水のない“せせらぎ”
“新型コロナ”を避け、すいた電車で感染した旅行客の少なそうな、京成押上線青砥駅から歩くことにした。 青砥駅から奥戸橋を渡り総武線新小岩駅まで、1万2千歩の散歩です。(青砥駅から新小岩駅まで、同じようなルートで以前(2016/7/24)歩いていた)
●“コロナ”の居ない青砥? ・・・・・・・都営浅草線浅草橋駅から、すいた電車(下り、印旛日本医大行き)に乗る。 青砥駅周辺には、定住する中国・韓国人は多いと思うが、名所旧跡のない駅周辺では同国の観光客は少なく、感染リスクも低いと自己判断し下車することにした。 出がけに妻から手渡されたマスクは使用せずにカバンにしまったままである。(私はマスクが大嫌いで、生まれて今日まで自分で使用した記憶はない。これも自慢の一つ!)、、、、駅前の地図を見て、奥戸橋を渡り、西井堀緑道を新小岩駅まで歩くことにした。



●川は春の陽気! ・・・・・・・・青砥駅から中川の護岸に出る。、、、、青戸1丁目付近は荒川が氾濫すると約1m程浸水するそうで、護岸に出るにはチョイト、法面を上って出る。 護岸から見える川は、昔からの「中川」で荒川に沿って東京湾に注ぐ、比較的穏やかな川だ!




●陰陽道の神社! ・・・・・・奥戸橋の西側に、創祠は平安時代中期の長保年間(999~1003)に、陰陽師阿部晴明の勧請によると伝えられている「熊野神社」がある。 葛飾区内で最も古い神社の一つであり、陰陽道の表現なのか、境内の形が五角形である。
・・・・・・・・・・・・熊野神社の大鳥居信史宮司は、なんと神田明神の宮司でもあり、しかも菅原道真の後裔である。 平成21年(2009)、自身が神職になって五十年を迎えた記念に、京都市内のオークションに出品されていた、元三井家江戸屋敷に建てられていた銅製五重塔を私費で購入し、神社に寄進したそうだ。 この銅製五重塔、台座を含む高さ7mあり、同神社では銅製五重塔では日本一としている。、、、、私も、来年は生誕75周年なので、東京タワー型の銅製の文鎮でも買って寄付しようかな?
●昔は有料の橋! ・・・・・・・中川に架かり葛飾区立石(西詰)と奥戸(東詰)の間を結んでいる「奥戸橋(おくどばし)」。、、、、奥戸橋の現橋は昭和47年(1972)の竣工、工費は6億7500万円。、、、、初代の木造の奥戸橋は、大正3年(1914)に、渡るのに金をとる賃取橋として竣工したそうだ。、、、、橋は只今、塗装工事中、、、、橋の下流にはスカイツリーも見える(判るかな?)



●五丁目住宅とは? ・・・・・・・・奥戸橋を渡り、奥戸街道を横断し、西井堀緑道に入る。 “緑道”と言っても、新小岩駅の近くまで行かないと“緑”はない、「奥戸」の町の中では“ただの道”。
・・・・・・・・・・・・「五丁目住宅」のバス停が見える。 “五丁目住宅”とは?

・・・・・・・・・・・・チョイト、バス通りからそれて、裏通りへ進むと、都営住宅「奥戸新町アパート」があった。 “五丁目住宅”とは、ココのことだな!、、、、所在地は葛飾区奥戸5丁目-15、たしかに“五丁目住宅”。 昭和41年(1966)から翌年にかけ建てられた、総戸数270戸(8棟)の団地。、、、、今年の自治会役員選挙では立候補者が少なく定員に満たず、
再選挙が行われ、やっと人数が集まり全員無投票当選したそうだ。 どこもかしこも、自治会は苦労するようだ! 掲示板を整理するお婆さんも大変そうだ!





●水のない“せせらぎ”! ・・・・・・・「西井堀せせらぎパーク」は、葛飾区東新小岩5丁目1番~21番先にある区立公園。 この公園が「西井堀緑道」の由来となる公園のようだ。 新小岩駅寄りの蔵前橋通り(巽橋)から、約500mの水路を埋め立て親水公園とした。 公園は噴水・水路を主体に、お高そうな大理石のオブジェなどを随所に配している。 公園内には地下駐輪場もあり、地下道もある。、、、、“せせらぎ”の謂れとなるべき、噴水・小川などは水が無く、どうしたのかな? 地下道は通行禁止? 随所に置かれた高価なオブジェは見る人もいない? 公園で遊ぶ子供もいない? ベンチで語らうカップルの姿も見えない? 園内で一休みするジジ・ババもいない?、、、、誰のための公園か?







●欄干が残された! ・・・・・・・新小岩駅北口から200m北、蔵前橋通り「たつみ橋交差点」の際に、「巽橋」の欄干が残っている。、、、、ここには、西井堀川と呼ばれる運河があった、それが暗渠化され、現在のような道路に欄干が残る不思議な風景が生まれた。



●新装開店! ・・・・・・・新小岩駅北口に到着。 高架下の南北連絡通路も整備され、大きなテントを張った北口は、イメージチェンジ!


