ラインダンスの通り
“新型コロナ”の感染を避け、今日は浅草橋の我が家から「国際通り」を歩いて、地下鉄日比谷線の三ノ輪駅まで、1万2千歩の散歩です。
・・・・・・・・・「国際通り」と言えば、日本中の誰もが知っている沖縄県那覇市の繁華街。 ところで、こちら東京の「国際通り」は台東区を南北に貫く、かっての「国際劇場」があった通り。 正式名称は「東京都道462号蔵前三ノ輪線」。 起点は江戸通りの蔵前二丁目交差点、終点は昭和通りの三ノ輪交差点である。、、、、一昨年(2018/4/6)、ほぼ同じルートを歩いているので、同じ処は手抜きで紹介する。
●・・・・・・・・・・・朝8時、浅草橋駅から江戸通りを歩く。 行き交う人、10人中8人ぐらいはマスクを使用している、私はカバンに入れている。 マスクをしないとチョイト恥ずかしいかな?、、、、駅周辺の“雨後の竹の子”状態で開業したビジネスホテルは、玄関に『空室有ります』の貼り紙。 観光客の激減で、江戸通りには人影もまばら!


●・・・・・・・・・・・江戸通りと蔵前橋通りの蔵前一丁目交差点。

●・・・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点の近くに、私の“嫌いだが、恐いもの見たさ”で興味あるヘビ屋「蛇善」がある。、、、、創業は明治17年(1884)の老舗。 まむしの取扱量は東京一らしい。 蛇を中心とした精力剤(今の私には不要となった!)を販売している。、、、、建物は古く、私が小学校に通う以前からの建物。 おそらく昭和初期に建てられたのではないかと思う。 建物の後ろから屋上を眺めると、4階の位置に『へびや 蛇善』と右から書かれている看板が見えた。、、、、平日、店の前を通ると、ウィンドウに生きた蛇が20~30匹ぐらいうニョロニョロしているのだが、今日はウィンドウの中には一匹もいなかった! “新型コロナ”で、隔離されたかな?


●・・・・・・・・・・・「蔵前二丁目交差点」、、、、国際通りの起点。 右は江戸通り、左は国際通り



●・・・・・・・・・・・蔵前4丁目、国際通りに面して、国の登録文化財「タイガービル」がある。、、、、昭和9年(1934)竣工した集合住宅。 現在は、家具屋さん、 アート/デザイン/写真などのアトリエが入居している。 スクラッチタイル貼りの丈夫そうな外観が、安心感を誘うビル。 両サイドの丸窓も、いいね!、、、、1階には、かつての電話交換室の表示が残っている。(現在は、掃除用具置き場として利用)


●・・・・・・・・・・・・春日通りとの交差点、浅草通りとの交差点を通過!


●・・・・・・・・・・・・・地下鉄銀座線田原町駅前の浅草郵便局、その北側に浄土真宗大谷派「眞福寺」がある。、、、、真福寺の納骨堂(墓地)は昭和5年(1930)に建てられた鉄筋コンクリート造平屋の建物で、堂内は小さな区画で割られた墓地となっている。、、、、関東大震災後の当時、「浅草周辺の墓地を覆え」とお上のお達しがあり、寺では率先して、鉄筋コンクリート造の現納骨堂(墓地)を造った。 しかし、周辺の他の寺はその施策に反対したため、お達しはスグに取りやめとなった。 その結果、寺が多く集まっている東本願寺周辺でも、ココの寺のみこのような納骨堂(墓地)となっているそうだ。、、、、建物の基礎は松杭、使用したコンクリートは川砂/川砂利を使用しており、丈夫で劣化に強い構造となっている。 しかし、築後90年経過し、壁には亀裂が入り、改修の必要性が高まっているが、墓地と云う性格から、改修工事が難しいらしい。




●・・・・・・・・・・・・・・国際通りに戻ると、その通りの愛称となった国際劇場の跡地にたつ「浅草ビューホテル」がある。、、、、建物の高さ 108m、地上28階/地下3階、客室 342室、施工 清水建設+フジタ、竣工 昭和60年(1985)、、、、高層階からは、夜のスカイツリーが綺麗に見える、シティホテル。 我が家でも、地元と言うことで、食事などで利用させてもらっている。


●・・・・・・・・・・・・昭和30年(1955)頃の国際劇場、、、、「国際劇場」は、昭和12年(1937)に開場し、昭和57年(1982)に松竹歌劇団(SKD)公演・第51回「東京踊り」をもって閉鎖された、有楽町の日劇と並ぶ、懐かしのレビュー劇場だった。、、、まだ小学生ぐらいだった私も、ラインダンスを見た記憶が残っている。 当時はまだ“女性”を知らず、興奮する歳ではなかったようで、鼻血ブーも知らず!、、、、建物は昭和12年(1937)竣工、鉄骨鉄筋コンクリート造、4階建て、座席 3,860席

●・・・・・・・・・・・「西浅草三丁目交差点」で言問通りを横断し、千束(せんぞく)の町に入る。

●・・・・・・・・・・・11月の「酉の市」で知られている鷲神社前を通過。 隣の長國寺も通過する。

●・・・・・・・・・・・国際通りの終点に近づき、台東区竜泉2丁目に千束稲荷神社がある。、、、、江戸時代四代将軍家綱の時代に創設された。 当時の浅草は一帯を千束郷と称しており、その千束郷に祀られた稲荷社。、、、、千束稲荷神社は樋口一葉の「たけくらべ」では、子供達が遊んだ神社とし書かれている。 また平成20年(2008)には、神社の境内に「たけくらべ」に由来し、一葉の胸像が建てられた。 私的には、何となく見た目が気持ち悪い、チョイト好きになれない胸像だ!



●・・・・・・・・・・・国際通りの終点「三ノ輪」に到着、ここで国際通りは昭和通り(国道4号、=日光街道)にぶつかり終わる。




