« 2020年1月 | トップページ | 2020年3月 »

2020年2月

2020年2月27日 (木)

ラインダンスの通り

“新型コロナ”の感染を避け、今日は浅草橋の我が家から「国際通り」を歩いて、地下鉄日比谷線の三ノ輪駅まで、1万2千歩の散歩です。

・・・・・・・・・「国際通り」と言えば、日本中の誰もが知っている沖縄県那覇市の繁華街。 ところで、こちら東京の「国際通り」は台東区を南北に貫く、かっての「国際劇場」があった通り。 正式名称は「東京都道462号蔵前三ノ輪線」。 起点は江戸通りの蔵前二丁目交差点、終点は昭和通りの三ノ輪交差点である。、、、、一昨年(2018/4/6)、ほぼ同じルートを歩いているので、同じ処は手抜きで紹介する。




●・・・・・・・・・・・朝8時、浅草橋駅から江戸通りを歩く。 行き交う人、10人中8人ぐらいはマスクを使用している、私はカバンに入れている。 マスクをしないとチョイト恥ずかしいかな?、、、、駅周辺の“雨後の竹の子”状態で開業したビジネスホテルは、玄関に『空室有ります』の貼り紙。 観光客の激減で、江戸通りには人影もまばら!

202002270758040000

202002270801150000


●・・・・・・・・・・・江戸通りと蔵前橋通りの蔵前一丁目交差点。  

202002270826580000


●・・・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点の近くに、私の“嫌いだが、恐いもの見たさ”で興味あるヘビ屋「蛇善」がある。、、、、創業は明治17年(1884)の老舗。 まむしの取扱量は東京一らしい。 蛇を中心とした精力剤(今の私には不要となった!)を販売している。、、、、建物は古く、私が小学校に通う以前からの建物。 おそらく昭和初期に建てられたのではないかと思う。 建物の後ろから屋上を眺めると、4階の位置に『へびや 蛇善』と右から書かれている看板が見えた。、、、、平日、店の前を通ると、ウィンドウに生きた蛇が20~30匹ぐらいうニョロニョロしているのだが、今日はウィンドウの中には一匹もいなかった! “新型コロナ”で、隔離されたかな?

202002270828540000

202002270830570000


●・・・・・・・・・・・「蔵前二丁目交差点」、、、、国際通りの起点。 右は江戸通り、左は国際通り


202002270833240000

202002270834570000

202002270836000000


●・・・・・・・・・・・蔵前4丁目、国際通りに面して、国の登録文化財「タイガービル」がある。、、、、昭和9年(1934)竣工した集合住宅。 現在は、家具屋さん、 アート/デザイン/写真などのアトリエが入居している。 スクラッチタイル貼りの丈夫そうな外観が、安心感を誘うビル。 両サイドの丸窓も、いいね!、、、、1階には、かつての電話交換室の表示が残っている。(現在は、掃除用具置き場として利用)

202002270853210000

202002270846390000

2013_0930_0838501


●・・・・・・・・・・・・春日通りとの交差点浅草通りとの交差点を通過!

202002270856130000

202002270906440000


●・・・・・・・・・・・・・地下鉄銀座線田原町駅前の浅草郵便局、その北側に浄土真宗大谷派「眞福寺」がある。、、、、真福寺の納骨堂(墓地)は昭和5年(1930)に建てられた鉄筋コンクリート造平屋の建物で、堂内は小さな区画で割られた墓地となっている。、、、、関東大震災後の当時、「浅草周辺の墓地を覆え」とお上のお達しがあり、寺では率先して、鉄筋コンクリート造の現納骨堂(墓地)を造った。 しかし、周辺の他の寺はその施策に反対したため、お達しはスグに取りやめとなった。 その結果、寺が多く集まっている東本願寺周辺でも、ココの寺のみこのような納骨堂(墓地)となっているそうだ。、、、、建物の基礎は松杭、使用したコンクリートは川砂/川砂利を使用しており、丈夫で劣化に強い構造となっている。 しかし、築後90年経過し、壁には亀裂が入り、改修の必要性が高まっているが、墓地と云う性格から、改修工事が難しいらしい。

202002270919400000

202002270919200000

202002270920430000

202002270928460000

202002270926370000


●・・・・・・・・・・・・・・国際通りに戻ると、その通りの愛称となった国際劇場の跡地にたつ「浅草ビューホテル」がある。、、、、建物の高さ 108m、地上28階/地下3階、客室 342室、施工 清水建設+フジタ、竣工 昭和60年(1985)、、、、高層階からは、夜のスカイツリーが綺麗に見える、シティホテル。 我が家でも、地元と言うことで、食事などで利用させてもらっている。
202002270951420000

202002271002370000


●・・・・・・・・・・・昭和30年(1955)頃の国際劇場、、、、「国際劇場」は、昭和12年(1937)に開場し、昭和57年(1982)に松竹歌劇団(SKD)公演・第51回「東京踊り」をもって閉鎖された、有楽町の日劇と並ぶ、懐かしのレビュー劇場だった。、、、まだ小学生ぐらいだった私も、ラインダンスを見た記憶が残っている。 当時はまだ“女性”を知らず、興奮する歳ではなかったようで、鼻血ブーも知らず!、、、、建物は昭和12年(1937)竣工、鉄骨鉄筋コンクリート造、4階建て、座席 3,860席

Kokusai


●・・・・・・・・・・・「西浅草三丁目交差点」で言問通りを横断し、千束(せんぞく)の町に入る。

202002271007370000

202002271008220000


●・・・・・・・・・・・11月の「酉の市で知られている鷲神社前を通過。 隣の長國寺も通過する。

202002271019490000


●・・・・・・・・・・・国際通りの終点に近づき、台東区竜泉2丁目に千束稲荷神社がある。、、、、江戸時代四代将軍家綱の時代に創設された。 当時の浅草は一帯を千束郷と称しており、その千束郷に祀られた稲荷社。、、、、千束稲荷神社は樋口一葉の「たけくらべ」では、子供達が遊んだ神社とし書かれている。 また平成20年(2008)には、神社の境内に「たけくらべ」に由来し、一葉の胸像が建てられた。 私的には、何となく見た目が気持ち悪い、チョイト好きになれない胸像だ!

202002271030220000

202002271030540000

202002271031280000


●・・・・・・・・・・・国際通りの終点「三ノ輪」に到着、ここで国際通りは昭和通り(国道4号、=日光街道)にぶつかり終わる。

202002271033240000

202002271035110000

202002271036260000

202002271040020000

202002271043440000

2020年2月24日 (月)

水のない“せせらぎ”

“新型コロナ”を避け、すいた電車で感染した旅行客の少なそうな、京成押上線青砥駅から歩くことにした。 青砥駅から奥戸橋を渡り総武線新小岩駅まで、1万2千歩の散歩です。(青砥駅から新小岩駅まで、同じようなルートで以前(2016/7/24)歩いていた




●“コロナ”の居ない青砥? ・・・・・・・都営浅草線浅草橋駅から、すいた電車(下り、印旛日本医大行き)に乗る。 青砥駅周辺には、定住する中国・韓国人は多いと思うが、名所旧跡のない駅周辺では同国の観光客は少なく、感染リスクも低いと自己判断し下車することにした。 出がけに妻から手渡されたマスクは使用せずにカバンにしまったままである。(私はマスクが大嫌いで、生まれて今日まで自分で使用した記憶はない。これも自慢の一つ!)、、、、駅前の地図を見て、奥戸橋を渡り、西井堀緑道を新小岩駅まで歩くことにした。

202002240815180000

202002240823460000

202002240836430000



●川は春の陽気! ・・・・・・・・青砥駅から中川の護岸に出る。、、、、青戸1丁目付近は荒川が氾濫すると約1m程浸水するそうで、護岸に出るにはチョイト、法面を上って出る。 護岸から見える川は、昔からの「中川」で荒川に沿って東京湾に注ぐ、比較的穏やかな川だ!

202002240841320000

202002240842320000

202002240844060000

202002240845050000



●陰陽道の神社! ・・・・・・奥戸橋の西側に、創祠は平安時代中期の長保年間(999~1003)に、陰陽師阿部晴明の勧請によると伝えられている「熊野神社」がある。 葛飾区内で最も古い神社の一つであり、陰陽道の表現なのか、境内の形が五角形である。 
202002240904120000

202002240903010000

202002240901290000
 
・・・・・・・・・・・・熊野神社の大鳥居信史宮司は、なんと神田明神の宮司でもあり、しかも菅原道真の後裔である。 平成21年(2009)、自身が神職になって五十年を迎えた記念に、京都市内のオークションに出品されていた、元三井家江戸屋敷に建てられていた銅製五重塔を私費で購入し、神社に寄進したそうだ。 この銅製五重塔、台座を含む高さ7mあり、同神社では銅製五重塔では日本一としている。、、、、私も、来年は生誕75周年なので、東京タワー型の銅製の文鎮でも買って寄付しようかな?

202002240856530000



●昔は有料の橋! ・・・・・・・中川に架かり葛飾区立石(西詰)と奥戸(東詰)の間を結んでいる「奥戸橋(おくどばし)」。、、、、奥戸橋の現橋は昭和47年(1972)の竣工、工費は6億7500万円。、、、、初代の木造の奥戸橋は、大正3年(1914)に、渡るのに金をとる賃取橋として竣工したそうだ。、、、、橋は只今、塗装工事中、、、、橋の下流にはスカイツリーも見える(判るかな?)

202002240914400000

202002240906500000

20200224091033001100_stitch

202002240911590110_stitch



●五丁目住宅とは? ・・・・・・・・奥戸橋を渡り、奥戸街道を横断し、西井堀緑道に入る。 “緑道”と言っても、新小岩駅の近くまで行かないと“緑”はない、「奥戸」の町の中では“ただの道”。 

・・・・・・・・・・・・「五丁目住宅」のバス停が見える。 “五丁目住宅”とは?
202002240940470000

・・・・・・・・・・・・チョイト、バス通りからそれて、裏通りへ進むと、都営住宅「奥戸新町アパート」があった。 “五丁目住宅”とは、ココのことだな!、、、、所在地は葛飾区奥戸5丁目-15、たしかに“五丁目住宅”。 昭和41年(1966)から翌年にかけ建てられた、総戸数270戸(8棟)の団地。、、、、今年の自治会役員選挙では立候補者が少なく定員に満たず、
再選挙が行われ、やっと人数が集まり全員無投票当選したそうだ。 どこもかしこも、自治会は苦労するようだ! 掲示板を整理するお婆さんも大変そうだ!

202002240952470000

202002240944300000

202002240945000000

202002240953410000

202002240949320000



●水のない“せせらぎ”! ・・・・・・・「西井堀せせらぎパーク」は、葛飾区東新小岩5丁目1番~21番先にある区立公園。  この公園が「西井堀緑道」の由来となる公園のようだ。 新小岩駅寄りの蔵前橋通り(巽橋)から、約500mの水路を埋め立て親水公園とした。 公園は噴水・水路を主体に、お高そうな大理石のオブジェなどを随所に配している。 公園内には地下駐輪場もあり、地下道もある。、、、、“せせらぎ”の謂れとなるべき、噴水・小川などは水が無く、どうしたのかな? 地下道は通行禁止? 随所に置かれた高価なオブジェは見る人もいない? 公園で遊ぶ子供もいない? ベンチで語らうカップルの姿も見えない? 園内で一休みするジジ・ババもいない?、、、、誰のための公園か?

202002241014070000

202002241017000000

202002241017150000

202002241018590000

202002241019350000

202002241021550000

202002241022350000



●欄干が残された! ・・・・・・・新小岩駅北口から200m北、蔵前橋通り「たつみ橋交差点」の際に、「巽橋」の欄干が残っている。、、、、ここには、西井堀川と呼ばれる運河があった、それが暗渠化され、現在のような道路に欄干が残る不思議な風景が生まれた。

202002241025460000

202002241025280000

202002241026270000



●新装開店! ・・・・・・・新小岩駅北口に到着。 高架下の南北連絡通路も整備され、大きなテントを張った北口は、イメージチェンジ!

202002241036020000

202002241038140000

202002241045260000

2020年2月22日 (土)

押上線立体化事業

新型コロナウィルスを避けて、人気の少ないところを歩く。 京成押上線四ツ木駅で降り、四ツ木~青砥間の連続立体化事業の進捗状況をみてきた。 青砥駅まで1万歩の散歩です。




●工事概要は ・・・・・・・京成押上線は成田空港~都心~羽田空港を結ぶ重要な大動脈の一部である。 しかし、自動車交通量の増加と鉄道ダイヤの過密化に伴い『開かずの踏切』も多くなり、朝夕の通勤時間帯を中心に交通渋滞が発生している。 そこで、平成15年(2003)に連続立体交差事業がスタートした。 この事業が完成すると、合計11カ所の踏切が無くなり、踏切による交通渋滞が解消さる。 また、鉄道の高架化によって生まれる高架下空間の有効活用が図られるほか、線路で分断されていたまちが一体化され、周辺地区のまちづくりの大きな進展につながることが期待される。、、、、事業の概要は、京成電鉄押上線(四ツ木駅~青砥駅間)の11カ所の踏切を立体化する。 工事区間の延長は、約2.6km。 京成立石駅(ホーム延長約153m(8両編成) 、ホーム幅員約6.5m)は高架駅となる。 京成押上線に関連する街路の側道を整備する。、、、、工事は4工区分割で着工。 それぞれ2~3社で構成するJVに工事を発注。 第1工区(四ツ木駅側の取り付け部~平和橋通り)を戸田建設・安藤ハザマJV、第2工区(平和橋通り~京成立石駅の西側)を鹿島・京成建設JV、第3工区(京成立石駅部)を大成建設・奥村組・鉄建JV、第4工区(京成立石駅の東側~青砥駅側の取り付け部)を京成建設・錢高組JVがそれぞれ担当する。 計画では、主に現在の線路の北側に仮線路の敷設用地を確保し、仮線路にいったん切り替えてから高架橋の建設工事に着手。


・・・・・・・・・・・・サッカー漫画『キャプテン翼』にラッピングされた四ツ木駅。、、、、四ツ木駅そのものは工事対象外だが、駅前は仮囲いが組まれている。 今日は土曜日で、工事は休みのようだ。 隙間から現場を覗いている変な親爺、他人が見たら工事現場のドロボウか?

202002220809140000

202002220819090000

202002220823550000

202002220824440000

・・・・・・・・・・・・四ツ木駅側の取り付け部。 仮線路(仮下り線)が見えるが、レールはまだ敷いていない。

202002220827570000

202002220810270001

202002220832490000

・・・・・・・・・・・・線路沿いの小さな公園(葛飾区四つ木1-37)には踏切が置かれていた。 高架化により踏切がなくなることを惜しみ、早々と設置したのかな? カンカンと鳴る音が聞こえなくなると寂しいね!

202002220837450000

・・・・・・・・・・・・四つ木1丁目付近では、仮線路にレールが敷設されていた。 地上を走るのも、あと数年!

202002220840040000

202002220841350000

202002220840150000

202002220844120000

・・・・・・・・・・・・平和橋通り(都道308号)の踏切。 四ツ木駅側取り付け部からここまでが第1工区戸田建設・安藤ハザマJV)。 これより立石駅手前までは第2工区(鹿島・京成建設JV)。

202002220854410001

202002220853030000

・・・・・・・・・・・・踏切の脇にあった電柱。、、、、ここでは荒川が氾濫すると電柱上部の赤いテープの高さ(約4m)まで浸水するそうだ。 高架橋はそれ以上の高さになるので、荒川が氾濫しても線路の水没は免れる。 さてさて、その時、電車は運転されるのか(?) きっと、あってほしくない事態となるね。

202002220858200000

202002220858420000

・・・・・・・・・・・・第2工区は小さな踏切が多い。 お巡りさんも自転車で横断。 工区は立石駅手前までである。
202002220902520000

202002220903090000

202002220907090000

202002220909450000

202002220911240000

202002220920060000

202002220920460000

202002220922060000

・・・・・・・・・・・・第3工区大成建設・奥村組・鉄建JV )は立石駅部。 駅そのものの取り壊しなどは始まっておらず、只今、駅北側の既存建物の撤去・整地が行われている。 この後、下り線の仮ホームが整備され、線路の切り替え後、高架駅の建設と先は長い!、、、、立石駅の北側・南側とも高架化に合わせ、再開発事業が進められている。 今は、駅からチョイト外れているが、葛飾区庁舎もここ立石駅前に移転することになっている。 大きく変貌する立石駅に地元の期待が大きい。

202002220925260000

202002220942050000

202002220944270000

・・・・・・・・・・・・いつまで見られるのか、立石駅の地上駅、、、、まもなく、葛飾の下町駅が消える!

202002220926070000

202002220927470000

202002220931430000

202002220932570000

202002220938580000

・・・・・・・・・・・・立石駅前の名物、早朝から飲み屋の前には行列が出来ている「立石仲見世」、そして、店舗が半分に削られた「呑んべ横丁。 いずれも、再開発でどうなるのか? 

202002220930490000

202002220929200000

202002220945350000

202002220946050000

・・・・・・・・・・・・立石駅の先から青砥駅側取り付け部までは、第4工区京成建設・錢高組JV )である。 この工区は、現場のスペースも広く作業し易そうだ!

202002220954190000

202002220958190000

202002221001120000

202002221002570000

202002221005280000

・・・・・・・・・・・・取り付け部を過ぎると、3層の青砥駅。 駅へ向かうと、左の京成本線と右の押上線が一つとなる、ダイナミックな景観が見える。

202002221010570000

202002221012200000

202002221016020000

2020年2月19日 (水)

昔の残る稲越町!

新型コロナウィルスから身を護るため人混みを避け、我が家のある浅草橋から楽々と座って行ける北総線沿線を歩くことにした。 北総線北国分駅から総武線本八幡駅まで、1万2千歩の散歩。




●駅もガラガラ! ・・・・・・・・早朝の都営浅草線は、京成押上線から乗り入れて来る上り電車は超満員、成田方面に向かう下り普通電車は空き空きのガラガラ。 浅草橋駅ホームに着いたらタイミングよく印西牧の原行き普通電車が来たので、今日の散歩はこの電車で『行ってきま~~す』、、、、北国分駅で下車し、総武線本八幡駅に向かって歩いてみることにした。、、、、北国分駅は、地表からホーム面までの深さ11.7m、天井には青空が見える半地下式駅。 一日平均乗降客は8,000人程と、チョイト寂しい駅。

202002190801460000

202002190810110000

202002190810350000

202002190818160000

202002190822010000

・・・・・・・・・・・・・・駅前にはコンビニ、金融機関なんて一軒もなし、駅前ホテルなんて20年後でも建ちそうにない! 『あった! なんと、畑が駅前に!』

202002190825100000



●北総の東照宮! ・・・・・・・・・北国分駅から100m程東に、伊弉諾神社(いざなぎじんじゃ)がある。 この地は旧名:字権現原で、神社にはかつて相殿に徳川家康が祀られていたそうだ。 地元では、この神社を「権現様」と称している。、、、、神社の鳥居脇には、文化6年(1809)建立の道標を兼ねた庚申塔(高さ約1m)がある。 正面に「青面金剛」、右側面には「西 松戸 東 堀之内  南 国分寺 北 大はし 道」、左側面には「文化六己巳十一月吉日」と刻まれている。、、、、伊弉諾神社は、北国分の“東照宮”だった。 現社殿は、昭和12年(1937)に再建されたもの、拝殿の社額は江戸時代のもの。 あらたかな神様で、出征兵士がこの神社にお参りしてから戦地に赴いたところ、皆、生存して戻られたそうだ。 

202002190832330000

202002190830400000

202002190832130000



●稲越は昔のままです! ・・・・・・北国分駅から本八幡駅へ向かうには、国分寺跡をとおり南へ歩くと近いのだが、私は南東の稲越町(いなごしまち)を通り抜けることにした。、、、、稲越町は市川市北部に位置する住宅地。 畑・梨園も点在し緑の濃い地域である。 この町、かつては葛飾県葛飾郡稲越村であった、その後市川市稲越町となった。 昭和の住居表示未施行の町。 東は松戸市高塚新田、西は東国分・堀之内、南は曽谷、北は松戸市秋山と接している。

・・・・・・・・・・・・・・・・新型コロナウィルスは居そうにない緑の中を歩く。

202002190834370000

202002190838390000

202002190858290000

・・・・・・・・・・・・・・稲越町に「千葉商科大学稲越グラウンド 」がある。 このグランドは平成2年(2014)に誕生したのだが、大学のグランドにしては、建物がやたら綺麗で、チョイト乙女チック。 気になり調べてみた、なんとここは「旧国府台女子学院附属高等学校英文科」の校舎であった。 同校は京成本線市川真間駅の近くに、小・中・高一貫の新校舎が完成して移転した。、、、、国府台女子学院は浄土宗本願寺派の教えを重視しているので、仏教であるが教会のような女子高の校舎が大学の施設に変身した。

202002190907030000

202002190905320000

・・・・・・・・・・・・・・・稲越町の中心部(?)、、、、農家らしい古い家が立ち並ぶ

202002190914020000

202002190916240000

・・・・・・・・・・・・・・市川市稲越町にある県立国分高校の東側100m程の処に「稲越霊園」がある。 霊園の正面に、題目塔を中央にして、左右には合掌形釈迦如来塔が並んでる。 左側の釈迦如来塔は、天和3年(1683)造立の題目塔、真ん中の題目塔は寛政6年(1794)。 題目塔は法華経の表題である「妙法蓮華経」または「南無妙法連華経」と彫った塔。

202002190926060000

・・・・・・・・・・・・・・「稲越霊園」の斜め前には、12基の馬頭観音などがブロック塀を背にして祀られている。 よく見ると、年代などはバラバラで、点在していた馬頭観音などをここに集めたようだ。、、、、「明治37年(1904) 日露軍馬観世音」、「文政5年(1822) 馬頭観音」と彫られたものもある。

202002190923510000

202002190924390000

202002190924190000



●この道はいつか来た道♪ ・・・・・・・・稲越町を抜け、隣り町の松戸市高塚新田の町も抜けると、再び市川市に入り下貝塚の町では「木戸口庚申塔」の前に出た。
202002190936250000

202002190942430000

202002190947360000

・・・・・・・・・・・・・・『アッ、ここは来たことがある!』 庚申塔前の道は、南に歩くと、曽谷・宮久保・菅野の各町をとおり、本八幡駅に出るバス通りだ。、、、、木戸口庚申塔から、本八幡駅までは、18年2月16日に歩いてる。

202002190957020000

202002191006060000

・・・・・・・・・・・・・・バス通りを歩くと、白幡神社の参道下に来た。 神社の参道は、海食崖の陸地側の縁にあたり、 本八幡の町を一望する崖上にある。、、、、チョイト、寄って行こう!、、、、祭神として、誉田別命・竹内宿禰・天満天神を祀る、創建年代不明の古い神社。

202002191024500000

202002191023500000

202002191022160011_stitch

202002191013420000

・・・・・・・・・・・・・・本八幡駅到着、今日はココまで!

202002191043540000

2020年2月17日 (月)

練馬のアパート

西武池袋線の練馬駅から歩いてみようと思い、池袋駅で停車駅を確かめずに発車直前の電車に乗った、ドアが閉まり『次は石神井公園です』の車内アナウンス、『アリャ、シマッタ!』 電車は急行で、練馬駅を通過し、石神井公園までノンストップ。 練馬駅はアキラメタ。、、、、今日の散歩は、石神井公園駅から、西武新宿線の井荻駅まで、1万歩。




●練馬のモダンな駅? ・・・・・・・現在の石神井公園駅は、大正4年(1915)4月15日、武藏野鉄道開通と同時に「石神井駅」とし開業した。 昭和5年(1930)には、三宝寺池周辺が風致地区に指定され、その後、石神井池(ボート池)が造成されるなどし公園化が進められ、昭和8年(1933)に「石神井公園駅」に改称した。、、、、平成19年(2007)から高架化工事に着手し、平成24年(2012)には上下線の高架化が完了した。 現在は島式ホーム2面4線の大きくモダンな高架駅である。 乗客のセンスもよさそうで、“西武線”というより“小田急線”の駅と云っても通用しそうだ!

202002170819180000

202002170819520000

202002170821460000

202002170822330000

202002170828110000

202002170831380000

・・・・・・・・・・・・・・・駅前ロータリーにあった「石神井火車站之碑(しゃくじいかしゃたんのひ)」、、、、大正4年(1915)の武蔵野鉄道石神井駅開業を記念し、大正9年5月に造立された石碑です。 高さは、3m50cmある。、、、、碑の上部には「石神井火車站之碑」と刻み、「火車」は中国語で「汽車」、「站」は「駅」の意だ。 下部の銘文は漢文・漢詩で、近くにある石神井城・三宝寺池・長命寺などの歴史や見所を記し、鉄道完成による利便や喜びを刻んでいるそうだ。 残念だが、私には漢文は“わからん文”で、“チンプン漢文”

202002170835260000



●練馬の名木! ・・・・・・・駅から南東に150m程に和田稲荷神社がある。 神社の創立年代等は不詳ながら、江戸期には旧和田地区の鎮守として祀られ、伝五郎稲荷、和田稲荷と呼ばれているそうだ。、、、、社殿前のシラカシは高さ18m、幹の周長3.8mで、練馬区内では最大級。 神社はどうでもいいが、シラカシは風格がある!

202002170842230000

202002170844310000



●練馬最大の都営住宅! ・・・・・・・・石神井公園駅の南から、一つ手前(池袋寄り)の練馬高野台駅へ流れる石神井川の両側にズラリと立ち並ぶ都営住宅団地、これが「都営南田中アパート」である。、、、、昭和41年(1966)から昭和59年(1984)までに建てられた、1,753戸(約50棟)の練馬区内最大の都営住宅団地。、、、、この団地も少子高齢化により、年寄りが増えたようだ。 私が団地内を歩いていると、認知症らしいお婆さんと、サポートしている女性がいた。 団地近くの整形外科の前は老人の行列。 買い物カートにもたれて歩くお婆さん。 団地内を行きかう車はデイサービスの送迎車。、、、、噂によると、この団地には中国人も多く住んでいるそうだ。 それらしき人とは出会うことはなかったが、中国語で書かれた書類が掲示板に貼られていた。
・・・・・・・・・・・・・・石神井川の両側に連なる集合住宅、、、、川岸にはサクラも連なり、花見の季節が待ち遠しい!

202002170900570111_stitch

・・・・・・・・・・・・・・・ボロボロになった団地の案内図、、、、見ても、サッパリ?????

202002170851090000

202002170857150000

・・・・・・・・・・・・・・・人気のない団地、、、、静かだ!

202002170849150000

202002170853150000

202002170906580000

202002170850300000

・・・・・・・・・・・・・・団地内の店舗は廃業?、、、、『おや、2・3の店が営業している』と思ったら、デイサービスの事務所であった

202002170857320000



●練馬の古刹! ・・・・・・・・南田中アパートから南へ300m程、南田中4丁目に、真言宗智山派寺院:観蔵院がある。 観蔵院は、慈雲山曼荼羅寺と号し、創建年月は不詳だが、文明9年(1477)現在地へ移転したそうだ。 昭和60年(1985)に落成した本堂と、その右隣には「日の出薬師堂」がある。 本堂裏の墓には元和元年(1615)という銘の墓もあるそうで、練馬の古刹だ。、、、、寺には曼荼羅美術館があり、観蔵院両部曼荼羅などが展示されているらしい、土日のみ開館で今日はダメ! 残念!

202002170925520000

202002170932000000

202002170932240000

202002170924340000

202002170927260000



●練馬の竹林! ・・・・・・・・観蔵院の南側に「おくらやま憩いの森」という区立公園がある。 この公園、“公園”と言っても竹林である。 土地所有者の好意で公開されているそうだ。 もちろん、その時期になると竹の子ができるそうだ。、、、、竹林の中に入ると、癒しの空間となる。

202002170937490000



●練馬から杉並に! ・・・・・・・・環八通りを南下して、練馬区から杉並区に入り、西武新宿線井荻駅に来た。 井荻駅は昭和2年(1927)4月16日に開業。 現在は、相対式ホーム2面3線の地上駅で、上下線ホームにそれぞれ南口、北口駅舎がある。 駅前の環八通りは、自動車は跨線橋で、人は地下道でそれぞれ線路を横断する。

202002171009120000

202002171015360000

202002171016010000

202002171016300000

・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩はココ井荻駅までとする、井荻駅前からバスで荻窪駅へ。 

202002171021460000

2020年2月14日 (金)

観梅の穴場

連日のポカポカ・ポッカレモン陽気で、ウメが咲き、サクラがほころび、チンチョウゲも咲いて、ひょっとすると間違ってヒマワリも咲きそうな暖かさ。 ウメが散らないうちに観ておこうと、夫婦で観梅に行くことにした。 人混みは、新型コロナに感染するかも(?)と思い、交通機関も空いていそうな処で、“知る人ぞ知る 知らない人は黙ってろ”、観梅の穴場「足立区都市農業公園」に行ってきた。 日暮里・舎人ライナーの西新井西駅から西へ歩き、足立区鹿浜にある「足立区都市農業公園」に行き、さらに西へ歩いて埼玉高速鉄道の川口元郷駅まで、1万3千歩の散歩です。




●寺から西へ1km! ・・・・・・・日暮里駅から先頭車両の一番前の席に、還暦はとっくの昔に過ぎた夫婦が座り、遊園地気分で「西新井大師西駅」でライナーから降りる。、、、、西新井大師西駅から西新井大師の山門までは、直線距離で約1.0km。 普通に歩けば約20分以上はかかる。 駅名に騙されて、当駅から西新井大師へ参拝するのは後々後悔することになる、高齢者は“死の行進”となるかも? 後悔する人が多いようだ、駅の壁に西新井大師行きのバス乗り場までの案内があった!、、、、駅は平成20年(2008)3月30日に開業。

202002141004330000

202002141010480000

202002141015320000

202002141016420000



●西へ、西へと歩く! ・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・まずは、駅前にある、URの江北六丁目団地の中を通り抜ける。、、、、昭和46年(1971)に竣工した、総戸数:860戸の団地。 数年前にリニューアルされ綺麗だ!、、、、駅出入口の真ん前にあるので、会社帰りのチョイト一杯は家の前を通ることになるので行き難いね!

202002141020470000

202002141021320000

202002141021520000

202002141024270000

・・・・・・・・・・・・つづいて、都営の上沼田第3アパート。 昭和43年(1968)に建てられた総戸数:569戸の団地。 築50年経過し、住民の多くは高齢化し寂しくなったそうだ。、、、、団地内の商店は店を閉じたようだ!

202002141032230000

202002141032280000

202002141033190000

・・・・・・・・・・・・鹿浜4丁目の民家の軒先に立つ“出世の狸”、、、、立て札にいろいろ書いてるね。


202002141045530000

202002141045530000-2

・・・・・・・・・・・・鹿浜3丁目、真言宗智山派の寶蔵寺は、医壷山福寿院と号す。 寶蔵寺は、弘安年間(1278~1288)、良算和尚によって鹿浜村南部に創建され、江戸時代には末寺8ヶ寺を擁する小本寺格の寺院だった。 荒川水除堤(熊谷堤)の造成により堤外となり、また水害も多いため、寛保2年(1742)以降に当地に移転した。 現在の堂宇は大正14年(1925)に再建されたもので、江戸期の隆盛を偲ぶべくもないが、風情ある寺だ!

202002141053100000

202002141055040011_stitch

・・・・・・・・・・・・寶蔵寺の裏(北側)に北鹿浜公園があり、そこに昭和2年(1927)に製造され、昭和46年(1971)まで現役で走り続けた蒸気機関車:C5075(中距離用小型テンダ機関車)が保存されている。 塗装は剥げ、車体は劣化し、ボロボロ。 可哀そうで泣きたくなるね! 

202002141102270000

202002141101070000



●ウメも、サクラも、満開! ・・・・・・・足立区の端(鹿浜2)にある「足立区都市農業公園」に来た!、、、、ウメの木は40本弱ぐらいで、梅林というほどではないが、静かに観梅することのできる穴場である。、、、、初めて来た妻は、綺麗に咲いたウメに感動し、ウメの花の香に爽やかさを感じ、再び感動。、、、、また、ウメに魅せられ、負けじと咲いたカンザクラは既に満開、一部散り始めた。

202002141156010000

202002141139270000

202002141137320000

202002141138190000

202002141144540000

・・・・・・・・・・・・・・せっかく来たのだから、古民家長屋門などもチョイト拝見。

202002141132380000

202002141134420000

202002141147380000

202002141132530000



●さらに西へ、川口へ! ・・・・・・・・・・・公園の脇を流れる芝川は、東京都足立区と埼玉県川口市の境である。 荒川への注ぎ口である芝川水門の近くで芝川を越えて川口市に入る。、、、、降りだしそうな、いやな空模様、気持ちはあせって、足はヨタヨタ、埼玉高速鉄道の川口元郷駅へ向かう。

202002141159180000

202002141159370000

202002141315090000

202002141338220000

2020年2月12日 (水)

小台と宮城

日暮里・舎人ライナー足立小台駅で下車し、荒川と隅田川に挟まれた中洲状の町:足立区小台・宮城を歩いてきた。 帰りは豊島橋を渡り、豊島五丁目からバスで帰宅。 1万1千歩




●お客は少ない! ・・・・・・・荒川と隅田川に挟まれた、“狭い土地”と言うべきか、“広い土手上”と言うべきか、どちらにしても住宅からはチョイト離れた尾久橋の北詰(足立区小台1)に、日暮里・舎人ライナーの足立小台駅はある。 平成20年(2008)3月30日のライナー開業と同時にできた。 平成30年(2018)度の一日平均乗降人員は3,931人であり、日暮里・舎人ライナー13駅中最下位だった。、、、、朝の足立小台駅では、乗降客が少ないにもかかわらず、2名の警備員がホームにいた。 『いやに、厳しいな!』と思ったら、ライナーが超満員で入線してきた、ココ足立小台駅では乗れない人もいるようだ。 その人達のための、“尻押し”をしているらしい。 押すところ間違えないように!

202002120818550000

202002120817340000

202002120813000000

・・・・・・・・・・・・ホームは、隅田川・荒川を見下ろす高い位置にある。

202002120812460000

202002120810530000



●車窓は絶景! ・・・・・・・足立小台駅の北側、荒川に日暮里・舎人ライナー荒川橋梁扇大橋が架かっている。、、、、日暮里・舎人ライナー荒川橋梁は、橋長610.8m、4径間鋼箱桁の構造で、平成18年(2006)に竣工した。 何と云っても、日暮里・舎人ライナーが橋の北側で首道路中央環状線の上を跨ぐため、ライナー高架橋の最高地点で、高さは約30mあり、眺めは最高!、、、、扇大橋は、尾久橋通り(都道58号台東川口線)を通す。 こちらは、長さ445.4m、幅員26.0mの3径間連続鋼ゲルバー式桁/連続箱桁橋。 昭和49年(1974)竣工。、、、、日暮里・舎人ライナーに乗り、ココを通過する時、いつも思うのは、絶景に感動し、電車の停止に怯えること。 もし、橋上で電車が止まったら、約30mの橋上を歩いて退避することになる、怖~~い!

202002120823540000

202002120828090000

202002120828510000

202002120829510000



●昔は台地、今は土手下! ・・・・・・・足立小台駅から西へ、足立区小台の町を歩く。、、、、小台も、隣りの宮城も、大正時代に荒川放水路開削事業で河道となるため住民が立ち退かされた町である。 それまでは、さほど高くはない台地で、畑地であったそうだ。 そこで“小さな台地”ということから「小台」と呼ばれたらしい。、、、、荒川放水路(現:荒川)ができたため、小台・宮城の町は中洲のような細長い狭い町となってしまった。 現在は工場がが多く、下町の工業地帯。

・・・・・・・・・・・・まずはブラブラ。 建設関連の、〇〇建設、〇〇工業、〇〇塗装などの会社名が多いね!

202002120853120000

202002120900210000

202002120909460000

202002120917390000

202002120918390000

・・・・・・・・・・・・小台2丁目に曹洞宗の寺:珠明院がある。 金龍山と号し、本尊は聖観音像(浅草の浅草寺も、金龍山で本尊は聖観音像、似てるね!) 珠明院は、然室存廓(弘治元年(1555)寂)が開山となり創建した。、、、、本堂前には、板碑型庚申塔、地蔵菩薩がある。 地蔵には『六地蔵弐番目武州江戸講中 元禄十二己卯年七月十五日』の銘がある。

202002120902390000

202002120905230000

・・・・・・・・・・・・珠明院の北東、荒川土手の前に立派な庚申塔が七基ある。、、、、説明板には、 小台七庚申  庚申信仰は、大陸から伝来した儒・仏・道の三教の内、道教を軸に平安時代の初め僧侶によって貴族社会に伝わり、のち次第に庶民に及んで固有の民俗信仰と習合し、広まったものである。ここ一か所に集まっているのは、大正初期にはじまった荒川放水路の開削工事で、立退きの対象となった地から下川家と共にここに移転安置したものである。承応三年(1654)から元文元年(1736)に造立された堂々とした造りで、江戸期庚申信仰が盛んであったことを物語っている。武州下足立郡淵江領宮城村の刻銘があるが、ここの地名をとって小台の七庚申と呼ばれ、人々の信仰を集めている。多くの民俗資料が消滅していくなかで、区民の努力によって保護保存されている代表的なものである。 平成4年3月 東京都足立区教育委員会 』と、記されている。 、、、、昔は、道端にこんな立派な庚申塔が多く祀られていたであろう。 今では、お宝だ!

202002120912220000

202002120911490000

202002120911350000



●豪族の館があった町! ・・・・・・小台の隣りは足立区宮城の町、こちらもブラリ散歩、、、、三方を荒川・隅田川に囲まれ、残る一方は小台の町に隣接する。、、、、町名の由来は、豊島氏の一族で太田資正に仕えた宮城政業の居館が現在の江北橋側の氷川神社にあり、寛永の頃には宮城の村落が出来ていたとそうだ。

・・・・・・・・・・・・町をブラブラ、こちらも小台と同じで下町の工業地帯。

202002120921430000

202002120923450000

202002120927510000

202002120925550000

202002120929500000

202002120934490000

202002120953360000

202002120957590000

・・・・・・・・・・・・・・・町中にあるはずの、真言宗の福壽山地蔵院。 あまり広くない境内に墓石がポツンと残り、堂宇は一切ない。 アレ? 寺の夜逃げか? 本堂があったと思われるところは整地されジャリ・ジャリ。 どうしたのかな?、、、、残されている墓石を見ると、どの墓も「下川家」だ、一族か? チョイト、ミステリアスな寺。

202002120939550000

・・・・・・・・・・・・・・江北橋の橋詰めに宮城氷川神社がある。 氷川神社は、豊島重信の子重中が南北朝時代に足立郡宮城の地を開発、守護神として武蔵国一宮氷川神社の分霊を勧請して創建、北條氏滅亡時に宮城氏も滅亡したものの、江戸時代初期の村落成立時に改めて村落の鎮守社として祀ったと言われている。、、、、この地には、豪族宮城氏の居館があったそうだ。 “砦”と言う程度のものか?

202002120944510000

202002120948170000



●北区から帰宅! ・・・・・・・・豊島橋を渡り足立区から北区に入る。 豊島五丁目団地の前からバスでに乗る。 北区から帰宅。

202002121000520110_stitch

202002121001440000

202002121010370000

2020年2月10日 (月)

東葛西は寺町だ!

今日は行き先未定で散歩に出ようとすると、妻が『散歩は何処へ行くの?』と問うてきた。 『決めてない!』と返すと、『ど・っ・ち・が・い・い・か・な・・・・・』と人差し指を立てて右・左。 我が家から、JRの浅草橋駅は右側、都営地下鉄・都バスの浅草橋駅は左側に向かうと駅に近い。 『・・・・・言・う・と・お・り』で右を差して止まる。 『ヨシ、JRに乗って来る!』と駅へ向かう。

浅草橋から総武緩行線に乗り、『さて、何処で降りようか?』自問自答。 駅からのバス路線が多い新小岩駅で下車した。 『一番遠くへ行きそうなバスに乗って適当な処で降りることにしよう』

202002100809560000

202002100814080000

駅前のバス停からスグ出発しそうな、今井経由葛西駅行きの都バスに乗った。

202002100815010000

さて、次はバスの中で『どこで降りようか?』 まずは、乗客の中に可愛い娘を見つけた『あの娘が降りる処で下車しよう!』 駅から4つ目のバス停「江戸川区役所」で可愛い娘は下りたが、私は堪えた『区役所前では、新小岩駅に近すぎる! もっと、遠くに行きたい!』 そうこうする間に、一之江駅前では乗客の大半は下りてしまった。、、、、『アリャ・ラ 自分はどこで降りたらいいのか???』、、、、バス内の路線図を眺め、「下今井」バス停で降りることにした。 「下今井」バス停(江戸川区江戸川5)は、旧江戸川と新中川が合流する処、今井水門、瑞穂大橋の下流、旧江戸川の護岸を背にしたバス停である。、、、、今日の散歩は、ここからスタート。

202002100840020000

202002100848570000

202002100850510000

202002100848330000



●下今井の三兄弟! ・・・・・・下今井バス停前の都道を旧江戸川に沿って南下すると、神社の三兄弟が鎮座している。

・・・・・・・・・・・・バス停の先に鎮座する、宝永4年(1707)創建の下今井熊野神社。 熊野神社は伊佐奈美神を祀り、俗に「お熊ん様」と呼ばれているそうだ。 旧下今井村の鎮守さま。 江戸時代には舟人たちの信仰が厚く、社前を通過する時は必ず帆をおろして航行の安全を祈ったといわれる。 また社前の江戸川は深い淵となって水が清澄で飲料水に適していたらしく、徳川将軍家でもここの水を運んだという。 俗に「おくまんだし」の水として尊重されたらしい。、、、、境内には、昭和43年(1968)に建てられた芭蕉の句碑がある。 『茶水汲む おくまんだしや 松の花 』、、、、金属製の柵で拝殿と本殿は厳重に守られ、賽銭泥棒は商売できない。

202002100852540000

202002100856160000

202002100853520000

・・・・・・・・・・・・熊野神社から300m程南下すると、下今井稲荷神社がある。 こちらの創建も、宝永4年(1707)で、祭神は宇賀御霊之命。 石鳥居は天保3年(1832)の再建で、その脇に文政11年(1828)霜月再建の「猿田彦大神」と刻まれた石柱がある。、、、、ここも、賽銭泥棒除けに鉄柵に囲まれ、社殿が見えづらい!

202002100905460000

202002100903160000

202002100906230000

・・・・・・・・・・・・さらに南下し新川を越えて東葛西1丁目に入ると、下今井香取神社がある。 神社は旧下今井村に鎮座しているが、旧長島村・旧桑川村との村境に位置していることから、「境の宮」とも称されている。 経津主神を祀る下今井の総鎮守で旧村社であった。 創建年代は不詳となっているが、下今井熊野神社、下今井稲荷神社と共に、宝永4年(1707)に下今井村の鎮守として創建されたらしい。 つまり、三社は兄弟であるかも?

202002100939480000

202002100940180000



●地震に強い水門へ変身! ・・・・・・・・新川(しんかわ)は、江戸川区を流れる川で、中川と旧江戸川を結ぶ人工河川(運河)である。 江戸時代には船堀川や行徳川とも呼ばれていた。 その新川の東端に新川東水門がある。、、、、只今、新川東水門は約6億円の費用で耐震補強工事中。  

202002100909590000

202002100917180000

202002100929040000



●賽銭も尽きる寺社詣で! ・・・・・・・新川東水門から下今井香取神社の前をとおり西へ、環七通りと葛西橋通りが交差する「長島町交差点」に抜ける道沿いには、コレマタ、寺社の多いこと。 “寺町”と云っても良いかも。、、、、今日、立ち寄った寺社の多くは、平成28年に訪れている。 

・・・・・・・・・・・・まずは、東葛西3-4に建つ庚申塔。 庚申塔の横に 明和五子天と刻まれている。 明和5年(1768)に作られ庚申塔で、青面金剛像にはドクロの首飾りがある。、、、、ひょっとすると、一昔前のアフリカの土人を模したのか?

202002100935320000

・・・・・・・・・・・・庚申塔の横道を入るとスグ、浄土宗の智光院がある。 智光院は普照山閻魔寺と号し、天正元年(1573)に創建された。

202002100937400000

・・・・・・・・・・・・そして、庚申塔の斜め前には、下今井香取神社がある。、、、、既紹介済み

・・・・・・・・・・・・下今井香取神社の隣りには、永禄5年(1562)に創建された旧桑川村の古刹で、浄土宗の寺院称専寺がある。 一向山無量院と号す。 永禄5年(1562)の創建。 本尊は阿弥陀三尊像。 華奢な感じの鉄筋コンクリートの本堂。、、、、境内には万冶3年(1660)の銘をもつ地蔵菩薩像庚申塔と、同年銘の阿弥陀如来像庚申塔がある。

202002100944130000


202002100944400000

・・・・・・・・・・・・称専寺の前には正円寺。 新義真言宗寺院の正円寺は、海寶山地蔵院と号す。 創建年代不詳。 文亀元年(1501)前後に中興したといわれている。、、、、境内の庚申塔(寛文3年銘)は江戸川区有形文化財である。

202002100954360000

202002100955560000

・・・・・・・・・・・・正円寺の南側(東葛西3-3)には、浄土宗寺院の清光寺がある。 清光寺は一向山無量院と号す。 文亀2年(1502)に開山した。、、、、境内は広いが殺風景。

202002100953130000

・・・・・・・・・・・・つづいて、清光寺の西側に、こちらも境内の広い長島香取神社がある。 旧名茂神社は、旧長島村の鎮守であった。 香取神社の創建年代は不詳だが、中興した良範法印が文亀元年(1501)に没していることから、長島村の開村した中世に創建したものと推定できる。、、、、明治41年(1908)には旧長島・桑川両村の山玉参拝講の人たちが境内に富士塚を建立、昭和26年(1951)には旧長島村西部にあった八雲神社を境内に遷座した。

202002101006550000

202002101008130000

202002101011490000

・・・・・・・・・・・・さらに寺社は続く、香取神社と地続きで隣に、真言宗豊山派寺院の東善寺がある。 こちらは、医王山応心院と号す。 本尊は木造薬師如来坐像、養老3年(719)、仏師春日が大阪春日野で制作したものを、仁平2年(1152)に空円上人が開山の時ここに安置した。 葛西大師参りの霊場の一つで、通称は「長島薬師」と呼ばれている。 本尊薬師如来に手を合わせる時のご真言は『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』と唱えるそうだ。、、、、赤い旗がなびく寺。共産党とは無関係と思われる。 

202002101005520000

・・・・・・・・・・・・東善寺から西へ150m程に梵音寺がある。 梵音寺は海潮山と号する曹洞宗の古刹で、当寺の縁起によると、承和14年(847)慈覚大師が唐から帰朝する時、難風起り来って危うかったところ観世音菩薩に救われ、この地(袖しが浦)に上陸することが出来た。そこでここに一宇を建て観世音菩薩をまつったのがこの寺の始まり。、、、、シマッタ! 写真撮り忘れた! ゴメン。
・・・・・・・・・・・・梵音寺の山門脇に小社:長島稲荷神社がある。

202002101017150000

・・・・・・・・・・・・まだあった、長島稲荷神社の北側に桑川神社があった。 旧桑川村の鎮守でもと第六天といった。 祭神は面足之命で創建年月は不詳。別当は近くの東善寺であったが、文久年間の火災で旧記を焼失した。

202002101019180000

202002101019470000

・・・・・・・・・・・・今日歩いたルートの近くには、まだまだ寺社があり、庚申塔もあるようだ、、、、いずれまたの機会に参拝しよう。 今日は、不幸にも寺社がありすぎて、賽銭の小銭も無くなった!



●ラッキー、バスが来た! ・・・・・・・・葛西駅に出るつもりであったが、環七通り「長島町交差点」バス停に丁度、「船堀駅前」行きのバスが来た。 ミッキー・ポッキー・ラッキーで、バスで船堀駅へ。 都営地下鉄で帰路につく。 

202002101028530000

202002101043480000

2020年2月 8日 (土)

丁度よい浅草

新型コロナウイルスで世界中が右往左往。 とうとう、観光地“浅草”から中国人がいなくなった。 そこで、午前中、買い物ついでに、チョイト“浅草”を視察してきた。、、、、一目、観光客は半減。 観光客相手の店には申し訳ないが、町の雰囲気、歩きやすさ、買い物のしやすさ、お店の賑わい、など、総合判定すると、観光客数はこの程度が丁度よい! のんびり、マイペースで浅草観光できるね!、、、、70年以上地元に住み続けている自分としては、今日の浅草の人出に懐かしさを感じ、不思議な雰囲気だった。




●・・・・・・・・・・・9時の浅草六区に集まっている人は、場外馬券売り場で経済学を学ぶ親爺連中。 薬局巡りの中国人はいない! 一昔前の“浅草”に戻った!、、、、観光客に邪魔されず、のんびり、じっくり、予想する。

202002080856460000

202002080907130000

202002080909530000

202002080914580000

●・・・・・・・・・・・土産物屋が並ぶ「西参道商店街」、「新仲見世商店街」、裏通りの飲食店街、どこもかしこも、中国人の姿は見えず、店もまだ閉まっている。

202002080916280000

202002080947300000

202002080954140000

202002080953390000

202002080948590000

●・・・・・・・・・・・日本語の会話があちらこちらで聞こえ、“浅草寺に来た”と変に感動する。 中国人のいない浅草寺は、こんなに空いているのか、これまたビックリ!
202002080921100000

202002080926380000

202002080928460000

202002080930000000

202002080931580000

202002081013020000

●・・・・・・・・・・・・・久しぶりに修学旅行生が目にとまる。 何だか新鮮だ!

202002080932420000

202002080937350000

202002080938590000

●・・・・・・・・・・・・・・いつもは観光客でごった返す「雷門」も、今日は楽々と写真が撮れる。 なんだか、雷門から仲見世を通して浅草寺本堂まで一気に見えるような気がしたが、さすがに、それは無かった!、、、、仲見世で、のんびりショッピングもできるようだ!

202002081000410000

202002081003360000


202002081007210000

202002081005030000

202002081007440000

●・・・・・・・・・・・・新型コロナウイルスが制圧され、中国人観光客の戻った“浅草”を想像すると、『喜ぶべきか? 悲しむべきか?』考えさせられるね!

2020年2月 5日 (水)

上野介の眠る寺

西武新宿線沼袋駅から中央緩行線東中野駅まで、1万歩の散歩です。




●跨線橋が無くなった! ・・・・・・・・高田馬場から西武新宿線に乗り、沼袋駅で降りてみた。  沼袋駅は、昭和2年(1927)4月16日、西武村山線(西武新宿線の前身)高田馬場~東村山間開業と同時にできた駅。 ホームは相対式2面2線と中線1線の地上駅である。、、、、只今、西武新宿線(中井駅~野方駅間)連続立体交差事業の真っ最中で、当駅と隣の新井薬師前駅は地下駅となる。 その為、工事着工前には、上下別に2線あった中線が上下線共用の1線となっている。 また、跨線橋も撤去され、地下連絡通路に変わった。 

202002050820340000

202002050820550000

202002050832070000

・・・・・・・・・・・・工事前の沼袋駅(2015年撮影)、、、、跨線橋がある、中線も2線ある


20150128-021

20150128-016

20150128-007
・・・・・・・・・・・・ホームの脇では地下駅を造るため、土留壁工事が行われていた。 地下駅ができるまで、まだまだ時間がかかりそうだ! 
202002050819480000



●お賽銭をはずむ! ・・・・・・・沼袋駅の東側に鎮座する沼袋氷川神社。、、、、沼袋氷川神社の創建年代は不詳だが、文明9年(1477)太田道灌が、江古田ヶ原・沼袋の戦いの際に当地に陣営を置いたといい、江戸時代には下沼袋村の鎮守社だったそうだ。 正保年間(1644~1648)代官:野村彦太夫が社殿を修築し、文久4年(1864)石鳥居が建てられ、明治13年(1880)には社殿を改築、大正11年(1922)幣殿を増築。、、、、境内には、道灌が戦勝を祈願して植えた「道灌杉」があったが、昭和19年(1944)に枯れた。、、、、風格のある神社で、境内は綺麗に整備されている。 “優しい女性の神職”、“境内を掃除する美人の奥様”、“初詣に来た欅坂46”、いろいろ楽しい噂があるようだ! お賽銭をはずみ、200円入れてシマッタ!

202002050835310000

202002050840100000

202002050845270000



●壊される駅、さらば! ・・・・・・・・線路脇を歩き新井薬師前駅に来た! 新井薬師前駅はまだ既存の駅舎を使用しているが、いずれ取り壊されることになる。 線路は地下へ、駅も地下駅、写真は撮りにくくなり、チョイト残念!

202002050852460000

202002050854030000

202002050859310000

202002050904430000

202002050907280000



●歌いたくなる道! ・・・・・・・・新井薬師前駅の南東、上高田3丁目、民家を囲む竹組の垣根は、童謡『たきび』の一番の歌詞「垣根の垣根の曲がり角」のモデルとなった垣根。、、、、説明板によると、『この童謡の作詞者:巽聖歌(たつみせいか 本名野村七蔵 1905~1973)は、岩手県に生まれ、北原白秋に師事した詩人で、多くの優れた児童詩を残しました。 聖歌は、この詩が作られた昭和5、6年頃から約13年の間、萬昌院のすぐ近く、現在の上高田4丁目に家を借りて住んでいました。朝な夕なにこのあたりを散歩しながら、「たきび」のうたの詩情をわかせたといわれています。歳月が流れ、武蔵野の景観が次第に消えていく中で、けやきの大木がそびえ、垣根の続くこの一画は, 今もほのかに当時の面影をしのぶことができる場所といえましょう。』 、、、、かっては大きな農家であったらしい、童謡の歌詞がピッタリする情景はなんとも言えない懐かしさを感じる。 人通りは少なく、青空の下、緑に囲まれた静かな道を、ゆっくり散策できる。 いいね!

202002050922140111_stitch

202002050923560000

202002050917080000



●上野介の墓 ・・・・・・・「上高田中通り」を南へ向かって歩き、「上高田交番」を過ぎた処に、曹洞宗寺院の萬昌院功運寺がある。 萬昌院功運寺は、今川氏真の第4子長得が開基となり天正2年に仏照円鑑禅師が開山した久宝山万昌院と、永井信濃守尚政が開基となり慶長3年に黙室芳誾禅師が開山した龍谷山功運寺とが、昭和23年(1948)に合併した寺院である。  お寺には、吉良家14代から17代の墓がある。 忠臣蔵の悪役:吉良上野介義央は吉良家17代目に当り、ここに墓がある。 、、、、境内には幼稚園があり、児童が本堂前で遊んでいるためか、警備が厳しく女性ガードマンが立っている。 また、園児を送迎する若いお母さんも山門前で立ち話中、よそ者の私にはチョイト入りずらい。、、、、今日は勇気を出して、『吉良家の墓を見せてもらえますか?』 女性ガードマンの応え、『いいですよ、だけど境内での写真撮影はダメです!』 残念だが了解して、吉良上野介の墓に手を合わせてきた。 (写真は2010年撮影の山門、本堂、吉良家墓所)、、、、ここには、吉良の忠臣も供養されている。 また、『放浪記』の作家:林芙美子の墓もある。

_20101221_091148

_20101221_091254

202002050942470000



●ここにもギンザ! ・・・・・・・「上高田中通り」は早稲田通りにぶつかり、道なりに直進すると「東中野ギンザ通り」と名を変え、東中野駅前に出る。 散歩はココまで!

202002050933490000

202002051016590000

202002051020390000

202002051029120000

202002051030520000

202002051034090000

2020年2月 3日 (月)

芝川で芝川を浄化

今日の散歩は、西川口駅から、東へ歩き、川口オートレース場の脇にある堅川樋門公園まで歩いてきた。 往復、1万3千歩。

西川口駅から堅川樋門公園までのルートは、以下の2つの記事を参照してね!・・・・2015/11/3(西川口~鳩ケ谷)2018/6/8(西川口~鳩ケ谷)




●新オートレース通りを行く! ・・・・・・・西川口駅から、駅前の「新オートレース通り」を歩き「川口オートレース場」まで。 

・・・・・・・・・・・・・・新型コロナウィルスで、マスクする人は多いが、隔離されている人はまだいないようだ、上り電車は相変わらず混んでいる!

202002030815410000

202002030813370000

・・・・・・・・・・・・・・西川口駅東口には、平成19年(2007)に建てられた、シャレた店舗が入っている駅ビル「beansにしかわぐち」がある。 私が住む浅草橋駅には駅ビルは無い、高架下に飲み屋・ソバ屋などが数店舗あるのみ、負けた!

202002030822240000

・・・・・・・・・・・・・・今日はオートレースの非開催日、駅前からのレース場行きの無料送迎バスは運転されていないようだ。

202002030827220000

・・・・・・・・・・・・・・駅前から東にほぼ真っ直ぐ伸びる「新オートレース通り」を歩く。 川口市営のオートレース場なので、道路の愛称も堂々とマイ名されている。 

202002030827440000

202002030835020000

・・・・・・・・・・・・・・チョイト表通りから外れ、近くの青木町公園に立ち寄って、「9600型蒸気機関車」を見て行く。 、、、、ここは屋根の下に保存され、かつ手入れも良く保存状態良し! 屋根のないところで雨ざらし状態で保存されている機関車では、手入れもおろそかにされ、劣化がひどくボロボロのものもある。 機関車と言えど可哀そうなものもある!、、、、この機関車は国鉄の前身である鉄道院が大正2年(1913)から製造した、日本で初めての本格的な国産貨物列車牽引用のテンダー式蒸気機関車。

202002030853020000

・・・・・・・・・・・・・・明日は立春、早くもウメが咲き誇っていた。、、、、節分の今日も12℃、春の陽気

202002030912060000

202002030912550000

・・・・・・・・・・・・・・「川口オートレース場」に着いた。 せっかくだから、チョイト、レース場を一回り!、、、、50年ぶりに車券を買ってみたかった! 本日は非開催日、残念!

202002030915560000

202002030928060000

202002030925350000



くっついたり離れたり! ・・・・・・・・川口オートレース場の北側に芝川と堅川が合流する地点「堅川樋門公園」がある。 芝川は桶川に源を発し埼玉県東部を流れ荒川に至る一級河川。 堅川は蕨市の方から川口市を流れ芝川に合流する人工河川。 また、新芝川は昭和40年(1965)に開削が完了した放水路で、荒川に合流する芝川水門の直前で旧芝川ともご流する。、、、、堅川樋門公園と云っても、堅川の中にある中洲状の部分で、児童遊具があったり、老人憩いの施設があるわけでもない。 空中写真と地図を見て!

200203

Photo_20200203221801

202002031013040000

・・・・・・・・・・芝川は川口市内を流れるため水質の悪い川であった。 芝川再生のため、ヘドロの除去、埼玉高速鉄道トンネルを利用して上流の浦和美園駅付近から荒川の水を流するなど取り組んできた。 さらに、芝川の支流である緑川・堅川には芝川の水を流し、浄化に取り組んできた。 河川再生の取り組みは効果あり、芝川も堅川も水質は改善されてる。、、、、綺麗になってきた堅川の水は、堅川樋門公園の処で、旧芝川にその一部を流すことにより、旧芝川の水質改善にも役立てる仕組みが出来ている。 それが、「堅川樋門」、「堅川排水路樋門」、「堅川取水施設」である。

・・・・・・・・・・・堅川上流から見ると、右岸側(写真右側)に「堅川排水路樋門」、左岸側(写真左側)に「堅川樋門」が見える。

202002031016050000

・・・・・・・・・・・・平常時は竪川樋門は開いており、堅川排水路樋門は閉じてる。 堅川樋門を通った水は、公園の人道橋「ふれあい橋」を過ぎた先で芝川に合流する。

202002031018410000

202002031005400000

202002031004490000

202002031005260000

・・・・・・・・・・・・・・平常時、堅川樋門を通った水の一部は、樋門のスグ直後にある「堅川取水施設」から、公園の下をとおり、「堅川排水路」へ流れる。

202002031007020000

・・・・・・・・・・・・・・公園の下を通ってきた水は、堅川排水路に流れ込み旧芝川に清流を復活させる仕組みである。 写真中央で、護岸の下から流れ込んでいるのが判る。

202002031011310000

・・・・・・・・・・・・・・大雨時は堅川樋門は閉じられ、堅川の水は、堅川排水路樋門を通じて竪川排水路を流れ、旧芝川に流れる。、、、、今日は穏やかな晴天で、堅川排水路樋門は閉じられている。 ゲート前には、ペットボトルがプッカプッカ、ビニール袋もプッカプッカ、汚いね!

202002031014190000

・・・・・・・・・・・・・芝川は青木水門によって、新芝川と旧芝川に分流するのだが、水量のほぼ大半は新芝川に流れて行くようだ!、、、、ここで、別れた新芝川と旧芝川は芝川水門の手前で再び合流する。

202002030959240000

202002030948030000

・・・・・・・・・・・・・・・旧芝川は青木水門の先で堅川排水路と合流し、オートレース場の脇を流れる。 川筋には遊歩道が造られ、綺麗になった旧芝川を散策できる。

202002030956360000

202002030940080000


●来た道を戻る! ・・・・・・この後、新オートレース通りを西川口駅へ戻る!

2020年2月 1日 (土)

子之神社は展望台

京成本線鬼越駅から、北の北方(きたかた)を廻って法華経寺の境内を抜け京成中山駅まで、1万歩の散歩です。




●鬼が居た処! ・・・・・・・京成本線の鬼越駅(おにごええき)は、昭和10年(1935)8月3日、中山鬼越駅として開業した。 島式ホーム1面2線の地上駅。 駅舎は京成八幡寄りの踏切脇にあり、駅舎と島式ホームの間には構内踏切がある。 一日当たりの平均乗降客は5,696人(2018年度実績)と少なく、もちろん特急も快速もビュンビュン通過する。 乗客の少ないホームに立つと、チョッピリ、ローカル駅の懐かしい雰囲気を感じることができる。、、、、地名の「鬼越」は、かつて、このあたりに恐しい鬼が住んでいたといわれ「鬼子居」と呼ばれていたが、その後、鬼子居が「鬼越」となったそうだ。 明治2年(1869)の地名は、葛飾県葛飾郡鬼越村であった。

202002010822000000

202002010846130000

202002010827450000

202002010828470001

202002010833160000

202002010834050000



●いろいろな神様が居ます! ・・・・・・・・鬼越の鎮守さまである神明社。 鬼越神明社は、元和2年(1616)伊勢の皇太神宮を勧請して創建、大正年間に村内にあった道祖神、天神社、諏訪社、与力・与直社、浅間神社を当地に遷座し、境内社とする。 境内社が増えたことで、耳の道祖神(耳の神様)、大神様(学問の神様)、お諏訪様(商売の神様)、与力様(鎮世の神)、浅間神社(富士信仰)いろいろな神様が揃っている。 お好みの神様を、チョイスできます!、、、、現在の社殿は明治年間の造営であるが、昨年の台風でヤラレタか、ブルーシートをかぶり痛々しい姿となった。 また、社殿前の「大クスノキ」は樹齢400年以上、幹回りは4mを越える大木。、、、、鳥居の前には、京成電車が通過する踏切があり、チョイト絵になる。

202002010847480000

202002010854240000

202002010853400000

202002010854350000



●絶景かな、絶景かな! ・・・・・鬼越の北に離接する「北方(きたかた)」の町を歩く。 北方は、住居表示実施以前は北方町(ぼっけまち)と称していた。 明治2年(1869)には葛飾県葛飾郡北方(ぼっけ)村と呼んでいたそうだ。、、、、「北方」の由来は、●崖の意味である「ほき」が訛って「ぼっけ」となった。 ●当地に住んだ閑院家の呼び名が北家(ほっけ)であったから。 ●中山領主の北の方が住んでいたことから北方と呼ばれていたから。 ●近くの法華経寺の法華から。 諸説イロイロ、お好きな説を!

・・・・・・・・・・・・「鬼越駅前通り商店会」の通りを少し北へ、「アーデル通り」と交差する。 アーデル通りに沿って右折し、東へ向かう。、、、、『ところで、“アーデル”て何?』 ナント、企業名であった。 市川市が命名権を売り、「アーデルフィットネスリーゾト」という企業と契約したそうだ。 市の税収アップに貢献したらしいが、私のようなよそ者には馴染みがないし、覚えにくいし、企業が変わったら道路名も変わるでは、困ったもんだ。 「恵方巻通り」の方が、親しみがあり、覚えやすいね! 

202002010841270000

202002010909250000

202002010915560000

202002010916230000

・・・・・・・・・・・・アーデル通りの終点と思われる北方3丁目付近で、赤い華奢な鳥居があった。 「子之神社 参道」と書かれている。 素通りするにはチョイト気になるので、ネズミに騙されたつもりで参道を奥へ進むと、チャンとした石の鳥居が見え一安心!、、、、公民館のような建物がある。 神社は? 建物の後ろ(北方3)に、チャンとあった。 どうやら、神社の横にでてきたらしい拝殿と本殿がみえる。

202002010919280000

202002010922330000

202002010936520000

・・・・・・・・・・・・さっそく拝殿へ、、、、ワォ~~、スゲェ~~、山頂展望台だ、国府台の台地を一望する崖上の展望台、これが子之神社(ねのじんじゃ)か、感動した!、、、、拝殿は崖上ギリギリの処に造られていた。 手を合わせるのは後まわし、まずは景色を堪能する。

202002010928140000

202002010927020000

202002010925540011_stitch

・・・・・・・・・驚きも一段落し、サテ・サテ、神社を拝見!、、、、子之神社は、閑静な住宅街の中にあり、拝殿前に表参道らしき急な階段がある。 心肺の弱い我が身にはキツイ階段だが、一度下りてみた。、、、、神社は、大己貴命を祭神とし、亀山天皇の御代文永年間(1270年代)に建立されたそうだ。

202002010928240000

202002010932580000

202002010934360000
・・・・・・・・・・・・子之神社を後にしアーデル通りに戻り、チョイト歩くと「東山魁夷記念館 」の前に出た。 まだ10時前で開館していないので、パスする。
202002010943530000



●南妙法蓮華経! ・・・・・・・東山魁夷記念館からは、裏道を歩いて法華経寺の境内に出てきた。 境内を通り抜けるように、祖師堂で手を合わせ京成中山駅へ向かう。 

202002011002520000

202002011003180000

202002011003540000

202002011008480000

・・・・・・・・・・・・京成中山駅に到着! 大正4年(1915)11月3日に中山駅として開業。 昭和6年(1931)に京成中山駅と改称。、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅。 

202002011016060000

202002011023410000

« 2020年1月 | トップページ | 2020年3月 »