どこの神社も長蛇の列
穏やかな正月三が日、我が家もこの一年何事も無く穏やかに正月を迎えた。
今年は、二組の娘夫婦と孫が元日より我が家に集まり賑やかな幕開けとなった。 おとそ気分、おせち腹をスッキリさせようと、家族全員で昼過ぎに近くへ初詣することにした。 浅草寺は行かなくても超満員と判り、パスする。 近くで、比較的すいていそうな神田明神へ行くことにした。 来て・見て・ビックリ、神田明神の鳥居前の湯島坂に大行列、延々と坂下の明神下交差点まで続いている。 社殿まで2時間待ちの大行列。 「アリャ・コリャ・ダメだ! ヨシ、近くの湯島天神へ行こう!」、、、、神田明神から、湯島天神正面に向かう清水坂を上り、三組坂の上まで来ると。 再び、来て・見て・ビックリ、こちらも物凄い大行列、行列の最後は三組坂坂下交差点まで続いている。 2時間並んでも拝めるか? 結局、元日の参拝はあきらめ、我が家へ戻り夕食となる。
正月二日目、前日の疲れを癒すため、“一日寝てよう日”
本日、正月三日目、夫婦でとりあえず浅草橋駅裏の我が家の氏神さま:銀杏岡八幡神社へ詣でる。 その足で、チョイト柴又帝釈天に行ってきた。
●我が家の氏神さま ・・・・・・【まずは前置】 「氏神」とは、本来は氏名(うじな)の神であり、一族一統の神であった。 しかし現在では、鎮守や産土神(うぶすなかみ)と区別せず、神社周辺の土地に住む地域の人々を守ってくれる神を氏神という。 氏神の周辺に住み祭礼などに参加する人々を氏子と呼んでいる。 祭礼は町内会で単位で参加するので、ある処に住めば、どの町会属し、どの神社の氏子となるか一意的に定まる。 つまりは、“神社が小さくて気に入らない”、“宮司と仲が悪く顔も見たくない”、“巫女さんに美人がいないからいやだ”など、あーでもない、こーでもないと言って氏神さまを勝手に決めることはできない。 また、自分の気に入った神社の周辺には住んではいないが、その神を信仰する人を崇敬者(すうけいしゃ)と称する。
・・・・・・・・・浅草橋1丁目に鎮座する銀杏岡八幡神社の創建年代は不詳だが、源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だった当地に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、康平5年(1062)に当社を創建したと伝えられている。 江戸時代に入り、福井藩松平家屋敷地となり、松平家の邸内社となったものの、享保10年(1725)公収され町内(福井町)の産土神となった。 明治維新後には村社に列格していました。、、、、我が家の家族は、全員この神社で罪穢(つみけがれ)を祓ってもらっている。 私の穢れはどうもしっこくこびりついているようだ! いつまでたっても穢れたまま。 いまだに、宝くじ一等が当たらない!、、、、今日はお賽銭も奮発したので、今年こそ一等が当たるようにお願いした。


●何処も同じ、人・人・人! ・・・・・・・・氏神さまに詣でた後は、チョイト甘味を味わいたくなって、夫婦で柴又の帝釈天に参詣。、、、、ここも、行ってビックリ・見てビックリ・婆さん餅がつまってシャックリ・爺さん餅がつまってポックリ! 参道は超満員、でも行列で並ぶこともなく、ヨチヨチ歩いて本堂まで。、、、、参道の店は飛ぶように売れ、食事処・甘味処はこれまた超満員。 ここでも、食べるのはあきらめ、お土産の草だんごを買って帰る。
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