッパリ判らんらしい。(それらしいという話はあるが未確定)


・・・・・・・・・・・・・方南町駅西口は「環七通り」と「方南通り」の方南町交差点の角にある。、、、、私は東口に出たので、交差点まで無駄な動きをした!

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・・・・・・・・・・・・・・方南町交差点から北西に100m程、区立泉南中学校がある。 この学校の正門前の道が、妙法寺へ向かう参道につながる。、、、、昔の、浅草寺参りは吉原通い、海晏寺(かいあんじ)参りは品川通い、ここ妙法寺参りは新宿通いと、いずれも信仰に名を借り近くの遊里通いが男の楽しみだった頃、この道にも助平が通ったことであろう。

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・・・・・・・・・・・・・・妙法寺への道は堀之内橋善福寺川を越える。 平成22年(2010)完成。、、、、普段は川底深くに水が流れている善福寺川も、大雨になると氾濫する川として有名だ。 最近は川沿いに調整池も造られ、氾濫の話を聞かなくなった!

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・・・・・・・・・・・・・・善福寺川を渡り堀ノ内2丁目に入ると「堀之内熊野神社」がある。 チョイト、お立ち寄り!、、、、旧堀之内村の鎮守で、社伝によれば、文永4年(1267)に紀州の熊野三山を勧請したことが始まりとされる。 室町時代に北条氏綱が江戸を攻略したとき社殿を修築し、その後寛永11年(1634)にさらに修繕が加えられたと伝えられている。 総欅造りの本殿は安政4年(1857)の建造、その精緻さと豪華さは区内随一といわれている。 文化5年(1808)の奉納の銘のある石鳥居は区内で最古。、、、、なにしろ古い神社で、別当は明治維新まで妙法寺が務めたそうだ。、、、、祭礼では、大正12年の関東大震災当日、浅草で買い求め猛火の中を無事帰着して納められた「火伏の神興」が、町内を渡御するそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・熊野神社の数十米先に庚申堂・地蔵堂がある。 内部には9体の石仏が祀られ、「于時元禄十三庚辰稔十月初日」(1700)、「于時万延元庚申歳世話人再建」(1860)、「享保元丙申天十月吉日」(1716)と刻まれた庚申塔もある。

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・・・・・・・・・・・・・・「参道商店会」と記された街路灯が道の両側に見えるようになったら、妙法寺は近い。、、、、商店街は寂れて賑わいは感じられない。、、、、道は妙法寺山門の正面に突き当たる。

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●佐和子が佐和子を思い出す! ・・・・・・・妙法寺の由来は、三百数十年前、元和(1615~1623)の頃、元真言宗の尼寺であった。 覚仙院日逕上人は老母妙仙院日圓法尼の菩提のため、日蓮宗に改宗し、老母を開山とし、日逕上人自らは開基第二祖となっている。山号は開山日圓上人にちなみ日圓山とし、寺号を妙法寺と号した。 当初は目黒碑文谷の法華寺の末寺であったが、元禄12年(1699)、身延山久遠寺の直末となった。 この時、法華寺(現:円融寺)からやくよけ日蓮大聖人の霊像を迎えています。この像があらゆる災難除けに霊験あらたかなことから人々の信仰を集め、世に「堀ノ内 厄除けお祖師さま」と呼ばれ、江戸時代から現代に至るまで、霊験あらたかなことでひろく信仰を集めている。

・・・・・・・・・・・・まずは山門から、、、、境内の南正面に建つ「仁王門」(山門)は、天明7年(1787)の再建で二層造りのため桜門とも呼ばれ、上層に廻縁をめぐらし、獅子・龍・華などの彫刻が絢爛にほどこされている。、、、、重たそうな屋根が、力強い感じ! 

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・・・・・・・・・・・・次は鉄門、、、、山門をくぐり右奥に見えるこの鉄門は、明治11年(1878)、鹿鳴館、上野博物館、ニコライ堂などを設計し、日本の近代建築学会の恩人でもある英国人ジョサイア・コンドルの設計により作られた。 和洋折衷様式の鉄門として類の少ないもので、国の重要文化財である。 門柱左右の漢詩は当時の身延山第七十四世吉川法主の筆跡で「花は浄界に飛んで、香りは雨となる、金は祇園に布て福は田に有り」との意味。、、、、門上部中央の鳥は、コンドルにあらず、鳳凰なり。

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・・・・・・・・・・・・山門をくぐると正面に祖師堂、、、、正面の御簾の奥に「祖師御尊像」つまり「除厄け祖師像」つまり「日蓮像」が祀られている。 この祖師像は、「おそっさま」と呼ばれ、開帳されると御尊顔を拝することができる。 除厄け・家内安全・病気平癒の祈願は、この祖師堂で受けている。 堂内は、天井や壁が金箔で覆われており、仏教で極楽または雪山にいるという想像上の鳥の彫物がある、まさに絢爛豪華な内部だ。 境内では、最も大きな建物。、、、、内部は撮影禁止、コッソリ・パチリ・失敗だった!

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・・・・・・・・・・・・祖師堂の右手奥に本堂、、、、本堂は三軌堂」とも称され、主に檀家の方々の法要行事等が営まれるところ。「三軌」とは、如来の衣・座・室を表し、法華経を信じ説く人の三つの心構えを表している。 正面に奉安されている「おそっさま」は、昔、出開帳といって多くの人々がお参りできるように他所に持ち出された祖師像。 文政5年(1819)に建立された本堂は、絢爛さが目を引く祖師堂と対照的に、落ち着いた佇まいである。、、、、まだ作った直後のように光輝いている(頭のことじゃない)、眩しい像だ!

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・・・・・・・・・・・・本堂と書院を結ぶ廊下、、、、バナナの皮を踏んだようにスベル廊下。 もちろん、スケートは禁止。

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・・・・・・・・・・・・本堂のさらに後ろにある日朝堂、、、、文政11年(1828)第20世日憲上人の代に創立され、身延山11世行学院日朝上人の尊像が祀られている。 室町時代に多くの学業を成し遂げた日朝上人は、眼病を患うほど勉学に精進された。 回復後自身と同じように眼病を患った人々を救いたいと大願をたてたところから、「学問と眼病の守護」としても崇められるようになった。 稀世の学匠として高名であったことから、学業増進・受験合格等、勉学の願いが叶えられることで有名になり、受験シーズンになると多くの人々が訪れるそうだ。、、、、お賽銭の額で、合格、補欠、不合格と決まるかも?

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・・・・・・・・・・・・日朝堂の横奥に、小さな堂の二十三夜堂がある、、、、二十三夜を祀っている堂。 二十三日の夜、月待をすれば願い事が叶うとされる「二十三夜信仰」は、妙法寺では第18世日観上人の頃から始まり、毎月23日には縁日も並び賑わいをみせている。 毎月23日には「二十三夜堂」も開かれ、財運・縁結びを願う人々が祈願に訪れている。白蛇が石になったとされる「なで石」に触れるとご利益があるとして評判となっている。 手で撫でるだけでなく、財布で石を擦るという人もいて、参詣者の人気を集めている。、、、、財布の中はカラだと御利益ないかも! 

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・・・・・・・・・・・・日朝堂の横に有吉佐和子の碑、、、、『複合汚染』『恍惚の人』などのベストセラーで知られる作家:有吉佐和子は、妙法寺のすぐ近くに住んでいた。 本人は、キリスト教信者であったが、妙法寺が好きで、境内を通って帰宅することも多かったと言われてる。 彼女を偲んで建てられた。、、、、私の妻と同名で、妻、曰く『若い時、秋葉原で佐和子どうしで会ったことがある』 『本当か?』 相手は、有吉佐和子か、阿川佐和子(サワコの朝)か、渡邊佐和子(NHKのアナウンサー)か、秦佐和子(SKE48の元メンバー)か、はたまた北原佐和子(女優)か、アツ、コーラスグループ・フォレスタにソプラノ歌手:白石佐和子さんもいる。 『もちろん、有吉佐和子さんです』 『へーー、スゲェー』、、、、ついでに私の頭は、白石佐和子を思い出したら、白石麻衣(乃木坂46を卒業予定)も、ソロで活躍に期待!

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●何で行ったの妙法寺? ・・・・・・・妙法寺をあとにして、高円寺駅に向かう。

・・・・・・・・・・・・丸ノ内線が地下を走る青梅街道を横断する。 パトカーが走っていると信号無視できない!
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・・・・・・・・・・・・高円寺の商店街をウィンド・ショッピング。 買う物なし! 70代のジジイには20代の服は合わない!

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・・・・・・・・・・・・高円寺駅に到着、ここで気がついた、『アッ、厄除け祈願を忘れた、大失敗!』 今度は、『呆け封じだ!』、、、、落語の「堀の内」を地でいく粗忽物かも!

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