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2020年2月10日 (月)

東葛西は寺町だ!

今日は行き先未定で散歩に出ようとすると、妻が『散歩は何処へ行くの?』と問うてきた。 『決めてない!』と返すと、『ど・っ・ち・が・い・い・か・な・・・・・』と人差し指を立てて右・左。 我が家から、JRの浅草橋駅は右側、都営地下鉄・都バスの浅草橋駅は左側に向かうと駅に近い。 『・・・・・言・う・と・お・り』で右を差して止まる。 『ヨシ、JRに乗って来る!』と駅へ向かう。

浅草橋から総武緩行線に乗り、『さて、何処で降りようか?』自問自答。 駅からのバス路線が多い新小岩駅で下車した。 『一番遠くへ行きそうなバスに乗って適当な処で降りることにしよう』

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駅前のバス停からスグ出発しそうな、今井経由葛西駅行きの都バスに乗った。

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さて、次はバスの中で『どこで降りようか?』 まずは、乗客の中に可愛い娘を見つけた『あの娘が降りる処で下車しよう!』 駅から4つ目のバス停「江戸川区役所」で可愛い娘は下りたが、私は堪えた『区役所前では、新小岩駅に近すぎる! もっと、遠くに行きたい!』 そうこうする間に、一之江駅前では乗客の大半は下りてしまった。、、、、『アリャ・ラ 自分はどこで降りたらいいのか???』、、、、バス内の路線図を眺め、「下今井」バス停で降りることにした。 「下今井」バス停(江戸川区江戸川5)は、旧江戸川と新中川が合流する処、今井水門、瑞穂大橋の下流、旧江戸川の護岸を背にしたバス停である。、、、、今日の散歩は、ここからスタート。

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●下今井の三兄弟! ・・・・・・下今井バス停前の都道を旧江戸川に沿って南下すると、神社の三兄弟が鎮座している。

・・・・・・・・・・・・バス停の先に鎮座する、宝永4年(1707)創建の下今井熊野神社。 熊野神社は伊佐奈美神を祀り、俗に「お熊ん様」と呼ばれているそうだ。 旧下今井村の鎮守さま。 江戸時代には舟人たちの信仰が厚く、社前を通過する時は必ず帆をおろして航行の安全を祈ったといわれる。 また社前の江戸川は深い淵となって水が清澄で飲料水に適していたらしく、徳川将軍家でもここの水を運んだという。 俗に「おくまんだし」の水として尊重されたらしい。、、、、境内には、昭和43年(1968)に建てられた芭蕉の句碑がある。 『茶水汲む おくまんだしや 松の花 』、、、、金属製の柵で拝殿と本殿は厳重に守られ、賽銭泥棒は商売できない。

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・・・・・・・・・・・・熊野神社から300m程南下すると、下今井稲荷神社がある。 こちらの創建も、宝永4年(1707)で、祭神は宇賀御霊之命。 石鳥居は天保3年(1832)の再建で、その脇に文政11年(1828)霜月再建の「猿田彦大神」と刻まれた石柱がある。、、、、ここも、賽銭泥棒除けに鉄柵に囲まれ、社殿が見えづらい!

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・・・・・・・・・・・・さらに南下し新川を越えて東葛西1丁目に入ると、下今井香取神社がある。 神社は旧下今井村に鎮座しているが、旧長島村・旧桑川村との村境に位置していることから、「境の宮」とも称されている。 経津主神を祀る下今井の総鎮守で旧村社であった。 創建年代は不詳となっているが、下今井熊野神社、下今井稲荷神社と共に、宝永4年(1707)に下今井村の鎮守として創建されたらしい。 つまり、三社は兄弟であるかも?

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●地震に強い水門へ変身! ・・・・・・・・新川(しんかわ)は、江戸川区を流れる川で、中川と旧江戸川を結ぶ人工河川(運河)である。 江戸時代には船堀川や行徳川とも呼ばれていた。 その新川の東端に新川東水門がある。、、、、只今、新川東水門は約6億円の費用で耐震補強工事中。  

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●賽銭も尽きる寺社詣で! ・・・・・・・新川東水門から下今井香取神社の前をとおり西へ、環七通りと葛西橋通りが交差する「長島町交差点」に抜ける道沿いには、コレマタ、寺社の多いこと。 “寺町”と云っても良いかも。、、、、今日、立ち寄った寺社の多くは、平成28年に訪れている。 

・・・・・・・・・・・・まずは、東葛西3-4に建つ庚申塔。 庚申塔の横に 明和五子天と刻まれている。 明和5年(1768)に作られ庚申塔で、青面金剛像にはドクロの首飾りがある。、、、、ひょっとすると、一昔前のアフリカの土人を模したのか?

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・・・・・・・・・・・・庚申塔の横道を入るとスグ、浄土宗の智光院がある。 智光院は普照山閻魔寺と号し、天正元年(1573)に創建された。

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・・・・・・・・・・・・そして、庚申塔の斜め前には、下今井香取神社がある。、、、、既紹介済み

・・・・・・・・・・・・下今井香取神社の隣りには、永禄5年(1562)に創建された旧桑川村の古刹で、浄土宗の寺院称専寺がある。 一向山無量院と号す。 永禄5年(1562)の創建。 本尊は阿弥陀三尊像。 華奢な感じの鉄筋コンクリートの本堂。、、、、境内には万冶3年(1660)の銘をもつ地蔵菩薩像庚申塔と、同年銘の阿弥陀如来像庚申塔がある。

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・・・・・・・・・・・・称専寺の前には正円寺。 新義真言宗寺院の正円寺は、海寶山地蔵院と号す。 創建年代不詳。 文亀元年(1501)前後に中興したといわれている。、、、、境内の庚申塔(寛文3年銘)は江戸川区有形文化財である。

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・・・・・・・・・・・・正円寺の南側(東葛西3-3)には、浄土宗寺院の清光寺がある。 清光寺は一向山無量院と号す。 文亀2年(1502)に開山した。、、、、境内は広いが殺風景。

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・・・・・・・・・・・・つづいて、清光寺の西側に、こちらも境内の広い長島香取神社がある。 旧名茂神社は、旧長島村の鎮守であった。 香取神社の創建年代は不詳だが、中興した良範法印が文亀元年(1501)に没していることから、長島村の開村した中世に創建したものと推定できる。、、、、明治41年(1908)には旧長島・桑川両村の山玉参拝講の人たちが境内に富士塚を建立、昭和26年(1951)には旧長島村西部にあった八雲神社を境内に遷座した。

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・・・・・・・・・・・・さらに寺社は続く、香取神社と地続きで隣に、真言宗豊山派寺院の東善寺がある。 こちらは、医王山応心院と号す。 本尊は木造薬師如来坐像、養老3年(719)、仏師春日が大阪春日野で制作したものを、仁平2年(1152)に空円上人が開山の時ここに安置した。 葛西大師参りの霊場の一つで、通称は「長島薬師」と呼ばれている。 本尊薬師如来に手を合わせる時のご真言は『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』と唱えるそうだ。、、、、赤い旗がなびく寺。共産党とは無関係と思われる。 

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・・・・・・・・・・・・東善寺から西へ150m程に梵音寺がある。 梵音寺は海潮山と号する曹洞宗の古刹で、当寺の縁起によると、承和14年(847)慈覚大師が唐から帰朝する時、難風起り来って危うかったところ観世音菩薩に救われ、この地(袖しが浦)に上陸することが出来た。そこでここに一宇を建て観世音菩薩をまつったのがこの寺の始まり。、、、、シマッタ! 写真撮り忘れた! ゴメン。
・・・・・・・・・・・・梵音寺の山門脇に小社:長島稲荷神社がある。

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・・・・・・・・・・・・まだあった、長島稲荷神社の北側に桑川神社があった。 旧桑川村の鎮守でもと第六天といった。 祭神は面足之命で創建年月は不詳。別当は近くの東善寺であったが、文久年間の火災で旧記を焼失した。

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・・・・・・・・・・・・今日歩いたルートの近くには、まだまだ寺社があり、庚申塔もあるようだ、、、、いずれまたの機会に参拝しよう。 今日は、不幸にも寺社がありすぎて、賽銭の小銭も無くなった!



●ラッキー、バスが来た! ・・・・・・・・葛西駅に出るつもりであったが、環七通り「長島町交差点」バス停に丁度、「船堀駅前」行きのバスが来た。 ミッキー・ポッキー・ラッキーで、バスで船堀駅へ。 都営地下鉄で帰路につく。 

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